クラスメイトのお宅へお邪魔してみた
初めて普通に接してくれる人もいたし、この能力と意思疎通が少しできるようになった。特に後者は大きい。私の意志と関係なく勝手によそに飛ばされるのが問題なのだから。これは解決の日も近いだろう。ふふ、これは安眠のために新しい枕を買っておいた方がいいかもしれない。
それからも何度か夜中に街角に飛ばされることはあったものの。もう説得を半ば諦めた私に怖いものはなかった。トラックに轢かれそうな女性を押し倒し、犬に追いかけられる妙な格好をした男性を電柱の上に引っ張り上げた。電車に轢かれそうな男の子をホーム下の空間に放り投げ、迷子の女の子を抱えて屋根の上を走った。
どうやらこの能力を使っているときは私の身体能力は向上しているようで、力ずくで結構いけることが発覚したのも大きい。私の「顔を隠したい」というのをどう読み取ったのか、能力は顔を紙で隠す作戦をやたらプッシュしてくるのでもう後半はそれを付けっぱなしのままでいた。別にスカーフだろうが紙だろうが、顔が隠れたらそれでいいし。
……しかし。案外このままでも問題なくいくんじゃないか、と思っていた、そんなある日のこと。
就寝中、ふと何か気配を感じてぱちりと目を開けると。私はいつものように、違う場所にいた。ただその場所が問題だった。私がいた場所は、どこかのマンションの一室の廊下だった。見回してみると、後ろに玄関、前にはおそらくリビングに通じているであろうドア。そのドアのガラスを透かして、向こう側の明かりが漏れ出てきていた。どうやらここの住人はまだ就寝していないらしい。
とりあえず自分の頬を引っ張ってみる。びよーん、と意外な弾力を見せて伸びた自分の頬っぺたは、じわりと痛みを伝えてきた。夢であってほしかったけど、これは夢じゃないみたい。
……飛ぶ先って、家の中もありなんだ……。これ絶対穏便にとか不可能じゃない? 自分の家にいる見たことない人から突然何か言われて素直に聞こうってなる? どう考えても無理でしょ。
しかし来てしまったなら仕方ないか。多少の無理は承知。物事は無理と言ってしまうと無理なのだ。ただこうなったら、できるだけ早く戻らないと。ここに長くいればいるほど、私の前科前歴が危ない。
カチャリ……と静かにドアを少し開け、私は向こうの様子を窺った。予想通りそこはリビングで、見えるのは2,3人は座れるであろうソファーと、向こうにはキッチンとダイニングテーブルと4人掛けの椅子。
……どうやら家族でお住まいのようだ。こくこく、と私は1人で頷く。で、そのご家族にどんな不幸が起きてしまうのだろう。私が侵入している時点で不幸は起こっているような気もするけど。
……と、リビングの向こう側のドアが開いて、誰かがこちらに入ってきた。……いけない。
私はドアの開きを最小に保ち、入ってきた誰かの顔をこっそり認識しようと努めた。しばらくして、細くなった視界にその誰かがようやく入ってくる。その誰かはソファーに座り、どうやらテレビを見ているようだった。
……そして不意にその横顔が見えた。なんか見たことある。っていうか同じクラスの森河くんだった。
素早くドアを閉め、いったん廊下に退避する。急に心臓がバクバクいい始めたのがわかる。意味もなく何度もあたりをきょろきょろと見渡してしまう。そして、一言だけ私は誰に言うでもなく呟いた。
「……いやいや無理」
とりあえずこれまでにないくらい本気で未来を読み取る。一刻も早くこの場を脱出しなければ。しなければ……うわあああああああ。嫌だ嫌だ嫌だ。ストーカー呼ばわりだけはいやああああ!
私はお風呂場で溺れかかってるおじいちゃんを倍速で救助し、脱衣所に横たえる。ふー。さて。……どうしたらいいんだろう。早く来てくれー、みたいな感じで叫んだら来てくれる? 見られたらヤバいよね?
しかしそんなとき、ひらひらと顔を隠してる紙がひらめき、「いいから任せろ」という感じの力強い気配を私は受け取った。私は宙に向かって頷く。……そうか。この紙は実は、魔術的な力で私の存在をうまく認識できなくなるとかそういうやつなのだろう。……よし、頼んだよ相棒。
私はさっそうとリビングにつながる扉をバーン! と開け放った。ぎょっとした顔でこちらを振り返る森河くん。
「な、だ、誰だお前!? っていうか……なんで顔に紙くっつけてんの……!?」
おいくっきりはっきりと認識されとるやんけ。話が違うぞ相棒。……いや、ついてきてもらえばもうそれでいい。私はわたわたと手を振り回した後に後に踵を返して、お風呂場の方に向かう。後ろから聞こえてくる足音を確認し、バタンとお風呂場の扉を開けた。行き止まりだけど構わない。……よし、このまま飛んで! 飛べ! いいから飛んでって!
「おい、じ、じいちゃん!?」
……背後で聞こえる森河くんの慌てたような声が、次第に遠ざかるのを感じた。きっと通報してくれるだろう。パトカーじゃなく、彼は救急車を手配してくれると信じたい。
翌日。私は教室で、優佳里と紗姫に真剣な顔をして向き合っていた。きっとこのままだと私は男湯のど真ん中に放り出されたりしてしまうだろう。そんな悲劇が生まれる前に、なんとしてもこの現象を止める必要がある。
「ねえ、突然なんだけど……不思議なことについて詳しい人って心当たりない?」
「ほんとに突然だよっ!? ……不思議なこと?」
「うん。この前優佳里が言ってたよね。最近流行ってる話でさ、突然女の子が現れて不幸を予言するってあれ。あの話について、もう少し詳しく知りたいんだ」
「え、うん。いいけど、どういうこと? どうしたの?」
「――ごめん、僕もその話聞いていいかな」
私の相談の最中に、突如として男子の声が割り込んだ。私たち3人の視線がその声の主に向かう。そこにいたのは、声から予想がついていたけど案の定森河くんだった。昨日ぶりだ。でも今はすっごく会いたくない。君はおじいちゃんについて病院に行きなさい。
……あ、でも彼がここにいるということは、おじいちゃんは大事に至らなかったということだね。それはよかった。だから今すぐあっちに行きなさいな。私は黒板のあたりで盛り上がってる男子集団を指さした。
「……あ、ほらあっちでも楽しそうな話してるよ。田んぼの向こうで白い何かがくねくね踊ってたんだって。混ざってきたら?」
「いや、でも昨日さ、関係ありそうなことがあったんだよ。聞いてもらえるかな」
私のさりげない誘導を無視して彼はその場に居座った。彼の小学校の成績表には「人の話をちゃんと聞きましょう」と記されていたに違いない。いいから自分の席に帰りなさい。そういう気持ちを込めて彼の方を見た私の視線をどう解釈したのか、彼はうなずいて話し出した。この馬鹿。馬鹿野郎。そうじゃない。
「昨日の夜さ、じいちゃんが倒れたんだ」
「え、大変じゃない!? 大丈夫なの!?」
「いや、早めに救急車呼んだから、大丈夫だったんだけど。その時におかしなことがあったんだよ」
「……おかしなこと?」
「ああ。じいちゃんは風呂場で倒れてて、それを見つけたのは僕なんだけどさ。……そもそも、なんで風呂場に行ったのか、っていうと。僕が気づいたら、家の中にいつの間にか知らない女の子がいたんだ」
「ホラーじゃん」
……気づいたらっていうかドアバーン! って思いっきり私が開けたんだけど。まあいいか。関係ない第三者を装うべく、なるほど、と私はうなずくに留めておいた。
「で、どんな顔だったかはわからない」
「え、顔がなかったってこと!?」
「いや、顔にさ、なんだか大きなおふだみたいな紙がぺたりと貼ってあって……それでほとんど隠れて顔が見えなかったんだよ。口元だけは見えたんだけど。で、髪はそうだな。肩につかないくらい……あ、ちょうど天尾さんくらいの長さだった」
まじまじと私を見つめながらそう森河くんは呟いた。
おいカンニングやめろ。正解を目視しながら答え合わせするんじゃない。恩を仇で返す人って私良くないと思う。……しかしこれ、解決するまで髪型変えた方がいいのかなぁ……。
「……それで?」
「その子が、来てくれ、みたいな手振りをするんだよ。それでついていったら、じいちゃんが倒れてた」
あ、そこくみ取れるのに私のどっか行けは読み取ってくれないんだ。
「すぐ救急車呼んだからよかったけど、発見が遅れたらやばかった、ってさ。だからその子には感謝してるよ」
「で、その子は?」
「いや、それがその子を追いかけて風呂場に行ったはずなんだけど。風呂場についたらその子は消えてた。行き止まりなんだけどさ」
おお、ベストタイミングで私は消えることができたらしい。完全に使いこなせたら便利だよねこれ。要は瞬間移動と未来予知でしょ? すごく便利な能力じゃない? ……発動に私の意志が全く反映されない、という致命的な弱点に目をつぶればだけど。
「へえー、じゃあその子が教えてくれたわけか。不幸のある場所に突然現れる女の子、か……確かに似てるかもね」
「そうなんだよ。だから、思うんだけどさ。あの子がもしその都市伝説の子だとして……他の話でも本当は違うんじゃないかって思うんだよ」
「……というと?」
「だいたい女の子が不幸を告げてその後に不幸が起こる、って話だけどさ。本当は、その子は不幸を何とか回避させようとしてたんじゃないかと思うんだよ。悪霊じゃなくていい霊なんだと思う。ちょっと不器用で頭が良くないだけなんだ」
おおー。素晴らしい洞察力だ。……でも後半は何? 恩人に対してそこまでディスる必要ある? 森河家では恩人は粗末に扱え、みたいな家訓でもあるの? 今すぐ廃止しなさいそんなもの。
「なるほど……。あとその子について手掛かりになりそうなことは?」
紗姫が考え込みながら森河くんに尋ねる。……まあ、あの一瞬で覚えていることなんてないだろうけど。
「服は上が白のニットで下は黒のチェックのスカートだったよ」
「へえー」
「そうなんだ」
一瞬、紗姫と優佳里がちらりとこちらを見たので、私は思わず顔をすっとそらした。た、確かに私のお気に入りの服装ではあるけど。……しかし森河くん、なぜあのバタバタした一瞬で詳しく記憶しているんだ。ちょっと怖い。
「ちょうどいいや。莉瑚もその話で私たちに隠してて言いたいことがあるんだよね。……なに?」
そして、急に紗姫が私の方に話を振ってきた。突然だったので、私はちょっと口ごもる。
……不法侵入はしてるわけだし、森河くんにああディスられた後だと「それは私です」とちょっぴり言い出しづらいというか。ええい、君のおじいちゃんを助けた代償として私のお気に入りの服はびしょびしょに濡れてしまったんだぞ。翌朝こっそりと洗濯機を回した時の私の切なさが君にわかるか。いや、別にだからどうとかいちいち言わないけども。
「そ、その……私も実はその都市伝説に興味があるっていうか」
「へえー、それはそれは。どしたの? 今までそんなのに興味示したことなかったでしょ」
「……いろんなことに興味の幅を広げてみようと思って。ほら、視野をね、広く持ちたくて」
「莉瑚ちゃん……さすがにね、無理があると思うんだ」
なぜか優佳里が「慈愛」と「かわいそう」を足して2で割ったみたいな複雑な表情で私の方を見てきた。……その2つって両立するんだ。私の知的好奇心の高さに対する感嘆の視線ではきっとなさそう。
「とにかく! 都市伝説に詳しい人っていないの? 最初はそういう話だったでしょ?」
紗姫と優佳里は私の質問には答えず、じーっと黙ってこちらを見てきた。ここで目をそらしたら負けだ。私も座ったまま姿勢を正して2人をじっと見返す。油汗がつーっと私の額を伝った。……うわ。こういう時、冷や汗というのは本当に出るらしい。
……やがて睨めっこに飽きたのか、紗姫が首を振りながら私の問いに答えてくれた。
「……オカ研の部長がそういうのに詳しいよ」
「オカ研の部長?」
「3年C組の。放課後に部室に行ってみたら?」
「……あ、ありがと……」
私の机からの去り際に、紗姫はぽつりと呟いた。
「はぁ……早く素直になってほしいんだけどなー」
「な、何の話?」
「べーつにー」