準えて備える者たち
彼女達『HT部隊』の拠点は店舗『アキバ堂』の二階という、この世界では極めて珍しいものだった。
やはり間に合わせの代用品でしかなく、トップギルドが確保し始めたギルドホールに比べると、当然に使い勝手も悪い。
それでも彼女達は大切な場所として扱っていた。
この小さな拠点ですら贅沢といえたし……彼女達にとって、かけがえのない中心点でもあったからだ。
約束などしなくても、顔を出せば仲間の居る場所。
いくら他の連絡手段が豊富に用意されていようとも、それに勝るものはない。
しかし、その安らぎの場も、このところは試練の場へ変化していた。彼女達のリーダーに因ってである。
「ねえ、やっぱりクリスマスショートの方が良くないかしら?」
「……アリサの姐御……まだ悩んで? というか……さんざん検討して……やっと昨日、ブッシュ・ド・ノエルに決めたじゃないですか!」
「でも……タケルさんのお家は、スタンダードな――クリスマスショートのホールかもしれないじゃない」
堂々巡りだ! 圧倒的に堂々巡り!
来るクリスマスのメニューは、一つひとつが厳選されていた。
……味見役たる彼女達の献身によって。
オードブルに始まり、主菜である鳥の丸焼きやローストビーフなど――遅々とした歩みにも似ながら、着実に決定されてきた。
……全て味見役たる彼女達に確認されて。
そして、つい先日! やっと最後のメニューが――デザートであり、花形でもあるクリスマスケーキの選定が終わったばかりだった!
……もちろん彼女達の試食を経て。
ついに決まった結論は、最もクリスマス的であると考えられた『ブッシュ・ド・ノエル』だ。
『クリスマス・プティング』や純和式な『クリスマスショート』も最後まで対抗馬として覇を競ったが……昨今の流行も鑑み、『ブッシュ・ド・ノエル』を採用。そう決めたばかりだった!
……泣かんばかりに熱心な彼女達の説得によって。
おお、Nice boat!
「……いや……でも……い、いまからメインであるケーキを変えてしまうと……その……他のメニューにも影響が――」
「馬鹿、それじゃ藪蛇!」
穏便にことを収めようとした『HT部隊』のメンバーへ、小声だが鋭い叱責が飛ばされる。
だが、一足遅かったようで――
「あっ……それもそうね。その時は……また検討し直せば良くない?」
などと彼女達のリーダーは――アリサは無邪気に笑う。
しかし、その意味するところは凶悪だ!
やっとのことで彼女達は、デザートまで辿り着いた!
それを、ご破算?
とてもじゃないが受け入れられる話ではなかった!
確かにVR世界での飲食は、味覚にしかプレイヤーへ影響を与えない。当然に食べ過ぎて太るようなことはもちろん、健康を害されることもなかった。
しかし、だからこそ……だからこそ、時間の許す限りに味見も可能となってしまう!
考えてみても欲しい。
来る日も来る日も味見の毎日が続く。役得などと笑っていられるのも、最初の内だけだ。
多種多彩なオードブルに始まり、サラダ、スープ、主菜……そして選ぶのだから、決定前には全てが数種類ある!
これらが完全に違う料理であれば、まだ救いはあっただろう。
しかし、非常に些細な違い――いわばバージョン違いの方が圧倒的に多かったのだ!
主菜のローストビーフなどを例にとれば、切り方だけで数パターン、合わせるソースが数種類と……たったの一品だけでも、決めるべきことは無数にある!
その選考作業を黙々とやり通した彼女達には、誰もが同情の涙を禁じえないだろう。
おお、Nice boat! そして誠死ね!
「あ、あれですよ! やはり決定は変えないことにして……その……あ、あたしが! あたしが若旦那に……その……そ、それとなくクリスマスケーキの定番を聞き出しておきますから! ――な?」
「ちょ……いま話しかけないで! 編み目が………………あーっ! 判らなくなっちゃったじゃない!」
とにかくアリサを思い止まらせようとした『HT部隊』のメンバーは、同僚に助けを求めるも素気無くあしらわれる。
しかし、その努力は無に返さなかった。アリサの気を逸らすことには成功したからだ。
「……貴女、さっきから何をしているの?」
「えっ? いえ……その……ですね、アリサの姐御。実は街で編み物セットが売ってまして………………手編みのマフラーでも作ろうかなっと」
そう軽く恥ずかしそうに顔を赤らめて答える同僚に、『HT部隊』の面々は複雑な思いを抱いたようだった。
自分達は堕落してしまった?
一部では『地獄の華』、そして『破滅への案内人』などの異名を奉じられた自分達が?
どんなに警戒心の強いナンパ師だろうと、自分達の手に掛かれば容易く街の外へ誘き出せていたのに?
……言葉にすれば、そんなところだろう。
しかし、いまは嘆いている彼女ですら、後に「あの眼鏡が……もうっ……」などと言い出す。
つまりは、まだ未熟。彼女達は全員が若く、信念も精神も……まだ全てが柔らかかった。
そしてアリサも夢見るような表情で仔細を訊ねる。
「手編みの……マフラー?」
「ええ。どうもギルド『自由の翼』の娘達が流行らせたみたいで――」
色々と思うことがなくもないが……これで自分達の大将の気は逸らせる。少なくとも当日までは安泰。
そんな感想を『HT部隊』のメンバーが抱く寸前――
「お止めなさい、アリサ。いくらタケルさんの度量が広いといっても……流石に手編みの雑巾をスカーフとさせるのは酷でありましょう」
と止める声がした。
アリサ以上に周りから心配され――そして警戒されていた女性のものだ。
「そ、そんなハッキリいわなくても……い、良いじゃない、ネリー」
「何を甘えたことを……忘れたのですか、アリサ? 以前、なんの変哲もないマントを作ろうとして………………おお、過ぎたことは忘れましょう。とにかく! 貴女は裁縫に手を出してはなりません!」
原因不明の不機嫌を理由にしてか、それとも二人は気安い間柄だからなのか……かなり辛辣な言葉が女性の口から――ネリーことネリウムから飛び出す。
「ちょっ! なんでネリーの姐御、キレてるの!」
「いや……ほら……リルフィーさんが、まだ当日の予定すら聞いてこないらしくて――」
ヒソヒソと情報交換をする『HT部隊』のメンバーも、当のネリウムに睨まれて首を竦める。
もう、なんというか………………波乱の予感しかしない。
※1 Nice boat
平成の世で使われていた俗語。酷い、立派、無茶苦茶、奇麗な船、よくやったなどの意味がある。十二月の季語。
※2 誠死ね
同じく平成の世で使われていた俗語。外道死ねの意。誠殺すべし、慈悲はない!