お話ししてもいいですか?
「……ということで、天尾さんが迷子になった以外は無事に合宿も終わってさ」
翌週月曜日。私、優佳里、紗姫の3人がいつものように集まっていると、森河くんがなぜか呼ばれてもないのにやってきて先週の張り込みの結果報告をしてくれた。どうでもいいけどあれってそういや合宿だったな。
と、その報告に優佳里はなぜか机をバァン! と両手で叩いて憤った。いったいどうした。訳が分からないまま、私も横でぺちぺちと机を叩いて応援しておく。
「森河くんはその場にいたのに何してるの!? 役立たず! 莉瑚ちゃんが迷子になるなんてわかりきってるじゃない!?」
「そうだそうだー。……あれ?」
そして紗姫も呆れたように溜息をつきながら、首を振ってコメントを付け加えた。
「あの神社って一回り5分もかからないじゃん……。あそこで1時間も迷子になるってもはや才能だよね」
「言うな友よ」
主に優佳里によって森河くんが追い払われた後、私たちは再び3人でのんびり駄弁る作業に戻った。私はうーん、と背伸びをしながら、とぼとぼと去っていく彼の背中を見送る。
「しかし、最近森河くんがなぜか絡んできて正直めんどくさい」
「いやあれは明らかでしょ。あれも意外に人気あるらしいよ。優しそうだからって。……しかしややこしそうな相手をわざわざ選ぶあたり、彼もけっこうチャレンジャーだね。マイナー性癖だ」
「私は認めてないから」
「いや待って何が明らかなの。マイナー性癖って何」
何度聞いてもその答えは返ってこなかった。しかしクラスメイトの性癖までわが友は把握しているらしい。すごいね。ただ全然羨ましくはなかった。なぜだろう。
私はそれについて考えるのを止め、窓の外を見ながら、先日の張り込みの時のことを思い出す。私より先に現れていたという、私のような存在……。窓から外を眺めると、今日も雲1つない青空だった。この空の下に、その誰かも今どこかで、私と同じような悩みを抱えて過ごしているのだろうか。最近現れなくなったらしいけど。
先代……。きっと、私と同じく、巻き込まれて気の毒な人だったんだろう。会ったらきっといい友達になれるような気がした。
「お疲れ様で……す……」
部室の扉を開けて入ってきた副部長は、私の顔を見た瞬間に微妙な顔になった。いきなりいったいなんだ。私はとりあえず精いっぱいの笑顔で迎え、ぺこりと頭を下げておく。お疲れさまです。すると副部長はなぜかさらにどんよりとした顔になった。……これはひょっとして、副部長は私の笑顔が嫌いなのか。
そのどんより顔のまま、教室を見渡して半分独り言のように呟く。
「……今日、部長は?」
確か、用事があるとか言ってさっき帰りましたよ。しかし困った。通訳してくれる人がいないではないか。私は扉を指さしたり手で家の形を作ってみたりと色々試してみたものの、全然伝わらなかった。逆に副部長の表情は困惑の度合いを増していく。すごい、どんよりに困惑を足すと人ってこんな顔になるんだ。
「遅くなりました! 先週はお疲れ様でしたー!」
そこに明るい挨拶とともに、森河くんがやってきた。おおちょうどいいタイミング。さすが意外に人気があるらしいだけはある。確かに色白だもんね。色関係ないか。
私はちょいちょい、と手招きして彼を近くに呼び寄せる。
「何? 僕来たばっかりなんだけど」
「あのね、お願いがあるんだ。私の言うことを副部長に伝えてほしいの」
ひそひそと耳元で囁くと、彼は真剣な顔で耳を傾けてくれ。そしてなぜかどぎまぎした表情で私の方を見てきた。いったいどうした。
「え、ごめん、今なんて? 私の一生のお願いを聞いてほしいの、までしかちょっと聞き取れなかったんだけど」
……全然聞き取れてないじゃない。君は真剣な顔で今いったい何を聞いていたのか。部室で一生のお願いなんてするわけないでしょ。ええいもう1度。
「だから、私の言うことを副部長に伝えてってば。ねえ聞こえてる……? もう、ちゃんと聞いて」
「ふわぁ」
彼はそんな意味不明な声を発すると膝をガクンとついた。……いやだからどうした。聞こえたのか聞こえてないのかどっちやねん。私がじーっと顔を見つめると、彼は言い訳がましく肩をすくめた。
「ちょっと天尾さんさぁ……そんなことすると、耳に吐息がかかるんだよ」
「あ、うん。それはごめん」
「いや謝らなくていいよ。……でも、囁かれるといつもと違う感じになってさ。次は大丈夫かもしれないから、もう1度やってみて」
「なんだか必死さが怖いからもういいや」
私は「部長なら今日は帰りましたよ」とノートに書いて副部長に差し出した。どうせ授業は寝ているので私のノートには何も書かれてはいないのだ。だからスペースならたくさんある。なんだ、最初からこうすればよかった。
ところが、副部長はそれを見てさらにがっかりしたような顔をした。……なぜなんだ。そんなに部長に会いたかった? ……いや、ひょっとして。私はこの副部長がっかり顔を何度も見ているような気がする。それは決まって私が喋らない時。
……その時、私はこの前コンビニ前で副部長が愚痴ってたのをふと思い出す。新入部員が自分にだけ話してくれない、だっけ。確かに気になるかもしれない。嫌ってはいないんだけどそれを表すには喋らないといけない。でも喋ったらまずいんだよね。
……囁くと違う感じになる。さっきの森河くんの発言が私の脳裏をよぎった。ひょっとして、あれは金言だったのか。
「……副部長、副部長」
私がひそひそと囁くと、なんと目の前の私をスルーして副部長はきょろきょろとあたりを見回し始めた。……アカン。この人もう私に話しかけられるという選択肢がないんだ……。大変申し訳ない。とりあえず両手をぶんぶんと振ってアピールしてみると、副部長はようやくこちらを向いてくれた。
「あ、ごめん。なんか今声が聞こえてさ。心霊現象かな」
「私です」(←小声)
「えっ?」
「今話してるの、私ですよ」
「ええええええ!」
なぜか心霊現象だと思っていた時より驚いているけど、やっと認識してもらえた。めでたしめでたし。あとはバレてないかだけなんだけど……。私は緊張しながらそっと副部長を見上げた。
「い、いやあこうして話すと緊張するな。よかったよ。ずっと黙ってるから、嫌われてるのかと思って」
「……」
しばらく丹念に副部長を観察する。なんだかまた心配そうな表情になってるけど、私がおかしな格好で街角に現れる存在だと気づいた顔では……うん、ない。ないな。大丈夫そうだ。
私はうんうん、と何度も頷いた。よしこれからはこれでいこう。意思疎通が図れるなら、正直手段なんて何でも構わない。
「……あ。すみません、なんでした?」
「いや、なんでもない……」
「?」
なぜか副部長は引き続いてしょんぼり顔だった。せっかく話せるようになったというのに。ひょっとして副部長は私のことが嫌いかな。部長はいないし、森河くんは様子がおかしい。これは今日はもうお開きか。……そうと決まれば帰ろうかな。優佳里と紗姫とファーストフードで駄弁るという放課後の予定が私を待っている。
……あ、そうだ。嫌いと言えば。かばんを持って部室の扉を開き、私は振り返った。
「すみません。さっき言い忘れました。別に嫌ってはないですよ」
「向こうからしたら、何考えてるか意味分からない女だよね」
「でもすっごく莉瑚ちゃんらしいと思う」
さっそくファーストフードの2階で友人2人と合流し、さっきあった出来事を披露したところ。そんな感想をいただいてしまった。登場人物で女子は私1人なので、意味が分からないというのはたぶん私のことだろう。……なぜ……。
……ただ、彼女ら2人の意見はたいてい私より正しいことが多いのも確か。だから黙っておこう。優佳里が頼んだ新製品のバケツポテトなる山盛りのポテトを私がもぐもぐとつまんでいると、紗姫がニヤニヤ笑いながら話を続ける。
「最近ずいぶんと活動的じゃない? 部活に通うキャラじゃなかったでしょ?」
「そんなに無気力かなぁ……気になることがあれば私だって動くよ」
「そういえば火事の時だけナマケモノって素早く動くらしいね」
「いや、私が表情変えずに木からぶら下がってたらおかしいでしょ」
「けっこう莉瑚ちゃんらしいと思う」
……優佳里の中での私像がちょっと気になったけど、その話についてはあまりせずに黙っておいた方がいいような気がした。野生の勘というやつだろうか。
そうして私たちがのんびり話しながら、一向に減らないポテトの山と格闘していた時だった。
「……あ!」
私の斜め前から、不意にそんな声がした。何となくそちらに顔を向ける。すると、どこかで見たことのあるような若い女性が、椅子越しに振り返ってこちらを見つめていた。どことなくОLっぽい。……いったいどこで見たんだろう。知り合いってほど知り合いでもない気がするけど、初対面でもない気がする。えーっと。
私が迷っていると、その女性は私のところに走り寄り、ぎゅっと手を握ってきた。……んん?
「あの時はどうもありがとうございました! お礼したかったのにいつの間にかいなくなっちゃうから……」
「あの時……?」
「いや、車に轢かれそうな私を助けてくれたじゃないですか!」
……そういえば。街中で助けた相手の中に、こういう人がいたかもしれない。正直1度しか会わなかった相手なのでほとんど助けた人の顔は覚えてないんだけど。そうか、顔を見えないようにしたのは中盤からだから……私の顔を見た人からは声を掛けられる可能性があるのか。これはまずいのでは?
「莉瑚ちゃん知り合い?」
「えーっと、この人はね……うーん……」
「私の命の恩人なんです! 真夜中に、私がもう駄目だと思った時に突然現れて、さっと助けてくれて! もう、ヒーローみたいでした」
「ほほう」
「いや違うの」
その女性はその後もその場にとどまりお礼の言葉を述べ続けたものの、それはとても困った。お礼をするために色々な人に声をかけ私を探していたのだ、みたいな恐ろしい話もその中には含まれていた。お礼はくれるなら別にやぶさかではないのだけど、そんな大層にしないでいただきたい。
私は意を決して、彼女の話を途中で遮った。
「あの。聞いてください」
「それでですね……あら? どうしたんですか?」
「人違いなんです」
「そんな訳ないです! 確かに顔を覚えてますから!」
「いやいや、ほら、暗かったですし。顔なんてそんなにはっきり見えないですよね」
「それはまあ確かにそうですけど……うーん……」
「ね! ほら、だんだん自信がなくなってきたでしょ?」
「……これ突っ込んだ方がいいのかな?」
「とりあえず見守ろうか」
 




