第68話
誰にも知られず、稽古するために、リュートとアニスが、〈第五図書館〉の近くにある〈白露の森〉へ移動した。
〈白露の森〉は、ある一定時間以外は、白い靄がかかった森で、教師や生徒が、めったに訪れない場所だ。
深い靄のせいで、森の中を彷徨う場所で、危険な場所でもある。
そこで、人に見られないように、密かにアニスは、体術の訓練をしていたのだった。
リュートも、神出鬼没なトリスも、訪れない森だ。
案内されたリュートは、ここなら知られず、稽古できると抱く。
無言で、向き合っている二人。
ある程度の距離を置いていた。
「俺の方は、いつでもいいぞ」
やる気満々なリュートである。
それとは対照的に、変化の様子が見えないアニス。
どんなふうに、変わるのか、いろいろと想像を膨らませている。
けれど、姿形が変わらない。
本当に強くなるのか?と、疑心暗鬼が芽生え始めた。
口を開こうとした瞬間、ようやく、アニスが動きを見せ始める。
水辺で動かず、浮いている葉のような、穏やかなアニスが大きく深呼吸し、腹の底から出すような声音で、叫び声をあげる。
「解!」
突如、上げられた声に、ただリュートは瞠目しているだけだった。
小柄なアニスの身体を囲むように、風が地から巻き起こる。
風の膜に、身体が包まれていった。
今まで、感じたことのない威圧感だ。
先ほどから、リュートは圧倒されている。
「!」
不意に、アニスの全身を覆っている風の膜が、徐々に消え去ってしまった。
風の膜で覆っていた、ただならぬオーラが、噴出してきたのだ。
唐突に、対峙しているリュートに、段々と突き刺さっていた。
僅かに、身体が強張っていった。
正面にいるアニスの顔を確かめる。
先ほどまでのアニスとは、目つきが微妙に変化していた。
いつもの愛嬌のある笑みではない。
普段の表情からは、想像もつかないような余裕の笑みを匂わせている。
(いつもの感じとは違うぞ。何だ、この感じは?)
油断は禁物と、身体が訴えかけていた。
それと同時に、面白さが込み上がってくる。
いっこうに、アニスの口は開かない。
ただ、目の前にいるリュートを見て、楽しんでいる笑みを零しているのみだ。
これから起こることを、楽しむような不敵な笑みだった。
両足を肩幅よりも、僅かに広げる。
そして、思いっきり、アニスが拳を地面に叩きつけた。
叩きつけた場所に、大きな円が形成された陥没ができ上がる。
呆然と、眺めているしかできない。
身体が、反応しなかった。
その威力と迫力に、圧倒させられてだ。
「どうぞ。いつでも結構です」
顔を上げた表情は、変わらない。
ただ、目を見開いているリュートを、不敵に窺っていた。
口調に、変化がなかった。
だが、強気な態度が、僅かに不気味に映っている。
(何だ? ……でも、面白い)
リュートの口角を上げっていた。
先手必勝と、全力で、この状況を楽しんでいるアニスに、突進していく。
腹部、目掛け、拳を入れ込もうと、攻撃を加えようとした。
けれど、風のようにふんわりとした動きで、渾身のリュートの拳を鮮やかに交わす。
(凄い、アニス)
剣術科のクラスメートにもいない。
柔らかな風のように、鮮やかで、しなやかだった。
同じような仕草が、何度となく、繰り返した。
そのたびに、遊びまわる、そよ風のように、アニスの身体が動いている。
襲ってくる力を、優しく包み込み、流れるような仕草で、ふんわりと交わし、大地を労わるように、そっと地面に足を下ろしていた。
余裕な顔を崩さない。
ニッコリと、微笑んでいたのである。
それとは反対に、リュートの顔は悔しげに歪んでいた。
「くっ」
攻撃が一撃も、決まらない。
叩き込もうとした攻撃を、すべてアニスに、交わされてしまったのだ。
ここまで見事に交わされ、なすべき術がないのは、初めてだった。
土埃が、まだ舞い上がっていた。
諦めていないリュートが、背後にいるアニスに、回し蹴りを入れようとした途端、右脇の腹に刺すような激痛が走る。
「グフッ」
痛みに絶えられず、体勢が崩れた。
円を描くように、廻そうとした足が、止まってしまった。
襲ってくる攻撃を交わしながら、アニスは隙を見計らい、数発の拳と蹴りを打ち込んでいたのである。
一瞬の出来事に、打ち込まれたリュートは気づかなかった。
攻撃を交わしつつ、アニスは巧みな攻撃を仕掛けていたのだった。
痛みに耐えながら、ようやく、その事実に気がつき、悔しさで唇を噛み締める。
ぐらつきながらも、見失ったアニスの姿を捜した。
態勢を戻しながら、背後にいたアニスを捉えようと、向きを変えている。
けれど、動きが早く、追いつけない。
(早っ。次の攻撃に、転じている!)
無傷なアニス。
少し離れた場所で、打って変わって、次の攻撃を仕掛けようと、突進していたのだった。
その素早い、身のこなしに、唖然としてしまう。
全然、予想だできない。
これまでは、防御だけに徹していた。
だが、攻撃に、転じてきたのだ。
舌打ちを、打つ暇もない。
攻撃を防御する態勢を、瞬時に取るだけで、精いっぱいだった。
「遅い、遅いです」
言葉を発すると同時に、拳や蹴りを、連打してきた。
交わしたり、受けたりするだけで、必死だ。
攻撃を仕掛ける余裕さえ、リュートにはない。
流れ出る汗を、拭う暇さえないのが、現状だった。
防御するだけで、何もかも、考えられない。
数発に一度、身体のいろいろなところに、拳や蹴りが打ち込まれてきた。
その拳と蹴りは、すべて急所に、当たっていた。
僅かな力で、物凄いダメージを、リュートに与えていたのだ。
攻撃の手を緩めない。
スピードは、増していくばかり。
(容赦ない攻撃だな。こんなに強いとは……)
「先の攻撃を考え過ぎるから、動きが遅くなります」
「……」
的確なアドバイスを、忘れなかった。
そうしながらも、攻撃を仕掛けてくる。
先の展開を、考えている分、リュートの動きは、ほんの一瞬の時間、遅れていたのだ。
「考えるより、流れに乗ってください」
返事を返す余裕さえない、あり様だ。
さらに、連打は、衰えなかった。
段々と、速くなり、威力も、増していった。
その攻撃に、すべて対応しきれなくなってく。
攻撃を受ける量が、増えていったのである。
痛みを感じる時間さえ、与えて貰えない状況。
顔や腕、身体、足、すべて打ち込まれた箇所が、赤紫に変色していた。
自慢のある体力が、限界に、近づいていった。
時間も忘れ、稽古していたのである。
「また、攻撃を仕掛ける時間が、遅れています。集中してください」
「くそー」
視界が歪み始め、不甲斐なさで、リュートが吐き捨てた。
それは、同じ言葉を体術の試験後に、担任カイルに言われたことと、同じだった。
わかっていても、慣れ親しんだ魔法とは違い、身体が自然と動かず、先の攻撃を考えている間に、動きが僅かに遅れ、相手からの攻撃を、受けたりしていたのである。
「ほら。また、考えています。空いていますよ、ここが」
がら空きになっている腹部。
そこに、強烈な拳を、ぶち込まれた。
言ったことが守られていないから、その罰だと示すように、その威力は、他の攻撃と比べ、増していたのだった。
とめどない攻撃を、仕掛けてくるアニスに、視線を注いだままだ。
話す口調と攻撃が、合っていない。
裂かれたような痛みが、全身を通り抜けていく。
「!」
まともに入った拳に後退し、アニスとの距離を、辛うじて開けたのだ。
どうにか倒れず、堪えるだけが、精いっぱいだった。
次の攻撃を、続けることができない。
アニスも、それを察知し、それ以上の攻撃を、仕掛けることをしなかった。
ただ、楽しげなラベンダーの瞳で、苦痛に歪むリュートを、見据えているだけ。
けれど、その衝撃と、痛みに耐えられなくなり、思わず、片膝を地につけてしまった。
時間も忘れ、戦い続けていたアニス。
疲れが見え始めている。
微かに、乱れている呼吸を整えた。
隙を見つけても、攻撃できず、疲労と苦痛に、リュートが耐えているだけだ。
静かな視線で、アニスが痛みと戦っている姿を見下ろす。
「弱いです。私と稽古しようとするなら、もっと、もっと、鍛錬が必要です。物足りなかったです、もっと、楽しめるかと思っていました」
不満げ顔を、アニスが覗かせていた。
だが、ワクワクする高揚感が、リュートの内側から、湧き上がってくる。
屈辱的なことを言われたのに、なぜか、楽しい気分の方が、競り勝っていた。
「……確かに、これじゃ、ダメだな」
「はい。もっと鍛錬が必要です」
「わかった」
立ち上がろうと、ふんばりながら、目の前に立っているアニスに対し、尊敬の念を抱く。
戦ってみたい衝動が、揺り動いた。
歪む顔で、口角が上がっていたのだ。
楽しい高揚感だけが失われず、増していった。
「……言っておく。俺は無意識に、魔法が出てくる。だから、気をつけろ」
「……」
今まで魔法を使わないように、必死に堪えて戦っていた。
そのせいもあり、体術の対応が、すべて遅れていたと言う面もあったのだ。
だが、強いアニスの姿を目の辺りにし、気持ちが変わっていた。
防衛のために、リュートは呪文が本能的に出てしまう話を聞かせる。
戦いに集中すると言うことは、呪文を無意識に、唱えてしまう可能性もあるせいだ。
だから、事前に自分のことは、知らないだろうアニスに教えたのである。
ただ、ほくそ笑むアニス。
「ご親切に、ありがとうございます。それでは、私も、少々、魔法を使わせて貰います」
「構わない……」
立ち上がっているリュート。
その目つきが、変わっていた。
そして、言い終わった瞬間、アニスは素早い動きで、胸元へ入り込んだ。
素人同然のリュートに対し、全力で、戦っていなかった。
多少の余力を残し、戦っていたのである。
自分の持てる力を、すべて出し尽くし、戦おうと意思を固めた。
瞠目しているリュートは、アニスの拳で、宙に浮かぶ。
寸前のところで交わしたが、物凄い拳の風圧で、飛ばされてしまったのだ。
飛ばされながらも、視界には、辛うじてアニスの姿を捉えている。
次の攻撃を仕掛けるため、瞬く間に、ジャンプしたアニス。
頭が真っ白になり、無意識のうちに、《火の矢》を放った。
体術の時とは違う。
考えずとも、ベストなタイミングで、身体が自然と呪文を唱えているのだった。
煌々と燃える矢に、危機感を抱き、アニスはすれすれのところで、《壁》で交わせた。
地上に、着地している二人。
同時に、楽しそうな笑みを滲ませている。
《壁》で防ぎきれなかったアニスの腕は、服が裂け、裂傷とやけどが、くっきりと痛々しい姿で残っている。
《壁》で防がなかったら、瀕死の状態は、間違いなかった。
それほど、リュートが放った《火の矢》の威力が、凄まじかったのだ。
法力の強さがあるリュートは、レベルの低い呪文でも、その威力は、桁違いな威力があったのである。
魔法の差を身に知っても、対面しているアニスは動じない。
片腕を負傷しているのにも、かかわらずだ。
小さく笑ったまま、お互いに向かって、同時に突進していった。
打ち身だらけのリュートの蹴りを受け流し、次に、襲ってくる拳を、アニスは両手で受け止めた。
次の瞬間、リュートの拳を掴んだまま、それを起点に、まっすぐ伸びた足を、後ろから円を描くように宙を舞い、次の攻撃を狙っていたリュートの背後に向かって、しなやかな着地する。
「凄い」
鮮やかな仕草に、感嘆の声しか出せない。
無駄な動きが、ないのだ。
すべて、次の攻撃に、繋がっている。
「凄い。アニス、凄いよ」
「ありがとうございます」
スカートの汚れを払いながら、満面の笑みを零していた。
久しぶりの実戦の稽古に、アニスも、心から楽しんでいる。
「行きましょうか」
二人の稽古は、続けられた。
強力な魔法を、時々織り交ぜるリュート。
俊敏さがあるアニスは、ギリギリのところで避け、強力な魔法を貰うこともない。
強力な魔法を、まともに受けていたら、自分の方が、ことが切れるのが先と、本能的に感じていたのである。
休憩を挟まず、ずっと続けられていたままだ。
呪文攻撃を、多少受けているせいもあり、アニスの体力が落ち始めている。
治癒系の呪文も、持っている薬草も、使わない。
ただ、仕掛ける攻撃だけに、力を注いでいたのだ。
打ち身だらけのリュートと、やけどや裂傷だらけのアニスの体力は、同じ量の体力しか残っていなかった。
それほど、長い時間二人は、戦っていた。
荒い息のまま、互いに、睨み合ったまま、ピクリとも動かない。
互いに、喋る気力も、残っていなかった。
戦うことが面白く、頭の中は戦うことしか、なかったのだった。
同時に、互いに視界は、漆黒の闇の中へと入り込んだ。
決着がつかないまま、力尽きた二人。
仰向けになり、その場に気を失って、倒れてしまった。
二人とも、戦いに夢中になり過ぎて、意識を失ったことにも、気づかなかった。
稽古を静観していたグリンシュ。
二人に近づき、激しく戦い合った傷の具合を確かめる。
校内を見回っている最中に、戦う音がする〈白露の森〉に入っていき、戦っている二人を発見したのだった。
そして、面白いと巡らせ、気づかれないように、稽古している様子を窺っていたのだ。
「大丈夫そうですね」
傷だらけのアニスを、入念に調べながら呟いた。
深い傷は一つもなく、どれも致命的にならない、浅いものばかりだった。
意識を失った原因は、休憩なしに、長い時間、戦った疲労によるものと判断した。
呪文攻撃を、寸前のところで交わし、僅かな攻撃しか、受けていなかったのだ。
その身体能力の高さに、驚かされていた。
「リュート相手に、ここまでやりあうとは、凄いですね。ここまでの力があるとは、思ってもみませんでしたよ」
意識を失っているアニスを賞賛した。
その寝顔は、満足しきっている。
保健士のグリンシュも、アニスの能力を、把握しているうちの一人だった。
「リュートも、診ないといけませんね」
腰を落としていたグリンシュが、立ち上がる。
アニスよりも、打ち身だらけのリュートへ身体を向けた。
診立ては、アニスと同様で、疲労によって、意識を失っていたのだ。
グリンシュは、気を失っている二人を、保健室のベッドに運ぶ。
二人は、スヤスヤと楽しい夢を見ているような顔を覗かせ、眠り込んでいたのである。
読んでいただき、ありがとうございます。




