第二十三話「いつもわたしを助けてくれる」
時は少し遡る。
何者かに攫われたセシリアは旧ギルドの三階にいた。
そして、目の前にはセシリアと同年代の青年が座っていた。
「よぉ、目が覚めたか」
青年は食事中だったようで食べかけていたパンを手に持って立ち上がった。
おもむろにセシリアの傍まで来ると、手にしたパンを彼女の顔に近づけた。
「腹が減っているだろう。食え」
セシリアは顔を背けて拒否してから、青年を睨みつけた。
「あなたは誰? どうしてこんなことを! 家の者は無事なの!?」
セシリアの記憶では突如馬車の中に入ってきた青年は、護衛の三人が剣に手をかける前に何かをして倒してしまった。
何かというのは、青年が何をしたのかまったく見えなかったのだ。
剣が空気を裂く音がわずかに聞こえたので、剣で攻撃したのかもしれないとかろうじて推測できるぐらいだ。
「全員無事だ。気を失わせただけだから安心しろ」
青年の言葉を鵜呑みすることはできない。
だがセシリアはそれが本当であって欲しいと祈るしかなかった。
護衛の三人が一瞬で無効化された直後、青年はセシリアの左腕を掴んだ。
青年はそれほど力を入れていなかったようで、セシリアは簡単に腕を引き抜いた。
セシリアは思い出したように左手首に目をやった。
(特に怪我もないわ……。目の前の人は最近噂になっている通り魔なの……? あっ……!?)
そこでセシリアは左手人差し指に嵌めていたはずの指輪を失っていることに気付いた。
(指輪が無いわ。そんなっ……)
アルバートから誕生日プレゼントとしてもらった指輪である。
実はこの指輪、アルバートの母親が用意したもので当初は〈バリア〉という物理攻撃を無効化する魔法が付与されていた。
効果は数回しかなかったようで、死竜の砦で死竜クラスの生徒と戦った際に使い切っていた。
セシリアの命を救ったというべきこの指輪を彼女は以降も肌身離さずに身につけていたのだ。
たとえ魔法の効果がなくなっても、セシリアにとってはお守りみたいなものだった。
その指輪が見当たらないので、セシリアはいっそう不安になった。
「助けを待っても無駄だ。ここに辿り着けるよう最低限の手がかりは残してやったが、すぐには無理だ。早くても明日になるだろう」
青年は無表情のままセシリアに告げた。
セシリアは得体の知れない恐怖を感じていたが、気持ちを奮い立たせて青年を睨みつける。
「そんなに怖い顔をするな。何も取って食おうと言っているんじゃない。あくまでもおまえは餌だ。闇夜の死竜をおびき出すためのな」
「えっ……!?」
セシリアは動転した。
この青年がアルを狙っていたことに。
そんなセシリアの心中を知らず、青年は続ける。
「ウルズの町に来たのは二度目でな。前に来た時は途中で邪魔が入った。あいつには少しばかり借りがある」
そう言って青年は眉間の辺りに触れる。
そして何かを思い出すように笑みを浮かべた。
「おまえはそれまでここにいろ。明日には解放してやる。ほら飯を食え」
青年は包みをセシリアの前に放り投げた。
包みが少しめくれて中にパンが入っているのが解る。
だがセシリアはパンに手をつけず、恐怖で震える足に力を入れて立ち上がった。
目についたのは青年の足元にある二本の剣だった。
(ここから逃げなきゃ。アルをここに来させてはいけない……!)
しかし、青年はすぐにセシリアの視線に気付く。
そして右足で剣を一本蹴り飛ばした。
蹴られた剣は床を滑るようにしてセシリアのすぐ前まできた。
セシリアは急いで剣を拾って構えた。
グラナート剣術の基本の構えだ。
「俺と戦おうってのか? 別にいいぜ、ちょっとぐらい遊んでやっても」
青年が残った剣を拾い上げ右手に握る。
セシリアは左に移動する。
それを見て青年は右に移動した。
まるで円を描くように二人は歩を進める。
「なってないな。隙だらけだ。おまえの馬車に乗っていた男たちのほうが腕は確かだったぞ。俺の侵入に瞬時に反応して剣に手をかけようとしたんだからな。まあ、反応できただけで動作が遅かったのが欠点だが」
青年の言うように、護衛の実力は剣術初級のセシリアをはるかに上回る上級の使い手だった。
その三人を一瞬で倒した青年の実力はセシリアの想像を絶するだろう。
セシリアも勝てる見込みがないことは最初から解っていた。
だが、このまま何もせずに助けを待つだけの存在にはなりたくなかった。
ましてやアルバートが狙われていると知ったならなおさらだ。
「アステリア王国で最も主流とされているグラナート流か。ふん、くだらん剣術だ。俺に言わせればそんなものガキのごっこ遊びの延長に過ぎない」
青年が歩みを止め、剣の切っ先をセシリアに向ける。
(あの人の言うとおり、わたしの剣じゃ歯が立たないのはこうして対峙していても感じるわ。どう攻めていいかまったく解らない)
そしてセシリアは迷いながらも一歩踏み出した。
青年は微動だにしない。
それを見てセシリアはフェイントをかける。
左へ出ると見せかけて素早く右へ動いた。
すると青年はまんまとつられて戸惑う。
(上手くできた! 今だわ!)
セシリアは剣を振るった。
万が一にも相手を斬りつけないよう、剣の腹で打ち込むつもりだった。
しかし――
「俺がフェイントにかかったと思ったか」
青年は仰け反ってセシリアの横薙ぎをやり過ごすと、その体勢から背中越しに剣を左手から右手に持ち替えた。
そのままの流れで左手に持った剣を突き出してくる。
セシリアは反応できていない。
このままではセシリアの胸が貫かれてしまうだろう。
セシリアは死の恐怖に包まれた。
「あ……あ! …………えっ!?」
立ち尽くすセシリアの目の前から青年の姿が消えていた。
我に返ったセシリアが左右を見回す。
すると、背後から青年の声がした。
「目ぇ瞑ってどうすんだよ、素人か。一旦戦いが始まったら死ぬまで相手から目を離すな。俺が師から言われた言葉で、何を当たり前のことをと常々思っていたが、ひょっとして俺が特別だったか?」
棒立ちのセシリアの前にゆっくりと青年が背後から姿を現わす。
そしてセシリアの右手から剣を取り上げて、自身の剣とともに床へ放り投げた。
金属がぶつかり合う音が響く。
セシリアはその音が合図だったかのように膝から崩れ落ちた。
「また変な気を起こしても面倒だから、飯食わないんだったらちょっと拘束させてもらうぞ」
青年はセシリアを近くの柱の傍まで連れて行き、縄で縛り上げた。
きつく縛られたわけではないが、青年の目の前で縄を解くのは無理だとセシリアは悟った。
(どうしよう……。このまま助けを待つしかないの……アル……)
そうして、しばらく時間が経った。
セシリアはぼんやりした頭を軽く振った。
どうやら眠ってしまっていたらしい。
顔を上げると、青年は横になって目を瞑っていた。
「起きてるぞ。逃げるのは諦めろ」
先に言われてセシリアは肩を落とした。
そんな時だった、離れた場所で物音が聞こえたのだ。
青年にも聞こえたようで、立ち上がって剣を手にした。
そのままセシリアが縛られている柱とは反対側にある柱の陰に移動する。
(いまの音……誰か来たの……?)
セシリアは音のしたほうを見つめる。
見つめた先は半開きになった扉だ。
次の瞬間、勢いよく扉が開いた。
そこに現れたのはアルバートだった。
「セシリア!!」
「アル!?」
アルバートはセシリアに駆け寄ってじっと顔を眺めた。
セシリアの両目には涙が溢れていた。
いままで我慢していた涙が止めどなく流れてくるのだ。
アルバートは口元を緩ませてセシリアの涙を指で拭った。
「もう大丈夫だ」
「……うん」
セシリアは涙で滲んでアルバートの顔がよく見えなかった。
だがその頼もしい声はセシリアを大いに勇気づけた。
(アルはいつもわたしを助けてくれる。どんなときだって必ず……!)
アルバートの右目は稲妻の谷でワイバーンから守ってくれた時のように、燃えるような赤に染まっていた。




