第27話
第2章 幽霊騒動
「……では、今日の授業は、ここまで」
本日最後の授業を終え、リュートが腕を上げ、大きく背伸びをする。
空きや休講なしの授業を受け、へとへとに精神的にも、肉体的にも、疲弊していたのだ。
「今日一日も、頑張ったぞ」
剣術科七年一組のクラスでは、一般教養の授業を終えたところだった。
生徒たちが、帰り支度の用意していた。
多くの生徒が教室に残って、ガヤガヤと、まだ騒ぎが起こっていたのだ。
寮に戻らない生徒が、大半だった。
その喧騒のままで、上げた両腕を、そのまま机に突っ伏した。
目蓋が重くなり、微かに微睡む。
「疲れたぁ」
やっと、授業が終えたことに、心地よい疲れと、やり通したと言う実感を噛み締めている。
初めて感じる充実した気分に、満ち足りていたのだ。
「おやつ、食べていないな……」
徐々に、声が萎んでいった。
「補給しないと、力が出ないな」
これまでの学院生活で、最初から最後まで、授業を受けた試しがない。
魔法科時代には、考えられない光景の一つだ。
一日に、一コマの授業に出るのでさえ、稀で、丸一日授業に出ないのがほとんどだった。
それが魔法科時代の、リュートの学院生活スタイルだったのである。
魔法に関しては、天性の能力の持ち主で、勉強せずとも、高等呪文を一年生の時から、使いこなしているレベルだった。
それが、突然の気まぐれで、魔法科から剣術科に編入したのだ。
魔法科から編入して来たばかりで、戸惑いも多い。
だが、慣れない剣術科の授業には、辛うじてついていっていた。
一般教養や理論の方は、問題ないが、技術の面で、周囲の生徒たちより、遅れている部分があり、それに追いつこうと、早朝や放課後に、自主的に稽古に励んでいたのである。
魔法科にいた時の成績は、常にトップで、何度も飛び級の話も持ち上がっていたほどだ。
けれど、本人の意思で、その話をあっさりと断った。
大きく溜息を吐く。
「リュート!」
「んっ?」
「何、寝てるの」
仁王立ちしているセナがいる。
「気持ちいいから」
素直な気持ちを吐露したのだ。
ますますセナの眉間に、しわが寄っていた。
閉じかけていた黒曜石のような黒い瞳を見開き、突っ伏していた顔を上げる。
肩まで伸びた髪を簡単に結んで、どこにでもいそうな標準的な容姿だ。
とても、天才と称されているとは思えない。
入学した一年生の段階で、高等な呪文を使いこなし、三つぐらい学年を飛び越え、四年生か、五年生に飛び級の話が、持ち上がったほどだった。
そんな飛び級の話も、つまらないと言う理由だけで断ったのだ。
現段階では、今まで経験していない剣術の世界へ、足を踏み入れたばかりだった。
「……バカ」
脱力感が否めない言動に、セナがうな垂れている。
新学期が始まる前に、リュートに突っかかって以来、口ゲンカを繰り返していたが、元来の面倒見のよさを発揮し、ことある事に面倒を見ていたのだ。
高くポニーテールに結い上がった髪を、左右に大きく揺らし、さらに近づく。
何だよと言う表情で、眉が吊り上り気味なセナを迎えた。
心地よい眠気を邪魔され、不機嫌そのものだったのだ。
「掃除の時間でしょ、早く行くわよ」
「面倒臭いな……」
いやそうな顔を、前面に押し出している。
「サボってみなさい。ただじゃ、おかないから」
邪な考えを起こしそうなリュートを半眼した。
掃除をサボりそうだったのだ。
「……別に、面倒臭いって、言っただけだろう」
「どうだか。信じられるものですか」
フォーレスト学院の掃除は、全生徒でする訳ではない。
基本は、学院の周囲にある村の人たちが行うのが通例だった。
だが、講堂や保健室、実験室などがある特別棟に、教師と生徒しか入れないシステムなので、そのため、特別棟のみ、生徒たちの当番制で、掃除を行っていたのである。
職員室や研究室がある管理棟の掃除は、気軽に生徒たちも入れないシステムになっているので、用務員が行っていたのだ。
心を読まれ、目を見張っているリュート。
さらに、不敵な笑みを携え、釘を指す。
「魔法科とは違うのよ。私、そんなに甘くない」
ネイビールの前髪の隙間から、眉間のしわが覗く。
(別に、サボろうとした訳じゃないのに……。ただ眠かっただけなのに)
「わかったよ」
訝しげに、吐き捨てた。
「わかればよろしい。だったら、すぐ立ち上がる」
「うるさいな」
囁くようなリュートの声音だ。
「何か、言った?」
ブラウン色した眼光が鋭くなった。
歯向かうのは許さないと、訴えていたのである。
「……別に」
ブスッとし、リュートの顔に理不尽さを滲ませていた。
同じ班のダン・グロームが、こいつ、しつこいぞと、ククク笑いている。
遠巻きの立場で、口ゲンカが絶えない二人を待っていたのだ。
魔法科とは違い、剣術科では班ごとに、固まって行動することが多い。
成績優秀で、優等生のセナが、リーダーを務める一斑に、転科したリュートが加わったのである。
まだ、笑っているダンは、学年の中でも、ひと際体格が大きく、細めの体格のリュートが、二人分はすっぽり隠れるほどだった。
傍観者のダンの広い背中から、パウロ・トルナードが、ひょっこりと顔を覗く。
ダンの後ろに潜んでいる、内気な少年だ。
そこそこの剣術のセンスがある。
だが、内気な性格が邪魔し、実力を出し切れてない。
「今日の掃除、音楽室だろ」
「そうよ。もうカギを取ってきたから、大丈夫よ」
「早っ」
逃げ出す疑惑がある三人の前で、自慢げにカギをちらつかせる。
隙があったら、いつでもサボろうと、企てそうな三人だった。
そのため、先回りし、カギを持ってきていたのである。
それに、ダンとパウロに、前科があったのだ。
ユラユラと、簡単な造りになっているカギを、三人が恨めしそうにガン見している。
以前、カギを持ってくると言って、二人は逃げ出したのだった。
「さすがリーダー。抜け目ないな」
用意周到なセナに、ダンが感心した。
内心で舌打ちをし、逃げられないかと首を竦めている。
「当たり前でしょ」
同級生に見えないダンと、パウロが賞賛の握手を送る。
手際がいいなと、のほほんとリュートが巡らせていた。
「遅くなるから、行くわよ」
「諦めて、掃除するか。な、パウロ」
「うん」
意気揚々と前を行くセナの前で、男同士でじゃれ合って歩いている。
剣術科の新しい仲間と、すでにリュートが溶け込んでいた。
セナの隣では、ローゼル・フラマがいる。
男女問わず、魅了するような容姿で、エルフの血が混じったクウォーターで、セナよりも、長身の細身の体格だ。
透き通るような長いブロンドの髪が揺れるたび、人の耳よりも、長い耳が見え隠れしている。
容姿端麗なローゼルが、呆れ気味の顔を、まだじゃれ合っているリュートたちに傾けていた。
じゃれ合う姿が子供のようで、とても自分たちとは、同じ年の振舞いとは思えなかったのだ。
(何で、こんなやつらと、一緒に行動にないといけないのか。疲れるな)
不意に、ローゼルが立ち止まった。
それに習うように、どうしたの?と言う顔で、セナも立ち止まったのである。
「そろそろ、テスト範囲が出ている頃でしょ? 掃除に行く前に、掲示板、見に行かない?」
「……そうね」
唐突なローゼルの提案に、僅かに逡巡した後、同意した。
テストの準備に、余念がないセナだった。
学院の最近の話題は、実力試験なのである。
学院では、一年の間に、三度の試験が行われる。
一つ目は、夏休みの後に行う実力試験、それに前期、後期の試験だった。
それらの結果は、掲示板に張り出された。
十月の下旬に、行われる実力試験が脳裏を掠める。
(誰にも、負けない。前は、油断しただけ。天然ボケのリュートなんか、絶対に負けないんだから)
密かに、目を輝かせ、セナが意気込んだ。
ダンたちも立ち止まっており、その中で平然としているリュートを捉えている。
そのいでたちが、とても天才と称されていると窺えなかった。
(見てなさい。いくら魔法科でトップでも、剣術科では、そうは行かないんだから)
実力試験は、夏休みにどれだけ勉強と鍛錬をしていたか、試される試験だった。
「テストか……」
テストと言う響きに、リュートの意識が引き戻された。
遠い目を滲ませる。
段々と、ワクワクする気持ちが込み上がってきた。
今まで感じたことがない高揚感だ。
魔法科にいる時、テスト勉強をした試しがない。
それでも、魔法科で、常に一位の成績を収めていたのである。
一位以外の成績を、取ったことがなかったのだ。
魔法科では、ずば抜けでいた。
(やってみるか)
口元が、だらしなく歪む。
その姿に、ダンが眉を潜め、胡乱げに顔を近づける。
「何、ニヤついでいる?」
「えっ?」
「大丈夫か?」
「何でもない。それより、見に行こうぜ」
急に、張り切り出すリュート。
先頭に立ち、掲示板がある特別棟に急いで足を進めた。
なぜニヤついていたのか、セナたちは頭を傾げ、とりあえず、先に行ってしまうリュートの後をついて行く。
初めて、勉強に意欲を燃やしている。
勉強し、剣術科のクラスメートを驚かせようと、目論んでいたのだ。
特別A棟の2Fにある掲示板に、剣術科のテストの試験範囲が張り出されていたのである。
魔法科のテスト範囲は、同じ特別A棟の3Fに張り出されていた。
張り出されている掲示板に、視線を止めた。
初めて目にする光景に、キラキラと瞳を輝かせ、心を躍らせる。
「これが、試験範囲か」
食い入るように眺めていた。
「そうよ」
「へぇ。細かく、書いてあるんだな」
「……」
「随分と、親切なんだな」
「まさか……」
テスト勉強をしない人間が、テストの試験範囲を見ることがない。
浮き足立っている背中に、不吉な予感をセナは滲ませている。
大事な掲示板よりも、不敵に笑う姿に、訝しげな視線を巡らせているセナ。
(今まで試験範囲を見たことないんじゃないの? ……天然なこいつなら、あり得るかも。こんなやつに、絶対に負けたくない!)
掲示板に、テスト範囲以外で、美術展の案内や、世界規模で行われる音楽コンクールのポスター、サークルの告示などが、様々なものが掲載されていたのである。
サッと、視線だけで、テスト範囲をダンが流した。
そして、他の案内に目を巡らす。
「何が面白いんだ。絵なんて」
怪訝そうなダン。
その視界に、美術展の案内のポスターを捉えていた。
「あんたには、死んだって、わからないわよ、芸術は」
鼻で笑い、ローゼルが食って掛かっていった。
「何だよ、それは」
ダンの眉間に、深いしわが刻まれている。
一触即発な雰囲気を漂わせていたのだ。
「食べることしか興味がない、あんたにはね」
端整のとれた顔に似合わず、血の気が多かった。
ゆっくりと、ダンが嘲笑しているローゼルに振り返る。
手に、ペッシャンコになったパンが握られていた。
体格が大きせいで、常に食べ物を持ち歩いているのだ。
「もう一度、言ってみろ」
低い声音で、悪びれる素振りも見せないローゼルを睨んでいた。
口の端を上げている。
バチバチと、火花が叩き合う。
「何度でも、言ってあげる。あんたには、絶対に無理よ」
いつでも戦闘できるように身構えた。
怒りに震えるダンのこめかみに、大きな筋が浮かび上がっている。
「覚悟、できているんだろうな」
「いつでも、どうぞ」
冷静なローゼルの口調。
「ああ。行かせて貰う」
また始まったと言う顔を、覗かせているパウロだった。
面白いぞと、静観しているリュート。
争いや衝突が多く、血の気の多い剣術科を、最近目の当たりにし、楽しんでいたのだった。
それに対し、まとまり感のない二人に、セナの怒りが急上昇していく。
以前から、ダンとローゼルの間に、いざこざが絶えなかったのだ。
眉間にしわを寄せ、二人の間に入っていく。
「いい加減にしなさいよ」
交互に、二人の顔を窺う。
それでも、怒り狂うダンと、勝負をつけたがっているローゼル。
一歩も、引こうとしない。
さらに、ローゼルが挑発していく。
「鍛錬不足? 時間を上げましょうか? ダン」
「言ってくれるな」
やる気満々なダン。
語気を強め、二人を沈静化させようとする。
「二人とも!」
「セナ、邪魔だ。潰されたくなかったら、外に出ていろ!」
潰れたパンを放り投げる。
潰れたパンと、怒りに歪むダンの表情が似ていた。
それに対峙する形で、強気なローゼルが不敵な笑みを漏らしている。
余裕のある笑みに、この前の試合が絡んでいるのだ。
それは、新学期始まって早々の試合で、ダンを打ち負かしていたからだった。
九勝九敗の五分の引き分けで、お互いに、どちらが上か、決めたがっていたのだ。
互いの実力が、均衡していたのである。
「やれ、やれ」
一人気軽な表情で、リュートが二人のケンカを促進させた。
この状況を楽しむ姿に、より深いしわを寄せるセナ。
これ以上のいざこざに、持ち込みたくはない。
授業中の二人の揉め事で、帯責任と取らされ、反省文と、罰の鍛錬と、掃除をさせられた経緯があったからだ。
「黙っていなさい!」
物凄い剣幕で、黙らせた。
セナの形相に、目を見張り、頷いて、素直に受け入れる。
セナとリュートのことも、二人は視界に入ってない。
もう二人は、戦闘モードに突入していたのだった。
「いつでも、かかってきなさい。遊んであげる」
「生意気な」
「ローゼル! ダン!」
二人の名を呼び、その場を一喝した。
腹の底から出た声が、容赦なく二人を押さえ込んだ。
さほど大きくないセナの身体。
そこから、物凄い殺気が醸し出ていた。
二人よりも、鋭く冷たいものだった。
「「……」」
二人の視線が、伏せ目で、はっきりと見えないセナから離れられない。
そんなセナの身体が、瞬時に、攻撃可能な状態だった。
「そんなに勝負したいのなら……。掃除が終わってから、私が勝負してあげる」
怒気が含んでいた。
さすがの二人も、絶句し、身体がフリーズしている。
剣術科の中で、優秀な生徒にだけ与えられる称号『十人の剣』を、セナが持っていたのである。
たぶん二人で向かっていても、やられるのが目に見えていたのだ。
負け試合を申し込むほど、二人はバカではない。
「わかった。もう、やめる」
残念と、ローゼルが首を竦めた。
「……俺もだ」
瞬く間に、殺気を消したセナ。
だが、平静に戻ったローゼルに身体を傾ける。
「今のは、ローゼル。あなたが悪いわよ」
忠告をすんなり受け止め、どこか、まだ不服感が残っているダンへ歩み寄った。
面と向かって、ローゼルとダンが対面する。
「ごめん、ダン」
「もう、いいさ」
二人の殺気が、完全喪失となった。
睨めつけられ、しゅんとなっていたリュート。
(つまんないな。せっかく面白そうだったのに)
勝負が始まったら、二人に混じって、剣を交えようと巡らせていたのだ。
ひと段落着いたところで、いつもの顔に戻ったセナが、みんなに声をかける。
「テスト範囲も、見たことだし、そろそろ行こうか」
一同は賛成し、五人は掃除場所である、特別A棟の4Fにある〈第五音楽室〉へと向かった。
読んでいただき、ありがとうございます。




