第十四話「ハロルドの思い」
(……とうとうこの日がきたんだ)
試合開始直後、先に動いたのは僕だった。
先手必勝ではないけれど自然と体が動いた。
目の前のアルは僕の横薙ぎを簡単に受け流す。
今度はアルが攻撃を仕掛けてくるが、同じように僕も衝撃を受け流すように捌いた。
試合をしていると思い出す。
僕が初めてアルを知ったのは、ウルズ剣術学院に入学して半年ほど過ぎたときのことだ。
いまでもあの時のことは鮮明に覚えている。
それは僕の人生を変えるほどの出来事だったから――
◆ ◆ ◆
文武両道で知られるソネット子爵家に生まれながら歴代当主ほど剣術や学術ができなかった僕は、両親が落胆していることに薄々気づいていた。
同年代の子どもたちと比べても明らかに僕のほうが体の成長も遅かったし、何事をするにも理解するまでに時間がかかった。
そんな僕を貴族として恥ずかしくないようにしようと、父は剣術と学術の家庭教師を雇った。
しかし僕が成果を出せなかったばかりに、最初に雇われた家庭教師は解雇され新しい家庭教師が雇われることになった。
両親や家庭教師までもが、僕ができない理由は教える側の問題ではなく僕自身の問題だと思っていたことだろう。
僕だってそう思っていた。
だからといって僕に悔しいとかそういうネガティブな感情はなかった。
剣が上達したり勉強ができたところで僕の将来に大きく変わるわけではない。
いずれ父のあとを継ぐだけで、劇的に僕の人生が変わるはずがないと考えていたからだ。
まだ十歳にも満たない子どもがこんな風に考えていたのだから笑ってしまう。
もし今の僕が当時の僕にアドバイスできるなら、厳しく説教した上でこう言うだろう。
――本気でやれば人生は変わる、と。
その後も僕のせいで家庭教師は次々と入れ替わり、それでもウルズ剣術学院の入学試験に合格する最低限のレベルにまでは到達できた。
一年生時のクラスは下から二番目の闇竜クラスで、それを知った両親の落胆振りは酷かった。
僕自身はとりあえず卒業までこぎ着ければ――たとえ闇竜クラスであろうと――将来、父の跡を継ぎソネット家の当主としてやっていくには十分だと考えていた。
そんなある日、担任教師から父へ連絡が入った。
定期試験の成績が悪くこのままでは進級時に死竜クラスへ編成される可能性があり、下手をすれば落第する可能性もあると言うのだ。
それを聞いた父は普段の姿からは想像できないほど怒りを露わにし、僕を激しく叱責した。
母は情けないわが子を見て嘆き悲しむばかりだった。
父がこんなに感情を表に出したのは初めてだったので、正直かなり動揺した。
とうとう我慢も限界にきたのだろう。
ただ僕を叱るだけじゃない。
自分の育て方が間違っていたのか、それとも取り巻く環境のせいなのか、色んなことを考えていたのだと思う。
僕を見る目がそれを物語っていた。
両親を完全に失望させてしまったと思った僕は、気付くと目に涙を浮かべながら屋敷を飛び出していた。
服の袖で涙を拭いながらウルズの町をあてもなく歩いていると、辺りはすっかり暗くなっていた。
急に我に返った僕は泣きはらした顔を誰かに見られでもしたら――特にウルズ剣術学院の同級生たちには絶対に見られたくなかった――最悪だと思い、人通りの少ない方へ進んでいった。
迷い込んだのは冒険者区だった。
この辺りはあまり来たことがないので、完全に迷ってしまっていたのだ。
途方に暮れた僕は酒場の裏口に置かれた空になった酒樽の影に隠れるように座り込んでいた。
時間が経ち眠くなってうとうとしかけた僕は、すぐ近くで物音がしたのに気付いて身を縮こませた。
(誰か……いる?)
袋小路には人相の悪そうな大人の男が三人いた。
こちらに背を向けている男のほうからは死角になっていて僕のことは見えない。
僕は見つかったら危険だと考えて静かに時が過ぎるのを待った。
両手で肩を抱いて体をできるだけ小さくして息を殺した。
怖くて目をつぶっていたが、男たちの声が嫌でも耳に入る。
「冒険者資格を剥奪された時はどうなることかと思ったが、案外仕事には困らねぇな。見ろよ、この稼ぎを」
「馬鹿野郎、浮かれるのもいい加減にしろ。いまの状況が解ってんのか! 俺らは闇夜の死竜に追われてるんだぞ。まずは早いとこ町から出ねぇと。上手く撒いたとはいえ油断は禁物だ。なんせ相手はウルズの双剣使いだ。間違っても手は出すな。噂が本当なら俺らじゃまず勝てねぇ」
「へっ、ビビんなって。俺たちゃ元冒険者で剣術も中級だし、少しなら魔法も使える。三人ならこっちのほうが有利だぜ」
どうやら男たちは冒険者崩れのならず者のようだ。
しかも何者かに追われているらしい。
男たちを追っているのは闇夜の死竜だという。
(闇夜の死竜……噂だけは聞いたことがある)
警察、軍、冒険者ギルドのどの組織にも属さず、毎夜悪党を成敗するために奔走しているというウルズの町の守護神だ。
その正体は誰も知らないという。
「早く逃げよう。時間が惜しい」
「解ったよ、そう慌てんな。ちょっと小便だけさせてくれ」
そう言った男の声が僕の隠れている酒樽に近づいてきた。
僕は見てはならないものを目撃してしまったらしい。
見つかればどんな目に遭わされるか解らない。
しかし僕には黙って「どうか見つかりませんように」と祈ることしかできなかった。
――すると、
「呑気なものだな。もっと血相を変えて逃げているかと思えば、こんなところで休憩か? 俺も舐められたものだ」
「て、てめぇ!? や、闇夜の死竜!」
「くっ、だから言ったんだ! 早くし――ぐあああっ!」
直後、僕の目の前に男の一人が飛んできた。
僕は咄嗟に目を見開いてそれを凝視してしまう。
男はだらしなく白目を剥いて地面に横たわっていた。
(えっ……?)
僕が何が起こったのか解らずに驚いていると、背後で男の呻き声が聞こえた。
怯えつつも僕は酒樽から少しだけ顔を出して様子を探る。
そこに男の一人が地面に転がっていた。
(えっ……何が起こったんだ!?)
残ったのは剣を構える男一人と、対峙する真っ黒なマントを羽織った男のみ。
先ほどの会話から、それが闇夜の死竜なのだと直感する。
「もう観念したらどうだ。潔く罪を認めるなら警察につきだすだけで許してやろう。それが嫌なら多少は痛い目を見る羽目になる」
「ふっざけんな! 俺はこいつらほどあんたにビビっちゃいねぇ! ウルズの双剣使いか何だか知らねぇが、ぶっ殺してやる!」
「そうか……それがおまえの答えなら致し方ない」
言い終わると同時に、闇夜の死竜が両腕を交差するようにして両腰の剣を握った。
そして何かが光った。
僕は一瞬目を閉じてしまう。
次に目を開けたとき、元冒険者の男は他の二人と同じように地面に倒れていた。
(えっ……こんな一瞬で!?)
闇夜の死竜が剣に触れてから男を倒すまでの時間は、僕が瞬きしたほんの一瞬の出来事だった。
斬ったのか何をしたのかさえ解らない。
いま剣を抜いた状態で握っているのだから、間違いなく剣を振るったのだろうが……。
闇夜の死竜は両手に握った剣をクルクルと回転させてから鞘に収めると、こちらに背を向けた。
そして一言。
「誰かは知らないが覗き見は感心しないな。ここで見たことは忘れろ。いいことはないぞ」
そう告げて、闇夜の死竜は姿を消した。
結局、その場を離れて何度も迷いながらも何とか冒険者区から出ることができた僕は、巡回中の警官に保護されて屋敷へ送り届けられた。
しかし、その後の僕にはある変化があった。
闇夜の死竜を見てウルズ剣術学院の剣術教師よりも、そして今まで招いたどの家庭教師よりも強い。
未熟ながらも一目でそう感じていたのだ。
僕は闇夜の死竜の圧倒的な強さに魅了された。
それから僕は剣術に励むようになった。
遅れていた分を取り戻すかのように猛勉強し学術の成績も向上させた。
そこで僕は気付いた。
僕に足りないものそれは……才能ではなく、努力すること諦めないことだったのだ。
闇夜の死竜は僕に言った。
『ここで見たことは忘れろ。いいことはないぞ』
いいや、僕は決して忘れない。
いいことはない?
そんなことはない、むしろ僕のやる気に火をつけた。
それから僕の人生は一変した。
メキメキと実力をつけていった僕の言葉に、厳しかった父も耳を傾けてくれるようになった。
本来、ソネット家が使ってきた剣術はザフィーア流剣術だ。
だけど、僕に合っていたのはグラナート流剣術。
二年生にしてグラナート流剣術の初級試験に合格した僕は、なんと三年生をすっ飛ばして四年生に飛び級した。
こうして四年生になった僕は、そこでアルやセシリア、ロイド、ミリアム、ブレンダの風竜クラスのみんなと出会った。
年齢は一つ上の彼らだったが、剣術の腕は僕ほどではなかった。
少しがっかりしたが、僕はそれでも研鑽を続けた。
遙か高みにいる闇夜の死竜を目指してだ。
アルが闇夜の死竜ではないかと疑念を抱いたのは、僕が飛び級で四年生に進級して数ヶ月経ったころだった。
それを確信したとき僕は心の底から歓喜したのだ。
僕の人生を変えた憧れである闇夜の死竜がこんなに身近にいたなんて、と。
双剣を使えば強いアルだが、片手だと途端に実力を発揮できなくなる。
僕はそれが不思議でならなかった。
正体を探らせないためにわざとそうしているとも考えた。
だけど本当にそうなのだと後から知った。
初めてその事実を知ったときには随分悩まされたものだ。
それでも僕のアルに対する尊敬の念は変わらない。
◆ ◆ ◆
僕が変わる切っ掛けを作ってくれたアル。
そのアルといまこうして対等に試合ができる喜び。
やるからには勝ちたい!
正直なところ限定的な条件付き――使用できるのは木剣一振りのみ――の学院内予選では勝つのは僕だと確信していた。
だけど昨日のアルの試合を見て僕の見通しが甘かったと思い知らされた。
そしてさっきのエドガーとの試合だ。
やはりアルは僕の想像を超えてくる。
ここまで仕上げてくるなんて予想もできなかった。
だからこそ思う。
今のアルに勝ちたいと。
「せやあああああっ!」
気合いの声とともに僕は連続攻撃を繰り出した。
それをアルは完璧に捌ききる。
僕の攻撃がまったくと言っていいほど通じない。
アルは臨機応変に流派を切り替えて冷静に対応し、そして自分の体を目隠しにして背中越しに右手から左手、左手から右手に木剣を持ち替える。
まさに変幻自在の動きだ。
この動きにエドガーは戸惑ったはずだ。
でも僕には見える。
これは双剣を使うときの動きによく似ている。
もしアルがさっきの試合ですべて出し切っていたのなら勝機は僕にある。
僕にはまだとっておきの剣技が残っているからだ。
準決勝でローラ先輩と戦ったとき、アルが観戦していないことに気付いた僕はここぞとばかりに勝負を急いだ。
アルが見ていないのなら使うなら今しかないと考えたからだ。
ローラ先輩は強敵だ。
決勝を見据えるなら、温存する選択肢はない。
その剣技ならアルの隙を突いて勝利をもぎ取ることができる!
僕はひたすらにその瞬間を待った。
「さすがですアル! ここまで僕の攻撃が通じないとは想定外です!」
「俺も驚いている。ハロルドと互角に渡り合えてるんだからなっ!」
「それは謙遜しすぎでしょう。アルは強い……でも勝つのは僕です!」
アルがまた流派を切り替えようとした。
仕掛けるならこのタイミングしかないっ!
僕は今日まで血の滲む思いで鍛えてきた剣技を放つ!
グラナート流剣術突き技〈リクニス〉!!
体を捻って半身にして木剣を握った右手を突き出した。
タイミングと速度は申し分ない。
アルは躱せないっ!
「はああああああっ!」
僕の木剣の先がアルの木剣を掻い潜る。
もう少しでアルの右胸に命中する。
だが、アルが笑った。
「――これは俺の間合いだ」
「なっ……!?」
アルが迫ってきた。
そして気付けば僕の木剣はアルの右肩の上部を掠めていた。
(アルの剣はっ……!?)
ぞわりと、首筋に冷たい風を感じた。
目だけで右を見るとアルの木剣が迫っている。
しかも迫っているのは木剣の持ち手のほうだ。
(そんな……!?)
アルは僕の〈リクニス〉を躱すと同時に右手から左手に木剣を持ち替えていたのだ。
あの状況で普通には持ち替えはできないと僕は踏んでいた。
しかしアルはどうだ。
左手で木剣の先を掴んだのだ。
これが剣ならできない。
木剣だからこその荒技だった。
しかも、いままでとは違い木剣の持ち替えを背中の後ろに隠してではなく、目の前で行った。
まるですべてがこの瞬間のための布石だったように、これまでのパターンを覆したのだ。
すべてを理解した時にはもう遅かった。
僕の木剣はアルの右肩に弾かれて完全に制御を失っていた。
アルは自らの肩を使って木剣の軌道をずらしたのだ。
(アル、やはりあなたは強かった! でも、いつかは僕も……その強さに近づきたい!)
腹部に痛烈な一撃をもらい、僕の意識は次第に遠のいていった。




