得難きは時、会い難きは友
「この前の話の続き……って?」
紗姫と私は真っ暗な図書館の通路、棚と棚の間で向かい合った。でも、なぜか妙に身構えられている気が。私はぱたぱたと手を振りながら、警戒の必要がないことをアピールする。というか紗姫にそんな対応されてしまうとちょっと悲しい。
「いや、だから。副部長の話も、この街角バージョンも。私の困りごとは何1つ解決されてないの。いったん相談に乗ってくれたからには、最後まで付き合うのが筋ってものでしょ? ほら、友達ってそういうものじゃない」
「それってさ、相談に乗ってもらった側が言い出しても全然いい話にならなくない? それに紗姫ちゃんそれどころじゃないっていうか。莉瑚もそうでしょ? あたしに聞きたいことがあるんじゃない……?」
「私が紗姫に今一番聞きたいのは、副部長との円滑な別れ方だよ」
「……いやもう付き合ってんの?」
「そうならずにお互い気まずくもならずフェードアウトしたい、って言ったじゃない。忘れん坊だね」
「あ、そ……。まー確かにうろたえて電話してきた莉瑚は傑作だったけどさ」
「ハハ、こやつめ」
私の台詞を最後に、しーん、と再び私たちの間に静けさが訪れる。これは私のせいではない、はず。ないと信じたい。しかし私にはその沈黙はあまり気にならなかった。昼間の副部長とのお互い牽制しあうような空気の方が申し訳ないけれど何倍もいづらい。私はやはり根本的に、そういうお付き合いをするのには向いていないのだろう。
やがて、ぽつりと紗姫は手元に視線を落としながら何やら呟いた。なぜかじっとりとした声色で、どこかその目つきは、どろりと暗い。そして目を離したわけではないはずなのに、いつの間にか目の前に立っていた紗姫に、そっと手を取られた。その手は、温度がなく、ひやりと冷たい。
「ねえ……莉瑚。ちょっと、頼みたいことあるんだけどさ」
「なに?」
私が首を傾げると、突然、紗姫が私を思いっきり突き倒した。床にしりもちをついた私が上を見上げると、私を押し倒し、馬乗りになった紗姫と目が合う。そして、いつの間にか私の首にかかった紗姫の手が、ぎゅっと力を込めて絞られていく。
「今すぐあたしと、代わってくれる……? 友達なんでしょ……?」
今の私も似たようなものらしいんだけど、いいんだろうか。ていうか苦しい苦しい。私がここで死んだら紗姫は誰と代わるつもりなんだ。代わって、か……。うーん……。確かに言われてみれば私ってあんまりこの世に未練っていうのもないかもしれない。前に伝わってきた、紗姫の無念みたいなものに比べたら。
「まあ場合によったら、いいけど。げほっ」
「いいんかい!? も少し命大事にした方がいいんじゃない!?」
「人の首を絞めながら言うセリフじゃないと思う」
紗姫が力を緩めて上からどいてくれたので、私は起き上がってさすさすと自分の首をさすった。絶対これあざになってるやつだ。そんな私を見て、紗姫はなぜか溜息をつきながら私の隣に座った。
「なんか紗姫ちゃん、完全にやる気なくなっちゃったよ……」
「あ、それは何より。……それで、なんでこんなところにいたの?」
「……どう言ったものかなあ。莉瑚こそなんでこんなところにいるのさ? 入院はいいの?」
「あの病院にいたらなんか殺人鬼が来そうで嫌だから」
「あー……まあそうかもね。実際来たし」
それにしても困った。紗姫を見つけることはできたものの、これからどうしたらいいかが全然分からない。いい加減私も自分の家で安眠できるようになりたいものだけれど。以前の私って幸せだったんだ。それを痛感させられる。……いや、でも自分の家でゆっくり眠れる、って普通のことかもしれないな。じゃあ今の私が特別不幸だとそういうわけか。けどなんの慰めにもならないなこれ。
「はあ……」
「なんか元気ないじゃん」
「この一連の怪奇現象がいい加減終わらないかなって」
「あ、なんだ。終わらせたいの?」
「……ん……?」
なんか今、おかしな言葉が聞こえた気がする。えーっと。それはつまり。ぎぎぎ、と私が首を動かして隣の紗姫を見ると、なんだか芝居がかった表情で目を丸くしながら「紗姫ちゃんそれは知らなかったぜ」とか言ってる。このやろう。
私は隣に座る紗姫の首に手をかけて、ぐいぐいとそのまま大きく揺さぶった。
「紗姫はどうしたら終わるか、知ってるの?」
「ま、まあ」
「まあ、じゃなくない!? じゃあ言ってよ!? 最初から!! なんで黙ってたの!?」
「いやそんなに怒らんでも。というか苦しい苦しいそんなに絞めるなって」
「あ、ごめん……」
私がぱっと手を離すと、紗姫はやれやれ、と自分の首を撫でながらまた溜息をついた。その白い首には全然あざが残っていない。けっこう思いっきりいっちゃった気がするんだけど、やっぱり幽霊なのだろうか。幽霊の首を絞めたことがある人間ってあんまりいない気がする。自慢する機会はなさそうだけど。
「でも莉瑚聞かなかったじゃん。副部長がどうだ、とかいう話ばっかりしちゃって」
「だって……あの時はそれが一番困ってたんだもん……」
そう考えると副部長すごいな。最大瞬間風速で言うと私の中で一連の怪異を上回ったことになる。というかこれは私の価値観がアレなのか。いや、そんなことはない、はず。うん。
「じゃあ、教えてくれる? どうしたらいいの?」
「今は穴が開いてるからおかしくなってるんでしょ? 単純に、閉じたらいいんだよ」
「……どうやって?」
「さあ。まあ現地に行ってみるしかないんじゃない? ここで話してても何も手がかりは見つからないよ。それはあたしが保証する。……さあ、じゃあ行こうか」
ぱんぱん、とお尻を払った後で立ち上がり、「ほら」と私の方に手を伸ばす紗姫。それはさっき首に手をかけてきた時とは違って、私を導いてくれる意志に満ちた、どこか温かい手だった。
「でも、紗姫はここで何かしてたんじゃない? 一緒に、来てくれるの?」
「もうここで待ってても意味はなさそうだしいいや。付き合ってあげる」
「どうして?」
危なそうだし、実際、私の想像が正しければ紗姫は儀同さんのことが怖いと思う。紗姫は無表情のまま私の疑問に一瞬より少し長いだけ沈黙し、直後ににかっと笑った。
「……だってあたしたち、友達じゃん?」
翌朝、私は肌寒い自室で目を覚ました。昨晩、紗姫とは早朝に集合の約束をして別れた。なんでも現場に行くのなら昼の方が絶対安全らしい。そりゃそうか。ということは神社を夜に見張りに行こうとしてた部長は、けっこう初期から裏があったのかもしれない。
私は部屋で、トンネルで殉職した1号に続くリュック2号の中に様々な物資を詰め込んだ。お清め用にいちおう塩と、おにぎり、水筒。あんパン、牛乳、携帯の充電器に、小物入れのポーチ。昼食用にビニールシートを持っていくべきだろうか。いや、それだとピクニックに行くみたいになってしまうな。既にそうなっているのでは、という心の中に湧いた疑問については蓋をしておくこととした。さて。それじゃあ、行こうか。
「やあすまんね、お待たせ」
「今来たところだから、大丈夫」
そんないつも通りのやり取りをして、私たちは待ち合わせ場所である北の山のふもとで落ち合った。あたりはもうすっかり冬の景色らしく、山の木々は葉の落ち切った枯れ枝を時折冷たい風に震わせている。見上げると、灰色の空からは今にも雪が降りだしそうだった。
同じく空を見上げていた紗姫が、ぶるりと体を震わせる。
「朝はやっぱり冷えるねー」
「そういえばさ、紗姫って寒いの?」
「……いや、なんであたしを幽霊みたいに……あ、優佳里か」
「優佳里は何も言ってくれなかったけど。新聞記事を見たから」
「あ、そ」
紗姫はそれ以上何も言わず、歩き出した。トンネルの方へ。私もそれに続く。聞きたいことはたくさんあったけれど、私から聞くのは止めておこうと思った。それに優佳里も言ってたじゃない。「紗姫ちゃんは自分から言いたいと思う」って。私たちは相手が何だって、別に変わったりするような関係でもないし。
「……いやー、しくったよね」
舗装された細い山道をしばらく2人で黙って登っていると、紗姫が突然口を開いた。私は首をかしげる。
「何が?」
「あたしって、伝承が妙なことに気づいて、図書館で片っ端からこの地域の伝承の本を借りたって言ったじゃん」
「うん」
確かそうだった。私にはできそうにない。本を見たらすぐに眠くなっちゃうし。「莉瑚は見た目だけなら文学少女」とは確か紗姫の言だったか。さすがになんとなくわかるんだけど、絶対これ誉められてないと思う。
「でさ。当時、伝承のおかしさに気づいてた人間ってあたしだけじゃなかったわけ。で、その誰かは、貸出履歴で悟ったんだと思うよ。あたしも同じおかしさに感づいてるって。それが邪魔だったんだろうねえ。だって、そこまで来たら、そのうち届く。その人が、何をしてるのかってことにもね」
「なんであの人、生贄なんて捧げてるの?」
「えーっと……まあ、これ見てもらったら早いんだけどさ」
紗姫は懐から分厚い本を取り出して開き、ほら、と促した。いや今どこから出したの。……ともかく、どれどれ。私は歩きながらそのページに目を走らせる。
そこに書かれていたのは、紗姫から以前聞いた、この街の伝承だった。――北の廃トンネル、地獄に通じる線路、骨の河童、食事の出てくる屋敷に、宙から現れる少女……あれ? 私?
私はそこで読むのを止めて目線を上げ、隣を歩く紗姫に疑問を投げかけた。
「都市伝説のラスト1つって読めなかった、って言ってなかった?」
「そのはずだったんだけど。変わったんだよ」
「そういう伝承って短期で変わったりしないものじゃないのかなぁ」
というか、いつの間にか私が骨の河童と同列の存在として記載されてる。無断で。即刻やめていただきたい。無事に日常に戻れたら図書館のお問い合わせ窓口に「こういう本は残らず焚書すべし」と投書することを私は心に誓った。
「まず、今の現状を見てるとさ。この街って既におかしいじゃん」
「それには完全同意だけど」
「ってことは、もう、道は開いてたんだよ。条件のラスト1つはさ、単なる器」
「……器? あーそういえば部長がそんなこと言ってたような……」
なんだっけ。「人の噂には力が宿る。死んだ人間が戻るには、魂を受けるための土台がいるんだ。分かるだろう?」とかなんとか。すみません部長、やっぱりわからないです。……んん? でもそうか。街がおかしくなったら死んだ人間が戻って来るらしいけど、体的なものを用意しないといけない、ということなのかな。
「で、本に書かれてるってことは私が器なわけ? どういうこと?」
「いやね、ほんとは適当に新しい都市伝説か何かを作ればよかったんだと思うよ。恐怖が高まれば、それが器になったんだと思う。だから殺して回ってたみたいなのに、ほとぼりを覚ましてるらしい間に莉瑚が変な都市伝説で上書きするから……」
「それ私の責任かな? 噂を作った街の人たちの方が悪くない?」
だいたい簡単に上書きされる方が悪いと思う。ていうか実際殺す殺人鬼より親切心で忠告する私の方が怖がられてるってどうなの。……いや、まあ心霊的なものの方が物理的なものより怖い、というのは分からんでもないけど。
そして紗姫は、なぜか少し話し辛そうに続けた。
「まあ、元からね、莉瑚のやってたのと似たような話があったっていうのもあるんだろうけどさー」
「……似たような話?」
「だから、あの人が殺しそうな相手にはあたしが前もって警告しに行ってたんだよ。だいたいむなしく殺されてたけど。それもあって、突然現れる女の子に声をかけられると悲惨な死を遂げる、って都市伝説の土壌自体はあったってわけ」
「じゃあやっぱり紗姫が先代じゃない!!」
「いや、あたしは殺してたわけじゃないし……一般人だし……」
いやいや同類だから。だいたいその否定の仕方だと私がまるで殺してるみたいじゃないか。本人の前でなんてことを言うんだ。
「でもだからこそ向こうはびっくりしたと思うよ。だって自分が行動してないうちに新しい話がどんどん広まってるんだもん。だから、その肩書を取り返しに来るだろうねえ」
「どうやってか分からないけど、謹んでお返ししたい」
待てよ。でもせっかく私のもとに器とやらがあるのなら、紗姫が蘇ったらいいじゃない。……これってすごくいい考えじゃないだろうか。こんなことを思いついてしまう自分の頭脳が恐ろしい。それで、私と紗姫で儀同さんとついでに部長をあの世に叩き返して、ハッピーエンド。
「どう? この作戦」
「ドヤ顔で言ってるとこ悪いけど、それ作戦か? 肝心なところがふわっとしすぎじゃね……? それにできるならそうしたい、けど…………いまいちわかんないんだよね。どうしたらいいのか。部長さんなら知ってそうだったけど」
「ああそっか。部長はあっち側っぽいもんね」
ところが、私のその発言を聞いて、なぜか紗姫は首をひねる。
「でもそうすると……不思議なんだよ」
「なになに、1人で納得してないで。私にも不思議がらせてよ」
「なんだそれ。……いや、さ。伝承を見る限りなんだけど」
「うん」
「蘇るとされてる死者って……たった1人、なんだよ。だから、部長さんとあの人って、聞く限り利害が一致するとは思えないんだよなあ」
 




