第37話
「トリス」
ゆったりとした足取りで、意見を求めてきたリュートのもとへ行く。
その表情が、楽しげなのに気づいてない。
ピアノの下で、リュートが四つ這いになっていたのだ。
「どうした?」
目の前に来たトリスに、拾い上げた髪飾りを突き出した。
「?」
髪飾りは目映いぐらいの銀製で、艶やかな造りになっていた。
鮮やかな色した珊瑚がついていて、高級なものだった。
祖父仕込みの目利きを発揮していたのだ。
食い入るように、目で確かめ、手触りでも確かめる。
普通の家庭では、高価過ぎる髪飾り。
どこの部分も本物で、贋物の部分が一つもない。
銀細工も、見事な細工が施されている。
「模造品じゃない。どれも本物だ」
「そうか」
ニンマリと口の端を上げているリュート。
トリスの意見に、反論する色がない。
「なかなか手に入る代物じゃない」
「俺も、そう思う」
トリスの肩から、ひょっこりと顔を出し、その髪飾りを覗き込む。
可愛らしいもので、羨ましそうにセナが眺めていた。
普段は、邪魔だと、髪飾りなどしない主義だった。
シンプルに髪を高く結うだけだが、年頃の女の子なので、機会があれば、いつかしてみたいと、心の隅では密かに抱いていたのである。
意見を交わしているリュートたちのように、本物か贋物かわからない。
だが、セナの目にも、キラキラと綺麗な髪飾りだと言う認識だけはあった。
「綺麗なものね」
「ああ。誰かが落としたのかもな」
何気ないトリス。
髪飾りに釘付けになっていたセナが、眉間にしわを寄せた表情を覗かせた。
「どうした? 何か知っているのか?」
セナの表情に気づき、急かせるようにリュートが問い質した。
期待のこもるリュートの視線。
まっすぐに捉えていたのである。
「ただ、いつ落ちたんだろうって」
「確かに」
(やはり。これはあのピアノを弾いたやつが落としたんだ……)
不敵な笑みを漏らしているリュートだった。
その双眸は絶対に捕まえてみせると意気込んでいたのである。
「日中に、落としたんだろう」
何気なくトリスが呟いたのだった。
「それはない」
きっぱりと否定するセナ。
即座に否定されたことに、ムッとしている。
「なぜ、そう思う?」
「だって、落としてあったのなら、私たちが気づくはずでしょう? こんな高価なもの気づかない訳ない」
だんまりと、口を閉ざし、逡巡しているトリスである。
断言したにもかかわらず、微かにブラウンの瞳が揺れ始めていた。
「……掃除の後、落とした可能性だってあるだろう」
納得がいかないトリスが、セナの意見に突っ込んだ。
高価な髪飾りを、生徒の誰かが落としたものだろうと、トリスは結論付けたのである。
学院の中に、金持ちの家や身分の高い貴族出身の生徒もいたからだ。
そういう生徒しか、つけられない髪飾りだった。
「それも、ないと思う」
徐々に、セナの声のトーンが下がっていった。
新参者のセナに、ことごとく否定され、トリスの気分が少し害されている。
「だって、考えみなさい、今は試験期間なのよ。掃除以外の生徒が入れる訳ない。掃除当番の私たちがいなくなれば、生徒たちは入れなくなるのよ、完全に」
試験期間中で、許可なく、特別棟に出入りできなかった。
許可を貰って、出入りした生徒は、この数日いない。
掃除当番ではないトリスは、特別棟に入るのに、一応担任に許可を貰っていたのだった。
「ってことは、許可なく、入ったってことだな。今の俺たちのように」
「そう……、なるかもね」
思案しているセナ。
口に出したものの、すんなりと自分の意見に納得していない顔を覗かせていたのだ。
「でも、こういう物を持っているやつが、することか? どう考えても、考えられない」
手にしている髪飾りを、少し掲げ、トリスが振ってみせる。
それまで沈黙していたリュートが口を開いた。
髪飾りに、視線を注いだままだ。
「何のために、こんな真似している? ここでこんな真似して、何の利益がある?」
「それがわかれば、一件落着なんだけどさ」
謎が深まって、さらにわからなくなっている面々。
理由がわからず、訝しげな顔で、リュートが周辺の様子を、もう一度窺った。
けれど、不明な理由が、不明のままだ。
思考が、行き止まりになる。
「な、リュート。放課後と、今違っているとこあるか?」
今日の掃除の際、トリスはここに顔を出していない。
変化を比べようと思っても、できなかったのである。
促され、すぐに注意深く凝視した。
だが、変わっている様子がない。
唯一、ピアノの真下に、髪飾りがあったぐらいだ。
首を横に振る。
同じような質問を、セナたちにもぶつけた。
回答はリュートと同じだった。
変わらない答えに、トリスの表情が曇る。
(カイルの監視があるにしろ、見逃す訳がないか)
とうとう行き詰って、八方塞になってしまう。
軽く天井を見上げ、一筋の光も見えず、トリスが頭を掻いた。
(どうするか)
この現状に、徐々に不満を滲ませるリュート。
髪飾りを見つけたことで、何かひらめくかと巡らせれば、逆に暗闇にハマっていく状況に苛立っていった。
気持ちを切り替えるために、軽く息を吐く。
もう一度念入りに、〈第五音楽室〉の調査を始めた。
この犯人にバカにされている気がし、段々と意固地になっていくのだった。
対照的に、もう寮に戻りたくなっていたセナだ。
躍起になって、調査しているリュートに、帰ろうと促すが、あっさりと断られてしまう。
奇怪な謎に、飽き始めているトリスだった。
(今、考えても、いい意見は出てこないし……、何か別なことをしたいな)
のめり込んでいるリュートほど、それほど興味がなかったのだ。
ただ、久しぶりに好奇心旺盛な目に気づき、保護者的なトリスが慣れていないセナたちに、そっくり丸投げできず、それに面白さも少し抱いた部分もあり、夜更けの張り込みについていっただけなのである。
どうやって、興味を削ぐかと、トリスが今後のことを巡らせていた。
すると、リュートとセナが、いつものように口ケンカを始める。
「いい加減にしなさいよ。試験だって近いのに。これじゃ、試験どころじゃないわよ?」
「うるさい! 話す暇があったら。セナ、お前もその辺、探せ」
「そんなこと言われる筋合いない。班長は私よ」
命令口調なリュートに、セナが剥れている。
「だったら、言われる前にしろ」
「なんですって!」
「班長なら、班長のように指示しろ」
喋りながらでも、手を止めないリュート。
眼光もセナではなく、辺りを探していた。
「何よ。勝手に動くからでしょ」
「指示が、遅過ぎる」
痛い一言に、瞠目し、瞬時に言葉を紡げない。
「……考えているのよ。それに引き上げようと、提示したのに、従わないじゃない」
「当たり前だ。納得できないのに、帰れるか、考えろ」
「散々、調べているのよ」
「それでもだ」
やめよとしない姿に、思わず本音を吐き捨てる。
「意地っ張り」
「そうだ! 何が悪い」
「えぇ。悪いわよ」
次から次へと、文句が止まらないセナだった。
うるさいと、辟易し始めていた。
目が釣りあがっているセナに、無視を決め込む。
そして、さっさと調査に集中し始めるのだった。
口ケンカしていなかったような態度をされ、さらにセナの怒りが露わになっていく。
調査の手を休めないリュートの元へ向かうとした途端、突然トリスが驚きの声を漏らした。
「!」
内心ピアノの旋律で、慄いていたセナが、トリスに視線を巡らせた。
「な、何?」
あんぐりと口を開け、目を見開いたトリス。
〈第五音楽室〉の後方を指差していたのである。
促された方へ、視線を傾けた。
音楽家たちの肖像画のポスターが、ずらりと貼られていたのだ。
「あ、あれを……見ろ」
震え上がった声音に、ゴクリとつばを飲み込む。
隠していた臆病な表情を惜しみなく覗かせ、一枚の音楽家の肖像画のポスターに釘付けになった。
「……」
衝撃的な光景に、自分の目を疑う。
どう考えても、ありえない光景だった。
これ以上、目が見開かないと言うほど開く。
声にならないほどの出来事だった。
どんな顔をしているのかも忘れ、口をパクパクとしているだけだ。
「セ、セナにも……見えるよな?」
しどろもどろで、驚きを隠せないトリスだった。
その問いかけに、戦慄しているセナは頷くのも忘れている。
畏怖している現実に、トリスの声が聞こえてない。
視線を外したくても、外れなかった。
「嘘でしょ……」
描かれている音楽家の両目から、真っ赤なドロドロとした血が滴り落ちていたのだ。
促されるように、滴り落ちる血を追っていく。
その先の床は、真っ赤に染められていた。
滴るたびに、血の海が段々と広がっていく。
比例していくように、恐怖も増長していった。
衝撃な光景に、両手で自分の口を押さえようとした途端……。
悲鳴にならない声が漏れてしまう。
いつの間にか、戦慄に苛まれているセナの背後に、回り込んでいたトリスが、顔面蒼白なセナの肩を、ポンッと叩いたのだ。
「セナ!」
「キャァァァァァァァァァ」
悲鳴を上げ、一目散に〈第五音楽室〉から外へ出て行っていった。
絶叫と共に、消えたセナ。
したり顔のトリスが腹を抱えて笑う。
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