どうせ雨の日なので
ある雨の日の事、私 鈴原 茜は自暴自棄になっていた。
何を思ってなのか、何がしたいのか、もうわからない。
見知らぬ男のマンションの一室でシャワーを浴びている自分が、一体誰なのか。
自分が自分でないような感覚。あぁ、そっか。 だから自暴自棄と呼ぶのか。
「シャワーと着替え、ありがと」
「あぁ、今 乾燥機回してるから」
パソコンをいじりながらぶっきらぼうに答えたあの眼鏡でヨレヨレのワイシャツを着た男は、街中で雨の中立ち尽くしていた私を保護した男だ。
「ねぇ」
「あぁ? どうした?」
「私を抱くの?」
「・・・お前いくつ?」
「19」
「あっそ、子供に興味はないなー」
男はパソコンから目を離さずそう答えた。
「じゃあなんで助けたの?」
「大人が子供助けるのは当たり前なんじゃねーの?」
「普通じゃないよ、普通は見返りとか求めるものでしょ」
「別に見返されるような事じゃねーよ、服乾いたら帰れよー」
どうやら彼は本心で言ってるのだろう。
それは彼にとって当たり前のことで、本当に私に何もする気はない様子。
何かをしなきゃいけないわけでも無いが、言い知れぬ手持無沙汰感に呼応するように、くぅ、とお腹が鳴った。
「なに? 腹減ってんの?」
「あ・・・いや・・・」
「冷蔵庫にあるもん適当に食っとけ、レンジも使っていいから 酒は飲むなよー」
軽く案内をする様にパソコンから目を離さないまま右手で指示を出す彼の言うままに冷蔵庫を開ける。
菓子パンやコンビニ弁当、あと数本のビールが入っていた。 冷やすものなのかな・・・まぁでも貰えるものは貰っておくか。
適当に選んだお弁当をレンジで温め、空いてる場所を見つけて食べることにする。
少しだけ硬いご飯を噛みながら、行儀は悪いが軽く部屋の中を眺めた。
女の子のポスターに煌びやかなCDラック、なんだか他人のような気がしなかったのはきっとこの人も私と同じものが好きなんじゃないかなって少し思ったからで、私はその真偽を確かめようとする。
「アイドル、好きなの?」
そう、この部屋は綺麗に片付けられているけど、あちこちにアイドルのグッズがあったのだ。
それもメジャーアイドルだけでなく、ご当地、地下ドル、なんでもござれのごった煮。
私の知らないアイドルまでサポートしている人を初めて見たくらいには、私もアイドルオタクのつもりだったけど、この資料の量はさすがの私でも潔く負けを認める程だ。
「ん、あー・・・まぁ、ちょっと詳しいな」
「ちょっとどころじゃないじゃん、【くーねるぶらっど】の最初の物販まであるし」
「なに? お前も詳しいの?」
「・・・ちょっとね」
「ほらな、こういうのはちょっと、だろ?」
「・・・だね」
なんだか言いくるめられた気がするけど、やっぱりこの人相当詳しいみたいだ。
「でもさ、辞めちゃったよね。 その子達」
「あー、そだな。 まぁ二年半なんて地下ドルにしちゃ長寿な方だろ」
「そう、なのかな・・・」
これは意外だった。
これだけ熱狂的なアイドルオタクには似つかわしくないドライな反応だな、と私は疑問半分、これだけアイドルを好きな人間が言うのだからそうなのだろうという納得半分という感じ。 二年半って、長い方なんだ・・・。
「あの、さ。 アイドルが辞める理由ってなんだと思う?」
「なんだぁ? 突然」
「いいから」
彼は無精ひげをたくわえたアゴに手を当てて逡巡するように答える。
「まぁ、基本的には進学だわな」
「進・・・学?」
「そ、進学」
「そんな事でアイドル辞めちゃうの?」
「ははは、そんな事ときたか」
そんな事だろう。 と私は思った。
だって、あんな素敵な世界に入れたのに、辞めるなんてありえない。
そうだ、ありえない! 納得したつもりだったけど、やっぱり受け止められるわけがない!
「じゃあさ」
「今度は何だ?」
「私達のグループは、なんで解散したと思う?」
そう、私はつい昨日まで地下アイドル、地下ドルと呼ばれるものだった。
先日、初のステージに立ったばかりだというのに、私達はそれからそう間も無く解散する事になる。
私には理解できなかった。 やっとのことでアイドルになれたというのにどうしてこんなことになってしまったのか、その答えを追い求めて、ただただ彷徨い歩いていた。
いや、探していたというのも後付けのかっこつけかもしれない。
この感情をなんと呼べばいいのか、目指していた道を見失った急激な空虚に体が慣れてくれない。
「なに? アイドルだったの? すげーじゃん」と男はキラキラと目を輝かせた後、ヒントをくれとばかりに根掘り葉掘りアイドルだった頃の話を聞いてきた。
結成はいつだったのか。 プロデューサーはどんなやつだったのか。 ライブの時の感想も。
私には辛い思い出のはずなのに、どうしてだろう私の中からその時間がどんどんと流れだしてくるのは。
私は、小さい頃からずっとアイドルに憧れていた。
それも当時好きだったのは私が住んでいる街のご当地アイドルというもので、お母さんと一緒によく週末にライブやチェキ会に行っていた事は今でも覚えている。
ビニール製のキャラ物の小さなバッグに、クラスの誰も知らない私だけのアイドルの写真やCDをいっぱいに詰め込んで、いつか私もなんてありきたりな感情を抱いていた。
大きくなるにつれて、高校生にもなって、私はまだアイドルが大好きだった。
中でも特に熱狂したのは地下ドルで、私が初めて訪れたそこにあったものは果てしないほどの自由。
そこにしかないルール、そこでしか味わえない誰かが創造した世界観、そこはどこか私のいる日常の中から切り離されたファンタジーのようで、そこはどこか私のいる日常を透明にしてしまうほどのリアルだったのだ。
大学生になって、バイトを始めて、持て余すほどの時間を手に入れた私が地下ドルのプロデュースに手を出すまで、そう時間は掛からなかった。
そして同じ大学に通う同級生を二人誘って、私は、私達はアイドルグループになる。
そんな私の大切で残酷な半年間の物語を、男はうんうんと頷き、今自分はその話を聞いていてすごく楽しいんですよ、と私に伝えるかのようにしっかりと聞いてくれた。 少し、本当に少しだけ嬉しかった。
全てを言い終わると彼はにっこりと笑って、初めて私と目線を合わせるように正面の床に座ってこう喋りだす。
「いやそれ、解散するに決まってんじゃん」
笑顔のままそう言った彼の言葉に、理解が追いつくまでに少しだけ時間が掛かった。
そして先ほどまで抱いていた感情とは全く別のものがこみ上げてくる。
月並みだが、お前に何がわかる、なんてありきたりな感情が脳を侵食していく。
努めて冷静に、出来るだけ感情に流されず、私は彼に聞かなければならないような気がした。
それは後学の為なのか、それとも納得がしたいのか。
「・・・どうして、ですか」
「いくつか理由はあるけど一番は期間だな」
「期間?」
「あぁ、だって それじゃ結成してから初ライブまでに半年も空いてたんだろ?」
「空いてた訳じゃない。 レッスンとか箱探しとか資金集めとか、衣装決めたりもあったし、半年くらい普通に掛かるでしょ」
彼にはどんな風に世界が見えているのだろうか。
ふと、そんな事を考えてしまうくらいには、彼は何かを諦めたように笑った。
「いいかい? 地下アイドルのデビューから初ライブまでの適正期間は大体二ヶ月から三ヶ月程度だ」
「えっ。 短くない?」
「いやいや、これでも若干長いくらいだよ」
「なんでそんな早くライブを・・・」
「それはモチベーション維持の為だね」
モチベーション。 なんだか意外な言葉が出てきたものだ。
そんなものがアイドルプロデュースと何が関係あるというのだ。
「アイドルをプロデュースする際に一番大事に、そして一番繊細に取り扱わなければならないもの。 それはモチベーションの管理だよ」と、彼は続ける。
「お前のように心底のアイドルジャンキーにはわからないだろうけどね、普通の女の子は半年もモチベーションを保てないんだよ」
「そんなことないでしょ、実際にライブはやったんだし」
「あぁ、それが一番の決め手だよ」
「決め手?」
「ライブはアイドルにとって、日常ある業務に近いものでなければならない。 半年先に一度だけあるライブの事を、彼女達はこう考えたんじゃないかな? 「ライブの為に頑張ろう」ってさ」
それの、何がいけないのだろうか?。 それは当たり前のことだろう。
アイドルにとってライブとは、ファンの前で自分達の頑張りを披露できる晴れ舞台ではないか。
「もちろんライブの為に頑張るのはいいことだ、だけどね」と続けた彼は机に戻って椅子に座り、少し大げさに振り返ってみせた。
「それが目標になっちゃいけない、特に初めてのライブはね」
「・・・どうして?」
「デビューしてから半年間もあれば、何も無い期間が必ず存在するのさ。 それは資金を集めてる時であったり、単純にスケジュールが合わない日であったり様々だが、そういう風に時間があると、どうしても考えてしまうものなんだよ、冷静に今の自分を客観視してしまうものなんだよ。「私はどうしてこんなことをしているのだろう?」ってさ」
「どうしてって、アイドルになる為じゃない!」
もう我慢ができなかった。 いつの間にかあふれ出る感情を抑える事ができなくなっていた。
何がこんなに腹立たしいのか自分でもわかっていない。
「まさしく、いやはや君はどうして、確かにアイドルになる為に生まれてきたと錯覚するほどにまっすぐな娘だね」と、笑う彼の見透かすような瞳が気に入らないだけなのかもしれない。
「でもそれを考えてる時、その娘はね、「アイドルをやっていない」んだよ」
「アイドルを、やっていない?」
「そう、往々にして人間が自分と向き合う時というのは、何にもしていない時なんだよ。 まずはじめに暇がアイドル性を殺していく、そして次に一つの考えに至る、「私はライブでステージに立つ為に練習をしている」となる」
「その通りじゃないの」
「過程が違う、このプロセスを踏んでライブに至ったアイドルを殺すのは達成感だ。 それはまるで文化祭の準備のようなものに思えてきているのさ。 楽しくてワクワクして、大変だけど必ず成功させて、その日を迎えれば終わるもののように思えている」
「え・・・?」
「他の二人が解散する時に抱いていた感情は「やっと終わった」だよ」
その言葉の違和感くらい、ここまで何一つわかっていなかった私でもそれくらいはわかった。
おかしい、そうではない、まだ何も終わっていない。
「どうせ」、先ほどから感じていた彼に纏わり付く嫌な雰囲気の正体は、きっと全ての言葉にそんな枕詞が付いているかのような口ぶりから来たものだろう。
彼女達の言葉が走馬灯のように蘇ってくる。
「なんか思ってたのと違う」、「楽しかったけど一回でいい」、「別の趣味を見つけたんだよね」。
それらの言葉が今、こんなにも鮮明に蘇ってきたのは、ほとんど同じ言葉を彼が発したからだ。「どうせ」という枕詞を使って。
「なによ!わかったような事言わないで!」
「わかったように語るのがアイドル作りだよ」
「うるさい! そんなに言うなら作ってみなさいよあんたも!アイドルを!」
それは今まで生きてきた中でいくつものドラマで見た事があるような、テンプレートのような言葉だった。
当たり前、私には常にそれが付きまとっているのかもしれない。
だってそうだろう?、悔しいじゃないか。
私は私なりに頑張ったつもりだったのに、それは全て無駄骨だったと、見ず知らずのただのアイドルオタクに言われるなんて。
だが、この時本当の事を言うと私は彼を「ただ者ではない」と思ってしまっていたわけで。
「・・・うん、面白そうだな」、そんな彼の言葉を少しだけ期待していた自分もいなかったと言えば嘘になる。
「お前、名前は?」
「鈴原 茜」
「そうか、俺は小津 常幸 28才」
思ってたより全然若いと思った。
それを伝えると彼は「うるせぇ」と一蹴し、そしてこう続ける。
「鈴原 茜、俺と一緒にアイドル作りやってみないか?」
それはそれは、不思議な出会いだったと思う。
何かに導かれていたのだと、突然うさんくさい占い師に言われたとしても信じてしまうだろう。
はっきり言おう、私はこの小津 常幸という男が気に入らない。
アイドルを目指すもの達を「どうせ」なんて言葉で育てようと画策する彼を、きっと私は理解する事は無いだろう。
それでも、それは私にはないもので、私の知らない道を作る為にはきっと----。
「いいわ、やってあげる」
奇妙な関係だ。
私を匿った恩人で、私のプロデューサーで、そして彼は、共に戦う事を出会って間もない私に誓った、私の敵だ。
いいだろう、一度失った夢だ。
もう一度手を伸ばす事が許されるというのだ、喜んで手を伸ばそうじゃないか。
ある雨の日の事、私 鈴原 茜は自暴自棄になっていた。 のかもしれない。