第28話
学院にある音楽室は、大小含めて全部で五つである。
フォーレスト学院では、音楽活動や芸術活動が盛んで、他の同系の学院と比べると、音楽室や美術室などの教室の数が多かった。
掃除場所の〈第五音楽室〉は、五つあるうちで、中ぐらいの広さを持つ教室だ。
教室の内部は、四人が座れる長机が横三つ、縦に七つあり、計八十数人の生徒が、一度に授業が受けられる。そして、教室の後ろ側に、楽器や資料が納まっている準備室があった。
リュートたち面々は、〈第五音楽室〉に辿り着いた。
早々に、女子二人が掃除を始める。
けれど、男子組は用具が入っているロッカーから、数本のモップを取り出し、掃除もせずに、モップを剣代わりにして、遊びを始めてしまったのだ。
真面目に、掃除をしない男子組。
女子二人が、白い目で、遊ぶ光景を眺めていた。
そんな視線も気にせず、男子組が戦いに興じていたのである。
楽しげに遊ぶ姿に、呆れ顔を滲ませていた。
「どうして、男って、こうなの?」
「そういう生き物なんでしょ」
淡白なローゼルの返答に、軽く嘆息を吐いた。
訝しげな眼差しの先に、リュートが器用にモップを振り回している。
稽古していることもあって、徐々に構えがさまになっていたのだ。
「じゃれ合う自体、思考が幼いのよ」
「来たと思ったら、すぐにこれだもんな……」
「頑張ってね、セナ」
肩を落としながら、大きくセナが嘆息を吐く。
剣の柄より、細めのモップを浅めに握り、リュートが体格の大きい割に、俊敏さがあるダンとの間合いを、測っていたのだ。
絶妙な打ち込むタイミングを、見計らっている。
呪文なら、身体に染みついた感覚で、相手を倒すことが簡単だった。
だが、剣術では初心者の同様の腕前に、タイミングを測ることが、難しかったのである。
(……まだ。もう少しかな? だが、いいような気もする……)
距離が近いと、相手に打ち込まれる可能性が高かった。
微妙な距離を、ダンが動いていたのだ。
タイミングに、迷いが生じる。
以前、ダンと別な相手との試合を思い出し、リュートなりの分析を行い、絶妙なタイミングを模索していた。
逡巡していくうちに、リュートの中で、焦りが見え隠れする。
打ち込むタイミングが、これでいいのかと判別つかないのだ。
剣術としての経験が、乏しかったと言うのが理由だった。
口元が、微かに上がっているダン。
「のんびり来て、いいぞ」
「行くぞ。ダン」
「いつでも、来い」
先輩面を覗かせていたのである。
「行くぞ」
大きく構えているダンに、目の前にいるダン以外、リュートは見えてない。
挑発する言葉に促され、素直に踏み込んでいく。
リュートからの突きを、軽く受け流し、周囲の状況を把握していた。
交わされても、諦めず、向かっていくリュートだった。
それを、優雅に流していったのだ。
「もう、終わりか?」
「まだまだ」
「そうこなくては」
切り込むタイミングを、悠然とダンが窺っていたのである。
何度か、倒すタイミングがあったが、そのタイミングを使わない。
傍観しているローゼルに、自分の強さを見せつけるためだ。
(ローゼル、見てるな。俺の力を示してやる)
夢中になっているリュートとは違い、醒めた目で、静観しているローゼルを、視界にしっかりと捉えていた。
決定的な一打で、鮮やかに決めようとしていたのである。
慣れないリュートが、何度も、机や周辺にある物にぶつかっていた。
だが、ダンの方は、ぶつかることなく、器用に避け、動く範囲を見定めている。
少しずつ、追い込まれていることに気づいてない。
二人は、背後の広いスペースで、打ち合いをしていたのだ。
その様子を、机の上に腰掛け、小柄なパウロが二人を観戦していた。
パウロより、少し離れた位置で、顔色が少しばかりよくない男子が、薄く笑っていたのである。
傍観者二人が、両方を応援して、はやし立てていたのだった。
「くそっ」
なかなか決まらず、リュートが苛立ち始めた。
振り落とす剣代わりのモップを、どれも軽々と受け止める。
剣先を読まれているので、あっさりとだ。
次第に、剥きになって、さらに周囲が見えなくなっていた。
闇雲に振り落としているだけだ。
頭に、戦法も、何もない。
ただ、モップを意地だけで振り回しているだけ。
強気の欠片も、失われていたのだ。
焦りが生じていた。
「終わりか?」
嘲笑するダン。
「いや。まだだ」
「楽しみが減るからな、ここで終わったら」
「……」
不意に、呪文が浮かぶ。
それを振り払うように、長めの息を吐いた。
真っ白だった思考が、徐々に冷静さが出始める。
フル回転で、何かないかと探っていた。
(考えろ! 何かあるはずだ。それを見つければ……。勝機は俺にある!)
まだ、意欲がある視線の先に、余裕の笑みを覗かせる顔と、剣代わりのモップ、それにモップを握る手があった。
「……」
「天才を、叩けるとは」
何も答えないリュート。
煮詰まっているリュートを、視界に捉え、息も乱れてない。
その表情が、勝ち誇っていた。
勝利の美酒を味わうのは、自分と疑っていない顔だ。
(落ち着け! 落ち着くんだ。頭を冷やせ)
凝り固まった頭を、柔らかくするために、深呼吸をしてみせた。
すると、僅かに光が帯びてきたのである。
ダンの上半身だけ、気になり、それだけしか、見ていなかったことに気づく。
一歩後退し、身体全体、それに、その周囲を窺う。
(そうか! その手があるか)
光明の光が、差し込む。
握っている手に、さらに力を込めた。
「?」
逆に、リュートの口角が上がった。
何だ?と、ダンの表情が微かに歪む。
先ほどまでの余裕の欠片がなくなっていた。
目の前のリュートに、野生の勘を集中させたのだ。
「ちょっと! 真面目にやってよね!」
我慢の限界に、セナが達してしまったのだ。
遊びに、夢中になっている二人に注意した。
すぐに諦めてやめると巡らせたが、いっこうにやめる気配がなかったのだ。
真剣さが、二人の中で濃く滲み出始めていた。
注意しても、やめる気配がない。
戦っている世界に、どっぷりと漬かっている。
「あんたたち……」
声を腹の底から出すセナ。
掃除をきちんとしてないと、後で罰掃除が待ち受けていたのである。
優等生なセナにとって、愚かな真似する生徒たちがする罰掃除などは、矜持が許さなかった。
もう一度、大きな声を張り上げ、促したのだ。
それに、早く終止符を打ちたいと言う狙いもあった。
追い込まれているリュートが、気になっていたのだ。
(あれは、ヤバい兆候が出ている)
こんな調子で、小言を言う回数が増え、疲れ気味だ。
「いい加減にしなさい!」
辺り一面に響く、怒声に目を見張る。
いつになく、顔を真っ赤にし、怒っているセナを捉えた。
眉間のしわが、さらに深く、ボキボキと指を鳴らしている。
その憤怒の形相に、リュート以外の者が尻込みしていた。
『十人の剣』のセナに、勝てる者など、ここにはいない。
危機を感じるダンたち。
それに対し、何もわかってないリュートを、止める者もいなかった。
「何だよ」
面白くないと言った顔を滲ませている。
そんな姿に、冷静に対応していった。
「掃除の時間よ。掃除をして」
「掃除ぐらい」
罰掃除になっても、やれば問題ないと、安易に抱いていたのである。
魔法科時代から、罰掃除に慣れていた。
「いつも、いつも、遊んでばかりで。ちゃんと掃除してよね。とばっちり受けて、罰掃除やらされる身にも、なりなさいよ」
「やりたくなければ、やらなければいい」
呆気らかんとしていた。
「リュート……、あんたと言う人は……」
胸を張って、堂々としている姿に、ワナワナと唇を震わせている。
(落ち着いて。ここは冷静にしないと、大変なことになるんだから。……呪文なんかで、教室が破壊されたら、どうなるか、考えなさいよね)
新学期入る前に、リュートと対戦したことがあるセナは、傷だらけのリュートを追い込んだ経緯を、ありありと思い返していたのである。
悔しさで、思わず唇を噛み締めた。
次で、決着が決まると抱いて、飛び込んだ途端、ボロボロに追い込まれたリュートが、無意識のまま呪文を唱え、それまで無傷のままでいたセナが、逆に深手を負ってしまったのだ。
そんなことを、もう二度と起こしたくなかった。
剥きになり始めている自分を律する。
(あんな醜態をしたくない)
傷の手当てを受けながら、リュートの幼なじみで、魔法科にいるトリスから追い込まれると、無意識に呪文が発動すると聞いたのである。
それが、ここで起こるのでないかと疑念を掠めていた。
だから、疑念がある以上、大事になる前に、二人を止めたいのも理由の一つだ。
「セナたちには、関係ないだろう?」
「ある!」
強く断言した。
「ないだろうが」
「魔法科と、一緒にしないで! とにかくやめて」
真摯な眼差しをセナが注いでくる。
「何だよ、それ。俺は一緒にしたつもりは……」
「ここは、剣術科なの!」
迫力ある声に、リュートの声が落ちる。
「……わかってる。それぐらいは」
「わかってない! 剣術科では、連帯責任で、班全員が罰掃除になるのよ」
困惑の色を滲ませているリュート。
どうしても、そこまで怒る理由を見出せない。
怒るセナを、ただ凝視するだけだ。
罰掃除は、常にリュートの傍にあった。
そのために、当たり前の日常になっていたのだ。
「魔法科も、連帯責任あるぜ」
いまいち把握できないリュートだった。
「俺たち、しょっちゅう罰掃除やってたけど?」
とんでもない発言に、軽く眩暈を起こしている。
「それで。いつも、こうやってさ、遊んでいたけど?」
「魔法科と違って、ユルい先生じゃないの」
「別に、ユルくなかったぞ」
首を傾げ、セナを胡乱げに眺めていた。
「成績にも、関係してくるのよ」
「後で、挽回すればいい」
新たな傍観者たちが、愕然と二人の話に聞き入っている状態だった。
誰一人として、掃除の手を止めている。
(噂以上の話だな、これは……)
顔を引きつらせているダンたちに、矛先を傾けた。
「あなたたちだったら、わかるでしょ?」
強い眼差しに、萎縮しているダンたち。
首を縦に振って、頷いてみせた。
ただならぬ殺気を、ダンたちが感じ取っていたのだ。
「お前ら……」
味方を失ったリュート。
自分に味方してくれるものだと巡らせていたのだ。
ダンたちの裏切りに、憤りと寂しさを募らせる。
魔法科にいたら、幼なじみのトリスや、仲間が味方になってくれたからだ。
ムッとしながらも、リュートが拗ねている。
首を竦めているダンたちが、逆らえないと目で訴えていた。
すると、遠くの方から、足音が聞こえ始める。
その足音が、徐々にドンドンと近づいてきた。
足音が、〈第五音楽室〉の前で、ピタリと止ったのだ。
「先生じゃない?」
興味がないと傍観していたローゼルが、目が見張っている。
「やばっ」
「どうしよう、ダン」
焦り出すダンたち。
モップを持ち直し、掃除をやっていた素振りを演じた。
「ほら、見なさい」
まだ、拗ねているリュートを睨む。
リュート一人だけ、真面目に掃除する真似をしない。
憮然としたまま、立ち尽くしているだけだ。
ガラッと、ドアが開いた。
読んでいただき、ありがとうございます。




