優しさ溢れて
「本当に失礼しました。あまりにもエルフィーが魅力的すぎて箍が外れました」
「……そ、そんな……あの、わ、私……いや、でも……」
あれから約一時間、別室で父ディッシュに濡れタオルを額にかぶせられ、強制的に休まされた。
さらにポーションと栄養ドリンク、ハーブティー等を飲まされ、きちんと説教までされた。
とはいえ、父もなにか思うところがあったらしく、「まあ、あれだけ盛大に口説いているところを見せれば婚約の申し込みをしていた令嬢たちも諦めるだろう」としみじみ腕を組んで頷く。
どういう意味の頷きなのか。
栄養ドリンクを三本飲み干してから、唇を尖らせた。
そして、結局またこうしてパーティー会場に引き戻されたわけである。
「まだちょっとしつこいのが何人かいるから、直接断ってくれ」
との事だ。
オリバーが言うのもなんだが、あれを見たあとでまだ諦めがつかないのはもう話の通じないヤバイ人だと思う。
そしてそれはディッシュやビクトリア伯母も同じ意見なようなので、オリバーが断ってダメならその家とのつき合いは断つとの事だ。
娘さんが一人熱を上げているのなら、距離を置く程度。
親が一緒になって、であればその家自体が『判断の出来ない家』という事。
その意見には賛成しか出来ない。
「……や、やっぱり体調が悪かったから……」
「それもあるかもしれないけど、エルフィーがいつもより可愛すぎるのもまずいというか」
「こ、これはあの、ビクトリア様とアルフィー様が……」
「エルフィーの素が可愛いからだよ」
「ち、違いますよ!」
「なぜそういう事は即答なのか。そんな事はない。エルフィーは可愛い。とりあえず俺の中では世界一可愛い。可愛すぎて…………俺はなぜあの時エルフィーを一人残してしまったのか。俺がいない間にどこの馬の骨ともしれない奴に声でもかけられていたらと思うと……」
「も、もう少し休んでこられた方がいいのでは……っ」
もしオリバーが休んでいた一時間でエルフィーに変な虫でもついていたら。
とりあえず『エンファイヤ・ロック・スターショット』あたりで確実に眉間を撃ち抜いてやっていた事だろう。
そんな事にはならないように、なのか、その時間帯エルフィーはビクトリア伯母と母アルフィーに囲まれて穏やかに談笑していたらしい。
さすが母と伯母である。
「失礼、君がオリバー・ルークトーズ?」
「? はい──……と……これはこれは……」
そこへ声をかけてきた相手に一瞬目を見開く。
内心は「ゲェ……」だ。
真紅の礼服に火の刺繍。
兄妹揃ってド派手な赤で揃えてきた、このやや場違いな二人……。
「ようこそ、本日はお越し頂きありがとうございます。エルヴィン殿下、エリザベス殿下」
「いやいや、先日は父を助けてくれたらしいからね。こちらこそ礼を言わねばと馳せ参じたまでだ」
どんな立場からのセリフだ。
と、またも内心突っ込みを入れる。
兄の腕に腕を絡める金髪の美少女、エリザベスも「お礼を言いにきてやったわ」と言わんばかりに見下しているようだ。
何様なのか。
こういうところが公帝家の人気を下げ、敵を増やしているのだが……一生気づかなさそうである。
(まあ、少なくともエリザベスはシュウヤと旅をする事で公帝家の傲慢さに気がつく。とは言え、俺が陛下の呪いを解いてしまったから、ストーリー通りになるかは分からないな……。ま、戦争が起きるくらいならそれでもいいか)
にこやかな笑顔の裏で、そんな事を思う。
「ふーん、貴方がわたくしの婚約者候補筆頭だったの。でも婚約者に夢中みたいね?」
口を開いたのがそのエリザベス。
ハーレム要員になっても、この高飛車で上から目線のプライドの塊感は最終巻あたりまで治らない。
仲間内はだいぶ穏やかにはなるが、序盤はまさにこれである。
ぷるるん、と胸の谷間を強調したドレスでエルフィーを威嚇するので、「世の中の男が全員巨乳好きだと思ったら大間違いだぞ……!」と怒鳴りたい。
「ええ、彼女より魅力的な女性は、いないと思います」
「あら、わたくしより?」
「俺にとっては唯一無二の存在なんです」
「っ」
そう言って微笑みかける。
ポポポ、と耳まで赤くして俯くエルフィーに、エルヴィンが額に手を当てて「あっはっはっはっ! こりゃ参った、入る隙間はないな! エリー」と爆笑。
「それはそうと、父上が助けてもらった礼に勲章を与えるといった件だが……」
「辞退を申し上げたのですが、受け入れて頂けましたか?」
期待を込めて聞いたのだが、エルヴィンは笑顔で「いいや?」と首を振る。
心の中で舌打ちだ。
「むしろその謙虚な姿勢に感動したと、君を『公帝国騎士団、近衛騎士団所属、栄誉騎士』に任命すると決めたそうだ。言っておくがこちらも辞退は許されない。第五騎士団のハルエルや近衛騎士団のジェイル、第二騎士団クローレンス、そして君の伯母マルティーナも賛成している。君の行いを見ていた騎士も多く、反対意見はほぼ黙殺」
「くっ……」
そりゃ公帝が決めた事にケチをつける者はいないだろう。
近衛騎士団のジェイルやマルティーナ伯母は発言力も強い。
反対意見とはアーネスト辺りだろう。
彼もまた発言力の強い騎士だが、公帝を始めジェイルやマルティーナ伯母が言い出したらなかなかに逆らい難いはずだ。
「しかし、俺は冒険者なので」
「構うものか。有事の時にのみ、その力を貸してくれればいい。君はなかなか珍しい力を持っている。……聖魔法をバカにしていたが、なければないで困るようだからな」
「…………」
こうなるのが嫌だったのだ。
目を逸らすと、エルフィーが心配そうに見上げでいた。
それに安心させるよう、微笑み返す。
「受勲式の日程は決まり次第クロッシュ家に連絡する。それと、これはとても個人的な事なのだが……君はたいそう顔がいいらしいな? 父上が始終上機嫌で君の顔の美しさを語っていた。君の顔を見た騎士や貴族もこぞって褒め称えていたぞ。一体その仮面の下にはどんな美しい顔を隠しているのかな」
なに言ってんだこいつ。
(いけない。危うく声に出してしまうところだった。相手は公太子……)
笑顔が凍りついた。
それはオリバーだけではなく、エルフィーも。
しかし、周囲の目、エリザベス……間違いなくエルヴィンの「仮面を取って顔を見てみたい」という提案に興味津々。
バカか、と頭を抱えたくなる。
「……お言葉ですが、それ故に『魅了』と『誘惑』の効果が現れるのです。この仮面は厄呪魔具……。取ればたちまち、殿下の事も『魅了』してしまう事でしょう。好奇心は身を滅ぼされますよ」
少なくと公帝はその『魅了』でオリバーに対して、好感度のようなものが爆上がりしたのだ。
先日呪いを解きにクロッシュ家に来た時はそれがまだ残っていた。
そこへきての呪解。
好感度からそれが信頼に変わってしまったのは、ある種仕方のない事。
しかし、上手く使えばこれは取り入ったも同じ事だ。
オリバーと面識のないアーネストなどからすれば、公帝を誑かす男が現れたと思われても反論が出来ない。
実際誑かしたような形になってしまっているのだから。
……おっさん相手だけれども。
権力のあるおっさんなので……おっさんだが……誑かす価値があるのだ……でっぷりした頭の弱そうなおっさんだけど。
「ああ、知っているとも。父上のあの様子を見てね。だからこそなおの事、貴殿の素顔を確認しておきたいのさ」
「異常状態耐性アイテムはお持ちという事ですか?」
「いいや?」
「は?」
今度こそ、聞き返してしまった。
「いいや?」……いいや? と言ったのか?
持っていない、と?
「…………。その気になれば失神させる事も可能な威力です。残念ながら俺は威力を上げる事は出来ても、制御は出来ません」
「それはすごい。ますます見てみたい」
「っ」
「ケチケチしていないで見せなさいよ! わたくし、そのために来たのよ!」
「!?」
なにしに来ているんだ、この公女は!
「っ…………」
だが──……奇異の目が集中している。
人は先程よりも増え、期待、興味、好奇……様々なものが込められた目がオリバーに向けられていた。
まして、それを言い出しているのは公帝家の人間。
忠告もしているというのに、それでも好奇心が勝るらしい。
(この顔は人を破滅させる事もある)
あの二人……タックとミリィの事は、本人たちの自業自得でもある。
しかし、その時にこの顔のスキル効果を利用したのは間違いだったのかもしれない。
魔物相手でもあるまいし、やりすぎたのだ。
帝都の時はプラスに働いた……と思いたいのだが、結局このような事態に陥っている。
とても本意ではない。
「……嬉しいわ、わたくしも彼の仮面の下を見に来たのよ」
「わたしも」
「私もだ。噂ではあまりにも美しくて、公帝陛下も骨抜きにしてしまったそうじゃないか」
「ぜひ見てみたいわ」
「ああ……」
「殿下たちが言い出してくださって……良い機会に恵まれましたわね」
「一体どれほど美しいのだろう」
「早く取ってくださらないかしら?」
「わたくし、先日のお茶会で息子が怪我をしたので彼の素顔を見たわ。言葉に言い表せない美しさなの……! ああ、また見る事が出来るなんて……」
「羨ましいわ」
「早く見たい」
「早く」
── 早く 早く 早く ……。
「………………」
仮面の鼻筋部分に指を添わす。
なんのための仮面だ。
この顔を隠すための、呪いの仮面。
だがこれでは、どちらが呪いなのか分からない。
「さあ……見せてくれ」
「そうよ、早く仮面を取りなさい! これは公女としての命令よ!」
一度、自分に集中するその目を見回した。
それから一度、目を閉じる。
両手を後頭部へ伸ばし、結び目に触れた。
やるなら、表情を消そう。
せめて、そのくらいしか出来ない。
そう思いながら──。
「だ、ダメです!」
「!」
「は?」
「!?」
突然、横にいたエルフィーがオリバーの前に立つ。
まるで庇うように。
両手を広げて、小さく震える体で隠すように。
エリザベスの顔があからさまに不快そうに歪む。
それでもエルフィーは退けなかった。
「オ……オリバーさんの素顔は、私だけのものなので……皆様には……お見せしません! すみません!」
「っ」
「「…………」」
会場が静まり返る。
大声を出すなど、淑女らしからぬ事だ。
それでも一拍の間……沈黙を割り裂くようにエルヴィンが笑い始めた。
「ははははは! それはその通りだ!」
「お、お兄様!? わたくしはこのために来ましたのよ!?」
「なに、機会はまだある。受勲式は城でやるんだから。まあ、その時でも構わないだろう? でも困ったな、素顔は婚約者殿のものと聞いてしまうと……それはそれで悩ましい。だからこっそり頼むとしよう」
「…………」
変な顔をしてしまっただろう。
こっそりもなにも、全部言ってしまっている。
「……フンっ!」
エリザベスもそう鼻を鳴らし、プイと先に踵を返した兄の背中を追う。
他の客たちも、納得はしていなさそうだが顔を背けて離れていく。
「……エルフィー……」
「…………」
手を下ろして、その手を胸の前へ持っていって握り締める。
彼女に取って人の注目を浴びる事はありえない事だったはずだ。
左に回り込み、俯いている彼女の顔を覗き込む。
肩は震えて、瞳には涙が滲んでいた。
「エルフィー……あの……」
「……す、すみません……」
「え?」
「と…………とんでもない、言い方を……わ、私……す、すみませ……」
ぷるぷると震えている。
握られていた彼女の手は、今度は自身の頰を包む。
(あれ?)
顔が赤い。顔どころか耳も首も赤い。
これは恐怖……怖かったというよりは羞恥?
「…………あ……い、い、いや……ま、まったく……」
そう言われてから、記憶を遡った。
エルフィーがエルヴィンやエリザベスに言った言葉。
思い出してオリバーも顔に熱が集まっていくのを感じた。
二人で向き合って顔を赤くし、しどろもどろになる。
そんなところへ突撃していく令嬢は、ありがたい事に一人もいなかった。