第65話
人気がないカウンターの前で、リュートが一人でいじけていた。
誰一人として、リュートとかかわろうとする者がいない。
ここにいる生徒が、自分だけの世界に入り込んでいたのだった。
何気なく、視線を上げたアニス。
いじけているリュートを、視界に捉えた。
「あれは……」
何の躊躇いもなく、自然と歩き出した。
再会する前では、考えられない行動だ。
声をかけようと、近づいていく。
だが、距離が詰まっていくと、声をかけようか、どうか、迷いが生じた。
口がもそもそと、動くだけ。
そんな姿に気づき、唐突にリュートが先に声をかける。
「よっ。頑張っているか?」
くよくよと、思い悩んでいるアニスの身体が、突如かけられた言葉にフリーズしていた。
ぎこちないラベンダー色の瞳が、揺れ動いている。
そして、アニスの傍に来て、初めてリュートが気づく。
瞳の色が、ラベンダーだと。
再会した時は、深夜で、はっきりと瞳の色を見分けられなかった。
「は、はい」
微かに、アニスの顔が強張っていた。
だが、リュートの方に、気づく気配がない。
「先日は、ご迷惑をかけてしまって、すいませんでした」
深々と、頭を下げて謝った。
絹のようなサラサラしたサイドの赤褐色の髪が、しなやかに靡く。
二人が再会した際、アニスは音楽コンクールの本選のために、猛練習に励んでおり、人の話が耳に届かないくらいに、夢中になっていたのである。
尋常ではないアニスの集中力で、小さな騒動が起こり、それを機に、二人は一年生以来の再会を果たしたのだった。
「ラベンダーか。綺麗な瞳だな」
見たままの感想が、リュートの口から漏れていた。
「……。……あ、あ、ありがとうございます」
脈絡のない話に、瞬時に何を言っているのかわからなかった。
瞳の色を褒められ、戸惑いながらも、優しい微笑みを滲ませている。
「別に。こっちはこっちで、それなりに面白かった。だから、気にするな」
答えに困ってしまい、そうですかと、ぎこちない笑顔だ。
自分のペースで、リュートが話していく。
あたふたしながらも、どうにか、対応していった。
完全に、過去の記憶が拭えていない。
僅かに、残像が掠めている。
けれど、徐々にそれが薄れていったのだ。
巻き込んだ自覚がないリュートは、のん気に朗らかな態度を取っていた。
「よく、来るらしいな」
「……えぇ。そうですね」
友人のカレンから、話を聞いていたこともあり、脈絡もなく、変わっていくリュートのペースに慣れていく。
カレンから、人のことを考えないで、その場で、思ったことや感じたことを口にし、話すから大変と、耳にしていたのである。
「俺も、来ていたけど。会ったこと、ないよな?」
「ここで、会うのは初めてだと思います。リュート君も、こちらに足を運ぶのですか?」
のんびりとした、穏やかな声音だ。
「ああ。暇な時にな。ここで読書している」
「そうでしたか」
掴みどころがないところに、戸惑うこともあったが、にこやかな態度をとっていた。
幽霊騒動の際、再会した時に、思っていたイメージと違っていると知り、強烈な恐怖が、いつの間にか払拭していたのである。
一年生の時に、爆風で飛ばされてから、A組の教室に、リュートがいる際は、避けていたし、友人のカレンと会う時は、必ず誰かに、A組の教室にリュートがいないかと、確かめて貰っていた経緯があったのだ。
再会するまでは、異常なほどに戦慄し、目の前のリュートを避けていたのである。
ふと、アニスが手に持っている本に、リュートの双眸が捉えられていた。
ひ弱そうな印象があるアニスに、似合わない体術に関連する本だ。
「……」
凝視されている視線が居心地悪く、持っていた手に力が入ってしまう。
そして、口を開けかけたが、閉じて、顔を俯いてしまっていた。
(どうしよう……。リュート君、見ているし……、何か言わないと)
剣術科の生徒が持つにはおかしくないが、魔法科の生徒が読むには、珍しい本だったのだ。
慌てふためくアニスに対し、リュートはアニスが持っている本から、視線を剥がそうとしない。
そんな滑稽な二人を、生暖かい眼差しでビブロスが窺っていたのだ。
二人は、近くにビブロスがいることを、完全に忘れていたのだった。
その奇妙な取り合わせに、リュートが首を傾げる。
〈第五図書館〉にアニスが来ること自体に驚いていたのに、体術に関連する本を持っているイメージが想像できないと、驚愕せずにはいられなかった。
気圧されていたアニスが、意を決する。
「……これですよね?」
持っていた本を、好奇心溢れるリュートの前に出した。
その顔は、少し赤みをさしている。
「何で、そんなもの?」
「ビブロス先生に、特別に、貸して貰っています」
「読むのか? アニスが?」
意外な話に、リュートが目を見開いている。
「は、はい」
か細い声で、返事をした。
更なる衝撃が、リュートに到来する。
強まる視線に、さらに頬が染まっていった。
「でもさ、ここには置いてない本だよな」
「俺が、代わりに借りてきた」
ソワソワしているアニスに代わり、カウンターで座って、二人の様子を静観していたビブロスが答えた。
ようやく二人は、ビブロスの存在に気づいたのだった。
面白い成り行きに、ずっと耳を済まし、二人を観察していたのである。
「何で?」
謎だらけのピースばかりで、訳がわからない。
恥ずかしがっているアニスと、それ以上口を開かないビブロスを、怪訝そうな眼差しで交互に見比べる。
見当の道すら、立っていない状況だ。
(魔法科で、それも、ひ弱そうなアニスが体術の本を読む? それに、何で動こうとしないビブロスが、代わりに借りてやっている?)
頭の中は、多くの疑問符で溢れている。
恥ずかしさで、俯いていた顔を、僅かにアニスが上げていた。
「似合わないですよね」
弱々しい眼差しだった。
(またか……)
心が、水底まで落ちたような感覚に捕らわれる。
自分でも気づかぬうちに、唇を噛み締めていた。
「そうだな。全然、違うよな」
率直に、自分の気持ちを、リュートが吐露した。
ますます苦しげな顔を、アニスが覗かせている。
そんなアニスの姿を、見つめているリュートだった。
「見た目は、縁がなさそうなのに、体術に興味があるなんて、変だな。けど、好きなら、別に、いいんじゃないのか? その本を、読んでいても。読み終わったら、今度、貸してくれ」
物怖じしない態度に、自ら尋ねたのも忘れ、目を丸くする。
今までの人たちと違う態度に、驚いてしまった。
その場を取り繕うとする人たちとは、違っていたのである。
そして、知った人たちは、少しずつ離れていった。
でも、率直に自分の気持ちを話す姿に、今までにない好感を抱く。
「そうですね。変ですよね」
屈託のない笑みを滲ませていた。
心の奥にしまっておいた言葉が、素直に口から発せられる。
どこか、取り繕って、答えていたところが、今までにはあったのだ。
けれど、今は清々しい気持ちで、自分のことが言えたのである。
「……私には、特殊能力っていいますか……、何と言えばいいのか、わかりませんが……、簡単に言いますと、怪力で、体術のスペシャリストと言う能力があるんです」
「へぇ?」
衝撃的な告白に、マヌケな言葉が漏れる。
あまりのマヌケな表情に、思わずアニスの方が、小さく笑ってしまった。
小柄なアニスを、上から下まで、食い入るように凝視している。
意外過ぎる告白が、とても信じられない。
細い腕に、触れようとするリュートの手に……。
「い、今は、違いますぅ。……はい」
顔を真っ赤に染め、両手を思いっきり振って、否定した。
同年代の男に、いきなり腕を触られたことがなかったのだ。
「違う?」
釈然とできず、首を傾げる。
「普段は、催眠術で、その能力を、内側に眠らせている」
恥ずかしがって、言葉にならないだろうと気を利かせ、二人の会話に割って入って、隠していたアニスの秘密を、ビブロスが喋ったのである。
以前から、その事実を把握していたビブロス。
アニス自身から、打ち明けられていたのだ。
驚愕している眼光が、平然としているビブロスを捉えている。
「催眠術で、眠らせている? どういうことだ、ビブロス」
ただ、さくらんぼうのように、頬を染めているアニスだった。
代わって、ビブロスが秘密を詳しく暴露した。
秘められていたアニスの能力は、想像を逸脱した、凄い怪力の力と、体術に優れていることだ。
それは、代々海を守護し、護ってきたマッケンロー家の女性だけに、隔世遺伝され、今ではアニスと、アニスの叔母が、その能力を持っていたのだった。
その能力の高さから、普段は催眠術で、内側に眠らせていたのである。
「なんで? 女だけなんだ?」
不意に、浮かんだ疑問を口にした。
徐々に、落ち着きをアニスが取り戻している。
「……今は、貿易商を営んでいますが、元々は、海賊だったんです」
喋り出したアニスに、顔を傾けた。
視線を注がれても、そらすことをしない。
まっすぐに、眉間にしわを寄せているリュートに、視線を巡らせていたのだった。
「海賊をしている男性に代わって、陸で港や家を護っていたのが、女性で。どうも、その関係性で、私みたいな能力が、稀に隔世遺伝されるみたいで……」
「へぇー。まったく、今は、普通なのか?」
「自己催眠をかけて、眠らせていますから。日常は普通です」
「へぇー」
アニスの話に、感嘆するばかりだった。
話していても、リュートからはいやな感じがなく、とても話しやすかったのである。
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