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それは安丸 恵理の轍なので


 (わだち)という言葉を学校の授業で初めて聞いた時、ウチは「ややこしい漢字だな」と思った。

ウチはあんまり頭が良くないから、縦に三列も使う漢字を覚えるのはすごく難しい。

意味を調べてみると「車の輪が通った跡」というものらしい、いつ使うんだろう?。


 先人の(てつ)を踏む、これは「通り過ぎた車輪の跡」という意味から転じて比喩的に使われる慣用句。

「通り過ぎた車輪の跡」を「先人の通ったあと」つまり「先例」に見立てているのだと言う。 よくわからない。


 難しく覚えると難しくなってしまう、もっと簡単で日常的に使える轍を探してみよう。

積雪の轍、これは分かりやすい。 ウチも通学路に雪が積もった時にその轍を進んだものだ。

でも、先に通った車の跡を進んでいる、これは「先人の轍を踏む」事にならないのだろうか?。


 轍を踏む、という言葉は主に悪い意味で使われるらしい、「先人の轍を踏まないように気を付ける」「前任者と同じ轍を踏むことになった」など。

先を進む者と同じ道を踏む事が、どうして悪いことなのだろう?。

だって、この道を進まないと車輪が取られて進めないし、歩いていくならばきっと足が悴んでしまう。


 ウチはそれにひどい疑問と締め付けられそうな親近感を覚えた。

きっとそんな風に、現実とリンク出来ない言葉を理解できないからウチは馬鹿なんだと思うし、そんな疑問や知識を現実にリンクしてしまうから、ウチは馬鹿なんだと思う。


 思えばウチの生き方は積雪の轍を歩くかのように、冒険の無い半生だ。

小学校に行って中学校に行って、高校生になって、大学生になるのかはわかんないけど、多分その内結婚して家族が出来て、おばあちゃんになって死んでいく。

必要以上に誰かに執着せず、プライド以上に思想に固執しない。 適度にプラトニックで、生活ができる程度に働き、身の丈にあった食事をとる。 大きな激情も無く、欲に溺れない。

 それはつまらない人生に思えるだろうか? 適当に生きて、適当に楽しい、そんな人生は下らないだろうか?。

他人に馬鹿にされようと、諭されようと、楽でいたいと思う事は罪なのだろうか?。


 馬鹿で適当である事は何よりも楽なのだ。

例えば私の友達は、男子に好意を寄せられたばっかりに泥棒猫と呼ばれ、クラスメイトの女子グループから外された。

猫は可愛いと思う、そんな風にウチはその子とまだ友達なのだが、この結果から適当が何よりも優勢である事は歴然であると言える。

適当であればモテたって「恵理なら仕方ない」、適当であればハブられてる子と仲良くしたって「恵理なら仕方ない」。

ウチは適当である事で、誰よりも特別扱いを受けている。


 適当である事は何よりも自由である、それは大きな間違いだ。

むしろ適当である事は、不自由を喜々として受け入れられた者にのみ与えられる選択肢だとウチは思う。


 敷かれたレールの上を進みたくないだなんて、思春期を代表する名文句。

昔、女の子の方が精神的な成長が早いという話を聞いた事がある。 真実がどうであるかは置いておいて、ウチはそんな風に自由を求める彼らを、この歳ですでに達観して見ていた。

 自由とは恐怖であり、自由とは針の筵だとは考えないのだろうか?。

ウチはそんな道を歩けない、リスクを背負う事が怖くて仕方がない、自らレールを敷いて進めるなんて考え無しに発言できる彼らの精一杯の主張すら児戯に思える程に。


 ほら、考えてみてよ。

巷ではアプリゲームが大流行してるけど、ゲームなんてわかりやすい一本道に、あんなに一生懸命に、最小のコストで成果を上げる事に躍起になっている彼らが、大声で自由を謳っているんだよ? 達観もするってものでしょう?。

 残念ながらそれはアンタ達の生き方じゃない、ウチの生き方だ、自由のかけらもない、楽な人生だ。

希望も野望も無い、負けない人生。 苦汁も辛酸も舐める事の無く掴める勝利。


 轍を踏み続けていたって、景色は変わり続けるし、いずれどこかに辿り着く。

現にウチがダンスを始めたのも、アイドルを始めたのも、友達がやっていたからだ。

はっきり言ってそれ以上の理由は無い、目の前にあった「適当にできそうな面白そうな事」に他ならない。

それに友人との話も合う、女の子の一番嬉しいと感じる行動は「共感」であるというのはウチの持論だったりする。


「安丸、次の発表会に出てみるか?」


 こんな生き方をしてきたからだろうか、ウチはその時通っていたダンススクールの先生のその言葉を聞いて急激に気持ちが冷めたのだ。

つらつらと長ったらしく自分の不甲斐無さを正当化する為に、大袈裟に人生について語ってはみたが、まぁ、安心してよ、ウチは馬鹿だから、実は大したこと言ってないんだからさ。

 ウチは自分の性分をよく飽きっぽいと表現するのだが、本当は少しだけ違う、ウチは評価されるのが怖いんだ。

自由を怖がるのは、自分の意思が介在すると評価に晒されてしまうからだ。

誰かの歩いた道だけ進んでいるのは、自分の選択に責任が持てないからだ。


 ウチの人生は積雪の轍のようだ。 轍が途切れた先に行こうとすると冷え切って竦んでしまう。 身動きが取れなくなって、凍えながら元の道に戻って、もう行かない!と我儘を吐く。

適当に生きていると言ったが、まさしく今のウチだってそうだ。

精神的に大人になっている? 何を馬鹿な。 ウチは誰よりも子供だ。

考え方なんてコロコロ変わるし、自分なんてものも持ってない、堂々巡りを繰り返すだけ。 環境に合わせて都合よく変化する支離滅裂。

鈴原 茜には全部バレちゃってたのだろうか? それはとても恥ずかしいな。


「ま...待ってください!...安丸さん!」


 ウチは逃げていた、ダンスからも、アイドルからも、自分自身からも、そしてアイドルを辞めそうになっていた夜、マンションから唯一ウチを追ってきた篠崎 蒼からも。


「もー! なんで追ってくんのさー!」

「だって! このまま離れ離れは嫌です! 私は何があったのか何も知らないけどっ! やっと友達になれそうだったのに!」

「もう友達だよー!」

「友達じゃありませんっ!」


 奇妙な状況だった、普通逆じゃないだろうか?。

逃げているウチは友達だと思っているのに、追いかけている篠崎 蒼は慣れない大声で友達では無いと叫ぶ。

ウチの方が断然体力があるはずなのに、どこまでも追いかけてくるあの子に根負けしたウチはたまたま見えた公園に逃げ込んで、そこでとうとう捕まってしまう。

月が綺麗な夜だったのだろう、だからベンチに座って見上げたあの子は輝いて見えたんだ。


「はぁはぁ・・・友達じゃないのに、どうして追ってくるのさ?」

「...友達になれそうだからです」

「今までたくさん遊んだじゃん!」

「友達じゃなくたって遊ぶことは出来ます」

「一回遊んだら友達じゃないの?」

「私はそんなに簡単に友達になれません」


 安い女じゃないのよ、そういう意味ではないのだろう。

多分、篠崎 蒼の言っているその言葉は自身への悲痛な叫びの様なものなのだ。

どうしてそう難しく考えるのだろう? 友達のハードルなんていくらでも小さくできるというのに。


「どうしたら友達になれるの?」

「友達になりたいんですか?」

「なりたいよー! ウチも蒼ちんと友達になりたいー!」

「だったら、中途半端は止めてください」

「・・・え?」


 おかしい、この子は何を言ってるんだ?。

だって篠崎 蒼は、ウチがアイドルを辞めそうだって事もあやふやだろうし、どうして辞めようとしてるのかなんて知る由もない筈。

憶測でこんな事を忠告できるような子でもない、そんな事ができるほど傍若無人であればこんなに繊細な女の子にはならないだろう。

では、中途半端とはどういう意味だ?。


「中途半端って・・・?」

「安丸さんは友達のフリをしているだけです! 傷付きたくないから、裏切られたくないから、誰かの心に、何より自分の心に触れられるのが怖いから!」

「あ・・・。」

「だから簡単に手を伸ばせて、楽に付き合える他人を集めて友達だと誤魔化しているだけです!」

「・・・。」

「私はそんなに軽い女じゃありません! 安丸さんの事をもっと知りたいし、一緒に沢山苦労したい、貴方の心に触れられる人になりたい! 篠崎 蒼はそんな重い女なんです! 自慢じゃないですが、私と友達になるのはそう簡単じゃありませんよ! 実に16年間のお墨付きです!」


 そう、篠崎 蒼は啖呵を切った。

何もわからない世界でわかったフリをしながら、それらしさを取り繕って大抵の事を乗り切ってきたウチとはまさしく逆の存在。

友達になりたいと言いながら手を伸ばさないウチと、友達になれないと言って手を伸ばす篠崎 蒼。


「恵理ちゃん! 私と、友達になってよ!」


 夜風に当てられて、とっくに乾ききったはずの篠崎 蒼の額に汗が伝う。

細かく震える身体と声、揺れる瞳はまっすぐにウチを見つめて、月光を背負うこの子にウチは新しい世界を見た。

 自分が恥ずかしい、穴があったら入りたい。全力で生きたことが無いウチには、この子の姿は眩しすぎる。


「・・・なれないよ、蒼ちゃん。 ウチなんかに、蒼ちゃんの友達になる資格、ないよ・・・っ」

「資格だったら! 私があげるよ!」

「受け取れないよ!」

「いいから早く私の手を取るの! 私に本気になってよ! 恵理ちゃん!」


 それは篠崎 蒼が作った轍。

誰かが作った道を通るのは楽な生き方のはずなのだ。 それでもこの子の通った道はこんなにも、身を引き裂くような吹雪の中にある。

ウチがそんな風にしか歩けないから、篠崎 蒼は自分への道を舗装してみせた。

 自分が恥ずかしい、そして悔しい。 本気になった事の無い馬鹿なウチでもこれくらいわかる。

もし、この手を取らないなら、それはきっとウチの生涯で一番恥ずかしくて悔しいものになる筈だ、と。


「蒼ちゃん」

「...蒼ちんです」

「蒼ちん、ウチの友達になって下さい」

「はい...めんどくさい女ですが...よろしくお願いします」

「大丈夫ー! ウチよりめんどくさい女なんて、そうそういないからさ!」

「ふふふ...似たもの同士...ですね」

「全然似てないよ! でこぼこコンビだよー!」

「そう...でしょうか? え、えりちゃんは...」

「安丸さんでいいよ」

「でも...名前で呼んで欲しいと...ずっと前に言っていた...じゃないですか」

「いいんだ、その内自然と呼ばれるように、頑張りたいからさ。 だからまだウチは安丸さんでいたいと思うの」

「...わかりました」

「これからよろしくねー! 蒼ちん!」

「はい...っ 安丸さん!」


 この日ウチは、リスクを背負った。

初めて背負ったそれは、重くて苦しくて窮屈で、暖かくて大切で切ないものだったのだ。

それは話で聞いた、愛とか友情とか呼ばれるものにとても似通っていて、それと同時に、頑張りたいものを見つけたられたのだと思う。


 次の日。 あまり褒められたことではないが、ウチは学校を休んで前に通っていたダンススクールに向かう。

これについては前述した通りだ、先生には学校をサボった事をとことん怒られたけど、昨夜の事と今までの事を話すと誰よりも、なんだったらウチよりもずっと喜んでくれて、泣きながら私を抱きしめてくれた。

 こんなにも暖かいものがこんなにも近くにあったのに、どうしてウチは凍えていたのだろうか?。 もっと早く気付いてもよかったと思うけど、もしかしたらこんな単純な事にも気づけないまま大人になる人だって少なくないのかもしれない。


 今はただ、この身体にダンスが宿っていた事を感謝しよう。

リズムに合わせて動くこの身体のお陰で、こんなウチでも積雪の中を進める。 大切な仲間達の轍になれる----。



「京子ちゃんちがーう! そこは7だよ! C2の京子ちゃんの位置は6!」

「だー! 悪ぃ! また間違えた!」

「茜ちんと蒼ちんは場所合ってるけど遅い! 特に蒼ちん! 歌い出す前に着く!」

「は、はいっ!」

「了解、もっかいやるから見ててね恵理」

「おっけー!」

「私はいかがでしょうか~」

「縁っちはいい感じ!」

「嬉しいです~、もっと頑張れますよ~」


 フォーメーションレッスンは安丸 恵理の指導で二日目に突入していた。

ステージを八分割して、曲のメロごとに覚えられるようにまとめたプリントを手にとにかく全力で頭に叩き込み、身体に染み込ませる。

ここまで複雑なフォーメーションは地下ドルの中でも珍しく、物に出来れば私達にとって大きな武器になるだろう。

 今更だが、もしかしたら私達はすごいアイドルになろうとしているのではないだろうか? そんな風に考えるのは自惚れ半分、そして弱音半分と言った感じで、それ程までに安丸 恵理の指導はスパルタと見紛うものだったのだが、文句やため息をつきながらも、諦めるメンバーは一人もいなかった。


 練習に対する態度が激変した安丸 恵理。 以前より笑顔である事が減った彼女のすり切れそうな程のひたむきさには、それまでの危うさのようなものは感じない。

むしろ彼女に感じるのは、この約三ヶ月間に幾度となく垣間見た「アイドルの光」。

それは何よりも自分自身に立ち向かった者が発する言語化する事のできない感情の炎、進化の証。


 小津 常幸は言った。 一度辞めると決めた者が戻ってくるのは大変な事なのだと。

諦めるという選択肢を選ぶのは言葉で言うほど簡単な事では無く想像以上に勇気がいるもので、だからこそそれは確固たる意志となる。

その深淵から這いずり上がって来るには中途半端な光では足りない、歴史に構築された人間性を捻じ曲げてしまう程の否定を味わうことでしかその場所へは戻れない。


 安丸 恵理はその点において直線的な速度がとても速い。

浮いては沈んで、見ていて飽きない子だ。 どんな形であれ注目されるというのはアイドルの本懐と言える。

直情的で喜怒哀楽がコロコロ変わって、その度に最後は笑顔で立ち上がる。 多分、これこそ彼女がゆっくりと育んできた彼女だけの「アイドルの資質」なのだろう。


「あー! 次はウチがミスったー!」

「あっはっは! 偉そうに言ってる割に安丸もダメダメじゃねーか!」

「むー! 京子ちゃんに言われたくないー!」

「んだとー!」


 そしてなにより彼女の「アイドルの資質」で特筆すべき点は、きっとこのメンバーの中で、誰よりも身近である事。

安丸 恵理には私のようなアイドルの知識も、篠崎 蒼のような欠陥性も、ましてや西園寺 縁のような異常性も存在しない。

特別な何かを持たない彼女だからこそ発することが出来る特別な光。

同じ速度で歩くことが出来るからこその安心、すぐ隣で一緒に悩むことのできる共感覚。


 フォーメーションのダンスレッスンは今までの練習とは比べ物にならない程に過酷なもので、これまでのような日常生活に寄り添いながらできる趣味の範疇を軽々と超えている。

それでも別段大きな文句も無く、辛いという感情も付いてこないのは、指導を促す存在である安丸 恵理にも同じ苦労が降り注ぎ、同じ苦しみにもがいてくれているからだろう。

どれだけ足を取られて、転んだってもたついたって、歩みを止めない限り、確実に前に進んでいく。

安丸 恵理。 彼女がいてくれて、そして戻って来てくれて本当に良かった。


 あと一週間後に迫ったライブ。

もしかしたら本当に、一切の不満の無い、満足のいくライブができるかもしれない。

どんな風に過ごしたってライブはやって来るし、半端な気持ちで時間になってもステージには立てる。

後悔の無いステージにするのはとても難しい。 だけど彼女が、いや、この仲間達がいるならきっと辿り着けるだろう、私達は止まらないのだから。



----簡単な事だけど、それはとっても難しい。

 小学生でもわかる事なのに、大きくなるにつれてそれはどんどん見えなくなっていく。

 そんな単純な事が、きっととても大切な事なんだと思うんだ。

 轍を抜けて、積雪の中を歩いても、みんなで手を繋ぐと、暖かいね----。

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