依り代
まずはおばーちゃんの家に飛んでみよう。そう思い、もう夜だけど私は行ってみることにした。図書館とおばーちゃんの家でなぜ後者を選んだのかというと、夜の図書館なんぞに今行ってしまうとどう考えてもホラーな出来事しか起こる気がしなかったからである。あと単純に、見つかったら怒られそうな気がする。
おばーちゃんの家の玄関から中に入り、ぱちりとスイッチを入れる。すると、チカチカと音をたて、電灯が明るくともった。……まだ電気は通ってるらしい。さて、では家探しと行きますか。
「うーん、……日記、ないなぁ……」
ごそごそとどこか埃の匂いのする本棚を探しながら、私は溜息をついた。普通にやってることは空き巣なのだけど、愛しの孫がやってることなのでおばーちゃんもきっと大目に見てくれるはず。そう、これは形を変えた孫と祖母のコミュニケーション。……だといいな。きっとそうだよね。うん、ありがとうおばーちゃん。……お?
私が想像上のおばーちゃんと会話をしながらごそごそしていたその時、ふと本棚の黒い表紙の分厚い本が目についた。なんとなく。ただ、最近の私の「なんとなく」は当たる率が高くなっている気がする。それこそなんとなく、だけれども。さてどれどれ。
……その本を開いた瞬間、かすかに、お線香の匂いがした。私は思い出す。それは、おばーちゃんの家に遊びに行ったときに、いつも私が感じていた匂いだった。
さて、結論から言うと。それは、確かに日記だった。ただ……特におかしなところはない。どこそこに行った、あれがおいしかった、ということが日付とともに書いてある。……うーん。確かに日記だ、日記なんだけれど。私が日記を探して知りたかったのは今回の怪異の手がかりなのであって、おばーちゃんの好きなお饅頭の中身がこしあんだったということではないのだ。いや一瞬、そうだったんだ、ってなったけども。そういえばいっつも食べてたな、お饅頭。お母さんも好きだから、あれは血筋なのかもしれない。……おや?
ふと、ページをめくる手が止まる。……なんだろう。何かが気になった。日付は、……3年前。日記にしては結構昔だ。
『2月15日 ついに依り代を手に入れた。ただ形式は大いに違う。見たことがない』
『2月27日 離れると鳴く』
『2月28日 私を常に呼ぶようになる』
『3月2日 置いていた場所にない。気がつけば私の枕元にいる』
……寂しがり屋のペットでも飼いだしたのかな? と思いたいけどなんだか違いそう。依り代て。さすが部長を呼び出した(?)だけあって、そういうのに精通しておられたらしい。でもこれ3年前っておばーちゃん70なのに。なんてこと。全然部長で懲りてないじゃない。
でも、依り代ってなんだろう……? 枕元にいる、だから、日本人形か何かだろうか。だいたい依り代っていったら藁人形かこれだろうし。偏見かな。……でも見たことがない形式の人形、って? ここまでの情報を見る限り、ファービーを通販で購入した、というだけな可能性もある。勝手に動くらしいのは目をつぶるとして。
とりあえず、次を読み進める。
『3月9日 突然違う場所に移動する』
『3月10日 また移動。わからない』
『3月11日 わからない。わからない』
だって枕元にいるのが他の場所に行くようになっただけでしょ? いる場所が枕元ならいいけどそれ以外なら駄目なのだろうか? 急に物分かりが悪くなったおばーちゃんに私はちょっと困惑する。しかし、その次の一文を目にして、私は自分の勘違いに気づいた。
『3月12日 目を開けると、駅にいた』
……まさか、これ。移動してたのは、おばーちゃん? 私と同じことがおばーちゃんにも起きていた、ってこと? そしてなぜか、急に視線を感じた。まるで……誰かに見張られている、みたいな。
私は顔を上げて周りを見渡してみる。しかし、弱い電灯の明かりに照らされた部屋の中には、当然私以外には誰もいない。窓の外には、何も見えない暗闇だけが一様に広がっていた。そしてまるで、その闇が窓を越え、じわりとこちらに染み出してきているような感覚を覚える。ただ、そのまま静かに息を潜めて待ってみても、あたりには何の気配もしなかった。
……しばらくして気を取り直し、読み進める。
『3月14日 理解した。この腕輪は……場を捻じ曲げる何かだ』
『3月16日 血の契約を結ぶ』
「……腕輪?」
私は日記から顔を上げ。自分の手首につけられた、おばーちゃんの遺品である腕輪をじーっと見つめた。銀色の鎖のみの、シンプルな腕輪だ。……え? これのこと? そして血の契約って何? ……しかし今まで気づかなかったけど。ていねいに眺めると、確かに鎖の一部分が薄くだけど赤黒く変色しているような気がする。……それは、まるで。
カタン、と玄関で音がした。思わず私はその場で飛び上がる。早くもおさげの彼女、儀同さんがやってきてしまったのか。しかし私が畳の上で身構えると、やがてカチャリと鍵が回る音がした。……鍵。ということは。
「なーんだ莉瑚じゃない。電気ついてるから空き巣かと思ったわ」
「……お母さん……」
「何、へんな顔しちゃって。ていうかあんたここで何してるの?」
空き巣です。いや違う。愛する孫と祖母とのコミュニケーションだった。私がわたわたとしているのを表情から読み取ったのだろう(母は私の表情を読み取れる数少ない人間の1人だ)、母はいぶかしげな顔で私の方を見つめてくる。
「その……おばーちゃんがどんな人だったのかって、知りたくなって」
「今さら!? まあいいけどね」
私が思っていたおばーちゃんは、私の言うことをただ受け止めてくれて、静かに見守ってくれる、そんな存在だった。ただ、おばあちゃんもこれまで生きてきて、私には見せない面も当然あったろう。見せないというか、単に私が見られていなかった、というか。おばーちゃんがどんな人だったのか、私はほとんど知らない。いなくなってから、私はそれを実感していた。
「ねえ、せっかくだから教えてよ。おばーちゃんがどんな人だったのか」
「そうねえ……」
母は私の隣によっこらせと腰を下ろし、んー、とそのまま宙を見上げた。母とおばーちゃんは、当然ながら私より付き合いが長い。だからこそ、聞いておきたかった。
「母さんはね。……何考えてるのか分からない人。でも、憎めない人だったかな」
「というと?」
「あんまり思ってることを言う人じゃなかったから……。でも、思い付きで行動することが多かったかな。朝起きてすぐ、急に『なんだか山に行きたい!』って言い出して、小さい私と一緒にほら、裏の山。あそこの上までだーっと朝一で登ってみたり。私その時小学生くらいだったけど、お母さんの方がへばってたわ」
「なぜ朝一で山に……」
「あとで聞いたら、『朝日が綺麗だろうなって思ったから……』って。前、父さんと登って見たことがあったんだって」
「見せたかったのかな」
「たぶんねー。なぜ今、って思ったけど。あの時山の上で食べたおにぎりの味はなんか今でも覚えてるわ」
でもなんだかそれなら私のおばーちゃん像とは一致するかも。人に温かくて、でもあんまり何も考えていない。そんな愛らしい人だったのだろう。ああよかった。私はちょっとほっとする。実は謎の祭壇を昼夜拝んで小動物の屍を毎日生贄に捧げていた、とかだったらちょっと受け止められないところだった。
「でもね」
「……でも?」
……おや? なんだか雲行きが……。
「一方で誰かを利用する、そんなしたたかさもあったわ。なんていうか、たまに自分のためなら手段を選ばないっていうか。普段は気ままにのんびりしてるように見えたけど、あれもどうだったのかな? って思う時があった」
「……わざとそう見せてた、ってこと?」
「少なくとも外の人が思ってたよりもずっと感情的だったし、数段鋭かったとも思う。あの人、自分がどう見られてるかには敏感で、それを逆手に取ることも多かったからねえ。あんたとはそこが違うか」
……これ私、けなされてる? よくわからない。いかん、確かに鈍感かもしれない。
「まあ、悪い人じゃなかった、って信じたいけどね。自分の娘にそう言わせる時点で、よく分からない人だわほんと。でもたぶん、やりたいことのためだったら私のことも利用したとは思う」
「おばーちゃんが最後にしたいことって何だったのかな」
さあねえ、と首を振って母は笑った。
「……あ。でもそういえばいつも言ってたわ」
「なんて?」
「……死にたくない、って。なのにどうして逃げるの莉瑚?」
はっと気がついたら、私は本棚に寄りかかっていた。膝の上には、黒い表紙の日記が広げられている。いつの間にか、母の姿はなかった。私はもう1度、日記をめくってみる。しかし何度捜しても、先ほど見つけた依り代の件は、そこには見つけられなかった。




