『どこでもない場所』
私と紗姫はトンネルの入口までやってきた。オカルト研究部総出でやってきた、いつぞやの夜以来である。私は黒々とした入り口を見上げた。オォォォォ、という、どこか唸り声のようにも聞こえる低い風音が耳に響く。中を覗き込んでみても、入口から見える範囲には動くものはない。ただ、ここからどうしたら……。私は隣の紗姫を振り返った。
「とりあえず、入口に塩でも撒いてみる?」
「したきゃやればいいけど、無駄だと思うよ」
やっぱりそうか。というか持ってきたこれ食卓塩だしね。これで解決するなら、世の食堂に幽霊なんて出ないことになってしまうし、霊媒士なんて職業(?)も成り立たないだろう。ふむ。
……ただ、あんまりトンネルの中に入りたくはないんだよなぁ。どういうことが起こるか私はもう知っているし。しかも今は私愛用の二輪駆動たる(←失礼)、副部長もいない。
「そもそも、穴ってどこに開いてるのかな」
「莉瑚はどう思う?」
逆に聞き返されてしまった。はて。そう聞かれて、私は初めて考える。穴、つまりこのトンネルで一番歪んでいる場所、と言っていいだろうか。……確か、そんなことを感じた場所が、あった。あのDVDが落ちていた場所。一番底だと、私が感じた場所。
私の心を読んだかのように、紗姫がゆっくりと口を開く。
「そう、その歪んでる場所を戻せばいいんだよ」
「いや、どうやって? そこに塩撒くの?」
「いったんその塩への信頼捨てようか」
あきれ顔で紗姫に却下される。しかし、塩を封じられると私に為すすべなんてないぞ。祈る? 踊る? ……いや、でも。歪みと、場所。その2つのワードを私はどこかで見たことがある。果たしてそれは、どこだったか。
うーん、と腕を組んで考え込んでいる私のそばで、紗姫は遠くの方を見つめて、何も言わない。その表情は薄く、何を考えているのかはよくわからなかった。あ、そうだ。関係ないけど。
「そういえば、このトンネルって死んだ人の腕が出てくるんだよね? そもそもさ、死んだ人って天国に行ったりしないの?」
「普通はそうだよ」
ということは、普通じゃない、と。まあそれはわかってたことだけれども。
「でも、ここのは、人を呪ってるからね。そうすると向こう側に行っちゃうみたい」
「ここまで来ても、その向こう側の定義が分からないんだけど……」
天国じゃないらしい。まあ、確かにあんな腕がたくさんいる天国なんて嫌だ。黒い腕がうぞうぞしてる場所が描かれた絵が「天国」って名前で教会に飾ってあったら、私なら二度と通わない。そこはもう教会じゃない別の何かだよ。
「人ならざる者の住まう世界、って部長さんなら言うだろうね。どこでもない場所」
「どこでもない、場所……?」
「そこには時間も距離もない、っていう……それより莉瑚、また脇道に逸れてない?」
紗姫に叱られてしまったので、私はさっきの考え事に戻った。歪みと場所、そんな2つのワードを私はどこかで見たことがある。
……それも、最近。ついこの前、見たはず。聞いた、じゃない、見た。ということは……文字? でも、本を開いたらすぐに眠くなる私が読む本なんて……。
「……日記……?」
そう、そうだ。確か、おばーちゃんの日記に出てきた。その日記には、確か。私は今も腕に巻いている、祖母の遺品の腕輪に視線を落とした。この腕輪が、場を捻じ曲げる何かだと、そう書かれていた気がする。ということは、この腕輪を使えば……?
「ってことでどう? 紗姫?」
私が顔を上げると、隣にいた紗姫はいつの間にか、いなくなっていた。……まーたあのやろう。隙を見せたらすぐこれだ。しかし私もこれまで、人に任せすぎだったかもしれない。
暗いトンネルの中をコツコツと歩きながら、私は考える。黒い腕は未だにトンネルの中に普通に生息していたものの、なぜか私を無視してその辺の地面を這いずり回っているだけだったので、歩いて向かうことにした。
……おそらく、もうだいたいの材料は私の手元にある。なんとなく、そんな気がした。私はおそらく、この怪異が始まって以来、初めて。自分で真剣に考え始めた。今までは紗姫だったり、部長だったり。誰かの指示やアドバイスに従ってやってきたけれど。さすがにもうそういう訳にはいかない。ここからは本気で、考えて、動く必要がある。
まず、儀同さん。彼女とはおそらくぶつかることになるだろう。私が穴を塞いで回っているのを彼女が良しとするわけがない。とすると、対策を考えておかないと。しかし私って、相手を攻撃する手段って持ってないからなあ。とすると、近距離に近づいて空中1000メートルにでも一緒に転移した後、私だけ地表に戻ってくる、とか? これだと絶対死ぬな。ただ、私は自分を殺そうとした人間に優しくできるほど心が広くない。私の友達を殺した人間ならもっとだ。とするとちょっと覚悟を決めておかないといけない。ふう、と1つ溜息をつく。これが終わっても私は今まで通り、笑って過ごしていられるだろうか。
……次に、部長。これはまだ、どう出るかわからない。ただ、おばーちゃんの関係で動いてくるだろう、ということはわかる。問題はおばーちゃんがどこにいるか、ということだ。ただ、「依り代」とかいう単語から想像する限り、この腕輪が関係しているような気がする。ということは、部長はこの腕輪を狙ってくる……?
最後に、紗姫。私は、時折紗姫が見せた、何かを考えているような顔や無表情な顔を思い出す。きっと……紗姫は何か他のことを考えている。もちろん私に協力してくれる、ということに間違いはないだろうけど。でも、それはきっと、私のため、というだけではなさそうだ。自分が殺されたというのに、いつも通りだった紗姫。私には、それがかえって大きな違和感だった。
とすると……そこには何かが隠れている。それは、何か。……会った時には既に殺されてしまっていたらしい、紗姫。以前感じた彼女の無念を思い出して、私の心の奥がズキンと傷んだ。……紗姫。私に、何か出来ることは、ない?
そうやって考えを巡らせながら、真っ暗なトンネルの中を1人で歩いていると、ふと唐突に昔のことを思い出した。
あれはいつのことだったか。神社に夜にお参りした帰り道、小さな私は、不意に暗闇が怖くなり。道の電信柱にくっついて動かなくなった。確かなものが、それしかない気がして。そこで震えても、当然ながら暗さは変わらず。そんなとき、私の手を握ってくれたのが、おばーちゃんだった。そのしっとりした温かい掌の感触を、私は今も覚えている。もういつのことかもわからない、昔の話だ。ただあの時確かに、私にとって、その祖母の手の感触は間違いなく世界の全てだった。
……おばーちゃん。私の中では静かでお人よしのおばーちゃんなのだけれど、母(?)の話によると、人を利用するところもあった、らしい。とすると、自分が蘇るために、私を利用する……? 莉瑚、と記憶の中で私に呼び掛ける、柔らかな声。果たして、どちらが、本物だろう。
色々なことを考えていると、いつの間にか、私はDVDを拾った場所まで辿り着いていた。ごそごそ、と私のすぐそばを黒い腕の集団がうごめきながら通り過ぎていく。それを横目で見ながら、私は何となく、自分が狙われない理由を理解した。私はもう、向こう側の仲間だと思われているらしい。だって、彼らが狙うのは、人間だけ。そういうことだろう。……さて。
私はしゃがみ込んで腕を伸ばし、DVDが落ちていた場所に触れた。……ああ。確かにここに、何かある。これを塞ぐためにはどうしたらいいだろうか。
私はここにいない友人に、心の中で問いかけてみる。さっき自分だけで考えないといけない、と思ったばかりなのに。……ねえ、紗姫。どうしたらいいと、思う? 歪んでるんだって。この歪みを、元の向こう側に戻してあげるには、どうしたらいいかな?
『……どこにもない場所、だよ』
私の耳に届いたのは、さっき紗姫と交わした会話だったのか。それとも、私の問いかけに応えてくれた友の声だったのか。どこにもない場所。そこにこれを、戻す。どこにもない場所。距離も時間も関係ない、場所。……距離も、時間も。
そんなことを考えていながらさわさわとそのへんを触っていると、ふっ、と歪みが突然消えた。同時に、トンネルの中が薄明るさを取り戻す。どうやら、戻ったらしい。でもどうしてか、それがわからない。いつも自分が転移する、あの時の手応えのようなものを感じた気がするけれど。まあとりあえず、触ってたらそのうち歪みが消えるらしい、ということが分かった。よし。
あと、残りは3つ。踏切に、屋敷、そして神社。その3か所を、回り切れるだろうか。狩られる前に。……そして、私が……。今朝から全く痛まなくなった胸をそっと押さえて、私はその続きを心の中で呟いた。
――私が完全に向こう側に、行ってしまわないうちに。
まずは場所の分かる踏切の方へ飛び、私はきょろきょろとあたりを見まわした。鳴りやまない踏切。ここで待っていれば、あの趣味の悪い電車が走って来るだろうから、その歪みに触って、元に戻す。ここでの問題は、触るためにはあの死者がぎっしり詰まった電車の中に私も飛び込まないといけないということか。
……いや待てよ。さっきのトンネルの様子から見て、私が飛び込んでも、駆け込み乗車してきた奴が1人いるぞ、くらいの反応にならないだろうか。
私はそこまで考えて、さっきより念入りに左右を見渡した。何せ、ここは踏切だけあって、景色が開けている。てことは遠くから見つけられる可能性も高いはず。
しかしそうしているうちに、私はある違和感に気づいた。……右にも左にも……人が誰も、いない……? ここは国道脇の道路だから、大勢が行き交うという程ではないけれど、人や車は通るはずなのに。注意して周りを見渡してみると、街の景色はいつも通りなのに、人の気配だけが、見事にない。街中でこれは、おかしい。ということは、何かが起こってる……?
私が住宅街の方を窺いながら考え込んでいると、ダダダダ、と遠くから何か音が聞こえた。その音は次第に大きくなる。……むむ? まるで、何かが高速で近づいてきているような……? 私がそちらの方を振り返ると、こっちに向かって信じられないスピードで駆けよってくる女子生徒の姿が目に入った。一瞬身構えるけど、次の瞬間、それが誰だか理解する。……あ、なんだ。優佳里じゃない。
ぜーはー息を切らせながら目の前で止まった優佳里は、そのままの勢いでがっしりと私の両肩を掴んだ。その力は強く、私は危うく後ろに倒れそうになる。昨日といい今日といい、友人が私を押し倒そうとする場面が最近多いな。
「びっくりさせないでよ。……どうしたの優佳里? そんなに急いで。っていうか痛い痛い」
「な・ん・で・そ・と・に・い・る・の? ってあれ……? 莉瑚ちゃん、だよね……?」
なぜか不安そうに、私の顔を覗き込む優佳里。私はその表情を見て理解する。ああ、そうか。今は別に街角モードではないのだけれど、もう私の顔を黒いもやもやとやらが覆ってしまっているのだろう。私を私と、判別できないくらいに。それは、私の残り時間の少なさをそのまま表していた。これは、急がないといけない。
私は優佳里に余計な心配をかけないよう、あくまでいつも通りに笑い、手をひらひらと振った。
「当然、私、私だよ? ……それより優佳里、この街ってこんなに静かだったっけ? 何か知らない?」
見込みだと、あと3話+エピローグ、くらいで終わります。(←懲りない)
 




