ケジメにもつけ方ってものがある
その女性は結局、大量の謎の券と名刺を私に手渡して去っていった。謎の券はどれだけ固辞しても「私の気が済まないから! 呼び止めたお詫びってことで!」と無理やり握らされ、帰ってもらうためにもう諦めて受け取った。そして熱烈な握手を受けた後、私は何とか私たちの席に無事、帰還を果たす。
「ふう、ただいま」
「お、ヒーローのお帰りだ」
「やめて」
「それにしても、熱心だったね。あの人よっぽど莉瑚ちゃんに感謝してたんだよ」
確かに熱意はすごく伝わってきた。私はもらった名刺をとりあえず財布に入れ、ポケットにしまった。あと何だろうこれ……?
「その券なに? あ、ポテトの引換券じゃん」
「20枚くらいあるね……」
「……せっかくだからポテト頼んでくる?」
「いや莉瑚はまず目の前見ようか。これ以上頼むと口の中パッサパサになっちゃうから。ただでさえ今ちょっとキツいのに」
私たちはその後も、ポテトの山をもそもそと平らげるのに必死になった。それにしても何これ全然減らない……。私はその現実から逃避すべく、さっきのことをもう1度思い返してみた。
……めちゃくちゃ食い下がられたけど……結果として、無事大人を説得して帰ってもらうことに成功してしまった。ふむ……。これは私って実は意外な才能があったり? そのまま私は、ふと思いついた考えを何となく口にしてみる。
「私、人を説得するの得意なのかな。ひょっとして弁護士とか向いてるのかも」
「べべべ弁護士!?」
私の将来に対する宣言に対して、目をまん丸にして驚く紗姫と、「ふひゅっ」という声を上げてなぜか下を向く優佳里。我が友人たちが何を考えているかはよくわからなかったけれど、総じて賛同してくれているようにはあまり見えなかった。なぜなんだ。
そして再び沈黙が訪れ、黙ってもしゃもしゃとポテトを頬張る作業に戻った私たち。その中で、紗姫がぽつりと呟いた。
「黙ってたらクールなのに実はアホってヤバいよね」
「?」
……その唐突な話題の変更に、私は首を傾げた。さすがに唐突すぎる。話が繋がってないような……。ひょっとしてこれは何かの比喩? 私がじーっと彼女を見つめると、紗姫は慌てたように続けた。
「いや一般的な話ね」
「まあそれは確かにヤバそうだけども」
一見頭が悪そうなのに実は賢い、とかならよくあるけど。一見賢そうなのに馬鹿なら、それってすっごい駄目な気がする。私はちょっと想像してみた。……キリッとして眼鏡を上げ下げしながら「何もわかりません」とだけ繰り返す、優等生風のそんな人がいたら……? うんヤバいこれ。誰得なの。最初から見た目もアホであってよ。
……でもなぜ紗姫はいきなりそんな話を……? 意図が分からない。ポテト食べてて急にそれが気になることなんて、ある……? たぶんないよね。謎が解けない。
私が不思議そうな顔のままでいたのがわかったのだろう。紗姫は持ったポテトでまだ半分以上残っている山を指しながら、ゆっくりと説明を始めてくれた。
「……考えてみて。普通はね、呼び止めたお詫びにポテトの券20枚なんてくれないでしょ」
「……それはそうかも」
確かに。私は少なくとももらったことはないし、見たこともない。……それで?
「あれはね、あえて気づいてないふりをしてくれたんだよ。莉瑚も内緒にしときたかったんでしょ?」
「そっかぁ」
……なるほど。さすが相手は大人なだけある。そして紗姫は暗に「それくらい気づけよ」って言ってるわけか。……ん?
「……ということは、さっきアホって言ってたのって私のこと?」
「今気づいたの!? それでよく弁護士とか言ったよね……もう止めてよ、私たちを笑い死にさせる気か」
「そ、そんなことないし。ねえ優佳里……?」
私が助けを求めて優佳里の方に視線を移すと、彼女は一生懸命ポテトを口に詰め込むのに忙しいようだった。道理でさっきから黙ってると思った。見てるのは分かるはずなのに、なぜか彼女は私と目も合わそうとしない。……タイミングが悪かったか。きっと自分で頼んだメニューを処理することに対する責任感とかそういうやつなのだろう。
「……べ、別に弁護士も本気で言ったわけじゃないし」
「まず正気かどうかを疑いたいね。ねえ今起きてる?」
「馬鹿にしないで。何のために授業中私が寝てると思ってるの」
「そういう本気でわからん質問しないでくれるかな。困るから」
「あ、困った?」
「うん」
「ごめん」
「許した。……お、すげー」
いつの間にか、気づけば私たちの前にあった山はほとんどなくなっていた。涙目になりながらも黙って頬いっぱいにポテトを詰め込み続ける優佳里の姿に、私は真のケジメの在り方を見た。素晴らしいと思う。私も見習いたい。
「……ということで私も正直忘れてたけど、ケジメをつけないといけないと思うの」
「なんで天尾さんは急にヤクザみたいなこと言いだしたのさ。昨日Vシネでも見たの?」
次の日、部室でなされた私の宣言に対して。森河くんはそう言いながら冷たい目線を送ってきた。……この人ほんとに「優しそうだから」って理由で人気あるんだろうか? 私に対して優しかったことなくない? まあいいか。今はそれどころではない。
私はかばんの中から、少し大きめの箱をごそごそと取り出す。
「ついては、副部長にこのちょっといいチョコを渡したい」
「……なんで?」
「これはね、私の気持ちを形にしたものなの。やっぱりその方が分かりやすいと思って」
「なんで!? 僕には!?」
「……え、いや、ないけど……」
「そんな『当たり前でしょ?』みたいな純粋な顔しないで!! なくないでしょ!? もっとよく探しなよ!!」
「なんで君が言い切るの」
今のところ、森河くんに謝らないといけないことはないし……。逆に絡んでくるのに相手してあげる分、何かおやつでも貰いたいくらいだ。私は大人なのでそんなことは口にしないけども。
そんな私たち2人の姿を眺めていた部長は、クスクスと笑いながら机に肘をついた。
「なるほどねえ。……ところで話は変わるんだけど、例の神社で助けられた子にアポが取れてね。今日の放課後すぐなら時間が取れるらしいんだが、そういうことなら別の日にしてもらおうか?」
「いえ、渡すだけなのですぐすみます。問題ありません」
「おや、最近の子はあっさりしてるんだねえ。……まあ、私が急がせてしまうのも悪いか。詳しいことは私が守家くんに説明しておいてあげるよ」
――えーっと。無視してしまって申し訳ありませんでした。無視してたのに色々気使って話しかけてもらってすみませんでした。飼ってる犬の話とか気になるのでもっとしてください。くれたバタークッキーも大変おいしかったです。……でも聞いてください。あれには深いわけがあったんです。え、理由? それは言えませんよ何言ってるんですか。
……駄目だな。色々とまずい。長く話すとヤバそう。よし、シンプルに。あと後回しにすると私は忘れてしまいそうなので、できるだけ早くにした方がいいか。そして趣旨の補足説明は部長に任せよう。
ところが、今日に限って副部長はなかなか姿を現さなかった。何をやっているんだ副部長。そして部長が時計をちらりと見る回数がだんだんと増えてくる。ヤバそう。
……よし、とりあえず今日は調査の方に行こう。謝罪なら明日でもできる。……この考えで今日まで延び延びになってきたような気もするけど、気のせいだと信じよう。それに私は学習できる人間なのだ。……よし、では撤収!
ところが、私が部室の扉に手をかけたまさにその時ガラリと扉が開き、ちょうどその副部長が入ってきた。そのまま至近距離で、私と副部長の目が合う。私はそのまま反射的に腰を直角に曲げてお辞儀をし、反省の意を示した。
「すみませんでした」
「……え? なにいきなりどうしたの?」
しまった。目がいきなり合ったからか、ついイメージしていた謝罪の流れに入ってしまった。ええい、ここまで来たら仕方がないか。続いて私は、手に持った箱を両手でしずしずと差し出す。
「これをお納めください」
「……うん?」
とりあえず、といった感じで受け取った副部長は、そのまままじまじと箱を目の高さまで持ち上げて眺めた。なにこれ初めて見た、みたいな顔してるけど、表面に思いっきりチョコレートって書いてますよ。そして私が後ろを振り返って、座っている部長を見つめると、部長もこちらを見てうなずいた。パクパクとその口が開く。あ・と・は・ま・か・せ・ろ。
「では、失礼します」
「うむ。行ってくるといい莉瑚くん。後は任せたまえ」
「いや、ちょっと待ってください……さすがに意味が」
「さあ守家くん座って座って」
「いつもそんなすぐ座らせてくれないでしょ! なんなんですか!?」
「だからそれを1から説明してあげようというのに」
後ろの方で部長が副部長への趣旨説明に移っていきそうなのが聞こえたけど、今はそれを気にしている場合ではなさそうだった。部長に任せて、あとは明日に私からもあらためて話をしよう。うん。申し訳ないという気持ちが伝わればそれでいいんだ。ではでは、今日はお先に失礼します。
* * * * * * * * * * * *
「だから莉瑚くんも大変心を痛めているみたいでね」
「いや、本当ですか……?」
「おや、信じられないのかい」
「だって彼女、表情全然変わりませんし……」
「ふむ。どうしたら理解してもらえるのかな」
「……そうだ。そのパソコンの前に座ってみたまえ」
「え、はい」
「何が見えるかな?」
「……いや、ただのパソコンですよね」
「そう。最近は莉瑚くんがよく調べ物をしていたよね。検索の履歴を見て。いいから。特別に私が許そう」
……そこに並んでいたのは、「お詫びの品 先輩」「恩返し プレゼント」「謝罪の品」「温泉ペアチケット 渡す関係性」など。彼女が検索したであろうワードがずらずらと並んでいた。……なんだ最後の?
「どうだい?」
確かに彼女は最近どこか焦ったような表情でパソコンに向かい、やたらに何かを検索していたような気もする。……自分がチョコレートが好きだと言った覚えもないから、きっと誰かに聞いたのか。
「君が来る直前まで、どう言うべきかをあれこれ悩んでいたよ。きっと信じてもらえないのを分かっていたんだろうね。でもひょっとしたら君ならわかってくれるかも……。乙女心だね」
「……」
「で、『いや、だって彼女全然表情変わりませんし……』だっけ」
「うっ……」
「さっきも思ったけど、最近の若者はドライなんだねえ。怖い怖い」
「顔真似と物真似やめてください。似てません。……ん? さっきも思った……?」
「最近、世情に悩むことが私にも多くてね」
「あ、そうですか……。いえ、訂正します。ほら、あの子が何か焦ってたのは俺にも分かってましたし」
「その観察眼はぜひともさっき発揮してほしかったよね」
「うるさいな! もう! 反省してますよ! これからは後輩のことをもっと気にします!」
「気をつけてくれたまえ。彼女はああ見えて繊細な女性なのだからね。さっきみたいに、表情変わらないなんて言われたらきっと陰で泣いてしまうよ」
「いや面と向かって言いませんけど……でも確かにいけませんね。気をつけます。彼女もきっと、見たままじゃないと思いますから」
「……で、なんか彼も今日おかしくないですか?」
「……恨めしい……」
「なんで!? 誰が!?」
「お前が恨めしい」
「俺!? 来たばっかりなのに!?」
「後輩のことを気にするなんてやめろ」
「どういう意味!? ほっといてくれってこと!? ……部長! 部長! ……あ、こっち向いてもない!」
そして、下を向いて本のページをぱらりと開いた部長が、静かに微笑みながら呟いたのが耳に届いた。
「いやあ、若いね。結構なことだ」




