第20話
剣の稽古に汗を流していたリュートだったが、調子を崩していた。それでも頑張って稽古をしていたのだが、身が入らず、早々に切り上げてしまう。
いろいろな思考が入り込み、不要な思考を払拭しようとしても、また不意に入り込んでしまい、それらのくり返しを続けていたのだった。
重い足取りのまま、寮へと戻っていった。
肉体的よりも精神的に疲労していたのだ。
寮の談話室で、多くの生徒が賑わっている。
それに交じらずに、まっすぐに自分の部屋へと入っていく。
「随分と早いな」
部屋には珍しく早く帰ってきていたカーチスがいた。
最近はずっと遅くまでフラフラと遊んで、帰りが遅かったのである。
生活スケジュールが近頃合わず、授業の他に自主トレしているリュートとは久しぶりに顔を合わせていたのだ。
「何している?」
珍しい光景にリュートが問いかけた。
机に向かって、一生懸命に書き物をしていたからだ。
「レポート」
短い返答にようやく納得した。
必死にレポートと格闘しているカーチスは、すでにでき上がっているクラインやトリスのレポートを読んで、自分のレポートを作成中だったのである。
提出期限が迫っていた。
部屋の住人でもあるクラインやトリスの姿がない。
「二人はどうした? いないのか?」
「見ての通りさ。二人はいつものごとく、フラッとどこかへ出かけた。残っている俺は、レポートと格闘中だ」
まだかなりの量が残っている羊紙をヒラヒラと振って、おどけてみせる。
その量を見て、徹夜だなと断定するリュート。
どう考えても、二、三時間では終わらない量だった。
「助ける気あるか?」
「ない」
「そういうと思った」
「だったら、聞くな」
くだらないと吐き捨てた。
「一応な」
情けない顔を覗かせる。
そんなカーチスにやれやれと首を竦めた。
「村に遊びに行くからだろう?」
「……まぁな」
どこか目が彷徨っていた。
それを小さく傾げ、リュートが眺めていたのだ。
「違うのか?」
「……半分以上は村から」
ぎこちないカーチスの様子に目を細める。
「歯切れが悪い」
「……そうか」
逡巡しているカーチスに飽きてしまう。
「ま、いい」
安堵の息をカーチスが吐いた。
剣を片づけているリュートの背中に向かって、愚痴を零す。
「何でいきなり七年生になると、難しくってややこしくなるんだ」
頭を掻きむしっている。
「知るか」
「お前はいいよな。頭がいいから。いつもトップだもんな」
羨望の眼差しを傾けた。
「うざい」
「何で俺はこんなに頭が悪いんだ」
「おい!」
無視して自分の世界に入り込んでいるカーチス。
(お前だって、頭がいいだろうが。A組から落ちたことないんだから)
無駄に大きな仕草をカーチスはし始める。
「おー、神よ。どうして俺をこんな……」
「くだらん、芝居だ」
冷めた双眸を送っていた。
見え透いた芝居がまだ続けられている。
しょうがないなと溜息を漏らし、すでにでき上がっているクラインとトリスのレポートを物凄いスピードで読んでいった。
シャワーを浴びて、早く寝ようとしていた計画が脆く潰れてしまう。
クラインの机にある本から一冊の本と選び、レポートに悪戦苦闘しているカーチスに渡したのである。
「これ読んで、まとめろ」
思惑が外れ、思いっきり渋面になる。
口頭でもっとわかりやすいヒントをくれると目論んでいたのだった。
「読むのかよ」
「二人のレポートをまとめようとしても無理だろう。まだ、こっちの方がラクだ」
厚い本にガックリと首を落とす。
「マジかよ」
「マジで読め。終わらないぞ」
ここまで言う言葉を信じ、渋々厚い本を開き始める。
眉間にしわを寄せ、黙々と読んでいるカーチスに声をかける。
「あいつのこと、どう思う?」
視線の先は文字に傾けられたままだ。
「あいつって?」
「……チェスター」
か細く呟いた。
「珍しいな、お前からチェスターの話題を出すなんて」
「……」
チラッと複雑な表情をしているリュートを窺った。
いつもとは違う様子だ。
徹夜になる覚悟を決めた。
しょうがないと本を閉じ、思いつめた顔をしているリュートに身体を傾ける。
カーチスの視線に気づき、きつく口を結んだままリュートも顔を向けた。
「俺たちの担任はさ、レポートやテストさえ、ちゃんとやれば、俺たちが何しようと口を出さない。けれど、言われたことをちゃんとできなかったら、凄く厳しい罰があるだろう? マジで怖いよな、あの目。お前だって逆らわないだろう? ま、普段は楽でいいんだけど」
黙っているリュートの顔を覗く瞳が、気づかれないように笑っていた。
ゆっくりと、過去を振り返るカーチス。
「今思えばさ、チェスターも悪くなかったなって。あいつさ、できなければ、放課後まで付き合って、教えてくれるだろう? ただな、熱心過ぎるのがな……」
苦笑いを浮かべてしまう。
現在の担任ラジュールは二年生からずっと変わらなかった。二年生に進級する際、リュートたちを担任する教師がいなく、上級担当だったラジュールが校長命令で就任した経緯があった。
「さすがのお前でも、従っていたからな」
「……。妙にあの顔がな」
面白そうにカーチスの口元が緩む。
「ムカつくけど、俺はチェスターのこと、嫌いじゃない」
「そうか」
考え込む姿に気楽に考えろよと声をかけ、難問のレポートを終わらせようと必死に本を読み始めるのだった。
不信感を覗かせる視線で、一年生たちが浮かれモード全開のチェスターを凝視している。
段々と奇妙な行動が増していく。
ナルと親しくなるにつれ、おかしくなっていった。
軽やかで華麗なステップを踏みながら、机と机の間を行ったり来たりしていたのである。
一年生たちにとってみれば、不可思議な行動だ。
この妙な行動に、怖がっている生徒が過半数を超えていた。
「今日も楽しく、お勉強しましょう」
「「「「……はい」」」」
気づかれないようにカイルがチェスターのクラスを窺っていた。
困ったものだと嘆息を漏らす。
チェスターの周囲にだけ、綺麗な花が咲き誇っているようだったのだ。
頭を抱え込む。
「あれでは、生徒たちが可哀想だな」
重い足取りで、保健室に足を進める。
「考えれば、考えるほど、納得できない。何で俺が……」
保健室に着くまで、何十回もやりきれない溜息を零していた。
保健室のドアの前で、さらに大きく息を吐く。
妙に重く感じるドアを開けた。
「お茶でも淹れましょうか」
待ち構えていたように、グリンシュが気鬱そうなカイルをもてなした。
言われるがままに、テラスに案内され、落ちるように椅子に腰掛ける。
いつもいる三人がいない。
出された紅茶を一口飲んだ。
他のことに気を取られているカイルは、紅茶から芳しい香りを漂わせ、落ち着かせる効果があったことに気づいていない。
それほど、気分が重苦しさを抱いていたのである。
「なぁ……」
それ以上の言葉が出てこない。
憔悴しているカイルの正面に、いつものように穏やかな仕草で腰掛けた。
「チェスターのことですか?」
「うっ」
何でもお見通しのグリンシュに、息を飲み込んでしまった。
「ゆっくりで結構ですよ」
しばらく沈黙の後、厚く閉じられていた口から言葉が紡ぎ始める。
「……職員室でも話題になっていてさ」
探るようにグリンシュを下から見上げた。
職員室内でもチェスターの話で持ち切りだった。
発信源は〈第三職員室〉の教師で、チェスターの新たな恋の相手であるナルに恋人がいたと言う話が、他の職員室で広まっていたのである。
知らないのは本人だけだ。
話せる教師が誰一人いない。
「でしょうね。知らないのは本人だけですから」
「……」
表情一つ崩さず、サラっという態度に人格を疑いたくなる。
「どうしたらいい?」
自分でもわからないうちに、魔法科のチェスターの件を任される羽目になっていたのだった。学生時代から、カイルは損な役回りが回ってくることが多かったのである。
そんな自分に嫌気がさしていた。
今回ばかりはマドルカ一人では無理だろうと言うことからだ。
「教えた方が、早いでしょうね」
「誰が?」
まっすぐに頬が引きつっているカイルを注視する。
「勿論、カイルに決まっているでしょう」
「……何で、俺」
物凄くいやな顔で、楽しそうに微笑んでいるグリンシュを見据えた。
「人当たりが、上手ではないですか」
「あのな」
「人望も人気もありますし」
「それ、関係なくないか」
「そんなことありません。きっといい人選だと思いますよ」
(どこがいい人選だよ、面倒なことはすぐに俺に押し付けているだけだろう。まったく、どうすればいいんだよ。これ以上、面倒を俺に押し付けて来るな)
胡乱げな眼差しを、どこか憎めない笑顔をしているグリンシュに注いでいた。
「グリンシュ、俺は……」
「カテリーナでは、確実に話が逸れてしまいますし、スカーレットやグリフィンは話をしても、それ以上のフォローもしないと思いますよ。ラジュールなんかはなぜ、私がと言って、まったく関知しないでしょうし。デュランは……。ですから、カイルが一番の適任かと思いますよ」
「確かに……」
上げられたメンバーを想像し、遠い目をしてしまうカイル。
ハッとしてグリンシュを睨む。
「教師はそれだけではないだろう」
低い声音で問い質した。
「似たり寄ったりですよ」
「……」
納得してしまうのが情けなく、思わずがっくりと肩を落とす。
不意に適任の顔が浮かび、顔を上げた。
「グリンシュ、お前は?」
「私ですか。私は傍観していた方が面白いので、お断りです」
涼しい顔でサラッと答えた。
「酷くないか」
「早く破局すれば、丸く収まるでしょうね」
「おいおい。それって、凄く可哀想だろう」
「大丈夫ですよ。打たれ強いですから」
「お前ってやつは……」
カイルとグリンシュが保健室で、今後のことを話し合っている時、講堂ではリュート、セナ、トリス、そして、その三人と向かい合うようにミントが座って、学院内で話題となっているチェスターの話をしていたのである。
感染していくように、チェスターの恋の話が広まっていた。
近頃、浮かれモード全開のチェスターの話をミントが語っている。
その話を我関せずと言う立場で、リュートがテキストを読んでいた。
でも、そのページは同じままだ。
「何か、調子狂っちゃうよ」
ジェスチャーを交え、あれやこれやとボヤいていた。同級生から担任の様子がおかしいと聞き、近頃真面目に授業に参加していたのだった。
「懲りない先生ね」
耳を傾けて聞いていたセナが一言漏らした。
学院中に噂が充満していたのである。
新たな恋の相手が出現し、猛烈にアピール攻撃をしていると言うものだ。
セナとミントはこの噂しか知らず、それ以上の話を知らない。
剣術科の生徒のところまでは、ナルに恋人がいたと言う話がまだ広まっていなかったのである。魔法科の生徒の中でもごく一部のものしか、知らない事実だったのだ。
恋人がいたと言う話が極秘情報となっていた。
誰も浮かれているチェスターに、話せない状況が続いていた。
「ねぇ、もしかすると、この状況だと上手くいくかもね」
のん気な声音でセナが隣でジュースを飲んでいるトリスに話しかけた。
珍しく口籠っているトリスに成り代わり、ミントが相槌を入れる。
「かもね。だって、凄いんだよ。歩く時はテンションが高いスキップで、誰かが頓珍漢な答えを言っても正解ですって言うし……」
「相当重症ね」
率直な感想を零した。
「物凄く毎日が幸せそうなの」
チェスターの奇行を目にし、しみじみとした様子でミントが口にしていた。
「よかったね」
「どうかな」
首を傾げるミント。
「うーん。どうだろう……。今までの実績があるからね」
歯切れの悪いトリスに言い方に、二人ともきょとんとしている。
二人に話せる内容ではなかったので、伏せていたのだった。
「大丈夫よ。話を聞く限り、相手もまんざらでもないようだし」
「そうだね、セナ」
力強くセナの意見に賛同した。
「さらにパワーアップした先生の様子が見られるかもよ」
「授業が楽しみ」
「私も見てみたい気がする」
「覗きに来る?」
「でも……」
見てみたい好奇心に、心が揺れる。
「大丈夫だよ」
「そうかな……」
話に盛り上がっている二人を眺めながら、この手の話はどこでも同じなんだと感じるのであった。
「ほっとけ」
眉間にしわを寄せながら、リュートが吐き捨てた。
話題に入っていなかったリュートに視線が注がれる。
「あんなやつ。ほっとけばいい」
「嫌いだからって、失礼よ」
「酷い、お兄ちゃん」
「うるさい」
非難する二人から、そっぽを向く。
不機嫌な視線をテキストに戻した。
でも、その心中ではチェスターのことが気になって、同じ行を読んでいることに自分自身で気づいていない。
その様子を見て、心配しているんだなと思わずトリスは笑みが零れていた。
読んでいただき、ありがとうございます。




