アラトリア
おいおいおい
アラトリア王国、王城
王室の扉を勢い良く開け放つ音が部屋中に響く。開け放った当人は最近王室の報告員になったばかりのグレースだ。グレースは息を荒くして慌てている様だ。だが、それに反する様に王室の面々は静かに、だが、勢い良く開け放った者に静かな不快感を滲み出していた。
「……申し訳ございません」
グレースは部屋の空気に気がつき、冷静を取り戻す。少し身だしなみを整えて、改めて室内の一人に目を向けて話し出す。
「報告致します。王国の壁面、南門が倒壊致しました。原因は外壁にドラゴンゾンビの激突。現在、王国兵が対処に向かっております」
「ふむ……ではあの者もか?」
口を開いたのはグレースが目を向けた先、部屋の中で最も装飾が施されている椅子に座る人物、そしてこの国で現国王を務める者だ。名をウッルース=D=アラトリア、白髪の初老で十年前に即位、今日まで国王の座を守ってきた者だ。
ウッルースは室内の人物達から視線を集める。だが彼の顔には動揺がない。国王で有ろうと無かろうと、ドラゴンゾンビの危険性は誰もが知っている。だが、ドラゴンゾンビの襲来に対して驚いていたのはグレース以外は居なかった。それどころか最初に身構えていた者達も肩を下ろす程、この場に沈黙しかなかった。
グレースは背中にツーと汗が流れていくのを感じる。
「……はい。ドラトン殿が既に鎮圧に向かっております」
ドラトン=バルトス、この国の兵士長であり、この国が有する個人での最高戦力。ドラトンの出撃を聞き、ウッルースは「そうか…」と一言。ウッルースに慌てた様子はない。それどころか座っている椅子にさらに深々と座る。
「……ドラトンが向かっているのなら大丈夫で有ろう。だが、それだけでは無いのだろう?」
「……はい。ドラゴンゾンビの脅威は知っている通りだと思われますが、ですが問題はそれでは無く。南西の王国領の平原にてですが……」
「……どうしたのだ?魔物か、それとも何らかの魔力反応か?」
「いえ、魔物の反応でも、異常な魔力反応でも無いのです。王国の魔法観測員が観測した所……何も無いのです。魔力反応はおろか、魔素値がゼロになっています」
「……ほう?」
魔素、それはこの世界に存在する魔力の元となる物だ。魔素は空気の様に世界を漂う、それは世界に欠かせない一種の力だ。地球での酸素の様にこの世界には濃い薄いがある。だが、この世界にはある所を除き、魔素値がゼロになる所は存在しないのだ。例えそれが異常気象のようなものでも、魔素がゼロになる事はない。
「観測されたのは時間として、数分、直径三十メートル近く、生体反応一と観測されました。異常だったので報告に致しました次第です」
ウッルースを含め室内の全員が怪訝な顔をする。ウッルースを含め、全員がその異常性を理解しているのだ。
「それで、その生命反応は何処へ?」
「……そ、それが、申し訳にくいのですが、発見後直ぐにドラゴンゾンビの生体反応で塗り潰されて魔素値が戻り、生体反応はおろか、ドラゴンゾンビの広範囲魔力汚染で足取りは追えませんでした」
「何をしているのだ!我等の王国にどんな被害があるか分からぬとは魔法観測員は何をしているのだ!」
「止せ、ウレイス伯爵、私は気にしていない。」
グレースの報告に怒鳴りをつけたウレイス伯爵に対してウッルース国王が制止をかける。確かにウレイスの言い分はごもっともだった。と思うグレースだった。
「確かにこれから王国にどのような被害が出るかは分からない。だが、これからの事より、今の事を見ようか。それでドラゴンゾンビによるアラトリアの国民への被害はどうなっている?」
「は、はい、国民への被害は軽く、大きい物でも治療院で対処できるとのこと。問題は冒険者達でして、被害はおよそ十五人程、全員が死亡しているそう……です」
グレースが最後言葉に詰まったのは、ウッルースの顔に確かな怒りが灯ったからであろう。ウッルースの怒り、その理由は人が死んだと報告を受けたからだ。
そもそも、ウッルースの人間性は人が死ぬ事を許容するものではなかった。ウッルースは幼少期から国柄人の死を多く体験していた。だが、ウッルースは人が死ぬのに慣れるどころかそれを許せない性格へとなってしまった。本人も国王である以上、多くの人の命を背負う身である。国の維持には多少の犠牲を許容する器がなければならいない。それは本人も自覚している。
「……そうか、治療院はこのまま負傷者の治療を、調査兵は観測員とともにドラゴンゾンビの発生の原因を調査せよ。ドラトン含む近衛兵は一般兵とともに騒ぎの収集を頼む。以上だ。行動を開始せよ」
ウッルースは怒りを押し殺し、絞り出した言葉でドラゴンゾンビへの対処命令を出す。「分かりました」とグレースは一言、そしてグレースは部屋の大扉に手を掛け、ウッルースの命令を他へ流すため出て行こうとする。
「……そういえば、あの件の被害はどうなっているのだ?」
ウレイスが上から目線でグレースに聞く。「そういえば…」とウッルース以外の室内の人物達がざわめき出す。余程、重要案件のようだった。グレースは手元にあった報告書を一枚めくる。そしてグレースは報告書にあった事を丁寧に話す。
「はい。あの件ですが、この一ヶ月の観測でエフト村からアレスト村までで魔力反応を確認、いずれも数分から十数分の間、異常な魔力反応を感知しましたが、原因は未だ不明、後日近隣の村々へ兵を送ったところ、住民はその時の記憶がないと報告書に書かれています」
「何ぃ!また被害が拡大しているではないか!このままではいつ王都にもその魔の手がくるかどうかわからぬではないか!」
「落ち着け、ウレイス伯爵住民はほんの数時間、気を失っていただけであろう。なら王都に来たとしても問題はないはずだ。」
「ですが!その数時間を使い敵国、つまりは帝国に裏を取られてしまっては、我等王国は跡形もなくなりますぞ!一刻も早くそれを突き止め始末せねばなりますまい!」
「では、貴公であれば之の対処は可能なのか?」
ウッルースがウレイスに対してそう聞くと、ウレイスは黙り込み何も言えなくなってしまう。ウッルースは少し目を落とし、ため息をつく。そして再び目を上げ、グレースをに向かい、
「報告は以上であろう。止めてすまなかった。もう下がって良いぞ」
「は、はい!失礼致します」
部屋のドアに手を掛け開け、グレースは部屋から出て行く。カタンカタンと余程緊張していたのか、その足取りは早く直ぐに、足音が消える。
ウッルースはグレースの足音が消えるのを確認すると、部屋の面々を見る。この部屋に居るのは元より王国貴族のそれも、王家に関係するもの達である。今は数ヶ月に一度の王国の貴族会議の様なものの最中だった。
「それでは、此方もお開きにします?陛下?」
「そうですな、私達もそろそろ。ドラゴンゾンビの襲来、それにより壁の一部が倒壊してしまったのでしょう?それで私はそれの集取に行かなければなりませんのでな」
一人の二十代前半ほどの見た目の熟女が口を開く。するとそれに続くようにウレイスの隣に座っていた人物が女性の提案に乗るように自席を立つ。すると「わたしも」「そうですな、わしも……」次々と自席を立ち、部屋の扉を開け去って行く。
「……それでは私も……」
ウレイスは少し下向きながら扉へ向かう。最後ウッルースを睨むようにして、少し頭を下げ、部屋を出て行く。
「……ふう」
全員が出て行くと、ウッルースは背もたれに深く腰を掛け漏れた様に息を吐く。そしてテーブルの上のある書類を手に取る。そこには、先程、グレースが言っていた。〝あの件〟の事が記録されていた。
「………」
ウッルースはウレイスの言った事を思い浮かべる。
「確かにウレイス伯爵の言葉は一理ある。ただ、この件に関しては件数は多いものの、それに関する情報は殆どが白紙のままか……」
ウッルースは報告書をテーブルに置き、テーブルにある何枚かの報告書のうち一枚を再び取り見る。そこにはある物について記述していた。
〝魔剣・魔獣殺し〟の発掘、発見。と報告書に載っていた。
「ほう、魔獣殺しの魔剣か……確か、魔獣殺しは自然発生の代物ではなく、故の鍛治師が製造したと言われる、魔剣。と言ってもこの時代で見つかっても使えるものはおろか、権力争いに関係する品物でもあるまい」
魔獣、人知を超えた獣達、その余りある魔力で生態系をも変える害獣。それを殺す魔剣。とある鍛治師が製作したと言う伝説級の剣。だがその力は魔獣を殺す事だけを目的とした代物である為あまり重宝されなかった。
ウッルースは魔獣殺しの魔剣の資料をテーブルに置くと部屋の窓から外を見る。犠牲を出さずにこの先、どう対処を行うか、それを長考しながらウッルースの時間は過ぎて行く。
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王国は平民と貴族とで明確に住まいが分かれている。貴族が住まうのが上層区、平民が住まうのが下層区と分かれている。
下層区は公共施設など、一人の人物が高い権力を持たないよう、なるべく施設を分散させている。一方、上層区は一人がより高い権力を持つよう。一つの家に多くの施設が設置してある。
つまり、一つの本を閲覧するにしても、圧倒的に下層区の方が難易度は低い。だが上層区の方が圧倒的に質は上だ。だが、この世界の基礎を知るには、先ず質よりも量を優先すべきだろう。下層は一つ場所に集中しているため、量は一人が管理するには多すぎるほど内蔵している。
そして現在、ソラはこの世界について、基礎を知るため、下層区にある、大図書館へと向かっていた。無論、シエルとともにだ。
シエルは馬車が壊れてしまった為、ソラと共に徒歩で移動していた。そして王国は通路が若干坂になっているので、今向かっているところまで坂道を歩いているのだった。
「はあ、はあ、はあ」
シエルの呼吸が荒い。馬車の荷物を最低限回収して、この坂道をかれこれ十分ほど歩いているからだろう。だがシエルの隣を歩くソラは汗一つかいていなかった。シエルが回収したものは全部ソラが持っているのに……
「はあ、ちょっと疲れてきましたねぇ」
「え、そうかい?って言うか、僕が君の荷物持っているのになんで君の方が先に疲れているんだい?目は良いのに……」
「目は関係なくないですかぁ?」
「まあね、でも良く僕が見えたね。魔眼だっけ?うんうん、やっぱりこの世界は興味深いね」
魔眼とソラが言ったのは、シエルの目の事だ。そもそも、ソラはシエルに気づかれた時も能力『カゲ』を発動していたのだ。その『カゲ』でソラは自分の存在を隠蔽していた。にも関わらず、シエルはソラの存在を看破したのだ。シエルが言うには、『可視化の魔眼』と言っていた。その名の通り、存在がないものを見る魔眼と言っていた。
(まあ、それだけでは無さそうな感じだったけどな……)
現在もソラは『カゲ』を発動していて、周りには見えていない。シエルには視認できているようだが。魔眼はこの世界の希少物資であり、何十万人に一人、とシエルは言っていた。
「それよりも、ソラさんの方がよっぽど興味深い言動をしていますよう。別の世界とかなんとかって、本契約されましたら、色々聞きますからねぇ!」
「まあ、それは四日後になるから良いんだけどね。本契約は四日後それまでは協力関係、この国で僕は好きにさせてもらうって事だ」
「それって協力関係って言うんですかぁ!?それ私が忙しくなるだけじゃ……」
「安心してくれたまえ。もっともなことがない限り君には迷惑はかけないよ。寝床も食料も君の分だけでいいよ。僕は国を出て野宿、でもしておくよ」
「えぇ!?じゃあ私一人で宿屋で寝泊まり?」
「それに、君が言ったんだ。この世界には召喚魔法ってのがあって、召喚されたからにはその召喚した者がいる。僕はそいつを見つけて話を聞きたいんだ。夜通し活動するつもりだからね、どうせ寝泊まりする場所は必要ないさ」
ソラが口にした召喚魔法、シエルはソラが別世界から来たと聞いた時、それが原因とソラに言ったのだ。召喚魔法とはその名の通り何かを召喚する魔法だ。召喚する物は人、物、それどころか、世界、次元をまたいで召喚できると言う。
シエルが言うには、召喚魔法の使い手は数が少ないようで、見つけるのも大変のようだ。だが、召喚者は術者のそばで召喚されるようでソラは術者がこの国の付近にいると踏んだのだ。
そして今ソラ達は術者を探すよりも先に図書館へ向かっていた。シエルは先にソラに術者を探さないのかと聞いたが、ソラは現状、この世界の知識を知ることが重要だと言っていたので、シエルはソラに全ての荷物を持たせて、図書館へ向かっているのだ……知識を知りたいと言ったソラの目が輝いて見えたのをシエルは言わなかった。
(言ったらなんかされそうですし……それに仮契約はしているし、それにそれに、ソラさんは嘘はつかなそうですし……)
仮契約、それはソラとシエルが交わした用心棒の契約だ。ソラはシエルに対して用心棒になると仮契約を交わした。だが、ソラは四日間の余裕を要求した。この国でこの世界の知識を得ること、そして術者を見つけること。それがこの国でソラが先ずやる事、目標となった。
そしてその四日間が終わったら、ソラは本契約を、その間にお互いのやる事を、と言うことになっている。ソラはともかく、シエルは馬車の再入手と商業ギルドへの登録そして商品の買い出しをすること、こちらも四日間程の期間が必要なのだそうだ。
それにしても、とシエルがソラの体を眺めながら呟く。
「ソラさんはそんな細腕、細足でよくあのドラゴンゾンビを蹴り上げられましたねぇ。それに見た感じ、魔力で強化とか魔法も使っていなかったようですし、それにどうしてそんな疲れないんですかぁ?」
「まあ、それは僕の個性と言うことで。ほれ、前」
「え?……ばふぅ!」
疑問を抱いたシエルの言葉は変な悲鳴と共に遮られた。前を向いていなかった為、道端で転けたのだった。シエルは鼻を赤くしながら起き上がる。
「痛てて」
「道端の石で転ぶとか君は面白いな」
ソラは目の光を殺しながら、棒読みで、しかも愛想笑いすら浮かべず、真顔でそんなことを言う。シエルはそんなソラを見て「ヒッ!?」と短い悲鳴を漏らす。ソラのことは見えていないので、行き交う人達がシエルに集中する。
シエルには見えていた。ソラの死んだ様な表情が見えていた。そして、ソラの表情が言っていた。「早く図書館に行こうか……」と圧で語っていた。
「は、はい。早く行きましょうか……」
「うんうん。そうだね」
それからシエルが宿屋に着き、ソラが持っていた荷物を置く。それから宿屋を出て、しばらく歩くと、とある建物の前で二人の足が止まる。
二つの両扉を軽く開けて二人はその中へ入る。扉は軽く、そして軋む様な音を立てながらゆっくり開けていく。中からは木の独特な匂いがしてくる。そして広がる視界には一面の本棚とそれに並ぶ本。
扉を開ける音ともに扉近くにあるカウンターに居る受付人がシエルの存在に気づく。ソラは相変わらず『カゲ』の効果により、今の所はシエルにしか気づかれていないようだ。
ソラはバレるわけにはいかないので、シエルが代わりに受付人と話す。
「あの……」
シエルがソラの方を見る。ソラは気がつくと人差し指一本を立てる。一人でいいと言うサインだ。どうせソラは気づかれることはないと思ったのだろう。
「一人で」
「はい、銅貨一枚になるよ。あとは好きなだけ見ていきな」
「はい、分かりました」(お金取るんですか知りませんよう。そんなこと!)
ソラの方を再び向くと、ソラは黙りながら言っていた。「まあ、でも君なんでもするって言ったよね?」と圧で語っていたのだった。
シエルは支払いを済ませると、ソラと共に図書館内を見て回る。図書館は三階まであり、そこまでが吹き抜けとなっている。地下にも施設は広がっており、外見通りの大図書館となっている。だが、図書館には受付人以外の姿は見えない。どこかの本棚にでも隠れて見えないのだろうか。
図書館に来た目的は言うまでもなくソラがこの世界の知識を得ること。ソラは何冊かを持ち出し、二階にある椅子に座り読み始めた。シエルも何か自分の読める本はないか探すことにした。
ペラペラペラ、ペラペラペラ、ペラペラペラ、ペラペラペラペラペラペラ、シエルはそんなページをめくる音を聞いて気づく。ソラの異常なまでに速いページをめくる音を。
「あ、あの、ソラさん?それ本当に読めてるんですか?」
ペラペラペラ、もはや表紙を抑え、そして流れるようにページがパラパラと一冊が数十秒で終わるほど速く、ソラの手は止まらない。
「ああ、読めているさ。別に常人であれば着いてこれない速さでも、脳のスペックを上げれば、記憶力だけじゃなく動体視力も上がるんだ……って言っている意味は理解できそうにないか」
「はい。全く待って理解できません!」
「そ、まあいいや。これから暫くはここにいるよ。お金を払って申し訳ないけどね、ここから出て行ってくれてもいいし、君の好きなようにしててくれ」
「は、はい。分かりました。まあ、もう少しだけ読んでいきますう」
「そうか」とだけ言うと、ソラはまた本を一気にめくり、次の本へと目を写してを繰り返していた。ソラとシエルだけしかいない二階にソラのページをめくる音だけが響くのだった。
次回も来週までには投稿します