第26話
午後から空き時間となってしまったチェスター。
目的がないままに一人で歩いていた。
突如、午後から授業はいいからと周囲の教師たちに説得され、訳がわからないうちに無理やりに休みを取らされたのだった。
やりますと強い語気で言い返すいつもの自分とは違い、あっさりと身を引いてしまったのである。
なぜか、授業に気持ちが傾けられなかったのが最大の理由だった。
急に暇になりナルを誘って、〈安らぎの森〉近くの湖に来ていたのだ。〈宝瓶宮〉の仕事もひと段階して、他の村人たちと休暇している最中だったのである。
だが、一人で芝生の上で、呆然と座って湖を見つめていた。
その瞳に湖が映っていない。
あるのはただ一つ、聖母のように微笑むマドルカの顔だけだ。
五分前にチェスターはナルから好きな人がいて、忘れられないと振られたばかりだった。それなのに巡らせていることはマドルカのことなのである。
振られたことに大きなショックがない。
そうですかと、あっさりと受け止めた。
誘って歩いていても、どこか上の空で、マドルカのことを考えていたのである。
ナルのことはどうでもよくなっていたのだった。
「怒っているのか? でも、何に?」
どう考えても何に怒っていたか、見当がつかない。
ずっとその思いに囚われている。
何度目かの嘆息が零れた。
「……話を聞くことがいやになった?」
抑揚のない声で呟いた。
違うと首を横に振る。
そんなはずがない、俺の話を聞くのが楽しいと言っていたことを思い出す。そう言った時の顔は優しく微笑んでいた。
「俺の話が詰まらなくなった?」
(そんなことはない)
「俺の顔が嫌いになった?」
(そんなことはない)
「俺の目が嫌いになった?」
(そんなことはない)
「俺の鼻が嫌いになった?」
(そんなことはない)
「俺の口が嫌いになった?」
(そんなことはない)
「じゃ、俺のこと嫌いになった?」
(そんなことはない……。なぜなんだ……)
尽きることのない嘆息を吐いた。
「何で、急にいなくなる、マドルカ……」
奈落へ突き落された感覚を憶えた。
(マドルカ……)
「!」
強い殺気が突き刺さる。
「《壁》!」
瞬時に対抗できる呪文を唱えた。
自分の背後にバリアを張って、自分に向かってきている《火球》を防ぐ。
目の前で爆発した《火球》の衝撃を受けた。
威力がかなり強大だったのだ。
まともに喰らっていたら、一溜まりもなかったはず。
爆風の衝撃に少し後退した。
チェスターの浮かない顔が消え去っていた。
「何者!」
次の行動がとれるように戦闘態勢を取っている。
そこに眉間にしわを寄せたリュートが立ち尽くしていた。
「リュート・アスパルト!」
負傷しているリュートは保健室に向かわず、〈安らぎの森〉に呼び寄せられるように来ていた。どうしても保健室に行く気分になれず、一人になって頭を冷やそうとしていたところに、沈んでいるチェスターと遭遇してしまったのである。
「ふん。腕は腑抜けてないようだな」
教師に対し、尊大な態度をしていた。
嘲笑している姿に、思わず歯ぎしりをするチェスター。
「仮にも先生だ!」
「その先生に、俺は捕まったことがないぞ」
胸を張って堂々と言い切った。
「うっ……それは……」
反論できず、二の句が出ない。
追い回すチェスターは一度もリュートやトリスを捕まえることができなかったのだ。いつも寸前のところで逃げられていたのである。
確かに幼いながらにも、二人に実力が備わっていた。けれど、一年生でまだ幼いリュートたちに本気になって、攻撃呪文をくり出せなかったと言う理由もあったのだ。
それに逃げ足が速いトリスがついていて、小さいながらにいくつも逃げるルートを確保していたのだった。
リュート同様に幼いトリスは祖父の能力をしっかりと受け継いでいた。
チェスターに向かって、言葉を投げかける。
「バカ」
「……」
思わず、チェスターの顔が引きつった。
何も言ってこないので、また同じことをリュートが繰り返す。
「バカ」
「アホ」
ムッとしているチェスターが返した。
「バカ」
「アホ」
「バカ」
「……うるさい! うるさい!」
悔し気に地団太を踏むチェスター。
その光景に目を細める。
「ふん。忍耐がない」
辛口なコメントを吐きつつ、その顔は涼し気だ。
チェスターの頬がほのかにピンク色に染まった。
「うっ」
「勝ったな」
「じゅ、授業はどうした? 早く、授業に戻れ」
ここからリュートを引き離そうとする。
一人になることに、邪魔されたくなったのだ。
けれど、いっこうに立ち去る気配がない。
イライラが募るばかりだった。
「腑抜けの先生に言われたくない」
「腑抜けだと!」
何度も腑抜けと連呼され、唇を噛み締める。
「誰が腑抜けだ」
「他に誰がいる」
余裕の顔で、辺りを巡らせ、いないだろうと鷹揚な態度をしていた。
顔色を悪くするチェスターに対し、尊大な態度を崩さないリュート。
口対決での勝ち負けは明白だ。
「クソっ」
乱暴にチェスターが吐き捨てた。
話すことをやめ、戦闘モードに突入していく。
二人の手に法力が集まり、煌々と法力の塊が輝き始める。
昔とは違い、チェスターに手加減する気がない。
互いの手にある法力がかなりの威力を持って、まともに喰らえば、一溜まりのない惨劇になるのは明確だった。
深い靄を互いに抱えていたので、どうなってもいいとさえ思い、戦闘モードに入っていったのである。
「覚悟できているだろうな」
「構わん。いつでもいいぞ、先生」
それぞれに向かって、突進していった。
間合いをそれぞれに測りながらだ。
二人の間にかなりの距離があった。
「!」
法力の塊はちょうど中央でぶつかり合った。
それぞれに唱えた呪文が跳ね返り、物凄い爆音と共に悶々とする煙が立ち上っていたのである。小規模な砂塵が舞い上がり、周囲の視界が失っていた。
爆風で僅かに後ろへ押される。
覆っていた腕を下ろした。
互いに砂塵の中から人影を見つける。
二人の前にマドルカとトリスがいたのだ。
「!」
ギリギリのところで、マドルカとトリスが二人の攻撃を阻止したのである。
「マドルカ!」
「トリス!」
チェスターの頭の中に、すでに憎い相手であるリュートの存在が抜け落ちている。
目の前にいるマドルカのことしか映っていない。
踏み出そうとした瞬間、マドルカが怒鳴り声を上げる。
「チェスター!」
気圧され、身体をブルッと震わせている。
「いくら、気に喰わぬ生徒でも、ケガしている生徒にやるとは、何事だ!」
「……ごめん。マドルカ……」
素直に謝った。
チェスターの呪文を跳ね飛ばした剣を鞘に戻しながら、物凄い剣幕で初めて怒ったのだ。その表情は初めて怒鳴られ、嬉しい気持ちと萎縮する気持ちが見え隠れしている。
「ケガは? ないのか」
嬉しそうにコクリと頷いた。
もう一方のでは……。
「無茶するな!」
手に軽いやけどを負ったトリスも、目を丸くしているリュートに怒声を浴びせていた。
使える最大限の攻撃呪文で、辛うじて軌道を変えることができた。
完全に封じることができずに、手に軽度のやけどを負ったのだ。
「……悪い。でも、いつの間に」
ケガさせたことに、真摯な態度を取っている。
互いに相手のことを意識し過ぎ、二人の気配を感じ取っていなかった。
眉を潜めるトリスはリュートの左腕に視線を注ぐ。
負傷した時より、さらに血が噴き出していた。
自分のケガよりも、トリスのやけどが気になり始める。
火傷の具合を聞こうと口を開こうとするが、トリスの言葉に塞がれてしまう。
「午後からずっと、お前の跡をつけていた。いい加減にしろよな、先生に向かって」
様子を窺っていたので、リュートの危機を感じ取って、捨て身覚悟でトリスはリュートの前に立ちはだかった。
「どうなるのか、考えてやったのか」
「……」
「聞いてるのか、リュート」
「……ごめん」
頭を少しうな垂れ、珍しく怒っているトリスに素直に謝った。
「わかればいい」
「うん」
二人の話が終わり、不意にマドルカたちの方へ視線を傾けると、チェスターの眼光が見開き、唇がガタガタと震えている光景を捉えている。
「チェスター?」
いきなり様子のおかしくなったので、声をかけるマドルカ。
すると、大声を張り上げて、何が起こったか困惑しているマドルカに向かって飛び込んでいった。
途方に暮れているマドルカをきつく抱きしめる。
「戻ってきてくれた。マドルカ、俺、凄く嬉しいよ」
「? 何のことだ」
呟くマドルカのことが耳に届いていない。
一人ではしゃいでいたのである。
「もう、どこにも行かないでくれ。もう、内緒で、行かないでくれ」
訝しげに喜びに満ちたチェスターの顔を覗く。
「どこにも行くつもりがないが?」
この元凶はお前たちかとリュートたちを不機嫌な双眸で睨む。
俺たちは関係ないとトリスが手を振って否定した。
(無実の俺たちに、あの視線かよ)
はしゃぐのをやめていたが、マドルカに抱きついたままだ。
「騎士団に誘われたんだろう?」
「なぜ、知っている? ……グリンシュか」
マドルカから溜息が漏れる。
「上手く断れないかと相談しただけなのに、……余計なことを」
「行かないよな?」
「当たり前だ」
「絶対に?」
また、不安げな眼差しを注ぎ、マドルカに念を押している。
「もう、断った」
簡潔に問いに答えた。
抱きついていたマドルカから身体を離す。
喜び勇んでいる姿を尻目に、リュートが休暇の理由を尋ねる。
「休暇の理由は?」
「カイルに頼まれたものを取りに行っただけだ」
当惑しているトリスがより詳しい理由を求めてきた。
この状況は何だと抱きながら、カイルから頼まれた特別な球根を、知り合いの道具屋から購入していたと伝えたのである。
「……」
「ただ、それだけ……」
「悪いか」
か細く呟いたトリスにマドルカが突っ込んだ。
「いいえ。失礼しました」
一人で喜んでいる姿を眺め、トリスは心配して損したと愚痴ってしまう。
状況を把握しきれないマドルカが、何のことだと訝しげにトリスをさらに睨む。
すると、リュートを見ようとした瞬間、喜んでいるチェスターに近づいていっていた。
近づいてくる渋面しているリュートに気づき、身構えている。
ある程度の距離を置き、立ち止まった。
黒曜石のような双眸はしっかりと強張っているチェスターを捉えている。
「……昔は……。今、一生懸命勉強している」
真摯な態度に、チェスターの目は見張ってしまう。
二人の間に、静寂が流れていった。
「……そうか」
「じゃ」
立ち去ろうとするリュートを教師の顔に戻ったチェスターが制した。
ベルトにあるサイドポーチからスコラ草を出し、きょとんとしているリュートの前に突き出した。スコラ草とチェスターを交互に見比べる。
「左腕」
自分の顎で、ケガしている左腕を差した。
「手当てしておけ」
素直にスコラ草を受け取った。
視線の先は眉間にしわを寄せているリュートから、口角を上げ、笑っているマドルカに移す。
「飲みに行こう! マドルカに話したいことがいっぱいある」
「いいのか。授業は?」
学院に戻っていないマドルカは、チェスターが暴れた件を露も知らなかったのである。
「大丈夫。交代して貰ってあるから」
「それなら、構わんが」
二人は揃って、村に向かって歩き出す。
スコラ草を手にしているリュートに近づいていった。
貰ったスコラ草を半分、トリスに渡す。
「?」
「手のやけど」
「ありがとう」
「大丈夫か?」
「ああ、俺たちも帰ろう」
「そうだな」
次の日。一限目が空き時間となったリュートたちは、誰もいない静かな講堂で、昨日の出来事を一部始終すべて、何も知らないセナに話し聞かせた。
午後の授業を欠席し、セナとあれから顔を合わせていなかったからだ。
ミントには昨日の段階でトリスが話していたのである。だから、この場にミントの姿がなかった。
話を聞いてくるうちに、ワナワナと拳を震わせる。
「信じられない! グリンシュ先生」
自分たちに鎌をかけたグリンシュに腹を立てていた。
「心配して、昨日だって眠れなくって、寝不足なのよ」
「それは酷いな」
「トリス、他人事のような言い方、やめてよね」
剥れているセナ。
やれやれと首を竦めるトリス。
「どうして知らせてくれなかったのよ」
「いろいろあって」
「ホント、心配してたのよ」
「悪い」
その軽さに余計にイラついていた。
「信じられない」
フンと顔を横に傾けてしまう。
「今度、美味しいお菓子を、食べに来てくださいってグリンシュが言っていた」
「……リュート一緒にいないで」
「セナ……」
負傷しているリュートの治療を兼ね、あの後保健室に行ったのである。そこでお詫びの印としてお茶に誘われたのだった。
「……それで、あなたたちは許す訳?」
「俺は別に、そこまで怒っていないし」
「何でよ!」
憤慨していないトリスにまくし立てる。
「丸々グリンシュの話を鵜呑みにした俺が悪かった訳だし」
あっけらかんとしている姿にセナが呆れてしまう。
矛先を隣にいるリュートに傾けた。
その目が血走っている。
問いかけるよりも先に答える。
「美味しいお菓子が食べられる」
ワクワクしているリュートの姿に、怒っていることがバカらしくなって、溜飲が下がっていく。
「リュート。あなたの頭はお菓子のことしかないの?」
「ない。それ以外、何がある」
「……もういい」
ぐったりとセナは肩を落とした。
「それでよく剣術科に来たわね。どうして、来たの?」
(お菓子のことしか頭にないのなら、剣術科に来ないでよね!)
鋭い眼光で、グリンシュのお菓子につられているリュートを睨みつける。
そんなこと一切気にせずに、質問されたことを答えていく。
「森にあった剣を見て、面白いと思ったからさ。だから、そのまま転科届を出しに行った」
何でもないよう口調で素っ気ない。
とんでもない発言に、あんぐりと大きく口を開けている。
ことの始まりを知っているトリスが足りない部分を付け足す。
「その届を出したのは、夏休み入る三日前」
「へっ?」
「試験は夏休みに入る前の日だったな? な、リュート」
「うん」
俯いているせいで、セナの顔が見えない。
「セナ?」
「……ちょっと、私のこと、バカにしている?」
なぜ急に怒りだしたのか理解できないリュート。
怒る気持ちがわかる気がして頷くトリス。
「別に、バカにしていないぞ。始まりって、突然だろう?」
「突然って、突然すぎるわよ」
「そうか。普通だと思うけど」
頭を抱え込んでいるセナを、胡乱げに眺めているリュートにトリスが声をかける。
「おばさんの口癖、『始まりは突然よ』だな」
「……」
母親のことを持ち出され、リュートは押し黙ってしまう。
面白げにトリスの口角が上がっていた。
「嫌いだ、トリスは」
ブスッとした顔で、剥れている。
「魔法も嫌いだよな」
「嫌いだ、魔法も」
トリスに誘導されるように吐き捨てた。
「そうか」
突如、トリスが立ち上がって、久しぶりに授業へと向かっていく。
この事態にセナが呆れている。
その背後に向かって、リュートが叫んだ。
「魔法なんか、大っ嫌いだぁぁぁぁぁぁぁぁ」
読んでいただき、ありがとうございます。




