chapter3「テセウスの船」
「折角だから持って来てもらったこのプラモ戦車を使って次の思考実験をしよう。ちなみにこれの名前は「先生のプラモ戦車」っていうんだ」
ダサっ!
というよりまんま
「実は破損している部品があって、分解して新しいものと交換してほしいんだ」
そういうのは得意じゃない
それにすごく面倒
というかそれって予定外の実験なんだよね
なんでそんな時間のかかるやつにしちゃうの
そして、本当にやる必要はどこにあるのだろう
文句を言っても変わることはないだろう
時間的に今日はこれで最後になるはず
頑張るしかないか
「分かりました」
このプラモデル…部品によって色の濃淡が違う
どうでも良いか
陽の当たり具合とかそういうことにしておこう
数時間かけて組み立て直した「先生のプラモ戦車」を見せようと顔を上げると、姿がない
見回そうとした瞬間、背後からジャラジャラと大きな音が聞こえた
慌てて振り向くと少し困ったように微笑まれた
「驚かせてしまってごめんね」
「いいえ。それより、それは…?」
「出来上がったら説明するよ」
「完成しました」
持ち上げて見せる
「ありがとう。じゃあ説明するね」
塩対応だ
折角頑張って直したのに、そんなに素っ気ない返事をされるとは思っていなかった
「これは全て「先生のプラモ戦車」の元々の部品なんだ。悪くなった部品だけをその都度変えたんだよ」
部品によって色の濃淡があったのはそういう理由か
納得だ
「今組替てもらったことで、元々の部品は全てなくなった。さて、ここで問題。このプラモデルは「先生のプラモ戦車」と呼べる?呼べない?」
そんなの簡単だ
「マジョリティー、或いは空気によって変化する。それが私の答えです」
「こんなにも早く回答を聞いたのは初めてだよ。…でも知り合って数時間だけれど、そんな回答をするとは意外だよ」
「いつだって正解が「正しい解」であるとは限りません。こんな個人個人によって意見の異なるものなら尚更です」
なにがおかしいのか、小さく笑っている
「「本当に正しい解」を知っていたとしても、多数決によってそれが捻じ曲げられてしまう場合もあります。いつだって正しいことをしている方が正しいわけではないんです」
それがまかり通ってしまうのが、今の現実だ
「例えばいじめられっ子を助ける…とかかな。そんな経験があるのかな」
「個人的な話しをするつもりはありません。それに、これは一般的な考えだと思います」
「そうだね」
妙に優しい微笑み
私はそれを何故だか不気味に思った
背筋が凍った
ここに来て何度背筋が凍っただろう
滅多にない体験をした
「プラモデルの解体、組立に随分時間を取られました。今日はこれで終わりですよね。失礼します」
視線を逸らして早口に言うと荷物を持って席を立った
なにも言われない
帰っても良いということだろうか
一先ず一安心だ
ため息を吐いてドアノブを――回せない
ドアノブが回らない
乱暴に押したり引いたりしてみても開かない
プラモデルの作業をしている最中もそれなりに動向には気を付けていた
席を外すことは時折あって、そのときなにをしていたのかは知らない
でも部屋にいるときに不審な動きはなかった
というか普通、部屋の鍵って内側からかけるものだよね
なんで鍵穴がないの
鍵穴がないなら鍵がかかっているはずはない
それならドアノブは回せて、外に出られるはず
なのに、どうして出来ない
プラモデルを取りに行くときは普通に出られたのに
「どうして帰れると思ったのかな」
「泊まり込みだとは聞いていません」
振り向くとすぐ近くにいた
焦点を合わせるのが難しいほど近く
それでも笑顔だけは妙にはっきり見える
今までと変わらない笑顔のはずなのに、妙に怪し気な笑顔にも見える
同じ笑顔がどうしてこうも違って見えるのだろう
「キミの現実での現在の姿を見せてあげよう」
愉快そうに笑ってテレビのリモコンを手に取る
そこに映し出されていたのは、液体の中にある脳に電極が繋がれているものだった
「は…?これが…なに?現実の?私…?そんなの信じられるわけ…」
「そうだね。キミは今までもそうやって拒否してきた。さっきだって逃げようとしていたね。何度やっても変わらない」
逃げようとしていたことを知っていたのか
それなのに普通に振る舞って、部屋にひとりにした時間もあった
いいや、それより問題なのは「何度やっても変わらない」の部分だ
こういったものに参加するのは初めてだ
それに、バイトを途中で投げ出そうとしたことだって初めてだ
「キミは脳を摘出されている。身体に戻すことは出来ない。帰れないんだよ。今ここで起きていることは脳に送った電気信号によって体験していると錯覚しているだけなんだ」
音として認識はしているはずなのに、言葉が宙に浮いている
嬉々として説明される様々な言葉が、文が、表情が、「私」に届くことはなかった