第9話
リュートの突然の乱入によって、あれ以降の授業が収拾がつかずに、終了のベルが鳴り響いた。生徒たちを寮へ帰し、チェスターは管理棟にある〈第一職員室〉の自分の席に戻ってきたのである。
周囲に陰気な空気を放出しながら、俯いていた。
誰の目からも、明らかな落ち込みようだった。
何度目かの嘆息を漏らす。
机の上に無造作に置かれているテキストに気づき、綺麗に角を揃えてから元の場所へ収めた。
また、嘆息を吐いた。
「なぜ、上手くいかないのだろう……」
この世の終わりを迎えたような表情で呟く。
リュートが消えた後、生徒たちは騒ぎ始めた。その騒ぎを鎮められず、中途半端のまま、精魂込めた授業が虚しく終わってしまったのである。
「教師、向かないのかな……」
消沈しているチェスター。
黒の短髪でフロント部分に銀色のメッシュが入っているマドルカ・ボイトが近づいていく。彼女はチェスターと同様に教師で、フォーレスト学院で剣術科一年生を担当している。
沈み切っている様子に快活に声をかける。
「どうかしたのか?」
暗い顔をいったん上げた。
笑っている顔を窺うが、すぐさま俯いてしまう。
「どうしたんだ」
根気よく、明るい調子で尋ねた。
落ち込んでいるチェスターは何も答えない。
「らしくないぞ」
「……」
今日の騒動をすでに耳にしていた。
それで心配になり、何も知らない振りをして話しかけたのだった。
噂が広まっていると知れば、さらに落ち込むのがわかっていたからだ。
二人は同じ村の出身で、幼馴染と言う間柄である。
落ち込みやすいチェスターが心配で、三年前からフォーレスト学院で教職についていた。
落ち込み、自信をなくすたびに、マドルカが励まし続けている。
「マドルカ……」
暗い表情のまま、顔を上げて、口角を上げているマドルカを見上げる。
普段と変わらない柔らかな微笑みに、少しだけ安堵し、落ち着くのだった。
「聞いてくれる?」
か細い声で、いつもと変わらない幼馴染に尋ねた。
それに応えるように頷いてみせる。
「当たり前だろう」
「マドルカぁぁぁぁ」
「泣くな」
コクリと頷き、袖でゴシゴシと自分の涙を拭く。
悔しさで、何度も間を置きながらも、リュートとのいきさつをつぶさに話し始めた。
チェスターの愚痴に、口を挟まない。
慣れ切った所作で、最後まで黙って聞いたのである。
「そうか。それは大変だったな」
素直にチェスターが頷く。
「それはお前のせいじゃない。気にするな」
「だけど……。マドルカ」
すがるような眼差しを傾ける。
「何だ」
涙を滲ませる姿に、大丈夫だと優しく微笑む。
「自信がない。近頃の一年生、俺の話を聞いてくれない」
「それは私の方も同じだ。まったく、話を聞かなくって、お手上げ状態だ」
「そ、そうなのか?」
同じような悩みを抱えていると知り、キラキラと目を輝かせる。
幼い頃から、ずっと続けている光景だ。
「本当に?」
「嘘をついてどうする? どこも同じさ」
幼い子供のように、無邪気に頷いた。
「だから、気にするな」
頼りになるマドルカに慰めて貰い、幾分モヤモヤしていた気持ちが晴れていった。
生徒の前では、悩みを抱えている姿をみせない。
弱気な自分を偽って、自信満々の姿勢で、これまでの生徒たちに教えていたのだ。
その反動で、職員室に戻ってくると、反省と後悔をくり返していたのである。
「酒場でも、行くか?」
何度も、首を縦に頷く。
「仕事をさっさと片づけるか」
「そうだな」
二人から離れた席で、様子を窺っている同僚の教師がいた。
その教師は新任のコール・オッティ―だ。
「……」
学院の古株ジョン・ホワインに不思議そうに尋ねる。
サラサラとした長い白髪の頭が、ジョンのトレードマークである。
「大丈夫ですか。チェスター先生は?」
「んっ?」
不安げにコールが、目で指す方向を眺める。
マドルカがチェスターを慰めている光景。
「いつものことじゃ」
さらりと答えた。
今年入ったばかりのコールは、どんよりと落ち込んでいるチェスターにマドルカ以外、誰も声をかけないのか疑問に感じていたのだ。落ち込むチェスターに、なかなか新任と言う立場もあって声をかけるタイミングがなかったのである。
「そうか。コール先生は今年、来たばかりじゃったな」
ずれてしまった分厚い老眼メガネを上げる。
二人に視線を傾け、この状況に不慣れなコールに説明する。
「チェスター先生は、悩むのが好きなんじゃよ」
「悩みが……好きなんですか?」
ジョンの言葉の真意がわからない。
眉間に深いしわを寄せたコールに、ふふふと笑ってみせる。
チェスターが落ち込みやすく、打たれ弱い性格で、毎日のように悩み、次の日の朝になると元気にしている話を聞かせた。そして、初めのうちは、先生方で励ましていたが、そのうちに病気みたいなものとして、ほっとくようになったと付け加える。
「毎日の日課のようなものじゃ」
「……」
「ほっといても大丈夫じゃよ。明日になれば、いつものチェスター先生に戻っておるよ。現にいつもそうじゃろう?」
「そう言えば……」
「だから、大丈夫じゃよ」
毎日慰めていれば、大変だろうなと他の教師の苦労を労った。
「……でも、マドルカ先生は違いますね」
「ああ。あの二人は幼馴染じゃからだよ」
「幼馴染?」
改めて二人の様子を見つめる。
陽気にマドルカがチェスターの頭の上に手を乗せている光景に、幼馴染と言う言葉がすんなりと重なった。
「まだ、これでもましな方じゃな」
「どういうことですか?」
ジョンがリュートが一年生だった頃の話を始める。
授業を終えた、あどけない顔のリュートたちが、寮の六人部屋に集まっていた。
それも担任チェスターに、一矢を報えないかと密談していたのである。
リュート、カーチス、ブラーク・フォスター、キム・パウエルの四人は、チェスターの部屋に壁に落書きをしたことがばれてしまい、罰として、一ヶ月の間、教室掃除を命じられたのだ。
入学した時から、リュートはしつこく授業に出ろと言うチェスターを嫌っていた。
リュート自身、授業内容が簡単し過ぎて、退屈でしょうがなかったから、授業にも出ずに、学院の敷地内にある村に遊びに行ったり、森の中で昼寝をしたりして、単調な学院生活をやり過ごそうとしていたのである。
思案するように腕組むカーチス。
しつこいチェスターを蹴散らす妙案が、いっこうに浮かばない。
考えることも面倒になりつつあるブラークが、唸り声を漏らす。
そんな時に浅黒い肌をしているキムが、逡巡しているカーチスに声をかける。
「なー。落書きしなければ、こんな目に、ならなかったんじゃないのか?」
「けどさ。俺たちのこと、廊下に立たせたじゃないか」
授業中におしゃべりしたと言う理由で、カーチスとキムが廊下に立たされた。その仕返しとして、チェスターの部屋の壁に落書きしたのだった。
「だから、仕返しの仕返しだ」
強気にカーチスが言い切った。
自分たちが悪いと言う自覚がない。
「そうだけどさ……」
少しだけおしゃべりしたと言うだけで、廊下に立たされたことにキムも不満を抱いていた。だから、いたずらに強く反対できなかったのである。
この話に加わっていないクラインが、更なる仕返しをしようと作戦を練っている面々に、口を開く。
「いい加減にしたら、どうだ? 素直に掃除ぐらい受け入れろよ」
大人な対応するクラインとトリスは、くだらないと今回の落書きの件に加わっていなかった。
遠巻きにその様子を静観しているだけだ。
「一ヶ月だぞ。俺はいやだね」
不貞腐れているカーチスが、異論を唱えた。
それに同意するように、そうだ、そうだとブラークも頷く。
(ブラークは関係ないだろうが。ホント、困ったやつらだ)
二人とは対照的に、キムの心が揺らいでいた。
「「チェスターの悔しい顔を見ないと」」
二人の言葉に、クラインが呆れる。
これ以上言ってもダメだと、首を竦めた。
チラリと黙っているリュートに視線を傾ける。
「俺はチェスターが嫌いだ。だから、絶対に仕返しをする」
熱がこもっている声音だ。
リュート一人だけが、いろいろな理由が付け加わっていた。さすがのカーチスとブラークにも、この行動だけには素直に同意することが躊躇われたのである。
「好き嫌いは置いて、仕返しはしないと」
「そうだ」
曖昧に答える二人に気づかないリュート。
その傍らで。
フツフツと闘志漲る黒曜石のような綺麗な瞳と、鼻息が荒い。
ぎこちなく笑うしかない二人。
こればかりはついていけないと心の中で嘆息を零していたのだ。
「リュートのチェスター嫌いも、半端じゃないな」
「当たり前だ。あいつを見ていると腹が立つ」
清々しいほどに、はっきりと言い切った。
これまでのことを思い返し、止めどなく怒りが込み上がる。
その様子に二人はやれやれと顔を見合わせた。
そこへ、部屋にいなかったトリスが戻ってくる。
誰にも行き先を言わずに、トリスがフラッとどこかへ行ってしまう癖があった。そのため、姿が見えなくても誰も行方を捜そうとはしない。そのうち帰ってくるだろうと放置していた。
その手にたくさんの荷物を持っている。
「村に買い物に行っていたのか?」
抱えている荷物を眺めながら、何気なくクラインが尋ねた。
いつもに増して荷物が多い姿に興味を惹かれたのだ。
「んっ。……そんなところかな」
「でも、随分と買ってきたな」
ブラークもたくさんある荷物を凝視した。
「ああ。ちょっと買い過ぎたかな」
荷物を自分のベッドに置き、率直な疑問に答えた。
村である人と会っていたことは付き合いの長い幼馴染なので、把握していたのである。あえて、それをクラインたちに話さない。
その人の存在を知られたくないと理解していたからだ。
話題を避けるために、リュートの隣に胡坐をかきながら話しかける。
「まだ、話していたのか?」
「ああ」
トリスが出掛ける前から、どんないたずらを仕掛けるか話し合っていたのだ。
村で買ってきたお菓子を輪の真ん中にドッサリと置いた。
みんなから少し離れた位置で椅子に腰掛けて、読書していたクラインにも、広げたお菓子を食べるように勧める。
いたずらを練るのも忘れて、お菓子を食べるのに誰もが夢中になっていた。
近くのお菓子をブラークが口に放り込むと、爆竹のようにお菓子が口の中で弾け飛ぶ。
「わぁ」
口からモクモクと煙が湧き出始める。
その煙から、ブラークに一つの案が閃く。
ニタとほくそ笑む。
「なー。花火なんて、どうだ?」
「花火?」
訝しげに、リュートが首を傾げる。
「それ、いい」
面白そうにカーチスが、ブラークのアイデアアに乗る。
「それで行こうぜ。リュート」
満面の表情で、リュートもそのアイデアに乗っかった。
「決まったら、さぁ、準備だ」
計画は次の通りになった。
リュートが花火を製作する担当になり、その花火を日曜日に教室に仕掛け、朝早くから教室に来るチェスターに花火を送ると決める。
そのいたずらにクラインとトリスが不参加となった。
そして、カーチスたち三人が見張りに立つと決まる。
月曜日。
いつものように朝早くから、教室で授業の準備しようと、チェスターが廊下を歩いている。
今日から新しい章に入るために、念入りに準備をしようと思い、その足取りはとても軽やかだった。
自分たちの教室が見渡せる特別棟に、空が明ける前から潜み、心躍らせながら、チェスターが教室に現れるのを待っていたのである。
あまり興味を示さなかったトリスとクラインが、うっつら、うっつらと眠そうにしながらも、付き合っていた。いたずらに加わらないものの、どうなるのかと言う好奇心と、保護者的な思いからこの場所にいたのだ。
「来たぞ」
「何も知らずに」
「のん気にしているのも、今のうちだ」
張り切る面々。
二人はようやくこの騒がしさで目が覚め、同じように窓からその様子を窺う。
「花火が揚がるぞ」
歓喜が隠せないカーチス。
もうすぐ揚がる花火に思いを馳せていた。
「な、リュート。どんな花火を作ったんだ?」
ワクワクと目を輝かせながら、ブラークが尋ねた。
質問され、きょとんとした顔を覗かせる。
「普通」
その返答に、派手な花火を連想させていたカーチスががっかりした。
「カラフルで、ド派手なのがよかったのに」
「カラフル?」
不思議そうにリュートが首を傾げる。
様子のおかしい姿に、違和感が生じたトリスが声をかけた。
「どうした、リュート?」
「花火って、カラフルなのか」
「そうじゃないのか」
「カラフルね……」
まだ眠気が残る目を擦り、不安げにトリスが口にする。
「ちゃんと作ったんだろう? 書いてある通りに」
「うん……」
どこか納得してなさそうなリュート。
カラフルと言う言葉に、引っ掛かっていたのである。
見た本にカラフルとは書いてなかったと巡らせていた。
自分たちの教室に視線を走らせる。
「「……」」
不安が募っていくトリスは、どんな花火を作ったのかと突っ込む。
「だから、普通のやつ」
「その普通って言うのが、どんなやつなんだ」
唸り声を出し、リュートが逡巡した。
二人の会話は、カーチスたちに届いていない。
いつ揚がるのかと、自分たちの教室に目が釘付けになっていた。
「ヒューと上に揚がって、花を咲かせるとかあるだろう?」
「ヒュー? 花?」
ますますわからなくなって、目を丸くする。
そんな単語は、一切書かれていなかったからだ。
「リュート?」
「……」
クラインが腕時計で時間を確かめる。
眠気はすでに飛んでいた。
「そろそろ時間じゃないのか?」
その言葉に促されるように、カーチスたちの気持ちが高ぶる。
胸騒ぎが止められないトリス。
「ホントに花火を作ったのか?」
「花火だろう。ちゃんとドッカーンって、爆発するやつ、作ったよ」
「爆発?」
いやな響きに、顔が引きつる。
脳裏に浮かんだことが間違っていますようにと祈るのだった。
口を開こうとした瞬間、大きな爆音が自分たちの教室から響く。
その大きさで、トリスたちの耳が、一瞬何も聞こえなくなった。
不意に、カーチスたちに目を向ける。
愕然と自分たちの教室を直視していた。
トリスも同じように、教室に視線を傾ける。
モクモクと、濃い灰色の煙が立ち込めているのが目に飛び込んでくる。
校舎の半分が、破壊されている状況だ。
「……爆弾を、作ったのか?」
か細い声で、辛うじて呟いた。
あんぐりと口を開けて、話せないカーチスたちに成り代わって、幼馴染のトリスが言葉を投げかけた。
何の躊躇もなくリュートが頷く。
「爆弾と花火は違うのか?」
頭痛を堪えながら、トリスが爆弾と花火の違いを説明した。
話を聞き、ようやく胸をつっかえを下ろすリュートだった。
「こう言うやつだってこと、忘れていた……」
抑揚のない声で、リュート一人に任せたことに後悔を憶えるのだった。
その後、崩れた校舎から、傷だらけのチェスターが救出された。
咄嗟に《壁》を唱え、辛うじて身を守り、一週間程度の安静で済んだ。
校舎が半壊してしまったせいで、罰掃除がなくなったものの、校長たちの長いお話が毎日あり、それに山のような課題も出されたのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。