廃トンネルに入る時は新しい靴を履いて行ってはいけない
「で、このトンネルがその『最近おかしなことが起こってる場所』ってわけ?」
「らしいよ。なんでも……えっと……」
「なんでもね、最近ここでは人が消えている」
部長が私の話の続きを引き取り、森河くんに説明してくれる。ふむふむと私と森河くんはその解説に耳を傾けた。
……私たちオカルト研究部は、優佳里と紗姫が教えてくれた怪異スポット「旧鳴山トンネル」にやってきていた。ここは街の北部、ほぼ隣の市と隣接している鳴山の中腹に位置する。新しいトンネルが開通してこっちの旧トンネルは閉鎖されたのが10年前。ところが、5年ほど前から、この旧トンネルでおかしなことが頻発し始めたのだという。ただ、そもそもの噂は今の状態とは少し違ったらしい。
「深夜に車で通ると、天井をバンバン! と叩く音がするんだってさ。そして、抜けた後に確かめてみると、そこにはべったりと、無数の真っ赤な手の跡がついていたんだとか」
……なんだかよくある話だ。少なくとも全国の10を超えるトンネルでそういう話がありそう。通ったのがオープンカーだったらいったいどうなってしまうのだろう。私は想像して、少し身を震わせた。
「まず閉鎖されたトンネルに深夜に車で侵入してること自体が俺には恐ろしいですけどね」
懐中電灯でトンネルの入り口を照らしている部長に、副部長がもっともな意見を述べる。……確かに。ただ、こういった場所は得てして肝試しなどの場所に選ばれることが多いのも確かだろう。おそらく、その車で通った誰かも、本当に「何か」が起こるとまでは思っていなかったのではないだろうか。……私たちには理解の及ばない、何かが。
ちなみにさっき副部長に恐ろしいと言われていたが、私たちは噂の主と同じく深夜にトンネル前に集合していた。なぜなら噂が深夜だからである。しかもこっちは徒歩。噂の主を非常識だと非難する資格はたぶん、今の私たちにはなさそうだった。
「で、天尾さんはなんでヘルメットなんて被ってきてるのさ」
「真っ赤な手の跡が髪に付いたら嫌だし……もし洗って取れなかったら次の日登校しづらくなっちゃうでしょ? 私そういうところ繊細だから」
「繊細な人間はその格好で街を歩いて来ないでしょ」
「森河君は知らないかもしれないけど、ヘルメットって手に持って運ぶこともできるんだよ」
「いや、ヘルメットを手に持って歩いてきても怪しさは一緒でしょ……」
実際には飛んできたので周りの目を気にする必要はなかったのだけれど、それを説明はせずに私はトンネルの入り口を見つめた。リーンリーン、とどこか遠くで虫の鳴く声が聞こえる他は、あたりはうっそうと静まり返っていた。
「……でも、その噂だと人はいなくならないですよね」
「そう。最近の噂は、『このトンネルに入ると神隠しに遭う』というものでね。地元の子どもが入って行方不明になる、という事件が実際あったらしいよ」
「それは単に迷いやすいトンネルってだけでは……」
「そうかもね。……で、今の私たちと同じように。トンネルに入った学生グループがいたらしいんだけど、その時もグループのうちの誰かが姿を消したんだってさ。ただ、それが誰かは分からなかったらしい」
「誰かは分からない……って? どういうことなんですか?」
消えたのが誰か分からないなら、そもそも誰も消えてない、ってだけじゃないんだろうか。
「……そのグループはここまで車で来たらしいんだけどね。その車に戻ると、誰のものでもない荷物が置いてあったんだって。ただ、荷物自体は特に変わったところもない。着替えや、虫よけスプレー、化粧品。で、荷物の中に学生証があって。はっきりと同じ学校の物だった。ただ、どれだけ調べても、その学生証の生徒は存在していなかったそうだ。いったい、その荷物は誰の物だったんだろうね。……彼らの数は、来た時と帰る時で……本当に一緒だったのかな?」
「存在が消されたかも、ということですか」
……神隠しってそういうのもありなんだ。しかしなるほど、これって確かに運命を捻じ曲げるとかいうのと関係はしてそう。
「……いやいやめちゃくちゃヤバいじゃないですか。消えたことすら分からないんでしょ? 車に荷物を置いてなかった人も消えてたら、もう何人いなくなってるかもわからないじゃないですか」
「さすがに車に乗り切れる数には限度があるけどねえ。ただ、車で来ていない者は消えていても認識できていない可能性はある。……ところで、我々も仲間が消えたことは認識しておきたいよね。認識しておかないと探しにも行けやしない。というわけで、各自、何か小物を私に渡しておいて。消えたらわかるようにね」
部長は私たちからそれぞれ小物を受け取り、向こうの方に止めてある部長の物らしき大型バイクにしまいにいった。……ほう、部長はバイクに乗るらしい。……でも、あんな大きなバイク、高校生で乗れるのかな……?
「さて、全員いるかい?」
「はい」
「いますよー!」
さっそくトンネルの中に入り、私たちは縦に隊列を組んで進んだ。副部長が先頭で、私、森河くん、最後尾を部長。足音が反響し、カッカッと、コンクリートの壁が響く。
「森河くん叫ぶとうるさい」
「ごめんってば。でも天尾さんこそ声小さいから。いるかどうかもわかんないや」
「……」
「いるよね!?」
「うるさいなぁ」
というか目の前見たらいるのはわかるでしょ。ひょっとして森河くんは目をつぶって歩いてるのだろうか。絶対にそっちの方が怖いと思うけど。なんて勇気のあるやつ。
私もトンネルの壁を懐中電灯で照らしながら、ゆっくりと歩を進める。足元はところどころぬかるんでおり、油断するとぴちゃりと靴が水音を立てた。
……ああもう、暗くて足元がよく見えないから水たまりもうまくよけられない。これ、たぶん靴汚れてるよね……? しまった、捨ててもいい靴を履いてくるんだった。心霊スポットに行くときは、ぼろぼろの靴を履いていった方がいい。私は心にそう刻む。
そして足元を一瞬照らして、私が顔を上げると、さっきまで見えていたはずの副部長の背中はなぜかいなくなっていた。真っ暗な中、まだ出口が見えない殺風景なトンネルだけが私の前には続いている。
……あれ? これは……。副部長が突然走り出したという可能性も一瞬脳裏をよぎったけど、もしそうなら足音がするだろう。どうやら起こってしまったらしい。
「副部長がいなくなりました。運悪いみたいですもんね」
私はとりあえず、後続にそう伝える。ところが振り返ってみると、森河くんも部長もおらず、私の後ろにはがらんとした物寂しいトンネルの通路が広がっているだけだった。しーん、とあたりは静まり返っている。私はしばしあたりを懐中電灯で照らし、彼らもどうやらいないということを理解した。耳を澄ませると、ぴちゃり……ぴちゃり……と、どこかで水滴が地面に落ちる音らしきものだけが響き、通路内はひたすらに静寂に包まれている。
……これは、私以外が行方不明になったのか、それとも私がいなくなったのか。どっちでも問題だ。ということで、引き返そう。私の歩きが速すぎて後ろの2人を置いてきてしまったという可能性もわずかながらあるし。その場合、私の前の副部長はどうなったのかという別の疑問は残ってしまうけど。
トンネルに入って10分くらい歩いたから、おそらく10分くらいで出られるはず。10-10=0。私は数学は苦手だけど、さすがにそのくらいの計算はできるのだ。……それにしても、数学ってどうして池の周りを狂ったように何周も回る兄弟の歩く速度とか計算させるのが好きなんだろうか。そんなに回るのならきっと池が好きな兄弟なんだろうし、どう回ろうが好きにさせておけばいいのに。……ん?
トンネル内で私が数学的見地について思考しながら歩いていると、後ろから、ひたりひたりと足音が聞こえるのにふと気がついた。私は後ろを振り返り、通路や壁やついでに天井を照らした。無言のままで森河くんあたりがついてきているという訳でもなく……天井に四つん這いの部長が張り付いている、ということもなく。通路にも壁にも……当然誰も、いない。
トンネルの奥は懐中電灯の光も届かず、ただ黒々とした闇だけが広がっていた。……ふむ。私はもう1度耳を澄ませる。いつの間にか、足音も、さっきまで聞こえていた水音も消えており、うわんうわんと耳鳴りがした。……足音は鳴って、いない。
私はもう1度歩き出す。すると後ろの足音もひたひた、と歩みを再開する。突然、もう1度ぴたっと止まってみた。すると足音もピタッと止まる。……なるほど。これはトンネル内で私の足音が響いているだけ? ……でも、さっきまで聞こえていなかったのに?
私は立ち止まった状態から、ダダダダダ! といきなり全力疾走で出口に向かった。泥がはねようが水たまりに足を突っ込もうが気にしなかった。その結果、おそらく5分かからずにトンネルの入り口に辿り着く。ぜーはーぜーはー肩で息をつきながら、私はトンネルの入り口横にどんっ、と体を預けた。
……途中で後ろを振り返ることはもうしなかった。振り返って、何かいても何かいなくても、どっちでも嫌だし。……どうだ、置き去りにしてやったぜ。いきなり走り出すとは思うまい。ともかく無事、トンネルを脱出できた。やれやれ。
そのとき不意に懐でブーン、ブーンという振動を感じ、私はびくりと体を震わせた。……あ、携帯……。部長だ。私はヘルメットを外し、携帯を耳にあてる。
「はい、私です」
「ああ、もしもし莉瑚くん? どこに行ったのかと思ったよ」
「部長こそ……というか全員姿が見えなくなったんです。今どこにいらっしゃいますか?」
「中だよ。すぐそこにいる」
「中……?」
うわんうわんと携帯電話の向こうで部長の声は反響しており、少し聞き取りにくかった。しかし部長曰く、みんなはまだ中にいるらしい。私は携帯電話を耳にあてたまま、さっき自分が出てきた真っ暗なトンネルの入り口を見つめた。懐中電灯の光がないと、中は暗くて何も見えない。すぐそこに誰かいるようには見えなかった。
「いいから、ほら、入っておいで」
「あの……私もう出たので、入り口で待ってますよ」
「入っておいで」
「待ってますって」
「入っておいで」
……ふむ……埒が明かない。しかし部長的には中に入ってきてほしいらしい。でもなあ……。私は泥だらけの靴を見下ろして憂鬱になった。トンネル内を全力でダッシュした結果がこれである。いや、もう泥だらけだからまた入ってもいいじゃないという考え方もできるかもしれないけど、決して快適な空間じゃないからなぁ。それに変な足音もついてくるし。
いろいろ迷いながらも私がトンネルに足を向けると、不意に、手首にピリッとした痛みが走った。……いたっ……。
私が傷んだ方の手首を見ると、腕輪が擦れたのか、そこには血がにじんでいた。……祖母の形見の、腕輪。これは……何か私に警告してくれている? そうじゃないかもしれないけど、そう決めた。よし。私はつながったままの携帯で部長に告げる。
「おばーちゃんが行くなっていうので行きません」
「君の祖母はもう亡くなってるだろうに。死者は喋ったりしないよ」
「……ん……?」
……部長におばーちゃんが亡くなったことを私は伝えただろうか。いや、伝えていないはず。ただ、部長なら知っていてもおかしくはなさそう……だけど……。
「他の部員に代わろうか。きっと莉瑚くんも安心するだろうからね」
私が迷っていると、部長はそう言っていったん言葉を止める。それと同時に、うわんうわんとまた残響のようなものが携帯電話からは聞こえた。それと同時に、大勢が行きかっているような、ざっざっ、というたくさんの足音も。……大勢? この、トンネル内、で……?
「天尾さん、早く入ってきなよ」
「……あ、森河くん?」
「天尾さん、ヘルメットなんて外して早く入ってきなよ。楽しいよ」
「……うーん……」
さすがに森河くんが奇行が目立つとはいえ、深夜のトンネルに楽しさを見出すほどじゃないと思う。やはりなんだかおかしい。あと君のヘルメットへの嫌悪はなんなの? ひょっとして被り物が嫌いなんだろうか。今度森河くんに話しかけられたくないときがあったら、動物の首の被り物をしていってみようかな。被り物が好きでも嫌いでも「話しかけられたくない」というメッセージは痛烈に伝わる気がする。
「副部長に代わるよ」
「――大丈夫? はぐれてると心配だから、合流してほしいんだ。中で待ってるからさ」
「……私が副部長と初めて会ったのって、いつでしたっけ?」
私と副部長が初めて会ったのは、街角で副部長が財布を落として私がそれを拾った時だ。ただ、おそらくそれはまだ気づかれていない。私は副部長ののんびりした表情から、それを察知していた。この前はなんだか身の上相談とかもされてしまったし。つまり、ここでのあるべき答えは――。
「だから……街角で俺の財布を拾ってくれた時だろ?」
プツッ、と通話を切る。発光する携帯電話の画面が、私の顔とあたりをわずかに照らし、やがて消えた。
「正解。……でもここでは、不正解」
そのまま元通りに携帯電話をごそごそとポケットにしまう。……しかし私も初めて知ったけど、どうやら最近の怪奇現象は電話で話すことができるらしい。さて、どうしよう。こうなったら絶対にトンネルには入らない方がよさそうだけど……。
私はとりあえず、トンネルから続いている小道を下っていった。小道はすぐ下の市道につながっていて、そこに部長のバイクも停めてあったはず。もし他の人がトンネルを出ているなら、あそこに戻っている可能性もある。……果たして。
部長のバイクのそばには、副部長が1人で所在なさげに佇んでいた。スマホをポチポチいじったり、トンネルの方を不安そうに見上げている。私はその周りをそっと回りながら、まじまじと彼を観察した。恰好は私の知っている通り……だけど。やがて、黙って見つめている私に気づいたのか、副部長はぎょっとした顔でこちらを見て、文字通り飛びあがった。
「うわっ!? ……ちょ、ちょっと! いるなら声かけてくれよ! びっくりした……!」
「質問です」
「……は? 質問、って……?」
「私と副部長が初めて会ったのって、いつでしたっけ?」
「え、え、えーっと……部室で部長に紹介されたとき……だよな? え、違う? どういう意味?」
「不正解」
「えっ?」
「ですが、正解です」
「……いや、ほんとどういう意味!?」
……世の中には、数学と違って不正解が正解になることもある。たぶん、そういうことだろう。
投稿するところを間違えてとっても焦った




