第6話
何度も休講していた呪文に対する耐久性の授業が、魔法科の校舎近くにある〈第二グランド〉で、チャイムと同時に始まった。
呪文に対する耐久性を担当している教師は、魔法科八年生の担任しているカテリーナ・マースディンだ。彼女は学院一、惚けている先生と言う名の異名を持っていた。
フワフワしているピンクの長い髪は、地面につきそうなほど長い。
歩くたびに、長い髪が左右に揺れていた。
とても教師には見えなかったのである。
のんびりした口調で、四列に並ぶように声をかける。
四列に綺麗に並んだところで、また口を開いた。
「みなさぁーん、おはようございます。今日は……」
四列に並んでいる生徒たちの前で、これから行う授業の説明をゆったりとしていた。
気が抜けたような語り口調に、初めてカテリーナと接したリュートが胸騒ぎを募らせている。
(大丈夫なのか? 場所、間違えてないのか……)
不安の嵐、真っ最中だ。
顔が思いっきり引きつっている。
けれど、周囲の生徒たちは普通にカテリーナの話に耳を傾けていた。
(なぜ、変だと思わない? 確かに魔法科には変な先生が多くいるが、こんな先生がいたとは……)
見識の甘さをここでも思い知らされたのだった。
隣で真剣に聞いているセナに、訝しげに小声で話しかける。
「おい」
返事が返ってこない。
細い腕を何度も突っつく。
「何?」
険が混じっている声音だ。
そして、セナの視線は前に立っているカテリーナに向けられたままだった。
「かったるい、保母さん口調……」
いったん言葉を切る。
これから散歩でも行きそうな雰囲気に、言い知れぬ不安な視線を注ぐ。
「大丈夫か?」
「ちゃんとした先生よ。それも、物凄く強いわよ」
「マジで」
「同じ魔法科にいたんでしょ? そんなことも、知らないの?」
逆に知らないことが多すぎるリュートに目を丸くするセナ。
上級生クラスの担任をしているカテリーナとは、同じ魔法科に所属していても接点がなかったと反論する。リュートが所属していたA組は、二年生の時から担任が変わらずに、その担任がほとんどかの授業を担当し、他の教師の接点が他のクラスと比べて少なかったのである。
魔法科の授業、行事において、めったなことがない限り、出席していなかった。
そのためにカテリーナとは、これまで面識がなかったのである。
弱々しい姿に、困惑を隠し切れず、見たまま素直にポツリと本音が零れる。
「とても強いとは、思えない」
「姿に惑わされていたら、痛い目に合うわよ」
セナの言葉を聞いても疑心暗鬼が拭えず、称号を聞き、強さを測ろうとする。
「〈魔術司〉よ」
「はぁ?」
間抜けな声が出てしまった。意外過ぎる称号に、驚きと信じられない気持ちが入り混じっている顔をしている。
前で相変わらず、にこやかに話すカテリーナを凝視した。
(どこが強い? 〈魔術司〉の称号は強かったか……。そんなはずはない。だって〈魔術司〉は……。どういうことだよ、これは……)
唸って悩んでいる姿に、隣にいるセナが呆れていた。
「〈魔術司〉って……。ホントか?」
もう一度、確かめた。
「本当よ」
未だに納得できないリュートを目を細めて、バカとか細く呟くが、その声が隣にいる相手には届いていなかった。
それは〈魔術司〉が下から二つ目の称号だからだ。
魔法使いの称号は、〈魔術士〉・〈魔術司〉・〈魔導師〉・〈魔導司〉・〈法聖〉の順に上がっていく。剣術の方は、〈剣士〉・〈剣師〉・〈剣司〉・〈剣豪〉・〈剣聖〉の順に上がっていく。最高位の〈法聖〉・〈剣聖〉は、それぞれ四人の者しか与えられない称号である。それより下の称号には定員が決まっておらず、実力次第で称号が与えられていた。
「それじゃ……」
それほどの実力ではないと判断を下す。でも、セナの言葉によって、リュートの出鼻を挫かれた。
「称号が〈魔術司〉だからと言って、弱いとは限らない。称号試験を受けない人だって、この世の中には、たくさんいるのよ」
頭を叩かれたようなショックを受ける。
そんなことを一度も考えたことがなかったからだ。
「なぜ、受けない?」
生じる疑問をそのまま吐露した。
「知らないわよ、そんなこと。受けるのも、受けないのも、その人の勝手じゃない?」
「そうなのか……」
称号試験を、必ず受けるものだとリュートは信じ込んでいたのである。
それが当たり前なことだと思い込んでいたのだった。
(別に、受けなくてもいいのか……。知らなかった……。そうしたら、俺は受けなくてもいいのか……)
呆然自失となっている姿に、リュートが転科して以来、何度目かの頭が痛くなるのをどうにか堪えようとするが無駄だった。
「どうしたら、こんなやつが育つのよ……」
思わず、理解不能な思考に眉間にしわが寄る。
一般的な常識が、リュートには備わっていないことを、一ヶ月近く一緒に学んで気づき始めていた。
どうして誰も知っていることを知らないのかと頭をひねるばかりだ。
「ねぇ、一体、何を勉強してきたのよ」
素朴な疑問を投げかけるが、その相手は聞いていない。
まだ、衝撃から復活できずにいた。
とやかく言われるのがいやで、耳を塞いでいたために何も知らなかったのである。育ったアミュンテ村でも、めったなことがない限りは、屋敷の敷地内から出たことがない。
世界中にリーブの存在が知れ渡っていることすら知らずに、学院に入学して初めて知ったことだった。
それほど、一般常識が欠けて育ってきたのである。
(称号が上だからって、強いやつもいないのか……)
「セナちゃん、リュート君。お話は終わりましたか? 先生の説明、終わっちゃったんだけど?」
ニッコリとした表情で、ほんわかとカテリーナが尋ねた。
いつの間にか二人の声のボリュームが上がり、全員が二人に注目していたのだ。
授業中におしゃべりとしていたことを怒っている様子は微塵もない。
柔和な表情を一切崩していなかった。
「次に進めてもいいかしら?」
「はい……」
抑揚のない声でセナが答えた。
その顔はみんなに注目を浴びて、頬を朱に染めている。
今までこんな醜態をクラスメートにセナがみせたことがない。
リュートが転科してから、セナの調子が狂っていった。
「よかった」
二人同時に、カテリーナに素直に謝った。
「「すいませんでした」」
「いいえ。それでは始めましょうか」
いっせいに生徒たちが立ち上がる。
すると、そこに《瞬間移動》の呪文で、カテリーナの前にミントが突如姿を現した。
剣術科の生徒たちはミントの突然の訪問に驚きの一色だ。
魔法科の上級クラスでも、《瞬間移動》の呪文を使える者が少ないほど、高等な呪文だからである。それを楽々と入学したミントが使いこなしている姿に、目を奪われていたのだった。
あんぐりと大きな口を開けている生徒たちをほっとく。
ミントが一歩踏み出すたびに、高く二つに結い上げられているツインテールが揺れる。
マイペースな足取りで、カテリーナとの距離を縮めた。
「こんにちは」
「まぁー、ミントちゃん。久しぶりね」
唐突に出現したミントに、兄リュートが言葉を失って立ち尽くしている。
二人に面識があった。
入学早々知り合って、よく遊んでいたのである。
だから、新学期が始まっても、授業が休講となっていたのだ。
呆然としている様子を尻目に、着々と二人は親交を温めていく。
「な、な、な、何で、ここにいる」
カテリーナとミントのほのぼのとした会話を傍観していた生徒たちが、目がつり上がって怒っているリュートに視線を移した。
奇行に不慣れな剣術科の生徒たちは、何が起こるのかと成り行きを静かに眺めていた。そして、セナだけが見慣れ始めた光景に、授業が潰れると嘆息を吐くのであった。
みんなに見られていることも忘れ、前にいるミントに駆け寄る。
ブラウンの髪につけている鮮やかな黄色いリボンが風になびく。
「来ちゃ、いけないの?」
「当たり前だろう。授業はどうした?」
過去の自分がしていたことは忘れ、妹を叱っていた。
「面白くないもん」
小さな口を可愛らしく尖らせた。
生徒たちの間で、可愛いと歓声が沸く。
そんな声がリュートの中に入ってこない。
目の前にいるミントのことだけで精いっぱいだ。
「お前な」
魔法を使いこなせるミントに、一年生で習う授業はつまらないものだった。
それは一年生の時に、リュート自身も経験したことだ。
怒りに燃えている姿に、今まさにその事実をすっかりと忘れ去られている。
兄妹ケンカをのほほんと観戦していたカテリーナ。
二人の会話に、何気なく入っていく。
「あら、ミントちゃんが来てくれて。私、とても嬉しいわ。それにリュート君、そんなに怒っていると、しわができちゃうわよ」
「?」
「ほら」
指で指された眉間を両手で確かめる。
確かに深いしわが刻まれていた。
「できているでしょ?」
「……」
「ずっと刻み込んでいると後ができちゃって、深いしわのままにやっちゃうらしいわよ。せっかくの格好いいリュート君なんだから、そんなの勿体ないわよ」
「別に……」
「いいの? しわくちゃになっても?」
目をぱちくりとさせながら、カテリーナが困惑気味のリュートに顔を近づけてくる。
「いや……、それは……」
たじろぐリュート。
(やっぱり、しわくちゃはやだかな……。でも……)
「でしょ?」
独特のカテリーナのテンポについていけない。
ここぞとばかりに、ミントが勝ち誇った顔で見せつける。
「……」
カテリーナが怒っていない以上、それ以上何も言い返せなくなってしまう。
人を小バカにするような顔をするミントに、ムカつくリュート。
呪文一つでも繰り出そうかと思うが、カテリーナが認めた以上、渋々と気持ちを落ち着かせることに重きを置いた。
ゆっくりと深呼吸をする。
ふんわりとしているカテリーナに、ミントが話しかける。
「先生。手伝ってあげる」
「まぁー、ミントちゃん、お手伝いしてくれるの? ありがとう。私、とっても嬉しいわぁー」
穏やかに会話が進んでいく光景に、ミントに邪魔されると危機感を抱く。
危険のランプが点滅していたのだ。
「今すぐ、帰れ!」
「いやよ」
真っ赤なリンゴのように、烈火のごとく怒っているリュート。
必死にミントを、この場から引き離そうとするが止められる。
「いいじゃないの、リュート君。とても楽しいと思うわ」
「そうは行かない」
「どうして?」
小首を傾げる。
「どうしてもです!」
乱暴に吐き捨てた。
半分以上、教師と話していることも消えている。
「とにかく、教室に戻れ!」
校舎に向かって、人差し指を指す。
頭ごなしに否定する姿に、ミントが両腕を腰に当てて言い返す。
「チェスター先生が、お兄ちゃんのところへ、行ってもいいって言ったもん」
「誰だって……」
「チェスター先生」
「チェ、チェ、チェスターだとぉぉぉ」
火山が噴火するように、怒りが急上昇していく。
ミントの担任であるチェスターは、リュートが一年生の時から因縁がある元担任だった。
ギュッと拳を握る。
自分が一年生の頃の記憶がありありと蘇っていった。
今のミントと同様に魔法を使いこなせたリュートにとって、一年生の授業内容は簡単すぎた。だから、退屈と感じてしまい、授業を抜け出したり、他のクラスの授業を邪魔したりして、授業をメチャクチャにした経歴があった。
「あんにゃろー。ふざけた真似しやがって!」
当たり前に《瞬間移動》の呪文で、みんなの前から忽然と姿を消してしまった。
この後、どういう状況になるのかも忘れて……。
「ちょっと……」
すでにリュートの姿がない。
「リュートが止めないで、誰が止めるのよ」
姿を消した場所に向かって、セナが後処理をしないで消えたリュートに抗議した。
リュート以外、ミントを止められないと確信を憶えていたのだ。
不安いっぱいなセナの心配をよそに、何も理解できてない生徒たちに攻撃呪文を放とうと構える。
事前に授業内容をカテリーナから聞いていたのだ。
そのために何の躊躇もなく、不敵な笑みと共に、ミントの手にはエネルギーが集まり始めた。
特大の《火球》ができ上がった。
「それじゃ、まず初めに《火球》から行くよ」
楽しそうに天に向かって、特大の《火球》をかざす。
さらに大きさが増していった。
「ちゃんと、防御してくださいね。そうしないと、死んでしまうこともありますよ」
とんでもないことを軽々とカテリーナが口にした。
「ミント、いきまーす」
手から《火球》が放たれる。
その後、止まらずにあらゆる攻撃呪文が、連射で繰り出されたのである。
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