第3話
ひどく青ざめているリュートを二人が慰める。
「大丈夫? お兄ちゃん」
「しっかりしろ、こっちに戻ってこい」
身体を揺さぶっても応答がない。
(これは完全に、向こうにいっているな)
ポリポリと、頭を掻くトリスであった。
すると、どこからともなく、女の笑い声が辺り一面に響き渡った。
三人はどこから聞こえるのかと視線を巡らせる。
「みっともないわね。それでも、魔法科のトップなの?」
危険がないと感じながらも、周囲には注意を怠らない。
念のためにいつでも攻撃呪文を放てるカバーをトリスとミントは忘れなかった。
相手が仕掛けてくれば、すぐにも反撃できる態勢だ。
鋭い眼光で、バカにした女の姿を捜していた。
油断していたとは言え、声をかけられるまで気がつかなかった。
上手く自分の気配を消し、どこに隠れているのか正確な位置をくらませている。それが余計に腹立たしかった。
(くそ。……)
内心で吐き捨てて、脳裏の片隅に魔法を放つかと掠めていた。魔法を使えば、あっという間に捕獲できるが、意地でも使うものかと心に誓う。
神経を鋭利の刃のように研ぎ澄まし、相手の位置を特定しようと躍起になっていた。
〈第三グランド〉から〈東の森〉の入口へ入る側から、見知らぬ女が近づいてきた。
誰だ?と眉を潜めて睨んだ。
全然、女の顔に面識がない。
女の口角が上がっていた。
バカにされた感覚に襲われ、怒りに身体が震える。
冷静の欠片も微塵もない。
その女の攻撃をいつでも交わせる状態で、冷静に状況を読んでいるトリスと、自分以外の誰かが兄をバカにすることに、ムッとしているミントが緊張の糸を緩めず待ち構えている。
冷え冷えとする空気が、その場に立ち込めていた。
戦闘の態勢を崩さず、観察する目を怠らずにトリスが近づいてくる亜麻色の髪の長い女を正視する。
(どこかで、見たことが……)
高めのポニーテールに結い上げている綺麗な髪が、歩くたびに左右に揺れる。
細身で数年経てば、美人になるだろうと言う顔を見て気づく。
(確か……、なるほど、そういう訳か)
したり顔になったトリスは攻撃態勢を解いた。
腹の虫が治まらず、近づいてくる女にリュート自ら歩み寄っていった。
警戒もしないで、乱暴な足取りだ。
そんな無防備な態勢に、警戒ぐらいしろよとトリスが軽く突っ込む。
胡乱げな顔で、リュートが唐突に現れた女を凝視している。
「何者だ」
「セナ・アスパルト。あなたのクラスメートよ」
「クラスメート?」
思いっきり、しかめ面だ。
クラス全員の顔を思い起こし、率直に知らないと言う顔をみせる。
リュートが所属している魔法科のクラスA組は、入学して以来クラス替えをせずに持ち上がりだった。興味がないことに対し、物覚えが悪かったが、自分のクラスメートの顔ぐらいは認識できたのである。
「嘘言え」
「バカね。剣術科に決まっているでしょ」
「剣術科……」
抑揚のない声で呟いた。
ムスッとしているセナの言葉で、ようやく合点がいった。
警戒していないリュートを上から下まで値踏みしている。
新学年である七年生から有名人のリュート・クレスターが入ってくる話を、担任カイルから班のリーダーを任されているセナに伝えたのである。
学院の有名人で、魔法科では常にトップのリュートに興味を憶え、入る前にどんな男か確かめるために、剣術の稽古をしている最中に訪れたのだった。
それに二人の母であるリーブ・クレスターは、セナにとって憧れの女剣士だった。
警戒心の欠片もないリュートを見定める。
どう観察しても、凡庸にしか見えない。
本当に魔法科でトップの成績で、魔法の天才なのかしら?と疑う。
(これが? 警戒心もまるでない、こいつが?)
それどころか、抜けている感が否めない。
自分の存在に気づかない上、小さな妹に攻撃され、その格好を見ても入学することも遅れて気づくような、にぶ過ぎる少年のどこに天才だと言わせるのかと頭を悩ませる。
眉間にしわが寄ってしまう。
(人違いじゃないわよね……)
不安が拭えない。
どこにいてもおかしくない、普通の少年としか、セナのブラウンの瞳には映っていなかった。
密かに嘆息を零した。
写真でしか見てないリーブの姿を頭に映す。
(私の憧れの人……。本当にこんなやつが息子なの?)
リーブは魔法だけではなく、剣術の使い手としても有名であった。このフォーレスト学院の卒業生で、世界で四人しか貰えない魔法の最高峰である〈法聖〉の一人だ。
その〈法聖〉の称号を卒業と同時に得ていた。そして、剣の称号も持っていたのである。だから、憧れの女性である息子のリュートの実力を知りたかったのだ。
「……」
理想とかけ離れた存在に、がっくりと肩を落とした。
妹にやり込められている姿に、とてもひ弱と言う第一印象しかなかった。
骨のある男と言うイメージが、あまりに強かったせいで、ギャップのあり過ぎに嘆息を吐いた。
(楽しみにしていたのに……)
魔法科と剣術科では、交流がほとんどない。
リュートは人が集まる行事にこれまで参加してこなかったから、剣術科のセナが話題の渦中にいるリュートを知ることが難しかったのである。
予測の範疇を超えた低堕落に、ショックが隠せない。
そのせいか、あまり嫌味を言わないセナが口をつく。
「その腕で、よく編入できたわね。お母様のお口添えかしら?」
「何だと」
やっちゃったと顔を同時に、二人が窺わせた。
この後の出来事が二人の中で想像できる。
「〈法聖〉リーブ様の名に、傷が残ってしまうわね」
薄い唇を噛み締める。
リュートが最も嫌う言葉の一つだ。
学院に残っているリーブの逸話にインパクトが強いものばかりで、常に周囲につき惑っていた。ただし、性格にかなりの問題があったことも知られている。
この世界には魔剣審査連盟協議会が認めた最高位の称号が二つある。
魔法の最高位の〈法聖〉の称号と、剣術の最高位の〈剣聖〉だ。
この二つの称号にそれぞれ四人の定員が決まっており、その権威は国の王や指導者たちより凌ぐほどだった。そして、称号は五段階あり、その五段階に入れない者たちを見習いと呼ぶ。リュートたち生徒は見習いと言う立場なのである。
最高位の二つ以外の称号に定員が決まっていない。
学院を卒業すると同時に、一番下の称号である〈魔術士〉・〈剣士〉が貰えた。
学院に入学せずに師匠の下で指導を受けた者が協議会で認めれば称号が貰えると言う例外もある。
「それともすでに傷つけているのかしら?」
挑発する態度に、瞬時に頭に血が上昇していく。
フツフツと闘志が漲ってきた。
視線を僅かに降下させた。
不敵な笑みを浮かべているセナの腕を捕らえる。
「俺に勝てるのか? そんな棒のような腕で」
「何ですって!」
天に昇る竜のような勢いで、セナの全身に駆け巡っていく。
以前から細めの腕を気にしていたからだ。
このままではすませないと鼻息を荒くするが、表面上は冷静さに努めていた。
「そっちの方が、細いわよ」
優位なのは自分だと、ニッコリと笑ってみせた。
バカらしい言い合いにトリスとミントは、すでに戦闘態勢を解除していたのである。第三者的な立場から二人は、両方を見比べ、どちらも同じような細さだと抱いていた。
剥きになっているリュートと比べた時点で、セナの冷静さは失っていたのだ。
「私の方が太いわよ!」
「俺の方が太い!」
「いいえ。私よ」
「俺だ」
睨み合う二人。
とめどない張り合いが続いていた。
お互いに自分の方が五ミリ大きいと言い張る姿に、くだらないと思いながらも、トリスとミントは面白い展開になったとほくそ笑んだ。
不意にトリスはセナが『十人の剣』の一人だと思い出す。
『十人の剣』とは剣術科の生徒の中で、選ばれた優秀な生徒に与えられる称号である。学年は関係なく、強い者が称号を得て、負ければ称号を剥奪されてしまう。
群雄割拠の中で、『十人の剣』は選ばれるのである。
面白そうに言い合いを観戦しているトリスを見上げ、この状況に飽き始めているミントが口を開く。
「いつまで、やるのかな?」
「納得するまでやると思うよ」
「時間掛かりそうだね」
「だね」
子供じみた論争を繰り広げているセナの情報を、頭の奥底から呼び覚ましていた。情報収集はトリスの得意分野なのである。
セナの家は貴族の家系でも、旧家の家柄でもなく、商家の出てもない。実力が認められて、フォーレスト学院に入学した経歴を持っていた。入学しても努力を惜しまずにコツコツと鍛錬を積み、今の地位までのし上がってきたのだ。
努力家のセナにとって、名門の家柄で自由奔放なリュートが許せないのはしょうがないかと口元が緩むのだった。
面白くなりそうな予感に、胸が高鳴る。
「リュートと、いい勝負だな」
その通りとミントも頷いた。
トリスが思考を巡らせている間に、剣で勝負することになっていたのだ。
舌をまくし立てていたセナの肩は上下に動いている。
腰の脇にある剣を取り出し、同じように僅かに呼吸が乱れているリュートも剣を構えていた。
キリリと引き締まったセナの顔に、一部の隙もない。
見事な構えだ。
それに対峙するようにリュートが剣の柄に力を込める。
最初から剣で決めればよかったのにと静観しているミントがぼやくが、それに至らなかった二人の浅はかさに呆れてもいた。
剣を構えている二人の間に、突如ミントが割って入っていく。
「ちょっと、待って!」
「邪魔だ。ミント」
キィとミントが兄を睨む。
「黙って!」
異次元空間にしまってある一本の剣を取り出す。
黙ったままリュートが、その一連の動作を眺めていた。
何が起こるの?と目を細めながら、セナも窺っている。
怪訝そうに眺めている前に、見事な剣を突き出した。
「これは?」
「お母様からよ」
「母さんから?」
「うん」
目を丸くし、目の前にある剣に視線を注視させる。
信じられないと困惑するばかりだ。
リーブから編入のプレゼントを渡すように頼まれたと話したのである。
その顔は渋面、そのものだ。
「怒ってないのか?」
わからないと首をすくめる。
それ以上の話を聞かなかったと付け加えた。
(どういうことだ? これは何かの前触れなのか?)
首を捻っても答えが見つからないでいると、クスッと笑っているミントが話しかける。
「頑張ってね。お兄ちゃん」
「お、おう」
今度はすんなりと勝負する二人から離れていった。
勝負に専念しようと気持ちを切り替える。
ミントから剣を受け取り、人のことをバカにするセナとの勝負が始まった。
容赦なく切り込んでくるセナ。
止まることもなく、殴打を繰り出してきた。
素人のリュートに、一瞬の隙も与えない。
瞬く間にジリジリと距離がつめられる。
その勝負を二人がのほほんと見物していたのだ。
最初から勝負を止めるつもりがなかった。
面白い出し物が見られると言う気分だった。
二人の試合を面白そうに見ているトリスを見上げる。
まだ初心者の兄を少し気に掛けていたのだ。
「お兄ちゃんって、どうなの?」
「まぁまぁかな。でも、相手が悪いな」
「あの人、そんなに強いの?」
戦っているセナに、ミントの視線が注ぐ。
細身の体型で、とても強そうには見えなかった。
まだ経験値が浅いミントに、訓練を受けていた人と、そうではない人の戦いがどんなふうに違うのか、まだ理解できていなかった。兄リュートと兄妹ケンカでしか、魔法の実戦経験がなかったのである。
「かなりね」
戦闘から目を離さずに、心配げなミントの問いに答えた。
「あいつはタフだから、長引けばわからないかな」
トリスの分析では優位に立つのはセナと見込んでいる。けれど、最後に勝つのはリュートだと分析結果を見出していた。
剣術の実力で言えば、子供と大人の差でセナが圧勝できると予測がついていたが、勝負が長く続く可能性があるのなら、秘密を抱えており、尚且つ打たれ強いリュートに勝負が残っていると、長年傍らで見てきたトリスの見解だった。
バカにされたセナに負けじと、ボロボロになりながらも食らいついていった。
あまり見せない根性でだ。
(久しぶりだな。あいつの根性、見るのは)
やる気になっている瞳が嬉しく、たまらないトリス。
視線を移動させ、対峙している相手の様子を窺う。
勝機を確信しているセナの口元が緩んでいる。
「まだ、やるつもり?」
「まだまだだ」
「そう」
結果は火を見るより明らかだと自信に満ちていた。
まだ、剣術に不慣れなリュートが、『十人の剣』の一人である自分に勝てる訳がなかった。揺るがない立場でいることの歓喜から口の端が上がり、最後の決めの一撃を何にするかと思いを馳せている。
傷つきながらも、リュートの目は死んでいなかった。
ボロボロな姿に対し、セナは実力の半分の力も出していない。
貰った剣を十分に使いこなせず、リュートは逆に剣に弄ばれていた。
余裕をみせるセナが止めを刺そうと、得意の瞬発力を活かして突進していく。そして、思いっきり剣を振り落とす。
「!」
得意な瞬発力よりも速く、リュートが無意識のうちに攻撃呪文を放っていた。その攻撃呪文は一直線に油断していたセナの元へ行く。
身体全体に激しい痛みが伝わるほどの直撃を受ける。
「うっ」
その衝撃でセナが後方に飛ばされ、かなりのダメージを受けてしまう。
止めは背後にあった、どっしりと構えている大きな木に身体を打ちつけられる。
力を失ったセナは、その場にバタリと倒れ込む。
傷ついている悲惨な光景に、ミントがやっちゃったと嘆息を吐いていた。
戦いを観戦している間、何となくこうなる予想をミントは立てていたのである。だが、まさか大口を叩いていたセナがまともに攻撃呪文を受けるとは思ってもみなかった。
「大丈夫か?」
心配そうにトリスが重症なセナに近づく。
直撃を受けた腹部がどす黒くただれ、微かに焦げ臭かった。
(思っていた以上に、酷いな)
辛うじてある意識で、差し伸べられた手を払いのけた。
「無理するな」
鋭い視線で、気に掛けているトリスを睨む。
「俺がやった訳じゃないぜ」
やせ我慢しているセナは、自分の力で立ち上がろうとするが、意識を保つことが精いっぱいでうまく立ち上がれない。
身体に力が入らないのだ。
咳き込むたびに、ケガしている部分から血が飛び散った。
苦痛に顔が歪む。
「じっとしていろ」
「……ずるくない?」
か細い声で訴え、渋々とトリスに身をゆだねた。
痛みを堪え、いきなり呪文を放ってきた相手を直視する。
傷だらけのリュートはその場に座り込み、息が荒くしゃべることもままならぬ状態だ。
はぁー、はぁーはぁー。
その怒りの矛先を関係のないトリスに向けられる。
俺に八つ当たりするなと頭を掻いた。
慣れた手つきで、傷口の具合を確かめる。
「でも、いざ勝負の時は、そんなこと関係ないと思うけど?」
的を射る言葉に何も言い返せない。
けれど、剣の勝負のはずなのに呪文を使った行為に素直に納得できなかったのである。
めったに魔法科と剣術科の生徒が試合する機会がない。
剣一本で試合すると言う意識が強かったせいで、まさか呪文が飛んでくると言う認識が薄かったのだ。慢心していた方が悪いと言われればしょうがないが、目の前にいる連中にだけは言われたくなかったのである。
「でも……」
僅かに口を開き、言葉を濁した。
どうしてもこの状況を受け入れることができないセナに、やれやれとトリスがリュートの強さの秘密を掻い摘んで教える。
「小さに頃、おばさんから厳しい試練を受けていたんだ。だから、防衛反応を感じた時、無意識のうちに、呪文を唱えてしまう習性があるんだよ」
あっけらかんと話し、微笑んでいた。
「はぁ?」
「特別なんだ。この二人は」
怒りが高潮しているセナの傷口から、大量の血が流れ出す。
「うっ!」
「そう、かっかするな」
「……うるさい」
剥れながら、か細い声で吐き捨てた。
「今すぐ、手当てしてやる」
適切な治癒呪文をトリスが唱えた。
すると、セナの傷が見る見るうちに塞がれていった。
真っ白な靄がかかったような感覚から、晴れ渡るような意識に戻ってきた。
(生き返った……)
意識がはっきりしてくると、背中に冷や汗が流れ始める。
もしかすると、自分は死んでいたかもしれない恐怖が降ってきたからだ。
「まだ、続けるつもりか?」
「……」
「呪文に対して、免疫力がない君には、リュートは倒せないよ」
「!」
まだ青白い顔を、小さく笑っているトリスに傾けた。
「免疫力つけずに、また戦うかい? 大ケガして戦士生命を失ってもかい?」
一度戦いを見ただけで、セナが呪文に対する免疫力がないことを観察力が優れているトリスは見抜いていたのである。リュートが天才魔法使いだからと言って、普通こんなに傷を負うはずがなかったからだ。
それらを鑑みて、呪文に対する免疫力がないと推測に至った。
ブスッとした顔で、セナが答える。
「やらない」
「それがいい。懸命の選択だ」
渋い顔で、リュートを窺うと、ミントの治癒を受けていた。
だいぶ回復したセナは治療をここまででいいと断り、鉛のように重たい身体のままで立ち上がった。
我慢強く、負けず嫌いなセナに首をすくめる。
「助かったわ」
「いや」
怒りがまだ収まらないために、ぶっきらぼうな態度で礼を言ってから、まだ治癒を行っているリュートに重たい足取りで近づいていった。
それに気づき、リュートが憮然とした顔で待ち構えている。
目の前で立ち止まったのを見届けてから口を開く。
「この次こそ、勝つからな」
微笑みを浮かべ、勝気なセナが答える。
「負けるつもりはない」
ふらつく足で、セナが女子寮へ帰っていった。
その後ろ姿を眺めながら、リュートは初めて勝負の面白さを実感する。
読んでいただき、ありがとうございます。