素直になれない、それがツンデレ
『いつかギャフンといわせてやるからなァァァ!!』
…これは『暗黒魔道士ルルノイエ』に登場する、アルトラン伯爵家の三男坊、ミハイルがよく使用する台詞である。
ミハイルは悪い奴じゃない…というよりむしろ、いい奴だ。お人好しでそこそこイケメン…ただし彼はおっちょこちょいの、いわゆる2.5枚目で、とても惚れっぽい。惚れた女を次々にルルノイエに取られてしまう、という役どころなのだ。
「ギャフン」
きっと一生使用することなどないと思っていたが、今の気持ちを一言で表すならこれがピッタリな気がした。
ノアは一瞬止まったあと、小首を傾げた。
「……なぁに?ソレ」
私は表情を変えずに答える。
「…いや、間投詞ってやつよ。気にしなくていいわ。それよりも…その…そうだとして、どうしたらいい?」
本来ある形容動詞が入る部分を意図的に濁した。
その行為は完全に照れからきている筈だが、私はノアに枕を投げよう、とは思わなかった。
これがエミールだったらおそらく枕を投げている。
例えばレヴィウスだったらどうだろうか、と想像してみたが、彼がニヤニヤしながら濁した部分に対して聞き返してくる姿が浮かんできた為、意味がなかった。
違う意味で暴力に及ぶのでは比較対象にならない。
「キャロル、好きな人にドキドキするというのはごく普通の事だと思うわ。きっと貴女は初めての感情に戸惑っているだけよ」
素直に認めて、彼と向き合えばいいだけのことではないかしら……彼女はそう言って微笑んだ。
彼女のその言葉に私は、『暗黒魔道士ルルノイエ』の『二次創作本』のある一作のシーンを思い出した。
『二次創作』にも色々あるとは思うが、ウチにあったソレは、原作よりももっと見つかりづらいところに隠されていて、その多くがBL本だった。
母は腐女子だったのだ。
(以下思い出された本より抜粋)
「…そうやって君は私にキツく当たるが…本当は私のことが好きなんだろう?」
ルルノイエは彼の鋭い拳をひらり、と華麗に躱し、後ろに回るとミハイルの耳元でそう囁いた。
からかう様に…それでいて、甘く、どこか淫靡に。
「…っ!冗談っ……」
強く否定しようと振り返った彼の唇を、強引にルルノイエは奪う。激しく口を吸われ、その快楽に身体の力が抜けそうになりながらも彼は抵抗し、ルルノイエの美しく白い首にその爪で傷をつけた。鮮血が薔薇の花弁の様に舞い散る。
すかさずルルノイエから離れたミハイルは、自らがつけたルルノイエの首筋から流れる赤いものに気付き、目をそらした。
「どうしてそんな顔をする…?私のことが嫌いなんだろう?…私は…君のつけたこの傷さえ愛おしいというのに……」
そう言ってルルノイエは長く美しい指で傷をなぞると、傷口を広げるように爪を立てる。
「!?やめろ!バカ…」
止めようとするミハイルの腕を掴んだルルノイエは、挑戦的な目で彼の目を見つめ、詰る様に言った。
「認めてしまえよ、ミハイル。私への想いを」
そしてルルノイエはミハイルの
「……ル?キャロル?」
最初はノアの言葉から思い出されたに過ぎなかったが、途中から現実逃避的に内容を全て思い出そうとしていた。ノアに声をかけられたため、中断されたが。
しかし、その余韻と自分の抱いているかもしれない想いにショックを受けている私はおもわず呟いてしまう。
「…私は二次創作本の受けミハイルと同じ…ツンデレだと言うのか…?」
「…えっと、キャロル?…私、貴女が何を言っているのか全然わからないのだけど……にじ?…ミハイルって…誰??」
ノアは清らかなので、当然世俗の垢……というか一部の女子の欲望にまみれた本など読んだことはなく、私の言った台詞は全く理解できていない。
もっとも彼女が隠れオタクで「あー、ルルノイエ×ミハイルのアレね!」とか言われても対処に困るが。
そして私は今更のように、なぜここにきて幼い頃読みあさっていた『暗黒魔道士ルルノイエ』のことばかり思い出すのか、その理由に気がついた。
初めはエミールがルルノイエに似ているからだとばかり思っていたが、それよりもむしろ…それぐらいしか恋愛についての知識や経験がないのだった。
迂闊にも『暗黒魔道士ルルノイエ』について口に出してしまったことで、事態の混迷は更に深まることとなった。
ノアが『ミハイルって誰?』と私に尋ねたすぐ後に、扉の向こうでガシャリ、と大きな音がした。
中の様子が気になっていたのだろうと思われるエミールが、茶を用意したことを理由に寝室の扉を叩こうとしていたところだったらしい。
ノアが扉を開けると、顔面蒼白のエミールが立っていた。
「ミハイル……とは……?」
えーと、アルトラン伯爵家の三男坊であり、二次創作で主にツンデレ受けとして使用される『暗黒魔道士ルルノイエ』のキャラクター名ですけど……何か?
……とは流石に言えず、私はノアに視線で助けを求めた。
ノアは優しい笑顔と口調でそっと、私に諭すように言った。
「大丈夫……キャロル。私もまだ貴女から聞いていないことがあるようだけれど…エミール様への気持ちを素直に伝えれば、きっとうまくいくわ」
そう言ってノアはエミールへお辞儀をし、部屋を出て行った。
彼女はやはり『ド天然系天女風・鬼』だ。
私は自らのネーミングセンスを誇り、エミールの方へしっかり向き直ろうと姿勢を正した。
彼は勢いよく近づいてきたものの、ベッドの前で一旦立ち止まると恥ずかしそうに目を逸らし、乱暴に天蓋に備わっているカーテンを引いた。
カーテンを挟んで彼はベッドに座る。
「…そんな格好の貴女と対峙したら、今の私では怒りに任せて貴女を無理矢理奪ってしまうかもしれません。」
……ぬああああああああああ!!!
心の中とはいえ、こんな奇声を発してしまったのもおそらく初めてのことのように思う。
言うか!そういうこと言うか!!
確かに寝具用の薄めのドレスだけれども…!そこまで露出が高い訳でもないじゃないか…!!
大体ミハイルは架空の人物だぞ馬鹿!
端っこに追いやられている冷静な私が見ているのは、もうひとりの自分が『彼が女として私を見ている』事と『彼の嫉妬』を実感して騒いでいる姿だ。
騒いでいる自分の方が優っている今の状況下で、いくら冷静な私が俯瞰で見ていたとしても、現実の私の行動に直接的に影響を及ぼしているのは騒いでいる自分である。
そして俯瞰で見ている私も役には立っていない。
その冷静な私は言った。もうひとりがなぜ騒いでいるか、その理由を。
私は枕を強く抱き抱えて顔を埋め、体を震わせながら気恥ずかしさに耐えた。
「…ミハイルは…本の中の架空の人物です……」
枕に顔を埋めたまま、とりあえずそこだけ説明した。
え、と小さく彼は呟いて振り返り、カーテン越しに私を見る。
「そう…です、か…。」
たどたどしくそう言うと、溜息を吐いた。
「申し訳ない…私はどうにも余裕がないようです。先ほど花瓶を探しに行かれた際も…少し時間が経っただけなのにいてもたってもいられず、貴女を探しに行ってしまった」
彼は別に魔法で監視していたわけではなかった。私の元の部屋へ探しに行くところだったようだ。
そこでノアの部屋に入った私を見かけた彼は、彼と一緒にいたくないという私の言葉を聞いた。ノアの部屋は私の元の部屋の隣だし、急いでいたので、扉を閉めなかった気がする。
探しに来るのもどうかとは思うが、ストーカー呼ばわりして責めるほどのことではない。…言わなくて良かった。
『エミール様への気持ちを素直に伝えれば、きっとうまくいくわ』
ノアの言葉を噛み締めつつも、それは私には困難であることを否応なく感じた。
何故なら私はツンデレらしい。認めたくないが。
ツンデレの定義は人によって違うだろうが、素直になれないのがツンデレのツンデレたる所以であることは間違いない。
ただ、誤解はといておかねばならない。慎重に言葉を選びながら私は彼に説明をした。
「少し…自分の行動が軽率であったことを実感したので、ノアに相談する時間が欲しかったのです。貴方に素直に相談できなかったことが全ての原因…ですから…謝るのはこちらの方です。申し訳ありません。…ただ」
私はわかりきっているその言葉を口にするのすら、意を決しなければならなかった。
「貴方とのこの先を前向きに考えていることに変わりはありません。それはご理解ください」
……なんとか言った。
気が付くと掌に尋常じゃない程の汗をかいていた。
こんな今更な事実を確かめるだけの言葉にすら物凄く緊張していたことに気付いて、私は歯の浮くような台詞を何度も繰り出すエミールを単純に凄いと思った。
つーか本当に私のこと好きなのかよ。よく言えるよな。
…みたいな事を今までは心の中で思えたけれど、ちょっと今は思えそうにない。
そんな珍しく殊勝な私を、彼はカーテン越しにそっと抱きしめた。
「少しだけ…こうさせてください…」
そういうことはせめて本人の了承を得てからにしろ……!!
彼への気持ちを、あろうことか初日に自覚することとなった私は…この二ヶ月間の『白い同棲』を自分が彼へ気持ちを上手く伝えられるようにする、という期間に切り替えることにした。
いわば『変則的ツンデレ・矯正期間』である。