第8話 女神、奴隷を逃す
食堂を出た私はどうやってこの町で虐げられている亜人たちを逃すかを考えることから始めた。
レジーナ少将の発言内容からして、もしあのまま私が奴隷としてボロ屋にぶち込まれることがあったとしたら、この町のどこかにある奴隷専用のボロ屋に入れられていたのだろう。だとしたら、ジャングルで会った亜人の兵士の人々の人質になっている家族もまたそこに集められているのかもしれない。
逃亡防止と人間族への絶対服従とを兼ねた管理策として合理的と言えた。アレンやエレナを始め、獣人族の奴隷たちはよくそこから逃げ出してあんなジャングルの奥まで逃げられたものだ。これだけ厳重に管理され、魔法の知識や生活の知識、あるいは生活資金をろくに与えられることもなく、ただ服従を命じられればそもそも逃げる意欲すら起きなくなるだろう。そして、そんな家族を人質に取られてしまえば、嫌なことをやらされるとしても「はい」以外の選択肢はない。
ある意味人間族だけのために作られたディストピアであり、例え例外がいるだろうとしても、そんな風に世界を歪められてしまったことに私は強い憤りを覚えた。真っ当な生き方をしてきた人間たちのためのユートピアを作ったはずが人間族以外の種族の人々にとっては地獄に変わり果ててしまっているのなら皮肉な話だ。自らの手で作り出した世界が在るべき形に戻るよう手を出したいとも思った。
だが、今はそれよりも先に約束を優先しなければ…。この町に囚われている亜人を見つけ出して逃がさなければ…。そう決意を新たに私は町の中を彷徨うのだった。
町を彷徨うこと二日間。町外れに何人もの人間族の兵士が周囲を見張り、何人もの亜人たちがぎゅうぎゅう詰めにされながら生活を送っているボロボロの小屋があった。仕事を終えた亜人たちは直ちにこの小屋へと収容され、粗末な食事を食べさせられ、布団とも言えないようなボロ布で眠らされる生活を送っていることは、外からでも丸分かりだった。
また、人間族の子供たちがその小屋ないしはそこに住んでいる亜人たちに向かって石を投げては笑い、親もまた、それを止めるどころか笑っていた。その光景を見た私は一気に苛立ちが募り、物陰に隠れてボソリと魔法を唱えた。
「リモート・オブジェクトクリエイション・ピー・プープ。」
その途端、小屋や亜人たちに石を投げていた子供も、それをたしなめない大人も、揃いも揃って股間や肛門を抑え、足をばたつかせ始めた。いきなり膀胱や大腸に限界まで糞尿を生成されたのだから当然だろう。今私が唱えた言葉は、遠隔で対象の内臓に限界まで糞尿を生成するもので、いきなり内臓に大量の糞尿が生成された対象の人間は急に込み上げてきた尿意や便意を押さえつけるために顔を赤くしたり青くしたり、はたまた近くのトイレを探したりしていた。
プライドを捨てて亜人を収容しているボロ屋に駆け込んでトイレで用を足せば事なきを得るだろうに、亜人の使ったトイレを使うなんてというプライドが勝っているのか、誰もトイレを使おうとしない。
私の魔法をかけられた人間全員が急いでその場を離れてトイレを探そうとしたが、そもそも限界まで生成された糞尿がその程度の移動すら許さなかった。結局、私の魔法がかかった対象は全員が揃いも揃って道端で大量のおしっこやうんこを漏らし、汚れた衣服を呆然としながら見ていた。
当然、そんな光景を見ていた兵士たちは不審がった。いきなり人間族の住人だけがこんな風に糞尿を漏らすなんて幾ら何でもありえない、そう判断した彼らは今まで以上に警戒して亜人の住むボロ屋を厳重に警備し始めた。もはや普通に侵入するのは難しそうだった。だったら…。
「オミッション・チャンティング、セットアンカー、リンカーネイト、ブレインジャック、マリオネット。」
魔法を無詠唱で使えるように下準備を整え、兵士の一人に適当にアンカーを仕掛け、またもや私の操り人形へと変えた。
「すまね、ちょっとその辺でおしっこしてくる。」
「どうしたマクベス?住民がいきなり漏らし始めたせいでお前まで催しちまったか?」
「お前も漏らしたらどうなんだ?」
「冗談はよしてくれよ。まだ余裕あるのに漏らすなんて恥ずかしいだろ?」
「いっそ亜人の小屋のトイレでしてきたらどうだ?」
「馬鹿言うなよ。あんなトイレ誰が使うものか!」
「ちげーねーわな!亜人のトイレを使うくらいなら俺なら漏らすぜ!」
「やめろよ、汚ねえ話は。」
「まあとにかく、頼むわ。俺はその辺で用を足してくるから。」
なんとか他の兵士たちをごまかし、制御下の兵士をゴミ捨て場に隠れている私の元に誘導した。私の前まで来た兵士は虚ろな表情で私を見た。次は、この男にこうさせる。
「あ!!こんなところに亜人がいやがったぞ!!」
大声で叫び出した男。男の声を聞きつけ、他の兵士たちが来ることは予測できたため、パーカーワンピースの尻部分に切れ目を入れ、そこから尻尾を引っ張り出し、目深にかぶっていたフードを外した。
「亜人だって!?逃げ出した奴隷でもいたのか!?」
そう叫びながらドタドタとやってきた他の兵士たち。マクベスを操って彼らに返答した。
「いいや、違うぞ!?この町で管理されている亜人の奴隷とは違う顔ぶれだ!!」
「名前はもう調べたか!?」
「いや、まだだ!!」
「じゃあ俺が調べる!!ステータス・ルック・イン!!げっ!!なんだこいつは!!創世の女神の名前が付けられてやがる!!」
「何だと!?卑しい獣人めに女神の名前が!?崇拝する女神様になんて冒涜だ!!この悪魔の子め!!」
また悪魔の子というフレーズが出てきた。悪魔の子とはどういう意味だろう?女神を崇拝していないからこんな名前をつけるのを躊躇わないという意味か、それとも、人間族以外にはこの名前をつけてはいけないとかいうルールでもできたとか?とりあえず私はマクベスを制御しつつ無言で様子を見た。
「……。」
「おい、忌子!!なんか言ったらどうだ!?この歩く災厄めが!!」
「……。」
私は何も返さなかった。ただひたすら兵士たちを睨みつけた。
「何だその目は!!ああ!?」
首筋を掴まれ、壁に叩きつけられた。代わりにマクベスを制御して制止させた。
「やめとけ、商品用の奴隷だったらどうするつもりだ?」
すると、別の兵士もまた制止するために動いた。
「そうだぞロルフ。そいつが教会に移送中の忌子とかだったらこの場で痛めつけて殺しちまったら俺たちの首が飛ぶどころの話じゃないぞ?」
ここでやっと初めて聞く単語が出てきた。教会か…。つまり、女神ディアナを熱烈に崇拝する教会か何かがあるということか?もう少し話が聞きたいところだ。
「なるほどな…奴隷にしては着ているものが確かに状態が良すぎるわな…。案外そうかも知れんな。だったら、こいつは一旦あのボロ屋に押し込んどいて少将に確認だな。俺が確認しに行くからそいつボロ屋にぶち込んどいてくれ。」
「ああ、任せろ!」
そう話すと、ロルフはレジーナ少将の屋敷へと駆けて行ってしまった。うまく行った。これでボロ屋の中に入れる。
「じゃあ、このガキは俺がボロ屋に入れておこう。」
マクベスにそう言わせ、彼に引きずられながら演技を続行した。
「いや、離して(棒読み)。」
「大人しくしろ(棒読み)。」
「いや、誰か助けて(棒読み)。」
「なあ、あの二人おかしくねえか?」
「なんか人間味がないよな?」
「気のせいだろ?」
私とマクベスの後を歩きながらも不審がる兵士たち。まあそうであってもボロ屋に入り込むという目的はこれで達成できるから問題ないだろう。
それから数分と経たずにボロ屋へと着き、私はマクベスに私自身を小屋の中へと投げ飛ばさせた。私は小屋の中に投げ飛ばされ、ズザザーーッ!!という音を出しながら砂埃まみれの床をスライドし、小屋の中はもうもうとした砂埃で一時的に満たされた。
「あら?新入りなの?」
パーカーワンピースについた砂埃を払いながら立ち上がったらすぐ近くにいたボロボロの衣装のエルフの女性に声をかけられた。そのため、私は声を小さくしてエルフの女性に耳打ちをする形で答えた。
「あまり大きい声では言えませんが、ここに囚われている皆様を助けるためにわざと侵入しました。」
「うふふ、冗談なんて言っちゃって、可愛いわね。強がらなくていいのよ?」
女性もまた私の意図を汲んで耳打ちで返してくれた。そのまま私は女性と耳打ちをする形で会話を続けた。
「いえ、ジャングルで出会った兵士の方々にこの町に囚われている家族を助けてほしいとお願いされているんです。」
「じゃああなたマルスに会ったの!?」
「ああ、あなたのご主人さんってマルスさんだったんですね?あなたのご主人様でしたら数日前にジャングルにて私を助けようと他の亜人の方々と一緒に人間族の兵士と戦われました。まあ私の目的は町へ行くことでしたのでそれ自体が不要だったのですが…。で、今は人間族の兵士たちが悪さをしないようにジャングルの中で他の亜人の方々と一緒に見張っています。あなたはマルスさんのご家族様ですか?」
「はい、妻のロレーナです。ですが、ジャングルに旅立った亜人の兵士たちの家族でここに囚われているのは私だけではありません。あのジャングルに旅立った亜人の兵士の家族は基本的にこの小屋に全員収容され、昼夜を問わず働かされています。周囲を人間族の兵士たちに見張られ、逃げ出すこともできず、人間族のいいなりにさせられています。」
「大方亜人の中でも戦闘能力に乏しい女性とか子供ばかりを集めているんですね?」
「その通りです。ですので、逃げようにも逃げられないんです。」
「大体推理した通りですね。となれば、この小屋からジャングルへと直接逃げられるようにする逃走経路が一番安全そうですね。もしその経路を私が用意すると言ったらロレーナさんたちは逃げたいですか?」
「もちろんです!大人しくしていればいいなりにさせられて嫌なことをやらされ、どれだけ働いても人間じゃないからという理由で差別される…抵抗すれば死…そんな生活まっぴらです!こんな町さっさと逃げ出して愛する夫とともに自由に生きられたらとどんなに願ったことか…!」
「ならば話は早いですね。それなら早速逃走計画の話を進めましょうか。このボロ屋の中で絶対に人間族に監視されない場所ってどこかありますか?」
「それでしたら、そこの共用トイレだけは絶対に監視が入ることはありません。卑しい種族が汚らわしい排泄物を垂れ流す場所なんて見たくないという話でして…。」
「私からすれば他種族を差別して排斥する彼らの方がよほど汚らわしいですけどね…。まあそのことはともかく、そこだけは絶対に監視されないんですね?わかりました、じゃあそこに逃走経路を作ることにします。」
「そんなことができるんですか?獣人はおろか他のどんな亜人も魔法の使い方は初歩の生活魔法以外教えられることはないと言われていますが…。」
「できなかったら最初からここには来ませんよ。じゃあちょっとトイレに細工してきます。ロレーナさんは他の亜人の皆様に共用トイレから逃げることができるとお伝えしていただけませんか?」
「わかりました。この小屋にいる全ての方々にお伝えしておきます。どうか、私たちを助けてください。」
「ご安心ください。そのために来たんですから。」
そう話すと、私は早速共用のトイレに入り込んだ。とても狭く、暗く、そして臭う。控えめに言っても劣悪な環境だった。こんなところで排泄させられるのはたまったもんじゃないだろう。
(リンカーネイト、フルダイブ。)
トイレに座り込んでマルスに設置したままのアンカーを使い、感覚を再び共有し、今度は私の意識ごとマルスに憑依した。
ガクンという衝撃の後、私の視界に広がっていたのはジャングルの中だった。目の前には大木にグワルを始め生き残った人間族の兵士たちが縛られて座らされ、うつむいていた。亜人の兵士たちが武器を突きつけ、いつでも臨戦態勢で構えているが、彼らは抵抗する気力もなさそうだった。トイレに行く気力すらなくなっているのか、糞尿垂れ流しで臭かった。ファ◯リーズ使ったくらいではもう匂いはどうにもならなさそうだった。もっと強力な消臭剤って何かあったっけ…。
「おい、マルス、どうした!?急に倒れこんで!!」
「心配ありません。逃走経路確保のために再度マルスさんの体はお借りしました。」
マルスの体で起き上がりながら私は答えた。
「ってことは、今は狐の嬢ちゃんか!?」
「ええ、ディアナです。今はタルバの町でわざと兵士たちに捕まって皆様の家族が収容されている奴隷小屋に入れられています。この場所に逃走経路を作るためにどうしてもマルスさんに憑依する必要がありましたので勝手ながら利用させていただきます。そちらの開けたキャンプ場に転移用の魔法陣を作成しますので少々お待ちください。」
そう言うと私はマルスの体を借りたまま腰に提げてあった剣で地面に魔法陣と術式を刻みつけていった。この魔法自体は詠唱とか無詠唱でも使えるが、複数人を輸送するために何度も何度も詠唱するのでは効率が悪すぎる。そのため、魔法陣を設置して、目的が達成されたらすぐさま破棄する形を取るのが無難と判断したのだ。
転移魔法ディメンジョンゲートの接続先であるこのジャングルの魔法陣に転移元であるタルバの町の奴隷小屋の共用トイレの座標を書き込み、マルスではなく、私自身の魔力を注ぎ込んだ。これで転移先の準備は完了だ。仕込みが終わると私は立ち上がった。
「これでジャングルの方は問題ありませんね。では私はタルバの町でもう一つのゲートを設置しに戻ります。」
「もう終わったのかよ…。」
「すげえ…。なんて書いてあるのかさっぱりわからねえ…。」
「本当に嬢ちゃんだとしたらいつそんなこと学んだんだよ…。」
「パッと見た感じ三歳児にしか見えなかったのに…。」
「しかもこんな高度な術式なんて人間が独占していて獣人をはじめとする亜人には教えられないはずだよな…。」
「ちょっとそれはお答え致しかねます。じゃあマルスさんに体をお返ししますね。リリース・エクゼプトアンカー。」
余計なこと聞かれそうになったため私はさっさとフルダイブを解除し、意識をタルバの奴隷小屋の共用トイレにある本体へと戻した。
(オブジェクトクリエイション。)
頭の中で言葉を唱えて手のひらにチョークを生成し、トイレの壁にチョークで魔法陣を描き、転移先のジャングルの座標を書き込んでいった。最後に魔法陣に魔力を流し込み、チカチカと白く発光し始めたのを確認すると、満足したように頷き、トイレを出た。
すでにトイレの外にはロレーナから話を聞いたこの小屋に囚われている全ての亜人たちが集結し、私が出てくるのを待っていた。
「もう、終わったのですか?」
声を落として確認をしてくるロレーナ。私もまた何も言わずに、一度頷いた。その瞬間、虚ろな表情だった亜人の人々の顔が明るくなった。やっと自由を手にすることができるという喜びに満ち溢れていた。
「設置した魔法陣に触れたらご家族のいるジャングルへと移動できます。向こうで皆様のご家族と再会されましたら北東方向に向かって逃げてください。そうすれば獣人たちが隠れ住む集落がありますので、彼らを守っていただけると助かるとジャングルで待機している兵士たちに伝えてください。」
「わかりました、ありがとうございます。まだ小さいのに本当にしっかりしてるのね…。」
「いえいえ、それでは、向こうにいるご家族の皆様の元へ一人ずつ転移していってください。」
私の指示に従い、一人ずつ共用トイレに入っていき、ジャングルに設置してある魔法陣へと移動していった。数時間も経つ頃にはボロ屋に囚われていた亜人の奴隷はもう最初に私に話しかけたエルフのロレーナだけになった。
「ロレーナさんで最後のようですね。それでは、お元気で。」
「待って、あなたはどうするの?」
「私はまだやることがありますのでこの町に残ります。トイレの魔法陣はロレーナさんが移動した後で破壊しておきますのでご安心ください。移動後ジャングルの魔法陣も壊しておいてもらえますとなお助かります。足でぐちゃぐちゃに踏み潰して消していただければ壊せますので。」
「そんな…一緒に逃げたらいいのに…。」
「元々ジャングルを出て旅に出ようと考えたきっかけは種族差別がここまで横行している理由を調べるためだったんです。まだ目的を果たしていないのに戻るつもりはありません。皆様を逃すことをジャングルで出会った兵士の方々と約束したからこそ行動したまでです。」
「そうですか…。一緒に来てもらえないのは残念です…。せめて、お名前を教えていただいてもいいですか?私たちを助けてくれた救世主の名前をしっかりと覚えておきたいんです。」
「そのくらいでしたらいいですよ?私の名前はディアナです。」
その名前を聞いた途端、ロレーナは息を飲んだ。女神の名前を亜人に付けられていること自体が禁忌だという暗黙の了解を彼女もまた知っていたのだろう。けれども、すぐに平静を取り戻し、私に対して深々と頭を下げた。
「わかりました。ディアナ様のお名前、この胸に深く刻ませていただきます。本当にありがとうございました。あなたの旅の目標が達成されるのを心から祈っているわ…。頑張って…。」
涙ながらにそうお礼を言うと、彼女もまた共用トイレの魔法陣を使ってジャングルへと逃げていった。
彼女が立ち去ったのを見届けると、私はすぐさまトイレに描いた魔法陣を破壊し、転移魔法を発動させなくした。それから、マルスに設置しておいたアンカーを使って再度感覚を共有し、この小屋にいた全ての奴隷が逃げ去ったのを確認し、さらに、ロレーナがキャンプ場の魔法陣を破壊してくれるのを見届けると、マルスに設置しておいたアンカーとリンカーネイトを解除した。
あとは何もしなくても彼らは私が生まれ育った集落へとたどり着いてアレンやエレナたちを守ってくれるだろう。
そう考えながらも私もまた素知らぬ顔でテレポートで奴隷小屋から逃げ出し、再びタルバの街中を歩き出すのだった。