どうせ衣装が届いたようなので
黒い燕尾服を模したフォーマルなジャケットワンピース。
カスタム用に色違いのリボンと、帽子や付け襟、ネクタイなど。
レコーディングから一週間後、私達の衣装が届いた。
「アンタ・・・これ、完全に予算オーバーでしょ・・・」
「違うんだ鈴原 茜、なんかこれはその・・・楽しくなっちゃって」
「計画性があるんだかないんだか・・・」
「まぁ、少なくとも業者に頼むよりは安く仕入れられたもんだぞ、これも同人活動家に頼んだものだし」
「うっそ・・・こんなの作る人もいるの? 同人って何でもありね・・・。」
「奏さんって方でな、元々はドールの衣装を趣味で作ってる人なんだが、この機会に人間の衣装に挑戦してもらった」
「へぇ・・・ってかそれ大丈夫なの?」
「一応、な。 高い買い物だったんだ、無理して壊すなよ」
「まぁ、大事には使うけどさ・・・実際めっちゃ可愛いし」
他のメンバーより早く事務所に来た私は一足先に衣装のお披露目を受けていた。
正確にはここに着いたのは二番目であり、私より早く着いていた篠崎 蒼が今、隣の部屋で着替えているところである。
ここ最近のプロデューサーはおかしい。
以前から普通と呼ぶには奇怪な思考の持ち主だとは思っていたけれど、予算オーバーなんて全くらしくないミスだ。
彼は予算の削減をある程度徹底してきた。
例えばこのマンションの一室は三部屋あり、篠崎 蒼が現在着替えに使っている部屋は仮のレッスン場になっている。
大量のミラーシートを壁一面に隙間無く貼り付けてあるのだが、「縦5mのミラーシートが1500円で買える時代なんだ、レッスン場なぞ借りんでも練習くらいできるだろ!」とDIYで改装したり、「歌の合同練習なんてカラオケ行けばいいだろ!」など、その徹底ぶりは目を見張るものだったはずなのだが、依頼費材料費込々で一着3~4万円の衣装全員分、実に20万近い散財はとんでもない痛手と言えるだろう。
実際、アイドルの衣装としては確かに安上がりな方ではあるが、それは「きちんとアイドルの衣装として作られたものとしては」という意味合いであり、工夫次第で安く済ます方法はある。
彼ならばアイドルの衣装が適当な服屋で合わせで買ってきた物を、各々で改造して済ましたりする事くらい一般教養のレベルで知っているだろう。
そしてなにより、「どうせ」という彼が纏っていた不快な雰囲気が薄まっているような。
「...どう...でしょうか?」
「まぁ、大事には使うけどさ! 実際めっちゃ可愛いし!」
「えっ...?えっ?...ありがとうございます...?」
着替えを終えた篠崎 蒼の撮影会にプロデューサーを含めた三人でちょっとしたイベント並みにエキサイトしていると、程なくしていつものメンバーが集まってきて、私がちょっとしたおふざけで整理券を配っていると、プロデューサーが今日のスケジュールの説明を始めた。
というのも、今日は衣装のお披露目だけで集められたわけではなく、先日収録を終えた歌をCDにする為のジャケット写真などの撮影をする為に集まったのである。
「集まったな、これから撮影スタジオに行くぞ」
「おでかけー? やったー!」
「恵理、遊びに行くんじゃないのよ」
「えー! 茜ちんかたーい!」
「安丸 恵理の言う通りだ、鈴原 茜」
「いや、だって撮影スタジオってかなり本格的じゃない。レコーディングの時みたいに軽い気持ちで行ったら場所の圧に押されちゃうでしょ」
「あぅ...確かに...ですね...」
「あー、変に気疲れするというか、肩がこるというか、私も慣れねぇわー」
「あらあら~」
いつまでも遊び感覚ではいられない。
これだけ活動が本格化してくれば、アイドルの卵がこんな事を言うのはおこがましいかもしれないけれど、いわゆる一つのプロ意識のようなものぐらい芽生えてくるというものだ。
肩ひじ張って現場に向かうのも違う気がするが、それでもある程度の覚悟ぐらいは決めておいた方がいい。 リーダーの癖に、おんぶに抱っこが抜けない私は特にだ。
だが、プロデューサーから出てきた言葉はまた性に合わない、いやむしろ合っているのか定かではないが彼はまた私に、私の知らない常識を植え付けていく。
「その点については安心しろ、今日行くのは前みたいなガチガチのスタジオではない、むしろ安丸 恵理くらい楽しみにしていた方がいいぞ」
「まじでー!? 楽しみー!」
「え? なによ、一体どこ行くのよ・・・?」
「先に言っておくと、ガチガチのスタジオにしようかとも考えたんだがな」
「考えたけど?」
「高い買い物になるから、それは衣装の方に回した」
「え・・・いくらぐらい?」
「最低三時間でメイク等を抜きにしても六万ちょい、それでもかなり安い方だ」
全く相場のわからない値段設定だが、桜庭 京子の顔面が引きつっているのを見るに、相当きつい数字という事が伺える。
確かに私はスタジオで撮影するという話を聞いた時、やはりそれなりの値段は掛かるだろうと考えてはいたのだが、まさかレコーディングよりかかるとは流石に考えていなかった。
ただ、考えてみれば当たり前の話でもある、撮影機材にカメラマンまで一式揃えてくれるというのだから我儘は言えないか、と納得しかけたのだが、私はこの後のプロデューサーの発言にはっきり言って驚愕する事となる。
「じゃあ撮影はどっか適当な外で撮るって事?」
「いや、それも寂しいからな、今日はコスプレアミューズメントスタジオに行く」
「は・・・?」
「なにそれー! おもしろそー!」
「気になりますわ~!」
コスプレアミューズメントスタジオ。
その名の通りコスプレイヤー向けのアミューズメント施設であり、いくつものシチュエーションのスタジオが一体化している撮影スタジオとしても利用できるものである、と彼は印刷したフロアマップを広げながら言った。
「白ホリゾント」と呼ばれる、正面の壁と床が白く塗装され、接合面が直角ではなく緩やかなアールを描く事により床と壁の境目が分からないようになっているスタンダードなスタジオから、部屋の中や学校の教室などのシチュエーションセット、果ては教会や牢屋などのファンタジーなものまで、何でもござれといった風体の施設構造。
さらにはちょっとしたカフェスペースや撮影用の小道具やグッズの販売まであるという、まさしく至れり尽くせりな内容となっていた。
「なにここー! 超楽しそうじゃーん!」
「すげぇなおい、最近はこんなのまであんのかよ、カルチャーショックだわ・・・」
「蒼ちゃんはどこが気になりますか~?」
「えっと...この...不思議の国のアリスのセットとか...可愛いです...」
「いいですわね~! 私はこの西洋廃墟とか気になりますの~」
「わぁ...素敵です...!」
それぞれはしゃぎだすメンバー達、私自身も騒ぎ出す乙女心を抑える事ができないでいるのだが、それよりも気になったのは値段設定である。
そこまで本格的ではないにせよ、これだけの設備があれば普通に撮影できてしまうわけだが、これで普通にスタジオを借りるくらい払うことになるのでは本末転倒というものだ。
「プロデューサー・・・これっていくら位かかんの?」
「どうせ俺の私財なんだから金の事なんて気にするなよ鈴原 茜」
「・・・それでも自分達の事なんだから、気になるわよ」
「まぁ、そうか。 大体一人2000円ちょいだ」
「・・・は?」
「だから、一人2000円ちょいだよ」
「そ、それは、一時間辺りとか・・・そういう事?」
「いや、五時間で2000円ちょい。 リモコン一眼レフ、三脚、レフ版、ライトスタンド、撮影補助。諸々含めて、な。 300円でストロボなんかも借りられるぞ」
「なん・・・で・・・?」
「俺が知るかよ」
破格にもほどがあるというものだ。
確かにプロの力を頼れないという懸念はあるものの、使い方次第では十分過ぎるほどに利用価値があるこの施設は、比較対象にはならないと言われればそれまでだが、私達に必要なものはきちんとしたスタジオ以上に揃っている。
彼は恐らくそれがとても上手なのだ、現状に合わせた取捨選択が。
「クリエイティブとは妥協であり、完璧さを求めながら身の丈に合った諦めを繰り返し、如何にして無駄を抑えるかの追求である」と、彼はまた得意げに語る。
それと一緒に「こんな施設があるんなら衣装くらい懲りたくなるだろ?」と言い訳をした彼を、少しだけ可愛いと思ったのは内緒だ。
かくして、移動時の諸々を省いて、私達はコスプレアミューズメントスタジオにやって来た。
想像以上の広さと清潔感にわくわく感が抑えられそうにない。
これでは本当に遊びに来たのと大して違いが無いくらいには素敵な空間だ。
「茜ちんメイクうまいね!」
「え? あぁ、割と好きよメイク」
「すげぇなぁ、見た事も無い道具があるぞ」
「まぁ、アイドルになる為に必要そうな事はあらかた出来るようにしてますね」
「流石ですね~、私茜ちゃんにメイクしてもらいたいですわ~」
「あー! ずるーい! ウチもー!」
「私も...お願いしたいです...メイク苦手で...」
「あーはいはい、わかったから順番ね」
大部屋の更衣室には他のお客さんがキャリーケースを広げて様々なアニメのキャラクターの衣装に着替えていた。
まったくもって不思議な空間だが、彼女達からすれば私達の方が異質に見えることだろう。
全員分のメイクを施したり、西園寺 縁が終始きゃっきゃとはしゃいだりで、私達の着替えは少し長めになってしまい、少しだけプロデューサーに悪態をつかれた。
「とにかく質より数を撮る為に、全部のセットを効率よく回るぞ」というプロデューサーに促されるまませわしない五時間が始まる。
「可愛く撮ってねー!」
「まかせとけ」
安丸 恵理の撮影はとにかくスムーズだった。
自分の可愛く撮れる角度やポーズをわかり切っているといった様子でテンポよく撮影が進んでいく。
その点においては私や西園寺 縁も同じくそこまで時間は掛からなかったが、桜庭 京子、篠崎 蒼の両名は少し時間が掛かった。
カメラマンはプロデューサーが担当していた、これは撮影枚数を増やす為に完全に担当してしまった方が都合がいいのだという。
地下ドルのCDジャケットや写真グッズ、プロモーションビデオに個人用のカメラで素人が撮った写真や動画が使われるのは割と珍しくない話なのだが、他のメンバーには軽いカルチャーショックだったようで、特に桜庭 京子は「なんかこんなヒラヒラの衣装着てんのにプライベート写真撮られてるみたいできっつい」と喚いていた。
「恥っず・・・!」
「我慢しろアイドル」
「うるせぇー!」
「あはは、京子さん可愛いですよー」
「もらった!」
「って、プロデューサー、なんで私を撮ってんのよ」
「お前はちょっとアイドルらしくありすぎてるからな。 鈴原 茜、お前は自然体の方が可愛いぞ」
「アイドル撮影エピソードの鉄板ネタね!」
「・・・なんつーか、お前らの会話はロマンスのかけらもねぇな」
「...むー...っ!」
この施設では他のお客さんも共用でセットを使う為、長時間の独占はできない。
とにかくスピーディ、それも五時間の持ち時間を余らせる程の速度で私達の撮影は終了した。
味気無いだろうか? 申し訳ない、私自身楽しさと忙しさで本当にあっという間だったのだ。
「いやー! 楽しかったねー!」
「疲っれた・・・」
「桜庭さん...お疲れさまです...」
「また来たいですわ~!」
「そうだな、それじゃあこのままCDのジャケットの撮影に行くぞ」
「え?」
「どうした、鈴原 茜」
「今撮ったじゃない、写真」
「今のは物販用の写真だ」
「え? ジャケットにも使えばいいじゃない」
「あぁ、いや、この施設は商用利用禁止なんだ」
「・・・はぁ!?」
曰く、このコスプレアミューズメントスタジオは「商用利用を目的とした撮影」を禁止しているらしく「個人の趣味の範囲内での販売物」に限り撮影可能となっているという。
どうにも話が旨すぎると思ったらそんな落とし穴があったのか、世の中そんなに甘くはない。
今回の撮影で撮った写真はホームページや手売りのフォトブック、缶バッチなどに使うという。
CDのジャケット写真は、いずれ流通ルートにのる可能性もある上に、「音楽CDの場合、売り物が「音楽」であるが故に、写真自体が広告媒体になりかねない」という理由からここでの写真を使うことができないらしい。
あくまでも地下ドルの活動が所詮「個人の趣味の範囲内」でしかないという事が生み出した裏技のようなもので、確かにそう聞くと少しズルいような気もした。
「じゃあCDジャケットはどこで撮るのよ」
「・・・その辺の適当な塀の上に座ってるやつを」
「結局かい!」
肩透かしだけど、なんだか私達らしい。 というより、アイドルらしい泥臭さだ。
私はこの手作り感がそんなに嫌いじゃないのだろうと、小高い丘の上の欄干に仲間達と並んで座って笑い合う。
たくさん写真を撮ったけど、その日私の一番のお気に入りの写真がCDのジャケットに選ばれた。
準備は万端、あとは人事を尽くすのみ。
ライブまでに行うステージング以外の活動はこれで殆ど終了したのだ、残りの時間を全てレッスンに使えるとなれば希望も見えてくる。
彼と出会って約二ヶ月、あっという間のようでとてもとても長い道のりだった、アイドルへの細道。
ようやくだなんて表現するつもりは無い、残り一ヶ月は始まりまでのカウントダウンなのだ。
日が暮れるまで掛かった撮影から事務所に戻り、楽しさに誤魔化されていた疲労感に襲われ、私とプロデューサーを残しそれぞれ帰路に着く。
「もうちょっとだね」
「あぁ」
「これまでありがと」
「達成感は」
「アイドルを殺す、でしょ? わかってるよ。 言いたくなっただけ」
「そうか」
ふと、携帯が震えだし確認する。
そこには安丸 恵理からの無料チャットアプリを使ったメッセージの表記、忘れ物でもしたのだろうか? それとも私のように今後の活動への期待が抑えられずに適当な激励でも送られてきたのだろうか? と思考を巡らせた。
それは安丸 恵理と桜庭 京子の会議グループへの招待で、一体なんなのだ?と参加を承認する。 すると、そこに書いてあったのは。
「ウチら、ハンプティ・ダンプティ抜けるね」
「あー、そういう事みたいでな、まずリーダーには伝えとこうと思って」
血流が止まったような感覚に襲われた。
呼吸の仕方を忘れてしまったような虚脱感、これを私は前にも一度味わったことがある。
あの雨の日に脳の構造が逆行していくようだ、理解が出来ない、わからない、何を言っているのだ?。
思考速度に追いつけない無表情を察したプロデューサーが私に「どうかしたか?」と声をかける。
「あっ・・・いやあの・・・」
「安丸 恵理が抜けると言い出したか?」
「え・・・?」
「片棒は・・・桜庭 京子辺りかな?」
「なんで・・・?」
何も説明していないのに現状をピタリと言い当てた小津 常幸の眼は冷ややかに笑みを浮かべて、息を潜めていたあの「どうせ」という不気味に包まれていた。