それぞれの悩みごと。
その後行われた新入部員歓迎会という名のレクリエーションもそこそこに、私は放課後、件の神社にやってきた。現場を見ることが何より大切だというのは、世の中に溢れている刑事もののTVドラマ等からも明らかである。
私は油断なく、石段をゆっくりと上がった。……さて。私の見る限り、ここに事件を解き明かすヒントがあるはず。
――そこは、小さな神社だった。いくつかの鳥居に囲まれた小さな石の階段を上ると、本殿と、横に社務所らしき建物。人の気配はない。敷いてある砂利が音を吸い込んでいるかのように、静かだった。綺麗に掃除が行き届いているようで、何も落ちていない。本殿横にこの神社の歴史が書かれてるらしき立札があったものの、結構長かったのでそれはスルーしておく。
私は境内に立って周りを見回した後、深呼吸してみた。……なんだかここだけ、空気がひんやりとしている気がする。霊験あらたか、というか。ご利益ありそう。……よし。
私はまず賽銭箱に財布の中の小銭を全部入れた。そしてパンパン! と掌を合わせ、一生懸命、それはもう懸命に、お願いする。いやもうほんと、お願いします。どうか……。
――どうか私を、平穏な日常に返してください。
大きなガラガラの鈴が、揺らしていないのに鳴った気がした。
枝にいくつもの白いおみくじが結び付けられている木の下をくぐり、私は裏に回る。……たぶん、こっちだよね。境内の横って。
横に回ると、そこには井戸と大きな木があった。木にはぐるりと白いしめ縄が巻かれている。……大きな木だった。私が両手を回しても幹の半分にも届かなさそう。テレビで見る屋久杉みたいな感じ。きっとこの大木はずっと神社とともにあり、いつもそばで見守ってきたのだろう。
そして、脇の井戸には木でできたふたのようなものが被されており、中を見ることはできなかった。他に目につくものは何もない。
じゃりっと足元の砂利を踏みしめ、私はさらにきょろきょろとあたりを見回す。しかし、何もない。困った。現場を見るっていうか、そもそもあんまり何も……。……いや。ちょっと待って。
私はそこで初めて、この神社での目撃情報の妙な点に気づいた。
……こんな、何もない場所で? 夜の0時過ぎに? 誰かがここにいて、いきなり現れる少女を目撃した……? いやいやおかしい。その誰かって誰なんだ。神社の関係者ならまだ……いやそれでも変だな。だってここ、何もないもの。見回りにしても、さすがに時間帯がねえ。
しかし、私がそんなことを考えこんでいると。……ふと、誰かがこちらの様子をうかがっているような気配を感じた。……なに……?
私は首を回して周囲を眺めるものの、やはり誰の姿もない。……いや、何か違和感が……。しばらく目の前の景色を見つめて、私はさっきとの違いに気づく。
さっきと比べて、井戸のふたが少しずれているような気がする。……うん。私は何度も見直す。間違いない。……ただ、間違いであってほしかった。
さっきは完全にふたが被さっていたのに、今は少しだけ井戸の黒い口が開いている。隙間から見える井戸の中は、真っ黒。まだ日は落ちていないのに、まるでそこにはねっとりとした液体状の闇が溜まっているようだった。……それを確認すると、急に、この場には自分1人しかいないということが不安になってくる。
……うわぁ……か、確認したくない……。ただ……行くべきだろう。せっかくここまで来たんだから。うん。
私はそろそろと井戸に寄る。今ならあの能力も自在に発揮できる気がした。よし、いざとなれば飛んで逃げよう。絶対できる。相手のあごとみぞおちに1発ずつ入れて、ひるんでいる隙に逃げよう。
私は、こわごわと井戸を覗き込んだ。……ひゅごー、という低い音を立てて、ひやりとした空気が底の方から吹きあげてくる。暗くて中はよく見えない。……しかし、さっき感じた気配は消えていた。
私はしばらく井戸の中を見つめて、結論付ける。……ここには、きっともう、何もいない。
ふう、と溜息をついた私は、とりあえず元通りに井戸のふたを閉めておいた。何か手がかりを探しに来たのに、何もないことに安心するなんて。
私はそのまま、そばの大木を見上げた。……それにしても。
――部長はこの場所での目撃情報を、いったい誰から聞いたんだろう。
「初めて少女が現れた時の話か……確か、情報源は隣町の高校生だったはずだよ。もう1度話を聞きたいのであればセッティングしてあげよう」
「ありがとうございます!」
翌日、部室で私の報告を聞いた部長はパチンと指を鳴らし、何度も頷いた。
「しかし実地調査か。素晴らしい! 私たちも見習わないとね。守家くんにも提案してみようか」
「……実地調査をですか?」
「聞く限り、その神社は怪しいよね。我々も確認しておく必要はあるだろう」
「……何かいそうですけどね……」
「いた方がいいじゃないか。それを探しているんだから。……しかしせっかくなら、少女が現れた時間の方がいいかもしれないな」
「真夜中に!? い、いろいろ危なそうですが……。まあ、止めはしません……お気をつけて」
「何を言ってるんだい莉瑚くん。新入部員の君も来るんだよ」
「私も!? い、嫌ですけど……」
「おや、来ないのかい?」
「……は、はい。もう今日行きましたし」
「……」
「……もう今日……行きましたし……」
私と部長は無言のまま見つめあった。……あれ? 私がおかしいこと言ってる? 大丈夫だよね?
部長は微笑んで私の肩にそっと手をかけた。
「来るよね。……大丈夫。何かあっても私が何とかしてあげる」
「あの」
ひょっとして、部長はそういう方面にも何か力をお持ちなのだろうか。……持ってそう。黒髪ロングだし、赤い袴とかめっちゃ似合いそう。私だとちんちくりんになってしまうけれど。
……しかしこれは大事なことだし、確認しておいた方がいいか……? 私が実際おかしなことには巻き込まれてるわけだし、他にそういう超常的な力が存在してもおかしくはないだろう。
「部長には、そういうのを何とかできる力があるんですか?」
「そうなる、かな? この噂の少女も見つけたらすぐに消し飛ばしてあげるよ、なんてね」
「……ひえっ……」
私ってば消し飛ばされてしまうらしい。消し飛ばすて。いや、私そんな悪いことしてなくない……?
部長はポンポン、と固まった私の肩を叩いて笑った。
「いや、冗談だよ。安心したまえ。……ただ本当に、何かあれば私に任せておくといい。じゃあ守家くんにも言っておくから、莉瑚くんも準備をしておくように。今週末の金曜日に決行しよう」
「は、はい」
あ、いつの間にか行くことになってしまった。でも、ど、どこまで冗談なんだろう……?
私は部長の顔をちらりとうかがう。しかし、その表情はいまいち何を考えているのか読み取れなかった。
……しかし今週末というと3日後か。どうやって家を抜け出すかだけど……優佳里の家に泊まることにしておこうかな。紗姫は頼んだ時にどう出るかわからないし。
私がそう考えこんでいると、「ガラガラ」と教室の扉が開き、いつものように守家さんも姿を現した。……部長はこの神社への調査の話をどうやって守家さんに切り出すんだろう。
「遅くなりま「実は莉瑚くんが実地調査をしてきてくれてね。私たちも行こうと思うんだ! ということで、今度の金曜日の夜中、空けておいてくれたまえ。いいね?」
うわ。部長、めっちゃ被せ気味に話してる……。まだ守家さんかばん置いてすらいないのに……。せめて座らせてあげて。
「……え、ちょ、夜中!? 部長!? いやちょっと俺にも予定ってものが……」
「嫌なのかい? ああ、この前入ったばかりの新入部員ですら来てくれるというのに」
「嫌っていうか……え? マジですか? 部長とこの子と?」
「仕方ない。君が来てくれないので、私たちだけで行ってくるよ。夜中の0時過ぎに女2人だ。悩ましいね。おっと、周りには内緒だよ」
「……いや、危ないじゃないですか! 女の子2人で!」
「君が来てくれたら2人ではなくなるね」
「……止めましょう。せめて、行くなら昼間です」
「君は幽霊は昼間に出ると思う? 夜に出ると思う? 私はせっかく行くのなら遭遇確率は上げておきたいな」
「い、いや。それはそうですけど……」
……一般的な反応だ、素晴らしい。この部の常識人枠はどうやらこの人らしい。いやまあ私を除くと2人しかいないわけだけども。すると私を入れるとこの部の常識人は2人。2対1でぎりぎりこの部の理性は保たれている状態と言えよう。
「……き、君も夜中は嫌だろ?」
私はこくこくと頷いた。そりゃ嫌に決まってるやろ。私が神経質だったら「いちいち当然なこと聞いてくるんじゃねえ!」と怒ってたかもしれない。その時間帯に神社を訪れることに喜ぶのは変態かオカルト好きだけだろう。……ただ、ここがオカルト研究部ということを考えると、意外に可能性は高いのかも。
「ちなみに莉瑚くんはもう了解済みだよ。快く賛成してくれた。2対1だね」
「そ、そうなんですか!? ……そ、そうか……。最近の女子って意外にそういうものなのか……」
おいこら。そんな簡単に騙されないで。私がじろりと睨むと、守家さんは焦ったように、さわやかな笑顔を返してくれた。……いやそうじゃなくて。あなたの中の私っていったいどうなってるんだ。夜中の神社に快く特攻する人なの……? 神経質じゃないけど私今ちょっと怒りそうだぞ。
……しかしあらためて、話せないのってこれめちゃくちゃ不便だよね。否定もできやしない。私の都合なんだけど。……ただ、守家さんと街角で話したのって一言きりだし、声なんて覚えてないんじゃない……? そろそろ喋ってもいいんじゃないだろうか。……よし。もう明日から普通に話そう。
私はそう決意して、副部長との会話もそこそこに部室を後にした。今長居すると彼に理不尽な怒りをぶつけてしまいそうだったので、これは戦略的撤退である。
……ちなみに「部長のでたらめには首を振って思いっきり否定しておけばよかっただけでは?」ということに私が思い当たるのは、家への帰り道でのことであった。
ところが、その日の夜。私はなぜかまた、街角で財布を落とした守家さんに遭遇した。というかこの人また財布落としてる……。どこまで不運なんだ。ちょっとかわいそう。明日会ったら優しく声をかけてあげよう。
そして前と同じようにコンビニでコーヒーを奢ってくれた守家さんは、先日と違って少々落ち込んでいるようだった。財布が戻ってきたのだから落としたことに凹んでいるわけではなさそう。どうしたのかな? よっぽど悪いことでもあったの? この人あんまり凹まなさそうなのに。
彼はコーヒー片手に遠い目をして、ちょっと間を開けた後、独り言のように呟いた。
「……ちょっと悩んでることがあるんだよ。聞いてくれるかな」
「……?」
どうぞ、という意味で私はこくこくと頷いておく。まあ、ほぼ知らないけど全くの他人でもないし、聞くくらいならしてあげようか。……今日ちょっと冷たくしたお詫びもかねて。
さあさあ、あなたは何で悩んでるのかな? 街角で会った顔も見えない妖怪に相談するってだいぶ精神ヤバいと思うから、きっと辛いことがあったんだと思う。お気の毒に。明日はちょっと私優しく声かけますから。それはもう、今までの分を挽回する勢いで。……それでそれで?
「俺ってさ。……新入部員の子に嫌われてるのかもしれない……」
「……へー……そ、それはそれは……」
あ。やっば。つい口開いちゃった。……いや……うん……でもさ。それにしても……。
――今までの分を挽回するのって、もう手遅れなのかもしれない。そう、何となく私は思った。




