『無限階段』
しばらくして、自転車を押してこちらにやってくる副部長がようやく私の目にも見えるようになった。しかし、ここで現れるのなんていかにも怪しい。今の私にはわかる。ここにいるのは、基本的に人を外れたものだけだ。そうすると私や優佳里はどうなの? とか言ってはいけない。何事にも例外は存在するのだ。
私はそばまでやってきた副部長を見上げて、開口一番尋ねる。気分としては第一容疑者の取り調べに近い。
「副部長、いきなりですが質問です。なお、あなたには言いたくないことは言わなくていい権利があります」
「また!? なに、いきなりどうしたの?」
「莉瑚ちゃん?」
戸惑う顔を見せる2人に構わず、私は首をかしげて考える。さてさて、しかし本物かどうか確認するためにはどうしたものか。前回と同じでもいいけれど、もし学習されているとやっかいだ。ふむ。……よし。これでいこう。
「私が副部長に渡したお詫びの品は……」
「チョコレート!」
「……ですが。さて、それにした理由はなぜでしょうか?」
副部長はちょっとしょんぼりした後に真剣な顔をし、ふと何かに気づいたような表情で途中で沈黙した。……ほう。これは本物かもしれない。なぜなら、チョコにした理由は私が直接聞いたからなのだけれど、その際私は街角モードだったので、副部長が知るわけないのである。よって答えは沈黙なのだけれど……ここはもう少し追い込んで確認しておくか。
「さあさあ、早く答えないと時間切れになってしまいますよ」
「えーっと……いや、これさ……」
「おや?」
……あ、あれ? なんだか迷っておられる。なに、ひょっとしてこれ、偽物……? まあいい、ここで尻尾を出すならそれはそれで。上空1キロに飛ばしても人外は生きていられるのか、その実験体1号に任命しよう。
……どれ。ここから観測する限り、上空の天候は晴れ。北北東の風。絶好の実験日和といえる。
黙って空を見上げた私につられ、優佳里と副部長は視線を上にあげ、揃って不思議そうな顔になった。いやいやまだ上には何もないから。これから上がるけどね。さて。では発射ボタンはやはり本人に押してもらわねば。
「では、答えを伺いましょう」
「……俺からは言えない」
「…………んん??」
なんか思ってたのと微妙に違う答え来ちゃった。答えは沈黙、それは正しい。でも「俺からは言えない」って何それ? 言っちゃうと花火になるから? うーん……。これ、正解か? よく判別できない……。試しに打ち上げてみる? でも、もし無罪だった場合に取り返しが……。
「………………いちおう、正解です」
「えらい苦悩してたけど大丈夫か?」
「命拾いしましたね」
「……なんで!?」
まあ、この感じだと本物ではあるか。とりあえず話を元に戻そう。私はあらためて副部長に向かい合う。
「それで、どうしてこんなところにいるんですか? 授業中ですよ、授業中」
「いや、学校に誰もいなくなったから……またおかしなことが起こってるんだと思って。病院の君は大丈夫かなと思って見に行ったんだ」
「あ、どうも」
おかしなことが起こってる=私、という発想はともかくとして。携帯に連絡くれたらよかったのに。でもそういや私と副部長って連絡先交換してないな。さすがに後輩としていかがなものかもしれない。LINEグループから辿れば登録できるのだけれど、まずは私の承諾を得てから、ということだろうか。そういう副部長の義理堅いところ、私は嫌いじゃないですよ。
「では連絡先を交換しましょう」
「莉瑚ちゃん、話繋がってる? 私何か聞き逃したかな?」
「いや、助かるよ!」
何か引っかかってそうな優佳里を横目に私と副部長は連絡先を交換し、再度現状について話し合った。というかここまで全く話が進んでないな。これは果たして私が悪いのか、副部長が悪いのか。
「で、何で人がいないんだろう?」
「ここが現世と向こう側の間、どこでもない場所だからです」
「すごいよ莉瑚ちゃん、2回目でも全く意味が分からないもん」
私はもうきちんと説明するのを諦め、優佳里は理解するのを諦めたようだった。需要と供給が一致したと言えよう。そして同じく間違いなく理解してない副部長がそれでも話を続ける。
「あー、つまり、ここから出るためには?」
「料理の出る屋敷に行って歪みを戻さなければいけません」
「ゆ、歪み?」
「ちょうど良かったです。あの屋敷に連れて行ってください。私は場所を知りませんので」
ここで副部長が来てくれたのはラッキーだった。……いや待て。そんな偶然ある? やっぱり偽物?
「ちなみに副部長はなぜこちらに? 病院に行ったのは分かりました。ただ、それからここに戻ってきた、というのは?」
「いや、こっちの方に何かピリピリするのを感じてさ……今も続いてはいるんだけど」
「あー」
そういえばあったなピリピリ。私の胸ってもう全然痛まなくなったからなぁ……。これってもう胸が完全に死んでるからとか言わないよね。違ってお願い。まだ私も将来の希望を捨てているわけではない。でもこれでわかった。ピリピリを追ってきたら私がいたということか。
「ならちょうどよかったです。案内していただけますか?」
「ああ、もちろん」
私と優佳里、その前に副部長という布陣で、私たちは屋敷に向かった。そういえば屋敷には料理が出る、って言ってたけど。今の私なら別にちょっとくらい食べても……。
「どんな料理が出るんだろうね? せっかくだから高い料理とか出てきたら嬉しいよね」
「……莉瑚ちゃん?」
「食べないって。聞いてみただけ」
「それを聞く時点でヤバいんだよなあ」
「だから食べませんって。森河くんじゃあるまいし」
「あ、ちなみに森河くんは部屋に急に現れた料理を見た瞬間、部長の真後ろにダッシュして隠れてた」
「あのチキン野郎め」
普通逆じゃないのか。でも確かに部長が隠れるところは想像できないかも。あ、そういえば。
「部長って屋敷で本性現したりしてませんでした? 急に人の生き血を啜り出したりとか、階段からブリッジのまま降りてきたりとか、押し入れを開けると青い顔の部長の息子が体育座りしてたりとかは?」
「なんで急にそんなこと言い出したの!? 怖いんだが!?」
「あ、なかったんですね。わかりました」
しかし部長が高校で部活動をなんでわざわざしてるのか、っていうのもよく分からない。ただ単に趣味、っていう可能性が一番高そうなのが恐ろしい。
そして、副部長の案内の下、私たち3人は勝手に料理の出る屋敷にやってきた。こうして表現すると世話焼きの主人がいるみたいな感じだけど、ここも立派な心霊スポットのはずだ。私たちはツタの絡まったレンガ造りの立派なお屋敷を見上げた。築100年くらいたってそうだけど、建築基準法とか大丈夫なのだろうか。
私たちは普通に不法侵入して、屋敷の内部に潜入する。さっきの今だけど、どうやら私に法律云々をいう資格はなかったみたいだ。
「で、ここの2階に、料理の出てくる食堂があったんだ」
「いただいたDVDは何階に?」
「3階だけど」
「DVD……?」
じろりと私をにらむ優佳里。私は素知らぬふりをして壁にかかっている、なんだか高そうな絵を見つめた。なんか宗教画っぽい、大勢の人が何かから逃げまどってるらしい絵が1つだけ飾ってある。なんで高そうな絵って大きいんだろうね。描くの大変そう。だから高いのかな?
「とりあえず、2階に上がろうか」
途中に踊り場のある大きな広い階段を2階に上がると、そこは広場というか、大きな食堂だった。長くて広いテーブルが部屋の真ん中にどーんと置かれており、その両脇には椅子が規則正しく並べられている。点々と所々に置かれている燭台には、小さな明かりが灯され、食堂内をゆらゆらと淡く照らし出していた。
「料理、なくないですか?」
「うーん……。前回は、2階に上がった瞬間、どんどんテーブルに料理が並べられていったんだけどなあ。まるで、透明な見えない誰かが配膳してるみたいにさ」
「じゃあ今日はお休みなのかもしれませんね」
何も起こらないならそれに越したことはない。私たちはそのまま3階に向かう。これまでの傾向からして、DVDがある場所が歪んでいるというのが定説だったからだ。食堂に興味はあるけど、今はそれどころじゃないしね。
そして、私たちが大きな階段を再び上がると、そこは大きな広場だった。というか食堂? 広くて長いテーブルが中心にどーんと置かれており……って。さっきと同じレイアウトじゃない。2階ので十分なんじゃ……。どれだけ食べるのが好きなんだ。まあ、他人の家なので私が口を出すことではないけれど。
「で、どのあたりにDVDはあったんですか?」
「……あれ」
おや。なんだか雲行きが怪しい。忘れてしまったとか? まあ、屋敷まで連れてきてもらっただけで充分かな。ここまで来たら私が感知すればいいだけのこと。そう思って部屋を見渡すけれど、いまいち歪んでいる場所は見つけられなかった。うーん……。
「優佳里、どこか黒いもやもやって見えるところない?」
「ここやばいよ。壁も天井も、何よりあのテーブルと椅子が、真っ黒。絶対触らないようにしてね」
なんと。全部黒いならどこが怪しいか分からないな。ふむふむ。
一方、副部長はこめかみに手を当て、何やら悩ましい表情をしていた。
「いや、おかしい。こんなはずはないんだ」
「副部長が記憶力に自信があったことは分かりましたけど、誰にでも物忘れってあるものですよ」
「いや、そういうことじゃないんだ。3階は、いくつかの部屋に分かれてて。こんな広間にはなってなかったはずなんだ」
しーん、とその場を沈黙が支配する。えーっと。うん、ならいくつも食堂があるというレイアウト上の問題はなくなる。その代わりに、新しい疑問が1つ。
「てことはここはどこですか? 中2階?」
「莉瑚ちゃん、デパートじゃないんだから」
「ならもう1度上ってみたらどうなるんでしょうね? 3階に行きたい! という私たちの熱意が足りなかったのかもしれません」
わっせわっせと三度階段を上る私たち。そして現れたのは、やはりさっきと同じ光景。大広間とテーブルのある光景だった。もう今が何階かよくわからなくなってきた。えーっと……3階上ったから、4階? しかしこれだと熱意がどうとかいう問題ではなさそうだ。というかよく考えたら熱意と階数って関係ないよね。思いついたことをすぐ口に出すのが私の良くないところかもしれない。そして少し嫌な予感がしてきた。
「じゃあ次は降りてみます?」
「うん……」
他の2人も、何かを察したような顔をしてる。たぶん、これ……。
「ほらやっぱり」
「何の解決にもなってないけどね」
降りてみても、そこは予想通り食堂だった。まあ上って下りたなら当たり前なんだけど。ええい。これでは3階に辿り着けないじゃない。さて、ここからいったいどうする……?
そしてそれから10回を越えて上ったり下りたりしてみたものの、他の階には行きつくことができなかった。うーん……。はあはあと息をついている優佳里を見て、いったん休憩を提案する副部長。さてさて、どうしたものか。ちなみに私は全然疲れてなかった。なんでかなと考えると嫌な方向に行きそうだったので、思考を止める。自衛、大事。
「じゃあ私だけ、ちょっと上見てきますよ。どうなるんでしょうね。下からなぜかまた私が上ってくる説を提唱しますが」
「あ、ちょっと!」
呼び止めたのが果たしてどちらだったのか。それを確認せず、私は階段を2段飛ばしで上がった。もし私だけ3階に上がれたらそれでよし。下から私が上がって来るなら移動は無意味だということがわかるからそれもよし。そして……。
私が階段を上ると、そこはやはり食堂だった。……ただ。そこには待っていたはずの副部長も、優佳里の姿もない。そこでもう1度、今上ってきた階段を私は駆け下りた。すると、そこにも、誰も、いない。何の音もしない広い食堂を、私は見渡した。来た時と同じく、ゆらゆらと蝋燭の明かりだけが揺れている。
これが、選択肢の3つ目。おそらく2人もこの屋敷のどこかにいるんだろう。どこまでも続く無限の階段の、どこかに。もう料理関係なくなってるじゃない。これも、歪みが影響してるのだろうか。まるで、来る資格がない、と言われているような……。
ただ、私には問題なかった。ねじ曲がっているのが空間なら、私なら、飛べる。副部長が一緒だったさっきは無理だったけど。それを期待して1人で上ってきたところもあるので、これでよし。さて、じゃあ飛びますか。3階へ。
「……あ! いた! よかった!」
ところが、私が飛び立つ直前に。聞こえてはいけない声が聞こえた。それは、この場に一番いてほしくない、その人の声だった。
「げ……副部長……」
「げ?」
「いえなんでも」
この人耳いいな。いかん、つい。しかしなんで追いついて来れたんだろう。完全に撒いたと思ったのに。私は、何も言ってませんよという顔で副部長が追いついてくるのを迎えた。副部長はなぜか大きく肩でぜーぜーと息をついている。さっきは全然平気そうだったのに。そんなに急いで走ったの?
「お疲れですね。よく追いつけましたね」
いかん、ちょっととげが出てしまったか。せっかく心配してきてくれたんだろうから。……いやだってあとちょっとで飛べたんだもん……。でもいかんな。そういうのはいけない。他人にしたことは、いつか自分に返ってくる。そうおばーちゃんも言ってたじゃない。
「いや、こっちかなって思うところまで何階も上り下りしたからさ……」
そうつっかえつっかえ言う副部長の額には汗が滲んでいた。これはきっと、何階じゃない。何十階も走り回らないとこうはならない。副部長を二輪駆動として以前使用したことのある私には、それがわかる。だからこそ、さっきの自分ががっかりしたことがちょっと申し訳なくなった。
私は謝罪の気持ちとともに頭を下げ、まずは休憩を提案する。
「すみませんでした。ちょっと座って休憩しましょうか」
結局家から持ってきたビニールシートを広げ、私と副部長は階段の踊り場で休憩する。いやあ、持ってきてよかった。備えあれば患いなしとはよく言ったものである。私って絶対物とか捨てられないタイプだと思う。そして後輩が他人の家で堂々とビニールシートを広げているという明らかにおかしい状況にもかかわらず、副部長は何も言わずにいてくれた。きっとこの屋敷の方がずっとおかしいからかな。ゴジラが街を壊しながら歩いている状況では、戦車がベンチを踏みつぶそうが誰も気に留めない、そういうことだろう。
「はいどうぞ。粗茶ですが」
粗茶の意味はよく分からないけれど、そう言ってお茶をついだカップを差し出してみる。
「ああ……ありがとう」
そう言って副部長は一口でそれを飲みきり、ふー、と大きく息をついた。明らかにお疲れである。申し訳ない。
「タオルありますよ。はい」
「ありがとう。いやでもなんでそんなに色々持ってんの」
「備えあれば患いなしです」
「いや、うん……なんかもうそれでいいか……」
ふう、とさっきとは違う感じの溜息をつく副部長。私が疲れさせてしまっている気もするけど、気のせいだろう。……あ。そうだ。
「優佳里は?」
「申し訳ないけど、置いてきた。彼女も『自分はいいから追ってくれ』と……いや、これは言い訳になるな。俺が追いたいから来た」
ふむ。まあ、この屋敷の危険度は、紗姫言うところの最下位だ。問題は1つ上の順位だった地獄へ繋がっている電車がああだったことだろうか。これは早めの解決に越したことはなさそう。
10分ほど休憩し、私たちは再び立ち上がった。ビニールシートをたたみ、リュックにしまう。その際、リュックの底に入れていた、DVDの欠片を私は発見する。これは、私が持つ最後の欠片。副部長がかつてこの屋敷から持って帰ってきてくれたもの。
……ああ、でも、そうか。わかった。歪みの原因たるこれを何とかしなければ、歪みは歪みとして存在し続けるのか。なら、このDVDを何とかしないといけないわけだけど……。2つ入れてこれでしょ。もう1つ入れると、きっと……。
「副部長、今も胸ってピリピリしますか?」
「ああ」
たぶん副部長はそのピリピリを追って私に追いついたのだと思う。すると、やはり今も副部長の中に欠片があると見るべきだ。なら、副部長に欠片を入れたら? 2つまでなら何とかなる、というのは私で実践済みだ。しかし、入れると胸に大きな穴が開く。それを他人に強制するのはさすがにちょっとなあ……。
「何か、悩んでる?」
「……この場所から出られる方法はたぶんあるんですが……実行するか、ちょっと決めかねています」
「何か、俺にできることはないかな?」
ある。あるけど、それは身体的なあれやこれやを伴いますので……。うん。やはりそれは駄目だな。私がやろう。この際、2つも3つも似たようなもんだろう。1つと2つには差があったけれど。1つ→2つだと2倍だからね。
「……あるんだよな?」
「えーっと。では、目をつぶっててもらえますか? すぐ済みますので」
その私の台詞に、なぜか副部長は狼狽し、しばし躊躇した後に目をつぶった。顔だいぶ赤いけど、疲れが後になってきたのかな? しかし今の私はそれを気にしている暇はない。DVDを取り出し、胸に思い切って入れる。後輩が目の前でこんなことし出したら副部長の精神に悪影響を与えてしまいそうだしね。……よし。なんかあんまり変わらないぞ。計算通り。
「あ、もういいですよ。終わりましたから」
「……!? もう!?」
「いや、もうって。何するかわかってないとその言葉おかしいでしょう。……まさか目を開けてたとか……?」
「い、いや、目はつぶってたけど。……あれ?」
なんか「思ってたのと違う」みたいな顔してる。まあいいや。明らかに、胸に異物を入れ出した後輩を視認した先輩の様子ではない。なら何も問題はなかった。
「見られてると恥ずかしいですからね」
「うん……うん? そういえば届かなくないか? じゃあ……さっきの俺って……」
どこか落ち込みながら首をひねる副部長を背に、私は上の階に向けて歩き出す。さあ、予想通りなら、これで……。
「マジだ……。3階だよ……」
「予定調和ですね。では、DVDがあった部屋ってどこですか?」
そのままその部屋に入り、そこにあった歪みに触れると、それはすぐに消失した。私は、その歪みの温かさが残る指先をしばらく見つめる。……温かかった。そう、なぜか歪みなのに親しみを感じる、安心するような温かさ。それは、つまり……。
その私の手を、ふっと副部長の手が包む。いや、なんで? 私が疑問を込めて副部長の顔を見上げると、なぜか後輩の手を突然掴む奇行に走った副部長は、えらくまじめな顔をしていた。
「いや、ごめん。なんか遠くに行っちゃう気がしてさ……」
「行く予定はないですよ」
「いや、でも……」
そう言って、なんか全然放してくれない。ぐいぐいと引っ張ってみたけど動かないので、私は言葉による説得を試みる。なぜ後輩が先輩を諭さないといけないのか。先輩は後輩の言うことを無限大に聞いてくれる存在だったはずなのに、これでは話が違うではないか。
「行かないですって」
「ああ……」
「……何が『ああ』ですか。なら放してくださいよほら。3、2、1、0。……って全然放さないじゃないですかなんだったんですか今の私のカウント恥ずかしいじゃないですか」
「ごめん」
下を向いて反省の意を示しながら、全然放さない副部長もいい性格してると思う。でも、このままだと私達はお手手をつないで優佳里の前に現れることになってしまう訳だけど。それは何やら大いにきな臭い問題を引き起こす気がした。なんだか今の私の勘が、120%そうなると告げている。
私は、ポンポン、ともう片方の手で副部長の手を軽く叩きながら、できるだけ優しい声を出す。
「……あーもう。ほら、私がいなくなったら見つけてくれるんでしょう? さっきもそうだったじゃないですか」
「……ああ」
「ほら、じゃあ……今度こそ。3、2、1」
0、で今度こそ手は放された。名残惜しそうに手を伸ばす副部長から、私は意識して手を遠ざける。副部長の手は、歪みの温かさとはまた違った種類の温かさだった。それがどう違うのかは、いまいち上手く説明できる自信はなかったけれど。
その後、2階に下りた私たちは、さっきのが何だったのかと思うくらいあっさりと優佳里と合流し、街のはずれを目指すこととした。その途中も、ずっと2人と話しながら歩いていたのだけれど、たまにその2人のどちらでもない声が、私の胸の中で響く。私は、会話に参加しながら、その声に耳を傾けた。いったい、なんて言ってるんだろう。そして、ふと理解する。なんと言っているか。2つの言葉だ。
1つ目は『ここにいるよ』。そして、もう1つは……。
『――早く、そこを代わって』
それは、間違いなく。私のおばーちゃんの声だった。




