第44話
日中は授業や訓練に勤しみ、その夜中に、連日のように張り込みを続けていたのである。
いつもより早い時間に、〈第五音楽室〉のドアが見える位置で待機していた。
見えざる犯人を、今日こそは捕まえる意気込みで、待ち構えていたのだった。
体調の悪いセナが、平静を装っている。
だが、心の中では、もう来たくない気持ちの方が勝っていた。
体調の悪さを、気づかれないように、振舞っていただけだった。
ピアノの旋律の件を、解明したい気持ちが強いリュート。
セナの体調の悪さに、気づく様子もない。
ただ、謎の解明を追及するのみ。
天然ボケのリュートに、絶対に弱みを見せたくないと言う意地だけで、ここに一緒にいたのである。
けれど、この張り込みを、すでに終わらせたい気持ちでいっぱいだ。
瞳を彷徨わせ、セナが逡巡している。
先頭に立ち、見張っているリュートに、落ち着きがないセナが、視界に捉えていた。
一心不乱に前を窺い、何かの気配を感じられないかと、神経を研ぎ澄ましていたのだ。
「いい加減に……やめない? 試験も、近いし……」
歯切れの悪いセナ。
それに同調するように、休んでも疲れが取れないトリスも話しかける。
その声が微かに震え、裏返っていた。
トリスの状況にも、気づかないリュートだった。
考えるのは、犯人を捕獲するのみだ。
「セ、セナの言う通りだ。切りがない、それにカイルたち、勘ぐっているぞ。だからさ、もうやめようぜ。な、リュート」
二人が声をかけても、返答がない。
「ちょっと、聞いているの? 私たちの話」
微動だに、動かない。
しびれを切らし、据わった眼差しと共にセナが声を荒げる。
けれど、その声が小声だ。
「リュート!」
息を潜め、ただドアを射抜いているだけだ。
怒りに震える拳で、殴りたい衝動に、セナが襲われている。
邪魔するなと言う背中を、眼光鋭く睨むだけだった。
どうしても、それ以上のことができない。
ただ、ドアを凝視している姿に、これ以上言ってもムダと、トリスが首を竦める。
早々に、トリスの方が諦めていた。
何度、呼んでも、返事がないことに、セナがイラつく。
無視を決め込む姿勢に、意地になり、力を入れ、ローブを思いっきり引っ張った。
小さな意思の現われだ。
「何する」
眉間にしわを寄せた顔を傾けた。
「帰ろう」
強い口調で促した。
「ダメだ」
「何も、起こらないわよ」
じっと、ムスッとしているセナの顔を睨みつけていた。
早くこんな場所から、解放されたいと強く抱き、根気良くセナが説得を試みる。
「勉強は、どうするの? 今日の授業、居眠りしていたでしょう? もう体力の限界なんだよ。だからさ、試験のために、こんなこと、やめるべきだと判断するべきよ。……それにこれ以上、何も出ない」
「いやだ」
即答で否定された態度に、青筋が浮かび、頬が引きつっている。
二人の口論が、小声で続けられた。
それを、トリスが傍観していたのだった。
「……試験、大切じゃないの?」
「大丈夫だ」
「何が、大丈夫なのよ。どこから、そんな自信が出てくる訳?」
苛立ちを隠さない。
ただ、不安の欠片もないリュートに、突っかかっていく。
「授業を、受けていた」
真面目に授業に出て、寮でも勉強していた自負から、自信満々の態度だった。
その態度に、より一層腹を立てる。
(勉強したからって、上位は無理よ)
自信が漲るリュートを、ここぞとばかりに半眼していたのだった。
どこに、そんな自信があるのよと、吐き捨てたい思いを噛み殺す。
ひと呼吸置いてから、口を開く。
無駄な言い合いを続けていたら、大声で怒鳴ってしまう可能性があったからだ。
「もういいでしょう? 帰ろう」
「いやだ。姿を見るまでは帰らないし、終わらせない」
強情なリュートに、脱力感が否めない。
帰らない怒りよりも、段々と空しさと悲しさが襲ってきたのだった。
「こんなことして、何の意味があるの?」
頑固な姿勢に、セナが半べそを滲ませていた。
暗闇のせいで、沈んでいるセナの顔を、リュートに読み取ることができない。
それ以上に、自分の好奇心の気持ちが大きく、他人を思いやる気持ちが皆無だった。
「ワクワクするだろう?」
「ワクワクって……」
「それだけじゃ、いけないのか?」
きょとんとした顔で、困惑気味のセナを、薄暗い中で眺めている。
先程より、月にかかっていた雲が取れ、薄明かりが僅かに差し込んでいた。
二人の間に、少しばかり沈黙が流れる。
徐々に、訝しげるセナだった。
「それだけなの? ホントに?」
「それだけで、何が悪い?」
それだけの理由で、ここにいるのかと巡らせ、肩ががっくりと落ちた。
そして、大きくうな垂れてしまう。
ワクワクする気持ち一つだけで、今まで張り込みをしていたかと、抱くだけで今までの苦労はなんだったのだろうかと、落胆の色と憔悴感の色が、複雑に入り混じっていたのである。
気が抜けたまま、顔を上げた。
すると、黒曜石の瞳が、キラキラと輝いている。
更なる脱力感に、押し潰された。
「お前は、楽しいか?」
ついてきている男子にも、気軽に声をかけた。
この状況を満喫しているリュートの問いかけに頷く。
満面の笑みを、うっすらと覗かせていた。
話し合いが終わったと、ドアに視線を戻したのだった。
セナとトリスが、同時に疲れを帯びた、深い溜息を漏らす。
こうなったら、てこでも動かないと、幼馴染は把握していたのだ。
落ち込みが激しいセナと、同様に体調が悪いトリスの背中に、電撃でも喰らったかのような悪寒が、上から下へと走り去っていく。
トリスとセナは、思わず目が合わす。
「「!」」
ゴクリと、二人がつばを飲み込む。
「今……」
「うん」
返事をしたセナの身体が、金縛りに合ったようにフリーズしている。
二人の暗闇の視界に、何も映らない。
けれど、硬直と悪寒で、身体が何かを知らせてくる。
微かに、漏れる声で、二人は確かめ合う。
それ以上の言葉が、震える唇で出てこない。
前で、張り込みを続けているリュート。
視線を傾けるものの、同じような硬直と悪寒を感じている様子が一切ない。
硬直と悪寒に襲われているのは、セナとトリスの二人だけだった。
薄れてゆく意識を堪えながら、セナが気丈にも、終わらない張り込みをし続けている。
気配を感じ、たった一つのドアを凝視していたリュートに、緊張が走っていた。
(来た!)
背後にいる面々にも、伝わっていた。
リュートの口元が、楽しげに微笑む。
動く黒い影を、視界に捉えていたのである。
〈第五音楽室〉のドアの前で、立ち止まった。
黒い影は周辺を警戒し、音を立てないように、慎重にドアが開けた。
もう一度、周辺を確認してから、中へと入り込んでくる。
黒い影に気づかれないように、誰もがはやる気持ちを押さえ込んだ。
逃げられたら、またこれで終わりだった。
先頭のリュートが、より一層身を潜める。
急に、身体を引っ込めたリュートと、ぶつかるセナ。
文句を言いたい気持ちを、グッと抑え、さらに背後に控えているトリスに、気遣いながら、後方に下がっていった。
部屋の奥へ進んで行く黒い影が、まっすぐにピアノに向かい、歩いていくのを捉えている。
耳を研ぎ澄まし、黒い影の歩みを、感じ取っていたのだ。
(絶対に逃さないぞ。今日こそは、正体を突き止めてやる!)
心の中で、数を数えながら、出るタイミングを計っている。
黒い影がピアノの椅子に、腰掛けようとした瞬間を見逃さない。
一人だけ元気なリュート。
一心不乱に、黒い影の下に走っていったのである。
「今だ!」
唐突な叫び声に、驚いた黒い影が後退りをしていた。
背後にあったピアノの椅子が、大きな音と共に、倒れてしまう。
突然の行動と、大きな音に、セナとトリスが驚愕し、尻餅をついた。
硬直と悪寒が走る身体で、リュートと同じような俊敏な動きができなかったのである。
態勢を整えようとしている黒の影の前に、立ちはだかった。
そして、リュートと黒い影が、暗闇の中で視線が絡み合う。
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