運命でない一投
「具合……大丈夫?」
おそらく走ってきたのだろう、息を切らしながら帰ってきたエミールは私を抱きしめ、心配そうにそう言った。
「大丈夫に決まっているわ。仮病だもの」
私がそう返すと、彼はホッとした顔をした後、微妙な笑顔を向けた。『何故そんな事をしたのか』と聞いてこないあたり、色々察したと思われる。
この期に及んでまだ私は彼にいちいち揺さぶられている。
なんで走って帰ってきた……宮廷の廊下を走るんじゃない!
っつーか廊下は走るんじゃない!!
仮病だっつってんのにホッとした顔をするな!
食事の後話があると彼に言うと、エミールは何の話だかわかっているようで、やはりただ黙って微笑んだ。
「このところ様子がおかしかったのはそういうことだったんだね。君の身体の不調じゃなくて良かったが……私のこと、嫌いになった?」
彼はいつものようにソファには座らず、窓の前に立ってそう言った。ソファに座っている私とは距離を取るあたりに彼の真面目さが覗えた。
もう既に彼は強引に迫られるのに私が弱いことは充分わかっている筈だ。正直今までだって、そういうことになりそうな事態に陥ったことは何度かあったが、私がストップをかけると必ず彼は止めてくれた。
今回の件で私に責められることは彼も予想しているだろう。当然この『白い同棲』を含め、彼との結婚の考え自体を白紙撤回する、というのも視野に入っているに違いない。圧倒的に不利なこの状況でも彼は、なし崩し的な流れに持ち込むような真似をするつもりはないらしい。
何を以て『愛されている』と感じるかは人それぞれだろうが、自分でも意外な程己の貞操観念が高かった私は、彼のそういうところには常々好感を抱いていた。
というか、まさにやらずぼったくり的に彼がお預けをくらう様に萌えていた。
それに鈍器も使わずに済んだ。
それは流石に言わないが、そんな私が彼を嫌いになどなる筈がない。
だからといって許せるかどうかは別問題だが。
彼の『嫌いになったか』という問には答えず、私は逆に彼に質問した。
「貴方はどう思うの?……私が今何をどう思っているか……貴方はそれに対してどう思うのか、聞かせて。一応確認しておくけど、夜会の一件は貴方の入れ知恵だったのよね?」
エミールは頷いて呟くように言った。
「……ラストチャンスだと思ったんだ。君に私を知ってもらえる」
それ以上彼は夜会の件に関しては何も語らなかったが、私の質問にはこう答えた。
「私が仕組んだ事だとわかったら、君は私を許さないだろう。違う?」
その質問にも私は答えない。
「でもそれでいい。君はハロルド様の元には戻らないだろうし他の男と婚約をするとも思えない」
その言葉に私はおもわずグラスをぶん投げた。
彼の顔めがけて投げつけてしまったソレは、少し横に逸れて窓ガラスめがけてとんだ形となった。彼はそれを左手で制し、グラスは彼の手の甲にあたって砕けた。彼の左手から赤いものが流れ、私は目をそらした。
クソ……これでは二次創作本のミハイルまんまじゃないか……
目の前で血を流しているのも当然ルルノイエではないが、奇しくもエミールは彼が帰る前に私の中で再生されたルルノイエと似たような台詞を口にした。
「どうする?キャロル……君はどうしたい?」
どうしたい?と聞かれてもそんなの散々考えてわからなかったんだから仕方ないだろう。
エミールにはそれも含めて言おうと思っていたのだが、考えてみれば癪に障る。告白しているのと同義みたいなもんだ。
私はもう考えるのが嫌になった。
「……とりあえずこの『白い同棲』は今夜で終わり。後のことは……そうね」
『コイントスで決める?』……投げやりに私はそう言った。
誰かに決めさせたくなどないけれど、自分でも決められないならこれしかない。
エミールはキョトンと顔をしたあと吹き出した。
「いいよ、やろう。表が出たら結婚だ、いいね?」
「表が出たらね、わかったわ。裏が出たら……」
「今回の件はすべて白紙。全てなかったことにする……それでいい?」
彼は楽しそうに上着の懐から財布を出し、コインを私に差し出すと検めさせた。
問題はない。私はコインを指で弾く。
コインが高く上がると同時にエミールは私の元へ駆け寄り、抱きしめてキスをした。
「ちょ……」
コインは床に落ちてしまった。その所在は確認できたが、表か裏かまでは分かり兼ねる。
ちょっと待て……結果が出てないだろうが!
そうツッコもうとするも、激しく長いキスをされ、言葉を発するどころか呼吸もままならない。
キスを終えたあと私は反射的に彼を思いっきりひっぱたいた。
「……っ!!」
言葉が出てこない私に、彼は躊躇いながらも嬉しそうな笑顔を向けた。
「コイントスに任せてもいいくらいには……私のこと好きだって思ってくれてるんだろ?なら、結果なんてさしたる問題じゃない。少なくとも私にとっては」
……なんせ14年も待ったんだ、独り言のようにそう言って彼は私に向き直った。
「君が許してくれなくても、嫌われてしまっても……君に知ってもらえたら……もう絶対に君を諦めないと決めていた。もともと長期戦の覚悟だったんだ」
彼は真っ直ぐに目を見て私にそう言った。
「貴方は大馬鹿のストーカーだわ……」
私の言葉に彼はやはり嬉しそうに微笑むと、跪き、手を差し出した。
「私と結婚してください……キャロライン」
私は彼の手をゆっくりとって持ち上げ、裏返すと思いっきりつねってやった。
「お 断 り よ」
そう言って私は落ちているコインを拾った。




