どうせレコーディングなので
「お...お疲れ様ですー...」
「ホントにお疲れさま、蒼ちゃん」
汗だくになって肩で息をする篠崎 蒼にミネラルウォーターを手渡す。
「ありがとうございます...鈴原さん...」と受け取り、コクコクと喉を鳴らす彼女を見て思う事は、普段の私ならばその可愛さに充てられていただろうが、この時の感情は感服に近いものだった。
レコーディング当日、私達は井戸口さんの紹介で音楽スタジオに来ていた。
想像してたよりこじんまりとした地下スタジオだったのだが、見た事も無い機械がひしめきあうそこは、まさに非日常と呼ぶにふさわしい。
こんな空間や世界がある事を一生知らないまま人生を終える事の方が多いであろうアウトロー感に、興奮しなかったと言えば嘘になるが、それよりも、四方を取り囲む防音壁が私達の緊張感を包み込むようで、居心地はあまり良くなかった。
「でもすげーな・・・なんかちょっと感動すらあるわ」
「そうですね、なんていうか初めてアイドルになった実感が湧いてきましたよ」
「緊張してんの?」
「そりゃそうですよ」
「茜でもそうなら蒼はもっとだろうな」
そんな風に他のメンバーの心配ができる桜庭 京子はやはり大人に見えた。
この一週間、死に物狂いと表現するのはどこか自分勝手な気もするけど、それでも必死で歌の練習をしてきた。
何より驚いたのは西園寺 縁の歌唱力の高さである。
昔から様々な習い事をやってきたという彼女は自らを「器用貧乏」と称したが、ダンスの身のこなしから歌の表現力まで、まさしくなんでもござれといった様子の彼女の完璧さはむしろ「器用富豪」と呼ぶべきだろう。
そんな彼女に教えを乞うて、何とか一週間で形になった私達の歌をCDにする為のレコーディングなのだが、誰よりも頑張ったのは篠崎 蒼だ。
以前話したとおり、篠崎 蒼は声が小さい。
それは頑張れば出せるレベルのものではなく、もっとプリミティブな問題である。
彼女が私達と同じように歌を歌う事は、私達の体力の消耗量の非ではない。とにかく全力で声を張る必要があるのだ。 しかも、それを踊りながらというのだから絶望的とも言える障害である。
ただそこにあった一つの光明は、篠崎 蒼は諦めないという一点に尽きる。
プロデューサーは「篠崎 蒼は欠陥人間だ」と称した。
なんてひどい事を言うのだと早とちりで糾弾した私に、彼は「篠崎 蒼は全力を出すだとか努力をするとか、そういった事を辛いと感じる器官が欠落している」と語る。
それは彼女の半生が積み上げてきた経験と、繰り返し続けた思考パターンが失わせた感情。
自分がダメだから上手くいかないのだと、そんな不条理を納得できてしまう自己嫌悪が生み出した「アイドルの資質」。
篠崎 蒼は自分の成長を止められない、それはとても素晴らしい事なのだが、プロデューサーがそれをマイナスに表現する理由もわからなくは無かった。
現に今回のレコーディングで彼女は実に36回のリテイクを要求されても泣き言一つ言わなかったのだ。
プロデューサーの話ではアイドルのレコーディングでそれだけのリテイクを要求されれば泣き出す子だって少なくないらしい。
実際、私や安丸 恵理も、たかだか1~20回程度でも終盤はイラつきを隠せていなかったと思う。 もちろんそれはスタッフの方々やプロデューサーにではなく、自分の不甲斐無さにである。
録音の進行速度は一日で一曲できればいい方だという。
一人につきボーカルパートだけで平均約一時間半、そこから仕上がりのいいものを選ぶ作業に入るというのだからレコーディングは一日作業になる。
ただでさえ根気のいる作業だという状況が、どんどんと自分達の精神を蝕んでいく。
自分の不甲斐無さでここにいるすべての人に迷惑をかけているという罪悪感は、例えようのない居心地の悪さがあった。
それでもどうにか無事にレコーディングを終える事ができたのは、偏にプロデューサーや井戸口さん、そして桜庭 京子らの大人達が優しく見守り、雰囲気が悪くならないようにと努めてくれていた事にある。 感謝してもしきれない。
「ってかなんで井戸口さんはこんなに私達に良くしてくれんすか?」
「へ? 僕?」
「そうっすよ、こんな見ず知らずのアイドル集団に曲作ってくれて、レコーディングにプレス発注まで」
「ははは、そりゃクリエイターを動かす理由なんて一つしかないよ、特に音屋はね」
「ほほう、その理由とは?」
「面白そうだと思ったから、それ以外の理由でクリエイターは動かせない」
桜庭 京子はその言葉に甚く興味を持ったようで、詳しく教えて欲しいと言った彼女に井戸口さんは朗らかに、そして楽しそうにプロデューサーの事を語ってくれた。
驚いた事に小津 常幸もその昔、音屋をやっていたのだという。
それはそれはひどいもので、彼の作った音楽CDはとても聴けたものでは無かったらしいが、井戸口さんはそんな彼の「なにがなんでも表現したいものがあって、その一歩を踏み出す思い切りの良さ」を気に入っているのだと自分の事のように語った。
それ以来、仲のいい後輩のように思っていた彼が突然「アイドルを作りたいから曲を作って下さい」なんて言い出すものだから、また後先考えないで走り出したのだろうな、って。 それなら背中を押してやる位、先輩である僕の役割なんだと思うし、何より彼の作るアイドルを誰よりも見てみたいと思ったのさ。
そんな風に語る井戸口さんの世界を彼が好きになった理由がわかったような気がした。
もの作りとは簡単に言うが、ここまで昇華されたこの世界はこんなにも美しい。
井戸口さんと出会う前、プロデューサーは「人生に近道は無いなんて言葉は嘘っぱちだ。 一つだけ、確かに近道というものは存在している。 それはコネクションだ」なんて語っていたけれど、井戸口さんとスタジオで再開した彼はとても嬉しそうで、この人はいつもドライな言い方をするけど、本当はそんな乾いた人間ではないような気がした。
コネを使うという言葉はどこかズルい事をしているように響き、それが悪であるかのように使われる事が多いが、本質的にそれは疑い様の無い正道であると私は思う。
誰かの努力を自分の糧にする。 人間社会の本質に近づく理論であり、生物の進化においての重要なファクターでもある。
そしてそれが、認め合う心やその人の助けになりたいと思う献身から来るものだというのだから、繰り返しになるが、やはりこの世界は美しい。
いつか私達もアイドルを続けていく中で、誰かのコネクションになれたら、それはどんなに素敵な事だろう。 また一つ、目標ができた。
「アンタもそんな時期があったのね、なんか意外」
「まぁ、若かったというか・・・なんというかあの頃はとにかくなんでもやってみたかったんだよ、西園寺 縁とまではいかないが、割と俺も器用貧乏でな。 どれも身に付きはしなかったけど、それでもこんなに無駄な知識に恵まれてるって事で、別段無駄だったとも思わないけどな」
「そうだね、そのお陰で私達はここまで来てるわけだし」
「お陰なんてもんじゃない」
「なによ、やけに謙遜するじゃない」
「あぁ、そうだな。 俺らしくもない」
そう言うと彼は踵を返しスタジオの外へ、飲み物でも買ってくると言って出ていった。
彼が何を考えているのかは、正直今でもわからない。
でも、少なくとも中途半端な事に誰かを巻き込むような奴では無い、と信じたい。
「終わりましたわ~」
「えぇ!? 縁さんもう終わったんですか!?」
「あらあら~?」
そんなこんなで私達の二日間にも及ぶレコーディングは終了した。
このデータをプレス会社に渡すことで大体二週間くらいでCDになるらしい。
私達はまだジャケットの撮影もしていないのでまだ先になるが、これは私達がアイドルとして初めて結果を残した証になる。
現物が届くまで実感が湧く事は無いかもしれないが、やっと一仕事を終えられた喜びを、とにかく今は皆と分かち合う事にしよう。
「いやー! なんかやり切った感はんぱないねー!」
「確かに、これは一苦労だったなー」
「次は...ダンスを頑張ります...っ」
「蒼っち燃えてんねー!」
解放感から盛り上がるメンバー一同は、打ち上げにご飯食べに行こうなどと話している。
そんな彼女達をよそに、私はその安丸 恵理の言葉に、トラウマめいた不穏を抱くのであった。