風物詩
紙! それは紙だった!
それへ彼女たちは、何事かを描いている! それは――
漫画だ!
彼女達は一心不乱に漫画を描いていた!
もし彩色をしたならば肌色率が高く――否、高過ぎてSNSなどでは規制されるはずだ!
そんな作品を彼女達は描いている!
もちろん、登場人物は――
男アンド男! そして男! さらに男だ!
つまりページ数の薄そうな、肌色率が高く、男ばかりが登場する漫画を、彼女達は熱心に描いていた!
どこで用意したのか立派な机を突き合わせ、名札の付いた揃いのジャージをユニホームの如く着込み、誰もが席へ噛り付くようにして作業をしている!
嗚呼、これが秘密の花園とまで称賛された『聖喪女修道院』のギルドホールなのか!
もはや修羅場! 見紛うことなく鉄火場でしかない!
その混乱の最中、嫋やかな――正しく弱い女の口から泣き言が漏らされた。
「も、もう、やだー! は、恥ずかしいよー、お姉さま!」
だが、即座に冷徹な叱責が返される。
「くぅぉらぁっ! ちゃんとやれ、秋! 修正甘かったらスタッフさんに怒られんだろうが! 本も売れなくなる!」
「最悪、当日に……一冊々々……手塗りで修正……アレは……辛い……本も買えなくなる」
「だから――タマに太く海苔! 半分くらいの位置にも! 最後は先っぽだ!」
しかし、秋と呼ばれた女性――秋桜も言われっ放しで黙ってはいなかった。託された原稿を掲げながら叫ぶ。
「だ、だいたいっ! 修正するのなら……さ、最初から描かなければ良いじゃないですか!」
もちろん、その原稿には何枚かの黒海苔が貼られている。彼女自身の手によるものだ。
当然、未婚の女性が振りかざして良い内容でもないし、月だけが見ているわけでもない。
そして秋桜による必死の抗議も――
「はんっ。素人の甘ちゃんが」
「描かなければ……同じに見えても……魂は……気付く」
「見えないところに拘るのが『粋』ってやつだ!」
まったく意味不明な戒めでもって返される。
だが、例え相手が敬愛する姉貴分であろうと、説得される訳にはいかなかった。また、その理由もある。
「それにっ! おかしいよっ! お、男の子は……男の子はこういうことができない! ……はず!」
「……ほう? 詳しいんだな、秋は? ここはひとつ、お姉ちゃんに何がおかしいのか話してごらん?」
「というか……できるよ。男の人には……ヤオイ穴が……あるんだから」
真顔だ。真顔で妄言を返していた。敬愛されるお姉さま方は!
その上――
「もっとか? もっと完成品が欲しいのか? このムッツリいやらしんぼめ! それは……どっちをだ? 『タケ×リル』本をか? それともカシマの……『タケル総受』本の方をか?」
凄みをまき散らしながらの意味不明な問い掛けと理解不能なポーズでもって、追撃は加速する!
もはや絶体絶命!
虚ろな視線は紙袋を――そこから覗き見える毛糸と編み棒の辺りを彷徨うのみだ。
「私は……ただ……時間が……このままだと間に合わなくなりそうで……それに……ヤオイ穴? そんなものが? だったら、これは……健全なことなの? 神様もお許しに?」
「良おーし! よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし!
たいした奴だ、秋桜、お前は! とにかく選べ! それから作業へ戻れ!」
どこぞの『悪の限界のない男』なようなことを口走りながら、お姉さまは秋桜の下乳を持ち上げるように撫でる。
その乳は豊満! そしてたわわ! 「よし」の度に振動させられ、激しく上下!
しかし、本来なら過剰なスキンシップを嫌がるはずの秋桜は、いまだ呆然と答えを考え続けている。
いや――
「なら私は……神様がお許しになられるのなら……私は……『タケr――」
新しい性癖を抉じ開けられつつあった!
なんとも淫靡! これが女が腐って堕ちる瞬間か!
「秋お姉さま! お気を確かに! それにお姉さま方も! ご入稿が間に合わなくなっても、私は知りませんよ!」
秋桜の失楽を救ったのは――彼女を姉とも慕うリリーだった。
しかし、妖精とも称される程の美少女が、他の者と同じくジャージ姿。それもトーンの削りカスを顔に付着させている様は……百年の恋すら醒めそうではある。
だが――
「ああ! リリーの言う通りだ! これの印刷会社さん、VR入稿できるけど……その分、締め切りが早いんだった!」
「私も……リアルの方……『キャプテン王子様』の……原稿……誰か……手伝って?」
「そ、そうだった! 私なんて上京遠征組だぞ! もう余裕は……急がないと!」
などと愚痴りながら、お姉さま方は席へと戻って作業を再開する。まるで猛獣使いだ。
「……リリーは慣れてるんだな? この……び、びいえる?に」
「私は……女子校育ちですから。免疫もできてますし」
やや不貞腐れ気味の秋桜へ、苦笑いでリリーは答える。
しかし、この説明では首を捻られる方もおられるだろう。実際、言われた秋桜も納得した様子ではない。
だが、リリーのような箱入り娘を養成する女学校こそ、女を醸すのには最適だ。ある意味、純粋培養されたエリートとすらいえる。
「別に手伝うのは嫌じゃないんだ。なんたってお姉さま達の頼みだし。でも……こんな年末の忙しい時期にやらなくても――」
「逆ですわよ、秋お姉さま。年末だからこそ、なんですのよ? もう風物詩といっても良いくらいですわ」
なおも愚痴る秋桜――もちろん、お姉さま達には聞こえないように小声でだ――を、辛抱強くリリーは慰める。
また、彼女の言う通りでもあった。
年末といえば普通はクリスマスかもしれないが、そうではない人種も確かに存在している。
例えば盆暮れに有明で薄い本の即売会へ参加する人達などがそうで……おおよそ日本人の二百人に一人が該当していた。
彼らにとってクリスマスなど、よりにもよって決戦の直前に催される迷惑なイベントでしかない。
当然に不参加だ。……例え適齢期の娘さんであろうと。
それ以上の掘り下げ無用とばかりにリリーは、話題を切り替えるも――
「――ご不安ですの? 新しいご趣味のお時間が?」
秋桜を見つめる瞳は冷たい光を帯びていた。
「なっ……べ、べ……別にッ! 冬だからマフラーでも編もうかとッ! だ、誰かにクリスマスのプレゼントとか……か、考えてないからなッ! ほ、本当だぞッ!」
……まるで若手芸人の前フリだ。気になる誰かのため、寸暇を惜しんで編み物に夢中と白状したも同然だろう。
しかし、そんな秋お姉さまの痴態を前に、リリーは卓上に飾った宿木へと視線を落とす。
それは秋桜と共通の知人からの――ある青年からの贈り物であり、解けない謎かけだ。
深い意味はない。そうに決まっている。
おそらく彼自身、ノエルの頃に宿木を女へ送る意味を知らないはずだった。
それはリリーも想像に難くなかった。よって贈り物には、何のメッセージ性もない。
……でも、本当に?
申し合わせたかのように秋桜とリリーの二人は、切なげに溜息を漏らし……それは溶けるようにして冬の空へと消えていく。
………………こ、これぞリリカル!
※1 ヤオイ穴
BLに登場するファンタジックな器官。BL的な愛を確かめあうために使われる。
※2 二百人に一人
これはタケルの時代の数字。我々の時代だと千人に一人程度。
人口が八千万人まで減り、逆に動員人数は倍になる想定。
※3 BL
ボーイズ・ラブとボーイズ・リミット・オフのダブルミーミング。後者は男子禁制の意。
彼方にいる女達の楽園。放っておいてあげましょう。
※4 ノエルの頃に宿木を女へ送る意味
西洋には『クリスマスに宿木の下にいる女性は、キスを拒否してはならない』という風習があります。
あまりにロマンチックなので、甘酸っぱい恋の駆け引きに使われることも。少女漫画では、もはや古典に属するネタ。
この場合、「キスさせろ」だとか「キスするから覚悟しておけ」の意味に受け取れなくもない。