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紅蓮の最強魔女 ~白馬に乗った王子様を探す~  作者: しゅむ
序章 物語の王子様
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1. 私、王子様と結婚するの

どうぞ楽しんでいって下さい。

よろしくお願い致します。

 山や川、多くの樹々が生い茂っている森の奥深く。

 大自然に囲まれているにしては奇妙な広い更地に、木で作られた簡素で清潔感のある家の中。


 暖炉の前にあるロッキングチェアに、魔法使いや賢者と呼称されるような服装に眼鏡をした年老いた男性が腰を下ろす。


 老人の髪も長い髭も白く染まっているが、どこか清潔感のある風貌をしている。


 そんな老人の足元には後ろから付いてきた幼い少女が、老人の膝の上に乗ろうと悪戦苦闘している。

 赤毛の可愛らしい少女は老人の膝に両手を置いて片足を持ち上げるが、足は老人の膝の上にはどう頑張っても乗せる事が出来ない。致命的に長さが足りていないのだ。


 その場で小さく跳ぶなど悪戦苦闘を続ける少女に視線を向けた老人は1冊の本を持っていたが、魔法で自分の顔の前に本を浮かび上がらせる。そして、少女の両脇に手を入れて持ち上げた。


 少女は輝く笑顔で老人の膝の上に乗って老人の背中に体重を預ける。老人は浮かび上がらせていた本を手で掴んで最初のページを開く。


 老人の膝の上に座っている少女は振り返り、老人を見上げて口を開く。

「お爺ちゃん! 早く読んでよ!」


 老人は微笑んで頷き、持っていた本を少女が見やすいように両手で開く。その際に両腕で少女を抱えるように優しく抱きしめている。


 少女は優しい老人の腕の温もりに笑顔になるが、その笑顔は老人の開いている本に向かっている。大好きなお爺ちゃんが読む大好きな物語に集中する為だ。


 そして、老人はまだ満足に文字の読めない幼い少女の為に、本の内容を口に出して読み始める。


 部屋の中は老人の魔法で夜でも明るく、少女は老人が読んでいる本の内容に興奮気味に両手の拳を握りしめている。


 老人の耳には自分の本を読む声と暖炉の薪が『パチパチ』爆ぜる音に交じって、暗闇が支配する夜の森から虫の歌声が聞こえている。


 時折、獣や鳥の鳴き声なども遠くから微かに聞こえてくるが、老人の膝の上に居る少女は老人の声しか聞こえていないかのように集中しており、老人は本を読みながらも満足気な優しい笑みを浮かべている。


 本の内容は老人が幼い少女の為に書いた1点物だ。他にも形を教える為の本。文字を教える為の本。優しい心を育む為の本もある。


 少女と出会うまで本を書いた事もなかった老人は、自分の記憶の奥底から引っ張り出した曖昧な物語の記憶を頼りに、想像や願望などで補完しながら様々な本を書いた。


 そして、少女が大好きな物語は優しさと勇気、強さを兼ね備えた主人公と、他者を蔑み自分の欲望だけを考えて行動するが、どこか憎めない悪役が登場する勧善懲悪の物語だ。


 物語に登場する主人公の中で少女のお気に入りは王子様だ。

 弱きを助け、強きを挫く。弱者の為に力を振るう清廉潔白な王子様が大好きだ。


 時には悪しき者から民や姫を救い出し、白馬に乗ってピンチに駆け付けるのはいつもカッコイイ王子様だ。

 多くの物語で描かれている王子様と救われた女性は惹かれ合って結ばれる。物語に身分の差は無く、いつだって優しく気持ちの良いエンディングが待っている。


 本を読み終えた老人は少女の頭を優しく撫でる。

「そろそろ寝ようか」


 笑顔の少女は振り返って老人を見上げる。

「お爺ちゃん! 王子様って居るの!?」


 老人は見上げてくる少女に優しく微笑んで口を開く。

「きっと居るよ……」

「わぁ!」


 感嘆の声をあげた少女は老人から引っ手繰るようにして取った本を大事そうに胸に抱え込む。そして、そのまま老人の膝から飛び降りて、自分の部屋に向かって歩みを進める。


 少女の背中を見つめる老人の表情は曇っている。


 しかし、少女が振り返る予備動作をすれば、老人の表情はすぐに優しい笑みに変わる。

「お爺ちゃん! おやすみなさい!」

「うん。おやすみ」


 老人は窓に近づいて夜空に広がる満点の星空を見上げて呟く。

「王族なんて……クソだ」


 老人は子供の夢を壊したくはない。いや、赤毛の可愛い少女の夢を壊したくない。そんな想いから嘘のような言葉を少女に掛けてしまった。


 老人の知る王族を少女が知ったら確実に幻滅する。しかし、この老人と少女が住んでいる森の奥深くは人が足を踏み込めるような地域ではない。


 ここから遥か遠くにある森の外縁を少し入ったところで、屈強な部隊も骨すら残さず自然に帰るだろう。


 この森の奥深くに居れば、少女が愚かな王族などと接点を持つ事は無いと断言できる。

「……あのクソ野郎どもがこんなとこまで来れるはずがないんじゃ」


 老人が書いた数々の物語の影響もあって、少女は他者を思いやれる優しい心を持ち始めている。しかし、少女が王子などというクソみたいな幻想に魅了されたのは誤算だった。


 かつて老人が少女の母と交わした約束。

 やがて強大な力を持つであろう少女に力の制御を教える事。

 自分の力に溺れず、謙虚で優しい心を持って欲しい事。

 健やかに育って欲しい事。

 願わくは、愛し愛されるような相手を見つけ、共に幸せな人生を送って欲しい事。


 老人にとっては罪悪感のように自身を苦しめる約束だが、少女の母が遺した想いには応える責任がある。


 今更、物語に登場する王子様を木こりや農民、狩人などに変更しても、優秀な少女は物語の内容を記憶しており、即座に主人公は王子様に戻すように要求されてしまう。


 いや、少女の都合が良いように改変されてしまう。主に王子様がキラキラ輝くような方面に。


 老人にとっては頭の痛い問題だが、少女が年を重ねるにつれて現実を知るだろうという思惑は少なくない。


 人の気配が全くしない深い森の奥深くで老人と少女の日々は過ぎていく。


 少女は老人から文字を学ぶ。算術を学ぶ。魔法を学ぶ。

 優秀な少女は老人から様々な知識を吸収し、高度な魔法を習得していく。その力は老人の想像以上に強大で驚かせるが、優しい少女は無暗に強大な力を振るわない。


 強力な力は弱者の為、何かを守る為にあるのだと少女は物語から学んだ。


 そして、少女は弱肉強食の大自然から老人では教える事が難しい大自然の驚異や、生きる事の難しさと過酷さを学び取っていく。


 10年以上の歳月を掛けて様々な事を吸収した少女は強く逞しい成長を遂げた。

 目を見張る美しさも女の子の魅力の1つだが、老人が育んだ優しさも魅力の1つだろう。


 そんな女の子の欠点は拗らせてしまった王子様への想いだけだ。


 この日も成長した女の子は声を荒げて老人に告げる。

「王子様は居るもん!!」

「いや……それ……マティが書いた本じゃし……」


 マティの真っ直ぐで艶のある紅蓮の髪は背中の中ほどまであるが、今は怒りで僅かに逆立っている。

 大きく可愛らしい金の双眸も今は怒りで細められているが、頬を膨らませて怒っている姿はどこか可愛らしく迫力に欠けてしまう。


 老人が書いた優しい物語では頬を膨らませて怒る描写が多い為だ。


 老人の反論にもマティは全く動じない。

「お爺ちゃんが書いた本でしょ!?」

「原作は確かに儂じゃが……」


 マティの改変に次ぐ改変で物語の王子様は光り輝いている。

 清廉潔白。悪を憎んで人を憎まず。容姿端麗。頭脳明晰。どこぞの神様やチート持ちでも迷い込んだのかという完璧超人様だ。

 マティの書いた物語の中で王子様は異彩を放っている。


 マティは持っている1冊の本の表紙をバシバシ叩いて口を開く。

「お爺ちゃん言ってたじゃん! この物語みたいな王子様は居るって!!」

「せ……世界は広いからのぉ……儂の知らないとこには居るかもしれん」


 ここで老人はマティに気圧されていた態度を一変させて、マティの持つ本を指差して真剣な声色で告げる。

「じゃが、世界を回った儂はそんな王族を見た事がない」


 しかし、マティは本を指差す老人に叫ぶように告げる。

「居るもん! お爺ちゃんが行ってないとこに居るもん!!」


 マティは老人から逃げるように家を飛び出して森に消えていく。

「絶対に私を迎えに来てくれるんだもぉぉぉん!!」


 そんなマティの背中を見送った老人が呟く。

「はぁ……15の女の子ってみんなこんな感じなのかのぉ……」


 しかし、老人は自分の嘆きに自分で否定をするように首を左右に振る。

「儂の知っとる若い奴は……マティと全然違ったのぉ……」


 今は消息不明で音信不通な老人のかつての仲間たちが変なのか、それともマティが変なのか、老人には全くわからない。

 老人の仲間たちもあまり普通とは言い難い者たちだったからだ。


 大きなクッションに埋まるようにして横たわっている1羽の蒼い兎が、顔だけ上げて困り果てて俯く老人を見上げるように見ている。

 50㎝程の兎は快晴の空を現しているかのようなフワフワな蒼い毛をしており、垂れた耳と円らな黒い瞳で老若男女を問わずに魅了するだろう。


 老人は目が合った蒼い兎に小さく頭を下げる。


 頭を下げたのか、ガックリ項垂れたのかは定かではないが、老人は顔を上げて口を開く。

「頼む……。また探してきてくれ……」


 何やら小さく溜息を吐き出した蒼い兎は気怠そうに立ち上がって全身を伸ばす。

 蒼い兎はピョコピョコとゆっくり駆け出して、マティが開け放ったままの扉から出ていった。


 大きく溜息を吐き出す老人はマティの育て方を間違えたのかと自問自答を繰り返すが、その答えは出ないだろう。

 相談できる仲間も居ないどころか、この辺りには誰も寄り付かず、他者の意見を聞く機会が全くないのだ。


 老人は魔法で開けられたままの扉を閉めてから、重い足取りで自室に向かった。


 蒼い兎は樹の幹を蹴り、太い枝を足場にするなどして、樹から樹に飛び移るように高速移動している。


 蒼い兎は垂れていた耳をピンと上に伸ばして周囲の音に耳を傾けている。

 蒼い兎が長年連れ添ったマティの音を逃す事は無い。


 遠くを走るマティの足音、息遣い、鼓動までも蒼い兎は察知する。


 この世界で蒼い兎が伝説や幻と称されるのは、その非常識な聴覚と移動速度にある。危険な生物の物音や足音、呼吸音などの音から正確に敵との距離を把握できる蒼い兎は、徹底して危険な生物から距離を取り、自慢の脚力で逃げ切る事が出来る。


 蒼い兎は崖で足をブラブラさせて座っているマティの背後からゆっくり近づいていく。マティを視認した蒼い兎の耳は再び垂れてしまう。


 マティと蒼い兎の眼前には何処までも続くような深い森が広がっている。


 マティは振り返らずに、気配を隠そうともしない蒼い兎に告げる。

「私……帰んないから」


 蒼い兎はマティの横に黙って腰を下ろす。短い後ろ脚を開いて座る蒼い兎の姿は老若男女を魅了して骨抜きにするだろう。


 マティは途切れる事のない森の先を見つめて口を開く。

「この森の先に王子様が居るんだろうなぁ……」


 マティは隣で座る蒼い兎の頭を撫でる。

「いつか白馬に乗った王子様が私を迎えに来てくれるんだもん……」


 蒼い兎は気持ち良さそうに目を細めるだけだ。

「シュウもそう思うでしょ?」


 蒼い兎のシュウは前足を小さく広げ、小首を傾げて肩を竦める。

 マティはシュウの仕草に少しイラっとするが、シュウの柔らかい毛はマティの心を癒す効果が抜群だ。


 マティはシュウを撫で回していた手を止めて口を開く。

「あっ! そうだ!」


 シュウは嫌な予感をビンビン感じて恐る恐る薄目を開けてマティに視線を向ける。

「王子様が迎えに来てくれないなら、私が探しに行けば良いんだ!」


 シュウは円らな黒い瞳を見開いて驚くが、マティは止まらない。

「こんな所に居るから王子様が迎えに来ないんだ! 私が探してたらきっと私を見つけて迎えに来てくれる!」


 立ち上がって両手の拳を握るマティの金の双眸は決意と希望に満ち溢れている。

「そうだよ! なんでこんな事に気が付かなかったんだろう!」


 シュウは小さく溜息を吐き出すだけだが、垂れていた耳をピンっと立てて座ったまま振り返る。


 マティは足元のシュウが耳を立てている事に気が付いて視線を向ける。

「ん? シュウどうしたの?」


 マティもシュウが見つめる先に視線を移すが、すぐにマティの耳にもこちらに何かが向かって来るような音が聞こえてくる。


 しばらくマティとシュウが音の発生源に向かって視線を向けていると、樹々の間から1頭の大きな赤茶の熊が姿を現す。


 マティとシュウは近づいてくる大きな赤茶の熊を、その場で黙って見つめている。

 熊の爪は鋭く尖っており、額には短く鋭い1本角を有している。


 赤茶の熊はマティとシュウが逃げない事で、僅かに開いた口からダラダラと涎を垂れ流す。開いた口から見える牙も危険で鋭いものだ。


 狩りの基本は奇襲だが、完全に目が合った状態で奇襲は成立しない。

 しかし、相手が逃げないのであれば、立ち上がって威嚇をするのが常套手段だ。時折、子を守る親が勝てない戦いに挑む事はあるが、威嚇で心を折れば無駄な戦いはしなくて済む。


 赤茶の熊に目の前の赤毛の少女と蒼い兎が全く逃げようとしない理由はわからないが、赤茶の熊はこれまでの経験から2本の後ろ脚で立ち上がる。

 立ち上がった熊は3mを超えると思われる程に巨体で、半分程度しかないマティと、さらに小さいシュウは完全に餌として赤茶の熊に認識されている。


 熊は前足を広げて威嚇の咆哮をあげる

「グルゥアァァァ!!」


 しかし、マティは落ち着いた表情で小首を傾げて口を開く。

「あれ? なんでこんなとこに居るの?」


 マティの言葉とほぼ同時にシュウが気怠そうに立ち上がって、距離は少しあるものの赤茶の熊と正対する。


 シュウは赤茶の熊と同じように2本の後ろ脚で立ち上がり、赤茶の熊を睨みつけて口を開く。

「この辺りじゃぁ見ねぇ(つら)ぁしてんなぁ。おぉ、コラァ?」


 喋りだしたシュウを見るマティの表情は非常に残念な気持ちが表れている。

「シュウは喋らなきゃ可愛いのになぁ……」


 万人受けするであろうシュウの容姿を台無しする粗野な口調と低音で男らしい声は、シュウに魅了された者たちをドン引きさせるには十分だ。


 マティの呟きは確実にシュウに届いているが、シュウは完全に無視して熊に向かって2本の脚で歩みを進める。


 フワフワの蒼い毛に覆われた身体と丸い尻尾は可愛らしいが、堂々としたスムーズな二足歩行は赤茶熊の持っている兎という常識をぶち壊す。


 そして、シュウは多少混乱が見える赤茶熊の足元で止まって堂々と見上げる。いや、下から首を捻り上げるようにして睨みつけている。

「やんのか!? おぉ? コルゥァ!!」


 赤茶の熊は小さな兎が何を言っているのかわからないが、全く怯えた様子のない兎を見るのは初めてだった。

 しかし、空腹の熊はその巨体で圧し潰すのも兼ねるかのようにして、両方の前足をシュウに振り下ろす。


 シュウは熊の振り下ろした両前足の間を跳んですり抜ける。

「調子くれてんじゃねぇぞ。ボケがぁ!!」


 カウンター気味に炸裂したシュウの飛び後ろ回し蹴りは熊の顔面を横に弾くが、シュウの蹴りの威力はそれだけに留まらない。


 3mを超える赤茶の巨体を蹴りだけで横に吹き飛ばし、樹にぶつかってようやくその身を地面に打ち付ける。

 赤茶の熊はシュウに蹴られたダメージが大きいのもそうだが、ぶつかった細い樹の硬さにも驚いている。蹴られて勢いよく飛んだ熊を受け止めても折れる事はもちろん、揺らぐ事もなく、ガッチリと巨体の赤茶熊を受け止めたのだ。


 大きいなダメージを負った赤茶熊は樹の根元から動く事が出来ない。


 50㎝の兎が3mの熊を蹴り飛ばす様子を、マティは当然という表情で見つめている。


 小さな兎に蹴り飛ばされた熊は怯えたような表情でシュウを見つめる。

「喧嘩売っといてヒヨってんじゃねぇぞ。コラァ!!」


 赤茶の熊は3mを超える巨体を限界まで小さく丸めてブルブル震えている。


 シュウは「ちっ」っと舌打ちをして振り返り、マティに尋ねる。

「こいつ食うかぁ?」

「ううん。お腹空いてないし、熊さんは美味しくないから要らないよぉ」


 シュウは地面に「ぺっ」っと唾を吐きつけて熊を睨みつける。

「命拾いしたのぉ。失せろやボケェ!」


 シュウは動けずに震える熊を放置してマティの足元に戻って腰を下ろす。


 マティは再びシュウの柔らかい毛を堪能するように撫で始めるが、視線はフラフラと立ち去る熊の背中だ。

「んー、ここで逃がしても……あの子すぐに死んじゃうと思うよ」

「ここまで来たんだ。運が残ってりゃあ生き残れんだろ」

「本気で言ってる?」


 マティが疑うような視線をシュウに向けても肩を竦めるだけだ。


 マティたちが居る辺りは世界で最も過酷な弱肉強食が繰り広げられている。


 人や魔獣を含めたあらゆる生物が豊富な栄養と美味を兼ね備えた植物や果実を目当てにこの森へとやってくる。

 そして、森の中央に近づけば近づくほどに植物や果実の希少性や栄養、美味しさなどは増していき、それらを食した極上の生物を肉食の捕食者が虎視眈々と狙う。


 極上の生物を狙う捕食者は身体的な強さだけでなく、それぞれが特徴とも言える特殊な能力を持っている事も少なくない。


 しかし、被捕食者である極上の生物たちも黙って喰われたりはしない。

 生き残る為にあらゆる特徴を有しており、中には捕食者が尻尾を巻いて逃げ出す生物まで存在している。


 しかし、そんな強さを持つ極上の生物でも気の緩みや油断、集中力などが欠如してしまえば、忽ち捕食者の胃袋に収まる事になる。


 そんな魔境とも言える土地では1日を生き残るだけでも過酷だ。

 希少な植物や果実に引き寄せられた虫たちでさえも、凶悪な牙を隠し持っている。


 そんな土地にやってきた巨体を誇る赤茶の熊でも、マティから見たら今日にも死んでしまう弱者に見えている。

 しかし、マティは赤茶の熊を助けようとはしない。


 弱い赤茶の熊を食べる事で生き永らえる生物が居る事を知っている。

 マティが赤茶の熊を助けるのは簡単だが、その陰に隠れて死んでしまう生物も居るだろう。


 マティが過酷な自然の摂理に首を突っ込む時は本気で助けたい時だけだ。

 中途半端な気持ちで首を突っ込むのは他の生物に対して示しが付かない。


 マティはこの辺り一帯の食物連鎖では頂上に君臨するボスでもあるのだ。

「よし! 王子様を探しに行こう!」


 シュウは思い出したかのように宣言したマティに告げる。

「ワイら、もう15だ。大人になろうぜ?」


 マティは頬を膨らませてシュウを睨みつける。

「シュウは兎だから知らないだろうけど、人間はキスしないと大人になれないんだよ!」

「……んな馬鹿な話……ある訳ねぇだろ」


 マティは両頬を手で押さえて惚けるようにして口を開く。

「それに王子様とキスした時はね、片足が上がるんだよ? 知ってる? はぁぁぁ、憧れるぅ……」

「……知らねぇよ」


 シュウは何か閃いたかのような表情で口を開く。

「あっ、王子みたいな野郎なら居るじゃねぇか」


 マティは小首をコテンと傾けて尋ねる。

「え? 私、人族なんてお爺ちゃん以外に見た事ないよ?」

「ほら、もうすぐボスに挑むだとか言ってた野郎が居ただろう」


 マティはジトっとした目付きに変わってシュウを見つめる。

「ねぇ、……それってバランの事じゃない?」

「あぁ! そうだそうだバランだ。あのエテ公はボス猿のガキだし、王子みたいなもんだろ?」


 マティは頬を膨らませてシュウに抗議する。

「バランは猿だもん! 王子様じゃないもん!」

「似たようなもんじゃねぇか。マティに惚れてるし、あいつで良いじゃねぇか」

「全然違うよ!!」


 シュウは盛大に溜息を吐き出す。

「とりあえず帰ろうぜ。王子を探しに行くって言っても爺さんに黙って行く訳にはいかねぇだろ」

「うっ……うぅ……」


 マティは家に向かって歩き始めたシュウの後ろをトボトボと歩き始める。


 老人が書いた物語で主人公が家出のように、親や保護者に黙って出ていくシーンはあるが、黙って出ていくのは残された者を心配させてしまい、追いかけてくるという展開まであるほどだ。


 そして追いかけた結果、追いかけた者は過酷な運命に遭遇する事も多く、優しいマティは大好きなお爺ちゃんに何も言わずに出ていく事は出来なかった。


 老人が様々な魔法を駆使して作った木の家に帰ってきたマティは、玄関扉の前で立ち尽くしてしまう。

 しかし、そんなマティを無視してシュウが扉の前で跳び上がり、踵落としの要領でドアノブを下げたと同時に、もう片方の足で扉を蹴り開ける。


『ガドン!』という特徴的な連続音を出して家に入ってくる者はシュウしかいない。


 そんな音を聞いただけで家の奥から老人が顔を出す。

「シュウ……お前なら前足を使って普通に開けられるだろうが……」


 シュウは怒る事にも疲れたような老人を無視して、家の中にズンズン入っていきながら、老人に何かを示すように開け放たれた扉の先を顎で『クイ』っと示す。


 何度マティが家出をしても、何度その身を森の中に隠しても、シュウはマティを見つけて帰ってくる。例えマティが魔法でその身を隠しても、シュウは確実にマティを探し出す。信頼と実績を併せ持つ蒼い兎なのだ。


 魔法の達人でもある老人でも見つけられないマティを探し出せるのは、外見だけは可愛い生意気な蒼い兎だけだ。


 シュウの示した先を見なくても、そこにマティが居るのは明白だが、老人はシュウの仕草を見て扉の外に視線を向ける。


 そして、マティを視界に捉えた老人は優しい声色で告げる。

「マティ、おかえり。入っておいで」


 マティは俯いたまま視線を左右にキョロキョロさせているが、老人に言われた通り家の中に入っていく。

 シュウは定位置にしている大きなクッションの上にバフっと跳び込んで横になる。一仕事終えた兎が休息という褒美を得ても罰は当たらないだろう。


 老人はテーブルのある椅子に腰を下ろし、マティが来るのを静かに待つ。


 しかし、ただ待っている訳ではない。

 老人は座ったまま水瓶に向けて人差し指を向けて、クイっと上に指を持ち上げる。すると水瓶からは片手で鷲掴みにするには少し大きい水玉が浮かび上がってくる。

 水玉はテーブルの上まで来てフワフワと空中に留まっており、老人が立てた人差し指の上には小さな火の玉が浮かび上がる。


 そして、その火の玉は老人が指を振る動作に合わせて、水玉に飛び込むようにして入っていった。

 ジュワーっという小さな音が鳴り響き、空中に浮かぶ水玉からホカホカと湯気が上がる。


 老人が棚に指を向けると、勝手に棚の引き出しが開いて、中からいくつかの乾燥した草がフワフワと浮かび上がる。

 草は熱湯の中に入っていき、老人は人差し指をクルクルと回転させる。


 空中に浮かぶ熱湯の中を泳ぐように草が漂い、熱湯の色が薄い緑色に染まっていく。

 30秒ほど経ったところで老人が掌を払うと、熱湯の中から全ての草が飛び出してくる。


 完成したお茶はマティと老人の前にフワフワ飛んできたコップの中に入っていく。

「まぁ、飲みなさい」


 マティはコクンと頷くが、両手で持ったコップを口元に運ぼうとはしない。


 その行為を見た老人が呟くように告げる。

「熱い方が美味しいよ」


 マティは首を左右に振る。

「無理。熱いの飲めないもん」


 マティの両手で持たれたコップは魔法で冷やされており、中のお茶はすぐに冷めて飲みやすい温度に変わる。


 マティは冷めたお茶を飲んでホッと息を吐く。


 老人が書いた物語の主人公は家を出る時に、親などに中々言い出せない描写が多かった。

 マティは『早く言えよ』と思っていたが、実際に自分が同じ立場になってみれば、物語の主人公たちと同じように言葉は出てこない


 マティはテーブルの下で手をモジモジさせており、視線も落ち着きがないものだ。

 当然、シュウの『早く言えよ』という心の声は届いていない。


 マティは老人と視線を合わせずに俯いたまま口を開く。

「お爺ちゃん……あのね……」

「ん?」


 老人はマティの優しいお爺ちゃんだ。

 マティの物心が付いた時から傍に居た優しいお爺ちゃんは、マティが幼い頃に魔力制御が上手く出来ず、暴走させた時も怒ったりはしなかった。


 どれだけ老人が血を流して傷だらけになっても、老人は変わる事なくマティに寄り添うようにして、優しさと根気で魔力制御を教えてくれた。


 そんな優しい老人から離れる事を自覚した瞬間にマティの瞳から涙が零れる。

「あ……れ?」


 手で涙を拭うマティを見た老人は狼狽えたように口を開く。

「ど……どうした……。シュウに何か言われたか?」


 老人は首を左右に振るマティに告げる。

「そうか、あの猿どもか……儂が行って殲滅してこようか!?」


 マティは再び首を左右に振ってから、決意を固めた金の双眸で爺馬鹿になった老人を射抜く。

「私……王子様を探しに行く」


 老人は意味がわからなかった。

 マティの表情を見れば本気なのだろうが、探しに行く?何を?何処に?ナニを?


 混乱した老人は思わず口を開く。

「王子なら……ほれ、バランが居るじゃないか……」

「バランは猿だもん! 私が探すのは人族の王子様だもん!」


 老人の視線は右往左往しているが、マティの決意に油を注ぐ言葉は止まらない。

「王子なんか探さなくてもマティはモテるじゃろ。ほら、あー、ジルゴンとか」

「お爺ちゃんがゴリラとは結婚できないって言ってたぁ!」


 この辺りでは生態系の頂点に位置するマティは非常にモテる。

 しかし、モテているのは猿やゴリラなどを筆頭に例外なく魔獣だ。マティの理想とする王子様からはかけ離れていると言えるだろう。


 マティは立ち上がって力強く拳を握りしめる。

「私は白馬に乗った王子様と結婚するの!!」

「だ……だがこの辺りには……」


 マティは何かを言いかけた老人の口を塞ぐように言葉を投げる。

「そう! この辺りに王子様は居ないし、私を迎えに来てもくれないの!」


 この辺りに人など来られるはずがない。

 王子だとかそんな問題ではない。数を揃えたところで人がこの辺りまで来る事は不可能だ。


 マティの金の双眸はキラキラと輝いている。この状態になったマティを止めるのは非常に難しい。


 マティは狼狽える老人に宣言する。

「だから私が王子様を探しに行くの! ここを出てお爺ちゃんが話してくれた広い世界に行くの!」


 老人は成長したマティがこの場所を旅立つと言った時、その行動を止める気はなかった。

 老人はマティが世界の荒波に揉まれても強く生きて行けるように育てた。世界に蔓延る数多の理不尽と戦う為に十分な力を授けた。


 少しやり過ぎたかもしれないという思いはあるが、老人は後悔していない。

 孫のように可愛がっているマティを脅かすような不埒な輩は、マティに殺されてしまえば良いとさえ思っている。


 しかし、いくらなんでも王子様探しで旅立つのは止めて欲しい。

「マティ……何度も言ってるが、儂の見た世界の王子は……」


 マティは老人の言葉を遮って強く断言する。

「居る! お爺ちゃんがまだ見てない場所に絶対いるもん!」


 老人はマティの言葉を聞いて「うっ」っと呻いて沈黙する。

 老人が見ていない場所はこの広い世界にはまだまだ沢山ある。


 世界の何処にも物語の主人公のような王子様が居ないとは断言できな……。

「おらんわぁ! そんな王子が居るなら儂が見たいわぁ!」

「私が探して連れて来るもん!!」


 熱くなった2人の言い争いは完全に平行線となってしまい、居る居ないの不毛な戦いに突入した。


 シュウは垂れた耳をギューッと自分に押し付けるようにして、2人の騒がしい声に抗い続けた。抜群の聴覚には2人の「ギャーギャー」騒ぐ声は騒音でしかない。


 マティと老人の不毛な争いは日が暮れ始めても続いていた。

 マティと老人はほぼ同時に家の中に光る玉を作り出し、夜でも明るい部屋を作り出す。


 そして、何をしていても人間は腹が空くものだ。


 マティと老人は大きなクッションから全く動いていないシュウに視線を向けて叫ぶ。

「シュウ! ご飯の準備して!」

「シュウ! 飯の準備じゃ!」


 シュウはクッションに埋めていた顔を上げて、驚きと苦悶に満ちた表情で2人に視線を向けるが、シュウと目を合わせるような者は居ない。


 マティと老人は睨み合うようにして肩で息をしている。

「はぁはぁ。私の……王子様……絶対に見つけて……結婚する……」

「はぁはぁ。おらん……そんな王子……絶対におらん……」


 クッションの上から動かないシュウに向かって、空腹のマティと老人が吠える。

「「早く!!」」


 声による風圧でも喰らったかのようにシュウは目を閉じて首を後ろに逸らした。そして、のそのそと立ち上がって調理場に向かう。


 シュウは老人と同じように魔法を使って、様々な食材を浮かべて調理していくが、魔法で浮かべた肉に過剰な威力で蹴りを叩きこんでいる。

 もちろん肉を柔らかくする為に蹴っているのだ。苛立ちをぶつけている訳ではない。


「クソがぁ。ボケがぁ」といった物騒な独り言を呟いているが、苛立ちをぶつけている訳ではないだろう。多分。きっと……。


 しばらくすれば辺りは食欲を刺激する芳醇な匂いで満たされる。

「マティ……この続きは飯の後じゃ……」

「お爺ちゃん……私……お腹ペコペコ……」


 テーブルの上には焼かれた肉や野菜などが美味しそうに盛り付けられた皿が置かれており、マティと老人はすぐに食事を始める。


 シュウは専用の器に大量の草や葉っぱなどが盛り付けられている物を、ハムハムと美味しそうに食べ進めている。


 マティは頬を膨らませてシュウに視線を向ける。

「シュウゥゥ、お野菜が多いよぉぉ」


 マティは自分の器から魔法で野菜を浮かび上がらせる。

「待て、好き嫌いはいかん。全部食べるんじゃ」


 しかし、老人の魔法によって浮かんでいた野菜はマティの器に戻っていく。

「むぎぎぎ……お肉……食べるし……」

「くっ……野菜も……食べるんじゃ……」


 2人は野菜を動かす魔法の主導権争いを始めるが、その力は拮抗している。


 浮かび上がった野菜の周囲だけ濃密な魔力で空間が歪んでいるかのような現象に襲われるが、シュウは全く気にせずにハムハムと食事を進める。


 魔法での押し合いは徐々に老人が優勢になっていき、野菜はマティのお皿に近づいていく。

「むぎぎ……」

「ふっ……こういった繊細な魔法はまだまだ負けん……ぞ!」


 マティは不満一杯の表情で戻ってきた野菜を睨みつける。

「むぅぅぅ」


 何故か頬を膨らませて怒るマティはシュウも睨み始める。盛り付けた奴が悪なのだと言わんばかりである。


 シュウはマティを見ないように全力で自分の器に集中する。

「ふぉっほっほっほ、文句があるなら自分で飯の準備をするんじゃな」


 シュウは蛇のように「シュゥゥゥゥゥ」っと息を吐くマティと決して目を合わせなかった。


 食事が終わり、お茶を飲んでホッと息を吐いた老人が口を開く。

「マティ……この森にはお主を愛してくれる生物は多い」

「でも……」


 老人は何かを言いかけたマティに掌を向けて制する。

「この森でも共に生活し、学び、喧嘩も出来るような……愛し合える生物は見つかるじゃろう」


 老人はチラっとシュウを見るが、シュウはプイっとそっぽを向いて定位置のクッションに飛び込む。その背中は『洗い物はやれ』と無言で主張しているかのようだ。


 老人は小さく息を吐き出してから口を開く。

「しかし、子を授かり、子を愛し、孫を愛し、お互いが老いていくのを見ながら寄り添って生きていけるような生物は……この森で見つける事は出来んじゃろう」


 マティは真剣な表情で老人の言葉に耳を傾けている。

「この森を出てマティの伴侶を探すのは儂も賛成じゃ。マティの愛した男が王子で、マティも愛されておるなら儂は反対せんよ……」


 しかし、老人は確信している。

 マティが想像するような王子様は現実には存在しないと。


 願わくは、世界を見て回る旅で誠実な男を見つけて欲しい。

 マティにはクソッタレな王族とはかかわらない人生を歩んで欲しい。


 老人はマティが難しい話で思考を放棄した放心状態になっている事を知らない。

「まず、王子は置いておいて、マティが好きになれる男を探したら良いじゃろ? 儂は誠実な男が良いのぉ」


 部屋には沈黙と外に居る虫の鳴き声が響く。


 老人の言葉を理解する事を諦めていたマティが、真剣な表情でゆっくりと頷く。

「うん。わかった」

「……そうか。わかってくれたか」


 マティはニッコリ微笑む老人に告げる。

「私、誠実で立派な王子様を探してくる!」


 老人はガックリと項垂れるように両手をテーブルに着いて目を閉じた。


 この子はもう駄目かもしれん。という思いが頭に浮かぶが、ここで老人が諦めればマティは王子を探すと言いながら人里に降りてしまう。


 コネも無ければ伝手も無い。そんな者が王子を探していると言いながら街を歩けば、あやしさは半端ではない。王子は気軽に会えるような存在ではないのだ。


 老人には悪い大人にマティが騙される未来しか見えない。


 老人はゆっくりと首を動かしてクッションに埋まるシュウを見つめて口を開く。

「……シュウは……連れていくのか?」

「当たり前じゃん!」


 クッションに顔を埋めていたシュウの顔がガバっと跳ね上がりマティを見つめる。

「おい……嘘……だろ?」


 マティとシュウは家族同然に過ごしてきた。共に笑い、喜び、泣き、喧嘩もしてきた。


 そして、シュウは老人が常々言っている物語のような王子は居ないという言葉が、真実であると確信している。

 この家にある物語の多くはシュウの目の前でマティが改変した本なのだから。


 シュウにも出発したマティが物語に出て来るような悪役に騙される未来が見えている。しかし、マティなら騙されても命の危険はなく、逃げる事も出来るという信頼はある。


 マティはシュウの呟くような問いに答える。

「ううん。嘘じゃないよ。シュウは私とずっと一緒だよ! 約束したもんね!」

「いや……ワイも大人だ。もう大丈夫だから、1人で行ったら良いんじゃねぇか?」


 マティは頬を膨らませて抗議する。

「駄目だよ! シュウはずっと私と一緒なの!」


 シュウは肩を落としてガックリと項垂れてしまう。例えシュウが何度断っても、出発の日にマティが自分を袋詰めにしてでも連れていく未来が見えている。


 老人は項垂れるシュウに告げる。

「マティは騙されやすいからのぉ。シュウが一緒なら儂も安心じゃ」

「騙されないもん!」


 老人は抗議の声をあげたマティを見ずにシュウに告げる。

「マティの力を利用しようとする愚か者だって居るかもしれん」

「私は平気だもん!」


 老人とシュウはマティの事を一切見ていない。

 どれだけマティが言葉を重ねても、マティを騙すのは簡単な事だと2人は知っている。


 マティが悪者に騙されてその力を振るい始めたら相当厄介だ。

 それだけの力をマティは秘めている。


 シュウは大きな溜息を吐き出してから口を開く。

「ワイも一緒に行くわ……」

「おぉ!そうかそうか。いつもすまんのぉ」


 微笑む老人と項垂れるシュウがマティの怒りに触れるには十分だった。2人が一切マティを見ない事も気に食わない。


 マティは頬を膨らませて足を『ダン!』と踏み鳴らす。

「私は1人でも平気だって!」


 シュウは真剣な表情でマティを見つめて口を開く

「ワイら家族やん。たった1人の姉ちゃんを心配するんは当たり前だろぉが」

「……え? 私……お姉ちゃん?」


 シュウは心にも無い事を口にする。

「マティはワイが唯一信頼する家族……姉ちゃんだ……」

「シュウ……」

「……言わせんなボケが」


 マティは何やら感動したような表情になり、そっぽを向いてしまったシュウを見つめる。

 しかし、マティにシュウと老人の『チョロい』という心の声は届いていない。


 マティは胸を張って口を開く。

「うん! わかった! 弟のシュウは私が守るから、一緒に王子様を探しに行こう!」


 老人とシュウは盛大な溜息を吐き出したが、マティのキラキラ輝く金の双眸は、白馬に乗った王子様を夢見ている。


 マティとシュウが旅立つ日はすぐに訪れる。

 マティは一張羅でもある森の生活には不釣り合いな白い半袖のYシャツに、膝丈の赤いスカートを身に纏っている。足元はお爺ちゃんお手製で何の革か不明な黒のショートブーツだ。


 そして、黒く丈の長いローブを羽織っている。

 ローブは袖付きで身体の正面は開いており、首元の留め具を止めればマントのようになり、胸元からお腹までのボタンを止めればロングコートにもなる優れ物だ。


 老人はそんな勝負服を身に着けたマティに告げる。

「いつもの動きやすい恰好で良いんじゃないか……?」

「いつ王子様と出会えるかわかんないじゃん!」

「うーむ……」


 何処か納得がいかない老人であったが、空間魔法を発動して黒い帽子を自分の異空間から取り出す。


 マティは円錐の頂点が折れ曲がった黒い帽子を見つめて口を開く。

「その帽子は?」

「これはマティの母が被っておった帽子じゃ……」


 マティは驚きで目を見開く。

「えっ!? お母さんが!?」

「この辺りで採れる素材から作った服と違って、あまり丈夫ではないからのぉ……」


 老人はマティの頭に帽子を乗せる。

「魔力が完璧に制御できて、自分の身は自分で守れるくらいになったら渡そうと思っておったんじゃ」


 マティは自分の顔を隠すように帽子のツバを両手で掴んで下げている。

「未熟な頃のマティが身に着けておったら、貴重な帽子が数日で消えて無くなってしまうわい」


 老人は帽子で表情を隠すマティから少し離れる。

「うむ……立派な魔女に見えない事もないのぉ」

「……うぐ……ひぐぅ」


 マティは幼い頃の老人との思い出が蘇ってきて、ポタポタと地面に涙を落としてしまう。それは老人も同じだったが、意地と気合で泣くような事はない。


 シュウが泣き声を堪えているマティの後頭部を蹴って、そのまま後頭部に乗る。


 マティは帽子が落ちないように手で押さえているが、老人に頭を下げた状態で口を開く。

「お……爺ちゃ……ありが……ふぐぅ……」


 老人は泣き始めてしまったマティの頭の上に乗っているシュウを手で追い払う。そして、マティの頭をポンポンと優しく撫でるように叩く。


「なんじゃ? もうここに帰ってこれないような戦場にでも行くつもりか?」


 マティは薄く笑う老人に首を左右に振って応える。

「2度と会えない訳じゃないぞい。いつでも帰ってきなさい」


 マティは少しだけ頭を上げて老人の胸元に飛び込む。

「ふあぁぁあ。お爺ちゃーん」


 老人はマティの背中をポンポンしながら

「ふぉっほっほっほ。行くのは止めるか?」


 大きく息を吸い込んだマティは老人から勢いよく離れる。

「行く!」

「うむ」


 マティは涙で潤む瞳で告げる。

「いってきます」

「うむ。気をつけてな」


 老人は歩き始めたマティの後ろを歩くシュウに告げる。

「シュウ、マティを頼むぞ」


 振り返ったシュウは「ぺっ」っと地面に唾を吐く。

 しかし、俺に任せろと言わんばかりにシュウの垂れていた耳はピンと立ち上がった。


 そんなシュウの態度に老人は満足そうに笑みを浮かべる。

「ふぉっほっほっほ。頼んだぞ」


 老人は遠くなっていくマティの背中を見つめて鼻を啜る。

 しかし、老人の鼻を啜る音を聞いたのか、シュウは歩きながら後ろを振り返る。その表情は何処か老人を心配しているようにも見える。


 老人はすぐに魔法で遮音の結界を自分の周囲に張る。

「全く耳の良い奴は油断も隙もないのぉ……」


 一瞬だけ振り返って老人の様子を見たシュウは、再び前を向いて歩き始める。

「歳を取ると涙腺が緩くなるのは……本当じゃのぉ」


 樹々に隠れてしまったマティとシュウの姿はもう見えない。音が外に漏れない遮音の結界内で老人は盛大に鼻を啜る。


 老人は目から流れてくる涙を乱暴に袖で拭って広い青空を見上げる。

「ミリーナ……これで約束を果たした事にはしてくれんかのぉ……」


 老人は再び零れてくる涙を乱暴に拭う。

「マリアス……身勝手なのはわかっておるが、どうかマティを見守ってくれ……」


 老人は大きく息を吸い込んで、悲しいという感情を追い出すように『ふぅぅぅ』っと息を吐き出す。

「マティが連れてくる奴がどんな奴か楽しみだのぉ」


 老人はマティが連れて来るであろう若者を想像して微笑む。


 しかし、すぐに眉根を寄せて苛立ったような表情に変わる。

「王子だったら殺してやるわい……」


 老人は誰も居なくなった家の中に入っていくが、その表情は暗く沈んだものではない。


 かつて、全てに絶望した老人がこの地を訪れた。


 しかし、そんな絶望も忘れさせるような怒涛の子育ては老人から絶望を取り除いた。

 時折、暗い思い出や感情は老人を襲ったが、マティの笑顔が洗い流してくれた。


 1人になった老人の胸には暗い思い出や感情は影を潜め、少女との楽しかった思い出で満ちている。


 老人と血は繋がっていないが、愛する孫娘は必ず帰ってくるだろう。

 あまり望ましくはないが、1人の若者と一緒に帰ってくるだろう。


 そんな楽しみという生き甲斐を見つけた老人は静かに呟く。

「もうちぃと長生きするかのぉ」


 森には愛する孫娘を想う老人の笑い声が響いていた。


恋物語が書きたいなぁと思ったら脱線してしまった。どうしてこうなった。


マティが片足上げてキスする時は、砂糖を食べたみたいなゲロ甘な恋物語にするんだ。



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何でも無い事を含めて、追記や修正はツイッターでお知らせしております。

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次回もよろしくお願い致します。

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