あなたのために【前編】
(これは私の勝手な願いだったのですが、オリバーさんには仮面を着けていてもらいたかったです)
帝都で行われたお茶会は、大惨事となった。
しかし、エルフィーの婚約者がその事態を見事に治めた。
この一件で国の主要は彼の名前を覚えたし、なんと公帝陛下より感謝状と勲章まで贈られる事が決まったのだ。
なんでも、お茶会を台無しにした魔物の討伐を騎士団と共に行い、お茶会に参加した貴族の子どもたちや怪我をした騎士の瘴気による毒や怪我を治癒したばかりか、公帝にかけられた呪いを解く事にも成功。
あのお茶会に参加して、子どもが瘴気に冒された親たちはこぞって感謝の手紙をクロッシュ侯爵家に送り、またそこにはオリバーに対する婚約の申し込みの他、パーティーへの招待状も同封されている。
「休みたい」
「そうはいかん。今宵はエルヴィン公太子も来る事になってしまったのだからな」
「普通に体調が悪いんですが……」
「休ませられないのですか? お義父様」
「ダメだな」
「…………」
エルフィーの横で、祖父に命じられたオリバーはネクタイを緩めながら心底溜息を吐いていた。
今夜、オリバーの祖父の誕生日パーティーが行われる。
晩餐会は昨夜。
エルフィーは一人で参加した。
「一人で皆様にご挨拶出来るので」と彼の体調を最優先させたのだ。
でも、未だにオリバーの体調は悪そうだった。
曰く、「魔力と霊力を両方使い果たしたから」らしい。
魔力は聞いた事があるが、霊力とは?
聞けば、それは聖魔法を使う時にのみ使用する『力』なのだそうだ。
魔力と似て非なるもの。
それが、瘴気に冒された人々を救ったあの力。
(オリバーさん……つらそうです……)
オリバーは「陛下が弱れば反乱を起こす人たちを煽る事になるから」と公帝の呪いを解いた。
公帝陛下はそれはもう喜び、そしてオリバーに感謝して、ぜひ召し抱えたいと申し出たがオリバーは仮面まで取って「すみません」と断る。
彼にとっては『トーズの町』のギルドマスターになる事が『夢』なのだという。
そして、エルフィーには母の跡を継いで『トーズの町』のギルドの受付嬢をやって欲しい、と。
(ギルドの受付嬢……)
それを聞いた時はカーッ、と頬に熱がこもった。
ギルドの受付嬢とはギルドの顔だ。
そのテキパキとした仕事ぶりや、荒くれの冒険者も笑顔でいなしてゆく姿はどんな女性から見てもカッコいい。
特に大きな町のギルドの受付嬢は人気職。
しかも女性限定の呼び名である事から、どんな町でも憧れの職種トップ5に必ず入る。
それを、自分が。
美しく、賢く、強い……。
そんな受付嬢に、自分を?
そう思って、いかんともしがたい想いを抱える事になった。
だが、自分には無理だ。
そもそも彼に相応しくないのに。
(あの時も、私はオリバーさんを助けられませんでした。それどころか、瘴気に触れて毒を貰って……オリバーさんの手を煩わせて……)
庭から瘴気に触れた子どもたちが集められた部屋で、エルフィー自身も毒に冒されながらもなんとか子どもたちから痛みを和らげる事は出来ないかと医師を手伝ったりもした。
でもやはり普通の医者では瘴気をどうする事も出来ない。
エルフィーが出来たのは、魔物と戦って怪我をした騎士の怪我を手当てする事や、額に載ったタオルをもう一度冷やして頭に戻してやる事くらいだ。
結局、あの場でオリバーの聖魔法によりエルフィーの中にあった瘴気毒も消えた。
そして……。
「……あ、あのう……」
「うん? どうかしたのか、エルフィー嬢」
「……っ、わ、わ、私も、パーティーに参加しても、よ、よろしいでしょうかっ」
「なんと?」
「え?」
「まあ」
「エ、エルフィー? いいんですか?」
「は、はい!」
勢い余って立ち上がって返事をしてしまった。
慌てて椅子に座り直す。
(だって、オリバーさんはあのあと倒れて……その次の日は陛下の呪いの呪解をしてまた倒れて……晩餐会の日も朝から眠ったままで……)
それなのに今夜の誕生日パーティー、エルフィーが一緒に出なければ、婚約の申し込みで取り囲まれる可能性が高い。
仮面は無事に見つかり、彼の顔を覆い隠している。
けれど、それだけでは彼の魅力は隠せない。
お茶会の時の功績、陛下の呪いを解いた功績、そして、あの日いた貴族たちが「ルークトーズ家の長男は『魅了』を持つ、とんでもない美形」と噂を垂れ流しまくっている。
これにクロッシュ侯爵は頭を抱えていて、もともと増えていた婚約の申し込みが倍どころかすでに三桁に登っており、一度断ったところからも再三の申し入れがされているらしい。
あの勢いは、オリバー自身が断っても理解しないだろう。
彼の婚約者であるエルフィーが、彼の隣に立たなければ。
(もちろん、私なんてなんの防波堤にもならないと思いますが……! でも、でも! でも、今夜くらいは!)
具合が悪そうなままなのだ。
仮面で分かりづらいかもしれないけれど、いつもより顔が疲れている。
瘴気を出す魔物はAランクであり、とても危険なカラーである事が多い。
それと戦い、さらにはあの人数を一瞬で癒し、陛下の呪いまで解くというのは数日間、しっかり休まねばならないほど大変だったに違いない。
休めないのならば自分が少しでも彼の負担を減らさなければ。
それが、二度も三度も助けてもらったこの身が出来る事だろう。
「…………」
「……? あ、あの?」
「エルフィーが俺の婚約者としてパーティーに出てくれる……」
「……え……」
「嬉しい……」
「っ!」
仮面越しなのだが、威力が凄まじい。
なんの威力って、笑顔の。
「そそそそそそれは、そそその! あの!」
「めちゃくちゃ自慢していい? いいよね?」
「うえええええっ! だ、ダメです! 私別に自慢するところはないです!」
「なぜ! 俺はとても自慢しまくりたい! エルフィーより優しくて可愛い女の子はこの世界には存在しない! いや、他の世界にも存在しない! 俺の中でオンリーワンだしナンバーワンだし!」
「ななななにを言ってるんですかぁぁっ!」
「あらあら……」
「っ!」
ふふふ、と笑うのはオリバーの母と伯母。
妹のフェルトは怖い顔でエルフィーを睨みつけている。
フェルトは少々ブラコンの気があるので、きっとエルフィーを敵だと思っているに違いない。
オリバーの父と祖父は生暖かな目で眺めているが、そんな目で見ていないで止めて欲しい。
仮面があってもこの顔で……いや、そもそも男性免疫ゼロのエルフィーには、威力が大きすぎる。
このままでは仮面も眼鏡もあるのに倒れてしまう。
(ああああ……どうしたらいいのでしょうかぁぁっ!)
オリバーの瞳にはいつも嘘がない。
とても綺麗な青。
透き通り、澄み渡る青なのだ。
こんななんの価値も意味もないと思っていたエルフィーに向けてくれる好意が、つまり本当に本物だと……。
相応しくない。
分不相応。
並び立つ事など、出来ない。
何度もそう言い聞かせているのに、この見目も心も美しい青年に望まれている事を、心から喜んで浮かれている自分がいる。
これはいけない、とてもいけない。
こんな素晴らしい人間が、自分なんかを選ぶなんて世界の損失だ。
それになにより、はしゃいで浮かれる自分はとても醜く感じる。
他の、彼に憧れる少女たちからの羨望と嫉妬の眼差しが心地いいと調子に乗っている証だ。
(なんておぞましい……はしたないのだろう……)
いつから自分はこんなに恐ろしい女になったのか。
自己嫌悪で吐きそうになる。
「でも、そのままではパーティーには出せないわよ、オリバー」
「え?」
「そうね。それなら準備しないと。エルフィーさん、女はパーティーに一日かけて準備するものなの。では参りましょうか」
「えっ」
と、オリバーの母と伯母が立ち上がる。
その、圧たるや。
隣のウェルゲムが縮み上がった。
「ふえええええっ」
そしてメイド部隊に促され、二階の部屋へ。
昨日お風呂に入ったのに、また入れられて髪や肌に香油や化粧水のようなものを塗りたくられる。
かと思えばタオルを巻かれ、ベッドに横たえられると「骨盤を正しい位置にしまーす」と軽やかに言い放たれボキボキボキっと背中を思い切り整えられた。
音は驚くが存外気持ちは良かったのは、内緒である。
足つぼマッサージ。
ふくらはぎ、お尻、腰、腕。
肉をぎゅうぎゅうに押し上げられたり揉み解されたり、痛みを伴う箇所もあったが、気がつけばすっかり顔がツヤツヤしていた。