ひとの気も知らないで
俺はこの国の第三王子、ハロルド・バーミリオン(18)だ。
今俺は地下牢に幽閉されている。……元凶はこの女、俺の元婚約者キャロラインだ。
つーか何故お前ここにいるんだよ?!
……そう叫んだのは3日前の出来事だ。
こいつが『何故ここにいるか』、その理由を俺はもう知っている。
図々しいことにこの女は元婚約者の俺に、他の男とうまくやる為のアドバイスを求めにやってきているのだ。
『なんの嫌がらせだ』と言う俺に、やつは相変わらずの無表情でこう言った。
「嫌がらせのつもりではありませんでしたが、貴方が嫌がっているのを見ることでこれまでの溜飲も下がり、一石二鳥ですね。これは気付きませんでした」
……本当に嫌な奴だ。
元々俺と彼女は相性が悪い。
それは好きとか嫌いとかを超越している。
俺は確かに兄のお下がりを与えられた、という事実に腹を立ててはいたが、相手がキャロルだったことは……内心嬉しかったのだ。
俺は彼女が極稀に見せる自然な笑顔に心を奪われていた。
もっともそれはすぐに生温い幻想だったと気付かされるのだが。
王である父への反発心に加え、もともと素直じゃないところのある俺である。うまくキャロルへの好意が示せなかったことは認めよう。
だが、それでも最初の頃は仲良くなるべくそれなりに努力をしたし、彼女もそうだったように思う。
しかしそこで彼女と俺との相性の悪さが如何なく発揮された。
俺の努力は尽くスルーされるか、酷い時は俺に対する不信感を彼女に植え付ける事となり……彼女の努力は、本当は照れ屋な俺の行動を気持ちとは裏腹なものにさせた。
そうしてキャロルと俺は徐々にその距離を広げていった。
「ハロルド様は女性がお好きでらっしゃるし、私はもう20歳です。この際仮面夫婦になる…という選択は如何でしょうか」
そうすればいつでも貴方は好きな女性を侍らせられます、と事も無げに言われた俺はブチ切れそうになった。
今思えばそこでブチ切れるか、いっそ夫婦になってしまえば関係は変わっていたのかもしれない。
しかし本当に彼女を怒らせたときに味わわされた恐怖の記憶が俺にストップをかけた。最早俺は、この女に自分の素直な気持ちなど吐露することはできない体になっていた。……事実、夜会でキャロルに恥をかかせた後の俺は、彼女の報復を恐れみっともなく震えてしまったし、三日前脅された時もそうだった。
開き直ってとりあえず仮面夫婦から始めるという選択肢も選べなかった俺に、『もう20歳』というキャロルの言葉が重くのしかかった。
レヴィウス兄様のところのように相思相愛でない以上、これ以上婚約期間が長いのは確かに辛いだろうとは思う。素直になれない俺も悪い……そして経った月日の間に深まった溝を埋めることができる自信もなかった。
いっそのこと婚約破棄をしてやった方が彼女の為かもしれない。
その考えは日に日に強くなっていった。
しかしもともと無理矢理婚約させられたのだ。自分の力で破棄できるとも思えず、俺は思い悩んだ。
俺は幼馴染で友人であるレイナ・スノーグ男爵令嬢に相談……というか愚痴を吐いた。
レイナは色白…というより全体的に色素が薄く、髪だけが鮮やかな黒色をしている。小柄で華奢。見た目的には儚げな印象の女の子である。
しかしその儚げな見た目とは逆に性格は極めて男っぽく、俺よりも遥かにサバサバした性格だ。下町育ちだからか口調も粗雑で、見た目とのギャップが物凄い。
彼女とはつかず離れず仲良くしており、男女ながら親友とも呼べる存在である。
彼女にそんな愚痴を吐いてから数日後、俺はレイナに呼び出された。
「暫く考えたんだけどさー、私と駆け落ちでもするかね?」
菓子を頬張りながらレイナはとんでもないことを言った。
彼女の計画はこうだ。
王と王妃が暫く不在になる間に夜会を開き、キャロルを誘い、無実の罪で断罪する。一方的に婚約破棄。そこで婚約破棄できればよし。ただしキャロルが黙ってそれを許すはずはないので、そしたらとりあえず駆け落ちする。多分すぐ捕まるけど婚約はおそらく破棄になる。
俺は呆れてしばし二の句が継げなかった。
「馬鹿…そんなの」
後々危険すぎるだろうという俺に対し、レイナは平然と続けた。
「そう?王がいない時なら温情溢るる判断を下してくれるんじゃん?王太子様、君に超甘いし……責任を問われる立場だから大っぴらにしたくないっしょ。キャロル様だってこれ以上メンドクサイことに関わって年をとるより、ハルやんの女癖が理由で婚約破棄できればまぁいいやってなるんじゃないかい?……キャロル様のこたあんまよく知らんけど」
ま、君が本当に婚約破棄を望むならだがね。と爺のような口調でレイナは締めた。
「俺がそう望んだとして……お前に何のメリットがあるんだよ?まさかお前、俺のこと」
「今更なに言ってんのさ?勿論好きだとも。可能性としては限りなく薄いけど、もし駆け落ちが成功しちゃったらまぁよろしく頼むわってくらいには。あ、でも君生活力なさそうだなぁ……やっぱり早々に捕まろう」
レイナはいい加減な感じで言ったが、常にコイツはこんな感じなのでよくわからない。しかしそのあと彼女は不敵に笑った。
「心配しなくともメリットはちゃんとあるのだよ、ハルやん。それに王族の君にも恩を売れるじゃん?充分充分。……で、どうすんの?やんの?やんないの?」
レイナにせっつかれて俺は思わず『やる』と言ってしまった。
キャロルの為に婚約破棄したかった、という気持ちに嘘はないがそれがどこまでの気持ちだったかは今でも良くわからない。
なぜならば俺は流されやすいのだ。……今回も完全に流されていた。
「また来たのか、キャロル……」
流された罰を今俺は受けている。
3日前に現れたキャロルに『好きな男ができた』と聞かされた上、そいつとうまくやる為のアドバイスを、何故か俺はしなければならなくなってしまった。
一応は元婚約者だぞ、俺は。何故俺に相談する!?
そこまでならまだいい……(いや、良くはないが)
あろうことか彼女は俺に、正真正銘の笑顔を向けたのだ。
俺が迂闊にも惚れてしまった、あの笑顔を。
なにもかもうまくいかない俺はキャロルとの関係を半ば諦めつつも、『あの笑顔を一度でも俺に向けることができたら結婚を申し込もう』と決めていたのだ。
彼女の眩しい笑顔に椅子から転げ落ちた俺は思わずつぶやいた。『なんで今更……』と。
そんな俺の気も知らず、今日もまた彼女は俺の前にやってきた。
好きな男との報告なんて聞きたくないし、アドバイスなんか求めてくんじゃねぇよ……もう帰れ。
そう思いつつも俺は目前のキャロルとのやり取りに期待を持たずにはいられなかった。……またあの笑顔が見られるかも、と。




