まるで胸に穴が開いたみたいな気分です
結局、血を吐いたのは帰宅途中の1回だけだった。ただ、謎のピリピリと合わせて、これは胸に疾患がある説を私は提唱したい。紗姫説の恋がどうだとかいうのよりはまだ信ぴょう性があるのではないだろうか。より恐ろしいけど。
ということで私は帰宅後、即病院に駆け込み精密検査をしてもらうこととした。こういうのは早い方がいいのだ。
……ところが。二時間に及ぶ検査の結果、なんと何も問題は見当たらなかった。私は検査費用1万5千円と引き換えに、「あなたの体に異常なし」の検査結果を手にして家に戻る。ああよかった。……いやしかし、よく考えたら問題がないのに吐血する方が怖いぞ。どうなってるんだ。
私は自室に戻り、とりあえずベッドに横になった。確かに、いつの間にか痛みも違和感も消えている。……そうか、すべては気のせいだったのか。
……いやいや待て私。さすがに気のせいで吐血はしないだろう。でも、問題が見つからなかった以上、もう私にできることはないし……。せめて今夜は胸のピリピリが再発しないことを祈ろう。
私は不安を抱えながら、背中を丸め、天に祈りを捧げながら就寝した。これだけ見ると、確かに恋する乙女に見えなくもなかったかもしれない。
「――あたし、莉瑚を応援するよ」
「あ、そう……。それはどうも」
登校早々、私は紗姫からそんな宣言をもらってしまった。痛みに耐える私を応援する、だろうか。それとも副部長との架空の恋を応援する、だろうか。後者ならまったくもっていらないのだけど、おそらく後者なのが辛いところ。私のあしらい方もついつい適当になってしまうというものだ。
「――私、莉瑚ちゃんを応援したくない」
一方優佳里からも、怒ってるような悲しんでるような顔で叩きつけられるように言われてしまう。……しかしこちらは私の希望通り。さすが親友。わかってくれてる。
「うん。私はその方がありがたいかな」
ところが、優佳里はそれを聞いてなんだかたいへん悲壮な顔になった。しかも顔色が急に真っ青に。いきなりいったいどうした。
「……そんな……私の応援はいらないの……!?」
「なにこれめんどくさい」
ざわざわ、と周りの級友たちが騒いでいる気がする。ていうか優佳里がちょっと泣いてる。そのせいか。私は急いで優佳里を教室の外に引っ張り出した。
「いや、泣かないでよ、泣く要素0でしょ」
「だって……私、悔しい……」
「何がやねん」
悔しい成分あった……? 友人が抜け駆けで恋人を作りそう、とかそういう部分? いや作らないんだけど、優佳里から見て。うーん……泣くほど悔しがられると私としても複雑だ。そこまで悔しがらんでも。その悔しさを当の私はいったいどんな顔で聞いたらいいんだ。いや……でも優佳里はそういう時は祝福してくれそうな気もする。とすると……?
優佳里は下を向いてしばらくじっとしたあと、そろそろと視線を上げた。しかしなぜか目は合わせない。あ、さっき青かったのに今めっちゃ顔赤い。こんなに顔色って変わるもんなんだ。サイクルの早い信号機みたい。私はついまじまじと彼女の顔を見つめてしまう。
優佳里は意地でも私の顔を見ないぞ、と言わんばかりに不自然に顔を背けながら、それでも私の疑問に答えてくれた。
「……その……えーと……。……その。莉瑚ちゃんが遠くに行っちゃう気がするから……?」
「あ、最初の見立てでよかったんだ。でもなぜに疑問系?」
「でも応援もしたい……んだよ……?」
「おお、完全に予想通りだった。さすが私」
だけど応援はしなくていいんだってば。うわ、というか優佳里がなんかめっちゃぷるぷる震えだした。人間は葛藤が極限まで行くとこういう挙動を見せるのだろうか。でもそんなに葛藤する要素あったかな? 「友人が遠くに行くみたいで寂しい」と「応援する」ってそこまで対立することでもなくない? たぶんぎりぎり両立するんじゃないかな?
「だ、大丈夫? しんどいなら一緒に保健室行こ?」
「いい……ほっといて……」
「いやいやほっとけないでしょ。……どうしたの?」
さすがに私も、脱水中の洗濯機もかくやと言わんばかりに震えだした友人を置いて去れるほど冷血ではない。しかし、優佳里はうつむいたままふるふると首を振り、一向に話し出そうとしなかった。……そうか、ここだと人目があるもんね。
ほら、と私は優佳里の手を引いて、屋上に繋がる階段まで彼女を連れていった。ここは人目につかないスポットとして、私の中でもサボる際の隠れ家によく利用されているのだ。屋上に出る扉は閉鎖されてしまっているのが残念な点だろうか。まあよく考えたら閉鎖されてるからここには人が来ないんだろうけど。
私はよいしょ、と廊下からの死角になっている場所で優佳里と向かい合って腰を下ろす。
「で、どうしたの?」
「…………」
黙秘だ。言いたくない、ということだろう。言いにくいこともあるだろう。だって泣くくらいだし。……でも、優佳里も胸に手を当てて深呼吸したりして、自分の気持ちを整理してるみたいだった。彼女の揺れる息遣いだけがその場に響く。そして私も何も言わずに、ただじっと、彼女のそばにいた。私たち親友ともなると、そばにいるだけでこうして通じ合うこともできるのだ。
私がうんうんとうなずいた後に顔を上げると、隣にいたはずの優佳里はちょうど階段を降りきって廊下を走り去って行くところだった。……あれ……? 振り向いて私の隣をまじまじと何度見ても、そこに優佳里はいなかった。
「なるほどね」
何がなるほどなのかはわからなかったけど、残された私はとりあえず真面目な顔で大きくうなずいておく。……うん、1人で考えたいという意思はなんとなく受け取った。
……ふむ、でも待てよ。そういえば私自身も考えるべきことがあったっけ。この痛みの原因について。なぜ副部長を見た時にピリピリが起こるのかは、理解しておく必要があるかもしれない。これからの部活動に差し支えてしまう。……まあ、この一連のごたごたが片付いたら私が部にいる理由もなくなるんだけど。
そもそも副部長もなんか昨日様子おかしかったよね。あれって私と同じ症状が出てるのだろうか? 同じなら、私たちに何か共通するものがあるということになる。さっそくそこを確認しよう。善は急げ。
「突然呼び出してすみません」
「用って何かな? ……ひょっとして、何か相談事?」
「あの……」
速攻で教室に副部長を呼び出しに行き、私たちは人が意外に来ないスポットその2である中庭で向かい合った。しかし昨日のあの痛みを思い出すと、私は両手を胸の前でぎゅっとしてしまう。不自然に黙りこんだ私を、副部長はいい人っぽい表情でうなずきながら見守ってくれた。私は決心し、副部長を見上げる。いいや、ストレートに聞いてしまえ。
「あの……私、副部長を見るとなぜか胸が痛くなるんです。……副部長はどうですか……?」
うわ、やっぱりきたピリピリ。……これ駄目だ。痛い痛い痛い。じわっと自分の目に涙が浮かぶのがわかる。胸に穴開きそう。なんだろう、副部長の不幸ってこういうのもアリなの? 直接攻撃系。相手は死ぬ。
その副部長は、私の質問に対しなぜかびっくりした表情になり、固まった。……いやいや。痛いか痛まないかの2択だよ? そんなに考えることじゃないと思う。
……それにしても早く答えてほしい。胸が痛くてしょうがない。もしや私が本当に痛いか疑ってるの? 私の頭上に痛みメーターがあったら今90%超えてますよ? 副部長は今こそ耐性の強さを発揮するときでは。それともひょっとして……私と話すのって、地面から出てくる黒い腕をかわすより難易度高いのだろうか。それはさすがにちょっと悲しい。
「そんなに考え込むことなんですか……?」
やばい。ただでさえ小さな声で喋ってるのに、痛いからちょっぴり涙声になってしまった。恥ずかしい。そして痛いままひたすらに放置される私。副部長の顔色は赤くなったりしてるように見えるけど、顔色を変えている暇があったら「はい」か「いいえ」くらい言ってもらいたい。私はじーっとその願いを込めて、副部長の顔を一生懸命に見つめた。ところが、全然副部長は口を開こうとしない。「えーっと」「その……」とか意味の分からないことをもごもご呟いている。ええい、はっきりしろ!
……駄目だ限界。
考え込んだままの副部長を置いて、私は黙ってきびすを返し戦略的撤退を選択した。しかし、今のやり取りで得たものもある。私の胸のピリピリと比べると、おそらく副部長の痛みは軽い。だから考え込むのだ。とすると、私の痛みは理解してもらえないだろう。
胸の痛みを我慢して授業を受け、時に保健室のベッドで休憩し。部活もぶっちぎって休み、私はとぼとぼと帰途についた。結局、放課後まで待ってたけど優佳里は戻ってこなかったし……。朝から行方不明って結構やばいよね。あの優等生が。やっぱり朝の話ってそこまで重大なことだったのだろうか。あの時、追いかけるべきだった……? 私って今は人目さえ気にしなければ誰にでも追いつけるわけだし。
私はとりあえず、優佳里が教室に残したかばんを家に届けるべく、彼女の家に向かった。……もう1度、話してみよう。今度は、逃げられてもどこまでも追いかけるつもりで。
そして、30分ほど歩いて、何度か遊びに来たことのある大きな家に着き。チャイムを鳴らすと、おずおずと優佳里が出てきた。……あ、よかった。やはり家には帰ってたか。それにご家族が出てくると、ちょっと説明が面倒になるところだった。優佳里ファミリーはどれも少しだけややこしい性格の持ち主だから。
「見つけた。さあ今度こそ、何を悩んでたか話してもらうから」
ところが、優佳里は私を見て。目を丸くし、血相を変えた。
「莉瑚ちゃん……その胸の穴、なに……!?」
なんだか「ガールズラブ」タグをいちおうつけた方がいいような気がしてきました。いちおう。
 




