夕闇の、病室で
「……部長が嘘をついてる? どういうこと?」
私は紗姫の顔を見た。いつもの冗談かと思いきや、彼女は真顔だった。副部長が帰って、もう時刻は夕方。窓から差し込む西日が、紗姫の横顔を赤く照らしている。
それにしても、部長が嘘……って。私が話した中に、部長が嘘をついてる場面なんてあっただろうか。
「まだ直接聞いてみないとわかんないけどね。莉瑚の話の中に、合わない部分があるんだよ」
「えーっと、だからそれって何……?」
すると、紗姫はニヤニヤしながら私の顔をちらりと眺めた。
「いかんな莉瑚くん。少しは自分で考えたまえよ」
「……もう! 思わせぶりやめて!」
推理小説に出てくる探偵みたいなこと言い出した。もしくは重要な手がかりを発見した登場人物みたいな。後者だとたいてい真犯人に殺されるから、その前に共有しておいてほしい。いや、共有したら殺されてもいいってわけではもちろんないけど。
しかし紗姫は、目をそらしながらポリポリと頬をかいて、なんだか気まずそうな感じで続ける。
「いやー、でもまだ正直わかんない部分もあるんだよね。結局、部長さんは何をしたいのか、とか」
……部長は何か企んでるらしい。確かに企んでそう。でもそれ以上は全然わからない。私は頬を膨らせてじーっと紗姫を見つめた。だって部長相手なら、私が聞きに行くことになるだろうから、問題を理解してないといけないのに。
「あーもう、心配すんなって。あたしも部長さんのところに一緒に行ってやるからさ」
「え? 一緒に、行ってくれるの?」
「ここまで来たら当然っしょ。ふふふ、隣で見ときな。名探偵紗姫ちゃんの活躍っぷりを」
紗姫がついてきてくれるなら、こんなに頼もしいことはなかった。ありがとう。じっと胸に手を当て、その友情に感動していると、しかしふと疑問に気づく。
「……いや、でもちょっと待って。一緒に行ってくれるっていっても、その前に私に言ってくれてもよくない?」
「あ、騙されなかったか。そこに気づくとは。莉瑚くんも成長しているようだね」
やーれやれしょーがない、と溜息をついて、紗姫は椅子にどっかと腰を下ろした。……あ。これ単に今と部長相手の2回説明するのが面倒だっただけだな。
夕焼けの、どこか血にも似た色に全てが染まった病室で、紗姫は再び真剣な顔になる。その表情に、私も思わずごくりと唾をのんだ。
「……地図だよ、地図」
「地図?」
地図というと。私が最初に部室を訪れた時に部長が見せてくれた、あれ? あれがどうかしたんだろうか。だいたい地図で嘘ってどういうこと?
私が全然ピンと来てないのが分かったのだろう。紗姫はちちち、と指を振って教えてくれた。
「よく、思い出してみ。……その地図にはさ。莉瑚が現れた場所と日時が書いてあった、って話だったよね。ただ、神社だけは莉瑚じゃなかった。神社の日時が一番古かった、とも」
「うん」
それで何かおかしいだろうか。だって宙から現れる少女と言ったら、私だ。よって、その少女を調べた結果として、私の現れた日時が書いてあるのは当然だ。だからこそ、身に覚えのない神社が目についたわけだし。
「だから、それがおかしいんだって。……だって、部長さんの話だとさ。先代の――」
「あのー。すみません……ちょっといいですか?」
その時。若い女性の看護師さんが、病室の入り口から顔を見せた。なんだろう。
「おさげの若い女の子が、あなたにどうしてもお見舞いしたいって。帰って来るまで待つって言ってますけど……」
「ききききききた! 紗姫、来た!」
「ええい落ち着けこの。バイブレーション機能やめい。……で、何が来たって?」
あの子がまた来たらしい。……お見舞いするって何を? 包丁? もうそれにしか聞こえない。そして私がわたわたとしてる間に、なんと看護師さんは戻っていってしまった。……やばい。このままだと、来る。
私はとりあえず、安全地帯であるベッドの下にごそごそと潜り込み、紗姫を手招きした。
「ほら、紗姫も早く」
「え、隠れるの? マジで? ……いや、2人でベッドの下なんて入れるか。優佳里にバレたら殺されかねん。……あーもうわかった、あたしはこっちの棚に入るから。……え、でもマジで隠れんの?」
「いいから早く!」
そして私たちが隠れてすぐ。昨日と同じく、カツン、カツン、と廊下から足音が聞こえた。やがて、ぬっ、と音もなく顔だけが病室を覗き込んでくる。……先日も来た、おさげの彼女。ベッドの下にいる私からは、その表情はよく見えない。そして、低い呟きが聞こえた。
「いないじゃない。……ひょっとして、逃げられてるの?」
そう言いながら、病室の中に入ってきた彼女は、私のベッド脇で立ち止まった。かと思うと、この前と同じく、何かごそごそしている。
「あら……まだ布団が暖かい。……近くにいる?」
なんか熟練の狩人みたいなことしてる……。
そうしてしばらくそのまま動作が止まったかと思うと。彼女は、ばっ、と姿勢を下げていきなりベッドの下を覗き込んできた。そしてぽつりと呟く。
「いない、か」
……危ない。私が潜り込んでいるのが斜め向かいのベッドで良かった。横顔が見えるけど、目がめっちゃ見開かれてる。瞳孔も開いてそう。でもヤバい。振り向かれたらアウト。お願い、どうかそのまま向こうを向いてて。……そう考えた瞬間、彼女の顔が、ぐるりと突然こちらを向いた。
「視線を感じた気がしたけど」
とっさに病室の外に転移し、壁に隠れた状態で私はその声を聴いた。一瞬で、どっくんどっくん心臓が脈打ってるのが分かる。殺気、というのか。見られる直前、ちりちりと全身の産毛が逆立つような気がした。……間違いない。確信する。彼女の用事は、お見舞いなんかじゃない。
ふう、と溜息をついて立ち上がったらしき彼女は、そのまま何事かを考えこんでいるようだった。
「あとはどこかしら……? と言っても、隠れるならこの棚くらいしかないものね」
――紗姫……!
そしてしばらくして、カチャリ、と何か硬い音が聞こえた。
……これ。……棚が、開く音だ……。よし、こうなったら。紗姫が殺される前に、棚の中に飛んで紗姫を連れて私の部屋に逃げよう。他人を連れていくのができるか分からないけど、たぶんできる。絶対できる。
私はすーはーと深呼吸をして、直後に起こるであろう大騒ぎに備えた。というか、最初からベッドの下じゃなくて私の部屋に逃げたらよかったよね。紗姫、ごめんね……。
しかし、私の覚悟をよそに。すぐに「パタン」と扉が閉められるような音が聞こえた。それとともに、また、ふう、という溜息が聞こえる。そして、理解できない言葉が私の耳に響いた。
「とりあえず。この病室の中には誰もいなさそうね」
………………えっ?
おさげの彼女が去っていったあと。私は自分の病室の、棚の前に立った。そのまま、カチャリと扉を開く。そこには……私が隠している、吐血に染まったタオルしか見当たらなかった。狭い棚の中には、誰も、いない。誰、も。
夕焼けの赤と夜の紫が入り混じる、どこか狂気を感じさせる色合いに染まった病室で。私は呆然と立ちつくした。体に力が入らず、うまく立っていられない。
……紗姫がこの棚の中に入るのを、私はこの目で確かに見た。でも、いない。……どうして? わからない。わからない。いったい……何が、起こってるの……?




