第58話
バドと話した直後、誰にも会うことがなかった。
ラジュールから預かった本を携え、リュートが〈第五図書館〉へ向かって、歩みを進めていた。
目的地の〈第五図書館〉は、各校舎の棟から離れた位置にあり、レンガ造りの建物が、すべて図書館として建てられていたのである。
だが、生徒たちの〈第五図書館〉の認知度は低く、ほぼ立ち寄らない。
他の図書館で、ことが足りているからだ。
それらのことが重なり、知らずに卒業していった生徒も数多い。
教師ですら、立ち寄らない古ぼけた図書館だった。
でも、都や都市にないような貴重な本が、数多く所蔵され、知る人と知る図書館なのでもある。
建物の外面に、鬱蒼と張られた蔓。
懐かしい郷愁に、駆り立てられる。
見覚えのある蔓が変わらず、残っていたからだ。
魔法科にいた頃、よく暇な時間に、足を向けていた場所の一つだった。
剣術科に編入してからは、立ち寄ってない。
毎日、稽古や授業の日々に、明け暮れているせいだった。
その前で、立ち止まる。
思わず、絡み合った蔓に触れた。
久しぶりの感触に、顔が綻ぶ。
「変わらないな」
人が少なく、静かな〈第五図書館〉を気に入っていた。
入学当初は、ただ歩いていただけで、周囲がざわめき、偉大な〈法聖〉リーブの息子と、好奇な目で見られることが多かったのだ。
うんざりした日常に、静けさを求めていた。
人が少ない場所を探し、この〈第五図書館〉に辿り着いたのだった。
そして、のんびりとした時間を、過ごすようになっていたのである。
それに、偏屈な司書ビブロス・フラーゼが好きだったことも、訪れる理由の一つだった。
必要以上にかかわらず、そっとしてくれるところを、一番、気に入って好いていた部分だ。
図書館に入り込むと、かび臭さが鼻に、ツーンと通っていく。
自然と、口角が緩んでしまう。
〈第五図書館〉が所蔵している多くの本は、他の図書館よりも、かなり年代が古いものばかりだった。
それも、多くの生徒が、足を踏み入れない要因の一つだったとも言えた。
独特な臭いも、変わらないことに、さらに落ち着く感じを深めていった。
何もかも、以前来たままで、変わっていない。
何年も、来ていない感覚に囚われていたが、すぐさまに、そんな空気が吹き飛んだ。
閲覧スペースは、一階から三階まで吹き抜けになっていた。
明かりがなくても、燦々と陽光が降り注ぐ明かりで、十分な明るさが備わっていたのである。
その陽だまりで、何度か、昼寝をしたこともあった。
入ってすぐのところに、閲覧スペースがあり、その奥に本が所蔵され、陳列されていたのだ。
担当司書の嗜好か、カウンターの場所は薄暗い。
そんなカウンターに足を運ぶと、いつもと変わらず、ビブロスが読書している光景を捉える。
常に、ここで読書をし、司書の仕事もせず、過ごしていたのだ。
いつ、司書の仕事をしているのだろうかと、疑問を抱くほど、読書三昧だった。
授業をサボって、リュートが図書館に訪れても、同じようにカウンターで読書をしていたのである。
司書の仕事をしている光景を目撃したことが、一度もない。
(また、読書してる……、変わらないな。いつ、仕事してるんだ?)
強面な顔に堀が深い。
桑茶色の髪が、ボサボサと散漫に伸び、さらに、不気味な雰囲気を醸し出していた。
用事がなければ、誰も近づけられない、そんな空気を、放出している。
静かに、読書しているビブロスの前に、立ち止まった。
読書をしたまま、懐かしむリュートより、先に声をかける。
「珍しいな、リュート」
視線を傾けない。
誰が、目の前に立っているのか、把握している姿に、瞠目している。
何で、わかったと言う顔を覗かせていたのだ、
そして、読書を続けているビブロスを凝視し続ける。
けれど、視線は、本に落ちたまま、動かない。
「足音で、わかるんだよ」
ページを捲りながら、ぶっきらぼう口調で返した。
足音を出して、歩いた憶えがない。
納得していない顔に、さらに付け加える。
「修行が足りないな。僅かだが、音が聞こえる」
「……俺は、何も、言っていないぞ」
ブスッと、剥れているリュート。
さらに、表情を垣間見ないで、ビブロスの口が動く。
「俺は、お前より、何十年も生きている。お前のことなんて、手に取るようにわかるさ。いつまで、膨れっ面しているつもりだ」
口元が、うっすらと緩んだ。
「そうか」
返事したものの、どこか、まだ納得できていない。
「用件は何だ? だから、ここへ来たのだろう?」
読んでいた本を閉じた。
不満げなリュートを、飄々とした顔で眺めている。
(剣術科に行ったら、少しは変わるかと思ったが。大して変わってないな)
大抵、ここに訪れる際のリュートの顔が、仏頂面だった。
クスッとした笑みを漏らしていた。
「剣術科の方は、どうだ?」
「まぁまぁだ」
素直に楽しいとは言うのは、少し抵抗を感じてしまった。
「テスト、中盤辺りで、残念だったな。もう少しいくと、思っていたが、意外と、いかなかったな?」
ビブロスの指摘に、眉がピクッと動く。
胡乱げな眼差しを注いでいた。
強面の顔を怖くし、ビブロスが不敵に笑っている。
「何で、知っている?」
ただ、ほくそ笑んでいるだけだった。
ますますリュートの表情が、険しくなっていく。
「って言うか、何で、剣術科に移ったことも、知っている? 剣術科に来てからは、初めてだぞ。ここに来るのは?」
いろいろと、把握していることに驚かされていた。
めったに、ビブロスは〈第五図書館〉から出ないために、外との繋がりが乏しかったのである。
長年、通い慣れて親しくなって、そんな行動を熟知していた。
変人と噂されるビブロスは、〈第五図書館〉と寝泊りする部屋を、往復するのみだった。
「そうだな。剣術科に移ってからは、初めてだな」
しみじみとした表情で、久々の訪問だと逡巡していた。
「相当、頑張っているようだな?」
「お、おう」
「……リーブと似ているな。あいつも、剣やるし、な」
母親リーブの話に、顰めっ面を覗かせた。
親しく付き合っているビブロスから、リーブのことを、初めて耳にしたことに気づいてない。
これまでリーブの話を、口にしたことがなかった。
(まだ、改善していないか)
ここに、初めて姿を見せた時に、見た顔が印象的だったからだ。
何で、俺はここにいる?と、不服そうな顔をしていたのである。
それとなく、ビブロスの耳にも、学院中がリーブの話で、盛り上がっていると届いていたのだ。
だから、あえて、リーブの話は、今までしなかった。
話をするのは、いつも決まって、他愛のないことや、本のことだった。
「別に、母さんがやっていたから、俺がやった訳じゃない! 俺自身が決めた」
何でも母リーブに、結び付けられることが、いやだった。
閲覧していた数人の生徒たちが、一斉に声の主に視線を巡らせる。
そして、瞬く間に、何もなかったかのように、視線を本に移したのだった。
生徒が、あまり近づかない図書館だけに、ここに訪れる生徒たちも、一筋縄ではいかない。
それぞれに、自分の世界へと、戻っていったのである。
ビブロスが、いたずらな笑みを零す。
「お前のことだ。知らなかったのだろう? リーブが〈剣司〉を持っていること」
「……」
キツく、口を結んでいるリュート。
その通りの意味だと、汲み取った。
「目指すのか? 〈剣聖〉でも」
「興味がない」
そっぽを向き、吐き捨てた。
称号よりも、強さを手にしたかったのだ。
「そっか、興味がないのか」
「悪いか」
「いいや。お前のことだ、閃きで、剣術科に移ったんだろう?」
また図星され、何も言えない。
「ま、頑張れよ」
強面な顔で、笑っていた。
「それより、何で、俺が剣術科に移ったこと、知っている? それに、俺の成績まで……」
余裕な笑みを漏らしている姿に、挑むような目で半眼している。
出歩くことが、嫌いなビブロスが、わざわざ自分の成績を見に、足を運ぶ真似はしないと踏んでいたからだ。
それに、幼馴染のトリスでさえ、〈第五図書館〉に自分が出入りをしていることを把握しているのか、妖しかった。
だから、トリスから情報を得ると言う、確率がないに等しかった。
皆目検討がつかず、首を捻るばかりだ。
「わからないか?」
鷹揚な態度に、リュートが苛立つ。
「だから、聞いている!」
母リーブのこと言われ、腹の虫が収まらない。
「グリンシュから、聞いた」
「グリンシュ!」
優美な微笑みを滲ませ、のんびりと、紅茶に口をつけているグリンシュの姿が、目の前に掠める。
何でも、話すなと、浮かぶグリンシュに噛み付いていた。
飄々と、あちらこちらに、姿を現わしていることを、辟易していたのだ。
「いろんなところに、出没するな。でも、俺は、ここで見かけたことないぞ」
「そうか。そう言えば、そうかもしれないな……」
逡巡し、二人が出会っていなかったかと、のん気に呟いていた。
「他にも、行ってそうだな」
「マメだからな。あいつは」
「マメ過ぎるだろう」
「その意見には、同意見だな」
何度も、ビブロスが頷く。
「何者だ! グリンシュは」
神出鬼没なグリンシュは、一体、いつ仕事をしているのだろうかと巡らせてしまう。
(でも、俺が行く時、大抵、お菓子を作っているよな)
剣術科の友達に聞くと、保健室で、治療して貰っていると、聞いていたのである。
考えれば、考えるほど、腑に落ちない。
(どこにでも、顔出してる割には、俺たちが行く時にはいるよな。……何でだ?)
怪訝そうに、首を傾げるリュートだった。
「好奇心旺盛な、エルフだろう」
「何でも、首突っ込みし過ぎ」
「諦めろ。あいつの性分だ」
「……」
不意に、不機嫌なリュートが持っている二冊の本に、視線を走らせる。
「ラジュールの代わりに、返却か?」
見ただけで、誰が借りたか、言い当てた。
誰が借りていったか、すべて頭の中に入っていたのだ。
視線に気づき、カウンターの上に、二冊の本を置こうとする。
「地下の書庫だ」
カウンターまで、数センチのところで、置こうとした手が止った。
ゆっくりと、互いに視線を合わす。
「俺に、片付けろと?」
「慣れているだろう?」
即答だった。
「なぜ?」
「ついでだ」
カウンターすれすれの位置で、止っている二冊の本を、指差している。
「頼んだぞ」
閉じていた本を開き、ビブロスが読書に戻っていった。
(また、俺か……。何なんだ、今日は。なぜ、頼まれ事が多い!)
読んでいただき、ありがとうございます。




