不愉快な仕返しの成功
私はハロルドに言われたことを早速やってみることにした。もしそれがうまくいかなかったら、またヤツに違う策を考えさせればいい。
部屋に戻った私はとりあえずノワールを呼び出した。ノワールは化け猫である。
もともと曾祖母の飼い猫だったらしいが、200年以上生きていると思われるのでもしかしたらもっと前からいるのかもしれない。
人間に化けるまで成長した彼は、時に隠密活動を行ってくれる私の従者だ。
もっとも餌の保証程度しかしていないので、さして危険なことはしないうえ、猫なので気まぐれである。
『暗黒魔導師ルルノイエ』を見つけた屋根裏部屋で彼と出会い、母から譲り受けた。母曰く、
「困った時にでも使いなさい。餌をあげてりゃそれなりに役に立つから」
……とのこと。そんな感じで母も祖母から貰ったらしい。
もっとも母は、専らBL本を買いに行かせるのに彼を使っていたと後でノワールから聞いた。
もっと他に使いどころなかったんかい。
「久しぶりにゃ、キャロル」
彼は人間の姿に変化して私の前に立つとこう挨拶した。
「確かに『にゃ』を語尾につけなさいと命令したけれど、それは猫の姿の時だけだと言ったでしょう……!」
彼は色々な姿に化けられるが、基本は10歳ぐらいの美ショタ姿で現れる。サバトラの猫姿の時に『……だにゃ』と言われるのは可愛くて大好きだが、ショタ姿でそれをやられるとそのあざとさに激しくイラッとする。控えめに言ってぶん殴りたい。
「もう、細かいんだからなーキャロルは。で、なに?」
私はレイナ・スノーグ男爵令嬢の今について、ハロルドの為に調べてやることにした。
知りたいのは今だが、一応は彼女及びスノーグ家についての諸々と、今回の一件周辺の彼女の動きもどうせだから探っておこうと思う。もし彼女が現在ピンチだったときにどう助け舟を出すかは、それを知らなければ話にならない。(場合によっては助けないという選択もするかもしれないし)
一見可愛いアホの子の様なノワールだが、200年以上は生きているという彼である。その気になればこれくらいのことは朝飯前だ。
ノワールの帰りを待つ間に、私はエミールが帰ってからのシミュレーションを脳内で行うことにした。……そして気付いた。
……先に仕掛けるって…どうすりゃいい?
ハロルドには恥ずかしくて言えなかったせいでうっかりしていたが、いつも私はされる側だった。目でも瞑って待てばいいのか?いや、それだと口にされかねない。別にどちらがする側、というルールではなかったので、私がする側にまわればいいわけだが……
……私から。……私から!?
いいアイデアだと思われたが、いざやろうと思って考えてみると、案外ハードル高いぞこれは。
しかも、帰ってきた後のキス・ハグ・手を繋ぐ・寝る前のキス……4つもあるじゃないか……
想像しただけで爆死しそうになった。
想像で爆死だぞ。できんのかコレ。
『それならばできそうです』などと安易に言ってしまった自分が憎い……。もう少しキチンと想像をしてみるべきだった。
しかもやるからには余裕な感じでことを済ませ、尚且つ彼をドキドキさせなければいけない。主導権を握ることが目的なのだから。
(いや、まぁそもそも全部やる必要もないか。イキナリ怪しいし。今日は何かひとつやってエミールの反応を覗ってみることにしよう)
そんな事を考えながら、私は周囲を片付け始めた。念の為、鈍器になりそうなものは遠ざけておこうと思ったのだ。
暫くすると、ノワールがやってきた。
彼から話を色々と聞いた私は、思いもよらぬ事実を突きつけられることとなった。
「ただいま、私の可愛いキャロル」
いつものように余計な一言を固有名詞の前に添えて、彼は帰ってきた。
彼が少し身体をかがめ私の顔に手を添えようとしたタイミングを狙って、私はすかさず彼の手をとり、背伸びをしてエミールの左頬に口付けた。
彼は始め何が起こったのかわからないようでキョトンとしていたが、暫くすると左頬に手をやって真っ赤になった。
「……お帰りなさい、エミール」
今夜は部屋の調光をわざと暗めにしてある。理由はムードを上げる為でもあるが、どちらかというと私の表情を更にわかりにくくする為だ。
食事をとりながらも私はエミールの心を揺さぶるべく、次にすべきことを考えていた。
「キャロル?今夜の君はなんだか……感じが違うようだけど」
「あら、そう?貴方がそう言うのなら…そうかもしれないわね」
私はエミールとは目を合わさずそう言った。彼は明らかに戸惑っている。
食事を終えると彼はいつものようにソファに座り、私を隣へ促した。しかし、私は敢えて彼の斜め前に座る。その代わり侍女にあらかじめ用意してもらっていた酒とグラスを持っていった。
「たまにはいかがかしら、と思ったので」
グラスに酒を注ぎながら私がそう言うと、彼は視線を私から逸らし、動揺を隠しきれないまま私に尋ねた。
「今夜は本当に……どうしたの?」
「……嫌ならいいのだけれど」
質問に答える気のない私の返事に、エミールはもどかしそうに振り返る。
「いや、嫌だなんて……ただ」
「エミール」
グラスに自らの分も酒を注ぎ終えた私は彼の言葉を遮ると、それを持って彼の隣に移動した。
「!!」
彼の身体がビクリと震え、彼の緊張が伝わってくる。散々私がこの一週間味わわされたものだ。
ゆっくりと彼の指に触れ、その大きな手に自分の手を重ねる。
「少し……黙って?」
なるべく静かにそう言うと、彼が尚も身体をこわばらせるのが感じられた。私は親指をそっと彼の手首に滑らせた。……脈が早い。
エミールは私のその行為に、更に心音を早めたようだ。彼の表情を覗おうと目線を上げると、彼は敢えて私を見ないようにしているのか顔を背けたままだった。ただ髪の間から少ししか覗かせていない耳すら、真っ赤に染まっていることが確認できた。彼の表情は容易に想像がつく。
私はゆっくりと酒を飲みながら、冷静に次のシミュレーションを行う。
突如彼はグラスの酒をあおるように飲み干すと、私の方を向いた。
「キャロル……っあのっ……」
「エミール」
私はパッと彼から手を離しながら彼の発言を遮り、ボトルを持ち注ぐ動作を行う。
「空になったのね。さ、どうぞ」
彼はボトルの口を手で軽く止めて私を見つめた。
「酒は、もういらない……それよりも……」
熱い吐息でそう言いながら私の髪をひと束優しく掴むと、そっと口づけた。
私はゆっくりテーブルにボトルを置いた。コトリと小さく音が鳴る。予定とは違う彼の行為も、今の私には問題なく対処できる。
私は髪から肩へ動こうとしている彼の手をとり、ゆっくりと押し戻しながら彼の肩に自分の額を当てた。
「ね、エミール……目を瞑って?」
そのお願いにエミールは素直に従った。
私は彼の額にキスをすると、彼からそっと離れた。
「……おやすみなさい、エミール」
「……!?」
私はさっさと寝室へと戻り扉を閉めた。
そっとエミールの様子を覗うと彼は何が起こったのかわからないような顔をして、顔を赤くしながら馬鹿みたいに口をパクパクさせていた。
それはかなり間抜けな姿だったように思う。……いや、実際彼はなにか期待しちゃってスカされた間抜けなのだ。
しかしそんなことでは私の溜飲は下がらなかった。
何故あんなにオタオタしていた私がここまで冷静にことを行えたのか……
それは私がエミールに対し、物凄く怒っていたからに他ならない。
彼は予め知っていたのだ。ハロルドの婚約破棄の計画を。




