第24話
ナルとのデートを終え、浮かれモード全開のチェスターはマドルカがいる〈第二職員室〉へ向かっていった。
その異様な雰囲気に声をかけようとする同僚の教師がいない。
そんな周りの空気を読めぬまま、鼻歌を口ずさみ、軽やかなステップで〈第二職員室〉へ足を進めた。
誰も幸せ絶頂を感じている人を奈落の底に落としたくない。
誰もがチェスターの前では、重く口を閉ざしている。
引きつっている笑顔を誰もが浮かべていたことに気づかなかった。
ナルとの今後のデート計画に日々追われ、二日ばかりマドルカと会っていない。
教師として、フォーレスト学院に赴任してから会ってないことに、頭の中がナルでいっぱいで気づいていなかったのである。
話していないナルとの出来事を、話をしようと足取りも軽い。
ドアを開け、マドルカの姿を捜す。
いつも、この時間帯にいると把握していたのだ。
「マドルカ」
広い〈第二職員室〉を見渡す。
「マドルカ」
まばらに他の教師たちがいる程度だ。
必ずいるはずの姿がない。
「いない……」
か細く呟き、気が抜けてしまう感覚を味わう。
いるはずの人がないことによって、急に暗闇に覆われてしまうのだった。
「どうして……」
チェスター自身は気づいていないが、来る時間帯を見越して、必ずいるようにしていたのである。
いつでもチェスターが行きやすいようにしていたのだ。
脇を通り過ぎようとした教師を捕まえた。
顔を近づけ、姿がないマドルカの居場所を問い詰める。
「さぁ。知らないな」
教師の頬がピクピクと動く。
さらに眉間にしわを寄せ、つり上がった眉をした顔を近づける。
「どうして!」
「そ、そ、そう言われても……」
目が泳ぎ、そらされてしまう。
掴んでいた腕を力なく離した。
解放された教師は、さっさと〈第二職員室〉から出て行ってしまったのだ。
気を取り直し、別な教師に行方を尋ねる。
けれど、結果は同じだった。
しばらくの間、その場に信じられずに呆然と立ち尽くす。
(俺に言わないでどこかへ出かけた? なぜ? ……マドルカが言わないなんて。これまで一度もなかったのに……)
いないとわかっても、マドルカの姿を捜し、瞳を彷徨わせる。
不意にどうかしたのか?と、マドルカが声をかけて来そうな気がしてだ。
すると、カイルと共に道具を片づけに着たリュートとセナと顔を合わした。
生意気なリュートの姿を見ても、怒りが湧いてこない。
いつもだったらケンカ腰に挑んでいくのに、一切そういう気持ちが起こらなかった。
ただ虚しく、マドルカの姿を捜していたのである。
いつもと違うチェスターの様子に、リュートは思いっきり眉を潜めた。
片づける位置を指定しているカイルに、チェスターが視線を捉える。
突っかかってこない姿勢に、誰もが違和感を生じさせていた。
「カイル。マドルカ、知らないか?」
弱々しい声音で聞いた。
「マドルカ?」
顔面蒼白なチェスターに、カイルの思考が追いつかない。
「ああ。どこにいる……」
「……大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
「いや。それより、マドルカは?」
「座れ、チェスター」
片づけよりもチェスターを優先させた。
近くにある椅子に無理やりに腰を下ろさせたのだ。
その間も、マドルカのことを尋ねていたのである。
「何か、飲むか」
「いい。それよりもマドルカのことだよ。どこにいる?」
勢いよく立ち上がって、青白い顔で、心配しているカイルに詰め寄っていく。
「マドルカは? マドルカ、知らない?」
青白い顔の中に、鬼気迫るものを覗かせていた。
「……それなら、休暇を取って休んでいる」
心配そうにチェスターを案じ、いつ倒れてもいいように身構えている。
「休暇?」
信じられないと言う表情を、チェスターが浮かべていた。
咄嗟にカイルの両肩を掴む。
「大丈夫か?」
心配する声がチェスターに届いていない。
(マドルカが休暇? 俺は一切に聞いてない。どうして、俺に話してくれない?)
チェスターに黙って休暇を取ったことがなかったのだ。
これまでとは違うマドルカの行動に戸惑いを隠せない。
「ホントに休暇を取ったのか?」
「ああ」
「ホントに?」
何度も念を押される。
「俺、知らない。何でだ」
さらにカイルの両肩を掴む手に力が入る。
苦悶にカイルの顔が歪んだ。
「なぜだ!」
「チェスター」
「嘘だ。俺に黙って休暇を取るなんて!」
叫びながら、更なる力を込めようとしていた。
片づけるのも忘れ、誰もが二人の様子を窺っていたのである。その中で一番早く意識を引き戻したリュートとセナがもみ合いになっている二人の中に割って入っていく。
二人を引き離そうとするが、チェスターの力が思いのほか強く、カイルから引き離さない。
リュートたちより僅かに遅れ、他の教師も慌てて二人を引き離そうと参戦していった。
どこからそんな力が湧いてくるのかと思うほど、苦しんでいるカイルに掴みかかっていったのである。
リュート、セナ、数人の教師たちによって、ようやく引き離すことに成功させた。
カイルの顔が真っ赤だ。
掴みかかっていた際に、喉を抑えられていたのだった。
むせていて、言葉がなかなか発せられない。
その間、他の教師たちが暴れているチェスターを抑えながら、宥めている。
「チェ、チェスター先生、お、落ち、落ち着いて」
羽交い絞めにしている教師が声をかけても、声が聞こえていない様子だ。
それでも根気強く、声をかけていく。
屈強な教師陣を跳ね返す勢いがまだ残っていた。
日頃のチェスターからは考えられない尋常な行動だった。
誰もが取り押さえることに精いっぱいだ。
チェスターの正面で、突進しようとする身体を押し止めようと、セナが全身全霊の力を出し尽くしていた。
奇声を上げるチェスター。
自分にまとわりつくものを跳ね除けようとしている。
「や、やめ、やめて……ください」
それでもチェスターがカイルに掴み掛ろうとする。
「俺、聞いてない」
「……お前な」
掠れた声で漏らし、カイルが暴れているチェスターを見据えている。
「俺、聞いてない!」
カイルの背後に廻って引っ張り出したリュートが、ブスッとした顔で、逆上しているチェスターを咎めるような眼差しを注いでいる。
「リュート。下がれ、危険だ」
唐突にチェスターの前へ躍り出たので、カイルが驚愕し、リュートを下がらせようとするがいっこうに聞こうとはしない。
逆に見境なくなっているチェスターに食って掛かる。
「それでも先生か!」
職員室中に響き渡った。
「……」
静寂が一瞬だけ通り過ぎていった。
「よくそれで、俺にとやかく言ってくれたな!」
狼の唸り声のような声を出しながら、チェスターが怒りをむき出しにしている。
「好きでなったんだろう。先生だったら、先生らしくしろよな」
「……」
カイル、セナ、他の教師たちもいつもとは違うリュートに釘付けになっていたのである。
「これじゃ、絶対に俺は謝らないからな。それとマドルカ先生には、騎士団に戻ってこないかと言う話が来ている」
「騎士団……」
暴れていた勢いが失う。
「前にいた騎士団から帰ってこないかと誘われているって話だ」
「本当か?」
「俺の言葉、信じられないかもしれないが、本当の話だ」
マドルカ、騎士団、誘われていると言う単語を何度もくり返す。
押さえ込んでいた教師たちやセナは、恐る恐る手を離していった。
それでもいつ暴れてもいいように身構えている。
「そんな話があったのか……」
初めて聞く話にカイルが目を丸くしている。
「知っていたのか?」
視線の先にいるセナに尋ねた。
チラッと呆然自失になっているチェスターを窺い、コクリと頷いたのだった。
(あいつの腕だったら、当たり前の話か。前のところだと断りにくいだろうし)
顔を上げ、チェスターはまっすぐに不機嫌なリュートを視界に捉える。
「その話、本当なんだな」
ゆっくりとリュートが頷いてみせた。
チェスターの目の前が真っ白の世界へ変貌していった。
あまりの消沈ぶりに、顔を覗き込むようにカイルが優しく声をかける。
「大丈夫か?」
返答がない。
騎士団に誘われていることは名誉なことであり、祝福してあげろよと心の中では突っ込んでいても、実際にチェスターの落ち込みを目にしてはどうしても口に出せなかったのである。
周囲にいる教師たちも気遣うが、いっこうに変化が見られなかった。
「先生?」
心配そうにセナも声をかけた。
フラフラとチェスターが歩き出す。
ドアや壁にぶつかりながら。
まっすぐ歩くことができない。
「保健室に連れて行く。向こうに知らせてくれ」
その場にいた同僚に声をかけ、カイルが漂うように歩くチェスターに駆け寄っていった。
二人の背中が見えなくなるまで、見送っていたのだ。
カイルからの伝言を頼まれた教師は、チェスターがいる職員室に走っていく。
まだ凝視しているリュートの肩に手を置く。
「大丈夫よ。すぐに立ち直るわよ」
「……当たり前だ。そんなやわなやつじゃない」
「そうね。諦めないで、あなたに向かっていった人なんだから」
「そうだ。根性だけはあった」
いないはずのチェスターを見つめたままだ。
読んでいただき、ありがとうございます。




