突然だけどね。
――突然だけど、私には秘密がある。実は私ね、人の死がなんとなくわかるの。
だって誰かが死ぬ前には、もやもやとした黒いものがその人を覆うのが見えるから。でもまだ私が小さい頃、叔父さんが家に来た際に「もうすぐ死ぬ」と忠告したら笑い飛ばされて以降。私はこの話を誰かにするのをやめた。実際にその後に叔父さんは亡くなったから、それはそれは不気味な子供だったんじゃないかな。今考えるとだけど。
でも懲りない私は、通っていた中学校でも、飼育していたクジャク(珍しいことに、私の中学校ではクジャクを飼っていた)の死を、ある日、うっかり口走ってしまった。翌日その通りクジャクが死んだあと、私の周りからさーっと友人はいなくなった。それはそれは見事な引きっぷりだったよ。最初は不気味だと思われているのかと思ってたけど、ある日唐突にわかったんだ。これ、私が殺したかもって思われてるんだって。餌をやった時のクジャクの顔を思い出し、なんだか悲しくなった。彼(もしくは彼女)は学校で最も仲が良い、私の友人だったのに。
そういうわけで、友達がいなくてついでに教室に居場所もない私は今日も1人、屋上から遠くを眺めるのだった。ああ、夏だというのになんだか風が冷たいなぁ。話す相手がいない長い休み時間に、いつまでも慣れる気配がない。慣れてもちょっとやばい気がするけど。
そんなとき不意に、ガチャリ、と後ろからドアが開く音がして私は振り向いた。
「あ、いたいた」
そう言いながらこちらに近寄ってくる女子生徒は、初めて見る顔で。ずいぶん背が小さかった。あと真顔。すっごい真顔。怒ってるの? と思ったけど、それが彼女のスタンダードだと理解したのは、ずっと後のことだった。
彼女は私と並んで柵越しに遠くを眺めたあと、こちらをまじまじと見つめてきた。真顔なので、近くで見れば見るほど怒ってるように見える。初対面なのに。ちょっと怖い。
ところが、彼女は真顔のまま。不意に、こてりと首をかしげた。私も思わず、同じように首をかしげる。どうしたんだろう。
彼女はいきなり前置きもなしに、不思議そうな口調で尋ねてきた。
「あなたには何が見えてるの?」
「……え?」
一瞬、何を聞かれてるのかがわからなかった。見えてる……って? まさか、私の秘密を知ってるってこと……!? いやでもまず誰なんだろう……。
そして、いまいち話が通じていないようだと彼女にもわかったらしい。
「だっていっつも屋上から遠くを眺めてるじゃない。それが見えるの」
ほら、あそこからね、と彼女が指さしたのは、校庭の隅に立っている大きな木だった。……違ったみたい。確かにあそこからならここは見えるだろうけど……?
「いっつも……?」
「あそこは私の愛用の昼寝スポットその1だから」
なにそれ。いや意味はわかるけど、けど。それにその1ってなんだろう。いくつかの疑問が頭をよぎるけど、口にするのは止める。初対面の相手だから遠慮もあるし。この子にはないみたいだけどね。
ここから見えるもの? 私はあらためて目の前の風景を見直した。
……民家の所々が剥げた屋根と、薄汚れた灰色のビルと、狭い公園のわずかな緑。いつも私が見ている光景。つまり一言で言うと……。
「……つまらないもの?」
「なんだ、砂漠でも見えるのかと思った」
がっかりした口調で真顔のまま呟く彼女は、本気なのか冗談なのかまったくわからなかった。日本の学校から砂漠なんて見えたらそれはもう終末だよ。
「見えるわけないじゃない……」
「こんな暑くて晴れた日には、砂漠だったり果てしなく高い山だったり、遠くに見えるような気がしない?」
「100%暑さによる幻覚だよそれ」
「んー、不評……。なら遠井さんは何が見たいの?」
少し不満そうに彼女が私を見返してくる。あ、初めて感情見えた気がする。というか不満そうな顔も怖いよ。人形みたいでちょっと呪われそう。夢にみちゃいそう。怖いからつい視線を外してしまう。そして半分逃避みたいに、さっきの質問の答えを考えた。
えーっと、屋上から見たいものだった? そもそも何が見えるのかって話じゃなかったっけ……。まあいいけど。……見たいものかぁ……なら……。
「……海、見たいなぁ」
「素晴らしい」
「……何が?」
「とっても夏っぽいからね」
……これ馬鹿にされてるかな? 目の前の彼女は真顔のままなので、多分されてない? 誉めてる? でもずっと同じ表情だし……全然この子がわからない。
「いや海ってありきたりだよね……だいたい実際見えないから何でも一緒でしょ」
「まあここからだとね。高さが1キロほど足りないか」
ふむむ、とまた首をさっきよりちょっぴり傾けて。彼女は何でもないことのように言った。
「……じゃあ行ってみる?」
「いや、無理だよ……遠いし」
「無理じゃないよ。単に朝早く出たらいいだけじゃない」
「ねえ、現実的に考えて? あなたは、今初めて話した人と海行けるの? おかしいでしょ?」
「私は行けるけど。それこそ明日でも」
「はあ……もう、嘘ばっかり」
なら朝9時に駅に集合ね、とだけ言い残して彼女は屋上から去っていった。ちょっと話に追いつけなくて、そのまま私は見送ってしまう。
……何今の。駅ってなに? 行くってどこに? ……海? 明日? 普通に学校あるんだけど。……まさか。いやいや絶対いない。駅に行ったら笑いものにされるだけ。
……でもよく考えてみたら。笑いものにするためには、笑う側も朝礼に絶対間に合わない時間に駅にいないといけないことになる。私を笑いものにするためだけに、そんなリスクを取るかな……。けど、明日待ってるなんてそっちの方があり得ない……はず。
夜まで考えても、彼女の真意が読めなかった。考えていたせいか、夢の中まで無表情の彼女が出てきた。よく覚えていないけど、たぶん内容は悪夢だったと思う。結構うなされた。
翌朝、窓の外を見た。……朝から既に日差しが眩しい。カーテンを開ける前からわかるくらいに。そして確信した。
……きっと、今日は暑い日になる。
そして、その日。私は初めて学校をサボった。
駅に着くと、降り注ぐ日差しの中、既に彼女は待っていた。その事実にまずびっくりする。……本気だったんだ。
彼女は制服に、なぜか麦わら帽子をかぶっている。無表情なので指摘しにくいけど言っちゃおう。どうせ知らない相手だし。……けど私、ほんとにその知らない相手と海に行くの? 今から嘘だと言われないかな? ……言わなさそう。だってこの子麦わら帽子かぶってるもん。駅前に制服で立ってていい恰好じゃたぶんない。
「わー、海に行く気満々だねー」
そう言うのが精いっぱいだった。皮肉に聞こえたかもしれないけど、そう言われても仕方ないと思うよ。
「私、形から入るタイプだから」
それだけ答えて、彼女は身を翻し、改札に向かった。午前9時ぴったり。外から見てもきっと仲良くは見えないだろう私たち2人は、ともに海への一歩を踏み出した。
カタン、カタンと規則正しく揺られながら、私達は並んで座席に座る。乗った電車は海沿いの街まで行くもので、都市部から離れる方向なせいか電車内の人はまばらだった。
それにしてもまだ現実味がない。平日のこんな時間に電車に乗っているのも、知らない誰かと一緒に海に向かっているのも。
こてん、と肩に重みを感じた。膝に麦わら帽子を置いた彼女がこっちに寄りかかり、思いっきりぐーぐー熟睡しているのが見える。……寝るのはやっ。でも、私も昨日あまり眠れなかったことを眠気と共に思い出した。……しばらくあるし、寝ちゃおうかな。
「着いたよ」
彼女の声で目を覚ますと、いつの間にか停まっていた車両内には、私たち以外誰もいなかった。私が起きたのを確認し、迷いなく外に向かって歩き出す彼女の後を、慌てて追う。ふと、空気の中に潮の匂いがした。
「海だー……」
「確かに海だね」
夏の日差しを反射してギラギラ光る海が、私たちの前には広がっていた。ざざーん、ざざーんと波が寄せては返す音が響く。浜辺には、ワカメみたいな黒い海草が所々に打ち上げられて散らばっていた。遠くの方では、船が水平線の上をゆっくりと動いている。ただ、あたりには誰もいない。そんな、日常と全然違うその景色に。
……悪くないな、とそう思った。
私が後ろを振り向くと、彼女は変わらず真面目な顔で、ちょうど何事かにうなずいているところだった。いつの間にか追い抜いてしまっていたらしい。
「ねえ、今、何にうなずいてたの?」
「いや、まあ……悪くないなって」
私はそれを聞いておかしくなり、大きな声で笑った。案外気が合うじゃない。笑う私を、彼女は少しだけ戸惑った表情で見つめてきた。……私が思ってたよりずっと、意外に表情もあるみたい。
「いや、なんで急に笑ったの?」
「そういえばここまで来てお互い名前も知らないなって」
「あ、そういうこと? そんなに面白い? 突然だね」
「私は遠井優佳里。あなたは?」
「――天尾莉瑚。……なんでフルネーム? まあいいけど」
その後も私は天尾さんと、何かと一緒に行動するようになった。そんな、ある日。お気に入りの昼寝スポットその1であるらしい、校庭の大木の下で彼女がしゃがんでいたので、私は後ろから覗き込んでみた。すると、既に全身を黒いもやもやに覆われた、死んだ雀がそこには落ちていた。
穴を掘って死骸を埋めたあと、彼女は空をじっと見上げる。
「……あの雀、天国に行ける? 天国まで鳥の羽で飛べるのかな?」
「どうだろうねー? 祈ったり、あ、そうそう。雨の中で踊ると魂って送ることができるんだって」
こんな能力を持っているから、私は以前、死に関するいろいろな話を調べたことがあった。世の中にはそれこそ星の数くらいに色んな話があったけど。黒いもやもやは、見ている限り、雨が降った時に一番活動的になるみたいだった。だから、その説が一番正しいんじゃないかと思う。
「なんで雨……? ああでもそうか、涙雨って言うしね」
「何に納得したのかわからないけど、それはたぶん関係ないと思うよ」
それから数日後の放課後。降りしきる雨の中、昇降口に待つ私の前にやってきた天尾さんは……なぜか校庭の方からやってきたうえに、全身びしょぬれだった。……いや……いろいろおかしくない……?
「天尾さん、傘忘れたの? 朝の予報で100%って言ってたのにー」
「あるけど。さすのを忘れたの」
「この雨で!?」
表情が変わらないその顔を見て思い出した。2人で、埋めた小鳥。彼女は雨の中で、あの鳥のことを1人で送ってきたのだろうか。……たぶん、そうなんだろう。私は真顔のまま雨の中で踊る彼女を想像して、久しぶりに心の底から笑った。
「ねえ、莉瑚ちゃんって呼んでいい?」
「えー唐突……。どうぞ、好きにしたらいいじゃない」
「で、莉瑚ちゃん、うち来ない?」
「……いや、さっきから唐突過ぎじゃない……? あと何段階かすっ飛ばしてない? どうしたの?」
その会話が、いつかの屋上とは立場が逆になった気がして、少しおかしくなる。最初にすっ飛ばしたのはあなただったじゃない。
「だってびしょぬれだから。そのままだと風邪ひいちゃうよ」
「……まあ、それはそうかも……?」
疑問を薄く顔に浮かべた莉瑚ちゃんを連れて、私は家に戻った。彼女がシャワーを浴びている間に服を乾燥機にかけると、すぐに服はふかふかになった。
その後もいくつか私の部屋でお喋りをして。玄関まで莉瑚ちゃんを見送りにいこうとした時に、ちょうど玄関先で、母が誰か相手に話しているのが聞こえた。
「何を考えているのか分からない娘で……友達もいないんです……本当に……」
……これも、いつものこと。ただ、こんなの聞かせちゃうとたぶん気まずいよね。ごめんね。
隣を振り返ると、そこに莉瑚ちゃんはいなかった。ずんずんと玄関に向かって歩いていく彼女の小さな後姿を、私はぽかんと見送った。海の時も思ったけど、あの子、躊躇とかないのかな……?
「あら、あなた誰かしら……?」
「突然申し訳ありません。どうも初めまして。私、今存在しないとされていました優佳里さんの友達です。以後よろしくお願いします」
ああ、でもきっと彼女になら。いつか秘密を打ち明けても、笑って受け入れてくれるんじゃないかと思う。……笑うのは難しいかな? 全く変わらない彼女の表情を思い出し、思わず笑ってしまった。
……ねえ、ずっと聞きたかったことがあったの。屋上で初めて会った時、私の名前を知ってたのはどうしてかな? ひょっとしてあの時来たのは、1人になった私に同情して? それとも、本当に校庭から見えたから? 一緒に海に行ってくれたのは優しさ? それとも、海に行く提案が素敵だと本当に思ったから?
どれもありそうだった。……ねえ、でもね。どれだったとしても、それにあの時の私がどれだけ救われたか。きっとあなたは知らないよね。私もたぶん、口に出して言うつもりはないし。けれど、お願い。
――私は、これからもずっとあなたの隣にいる。だから、……どうか、ずっと私のそばにいて。
そして将来、何気ない会話の流れの中で。それこそ屋上で2人並んで遠くを眺めている時にでも。ふと私は、自分の秘密を言い出してみたりして。「実は私は死が見える」と告げたら、その時あなたは、少しは表情を変えてくれるかな? 想像すると、その時が来るのはちょっと、楽しみだった。
ところが今、私の荷物を持って家にやってきた彼女は、胸にもやもやとした黒い穴を開けている。……どうして……? 混乱した中で、ぐるぐるといろんな思いが駆け巡った。
でも。今が、思い描いていたその時じゃなくっても。私の力が少しでも何かの役に立つかもしれないなら、私は迷わない。その告白が、どんなに突然になったとしても。そう、私は決意をもって口を開く。
「ねえ、突然だけど……私ね、人の死が見えるの。……で、莉瑚ちゃん。どうしたの、その胸……?」




