第2話
「とりあえず、帰れ」
「けど……」
「帰らなければ、さらに辛くなるだけど」
カサカサ。
葉と葉が重なり合う音。
リュートたちの耳に響く。
全身に緊張が走る。
敵視されている殺気を身体の五感すべてで感じる。
同時に、その音がした方へ視線を馳せた。
木の葉がユラユラと落ちた瞬間、リュートは剣の柄を掴み、地面から抜き取る。
いつでも呪文が唱えられ、カバーできるようにトリスは万全の態勢を整え構えた。
シーンと静まり返っている周囲に、さらに耳を研ぎ澄ます。
相手の正確な位置を把握するためだ。
思考をフル回転させた。
相手の間合いに入らないように、少しずつ身体を動かした。
様子を窺っている反対側から、リュート目掛けて《火球》が放たれる。
無数の殺気はフェイクだと気づく。
撹乱させるために、無数の殺気を匂わしただけだった。
相手は複数ではなく、たった一人だったのである。
赤々と燃え上がる火の玉が一直線に、身構えているリュートの元へ向かう。
最初から狙いはリュート一人だった。
「!」
若干の距離が離れていたトリスは、《火球》を辛うじて避けた。けれど、別な殺気に気を取られ、リュートは避けるタイミングを外してしまう。
「うっ」
直撃は避けたものの、肩の皮膚は赤く焼きただれていた。
苦痛で顔が歪む。
痛みを堪えながら、次の攻撃に備え、《火球》が放たれた大きな木の上を見上げる。
やられた十倍を返そうと、苦虫を潰しながら投資を燃え上がらせていた。
「だれ……」
誰だと言い募ろうとしたが、途中で途切れた。
長い髪を高く二つに結んだ小さな女の子が、クスクスと笑っているのを視界に捉えたからだ。
枝の上数センチのところを、フワフワと浮遊している。
プリーツスカートを気にし、女の子がゆっくりと降下していった。
「ミント!」
降下しているミントを指差し、リュートが愕然としてしまう。
いるはずがない妹が、自分の目の前にいるからだ。
してやったと言う満足げな顔で、驚きのあまりバカ面になっている兄の顔を眺めていた。
「何でいる」
ブスッとした顔で、ひと睨みする。
ミントは母リーブと、ここから西に離れているアミュンテと言う村で、のどかに暮らしていた。アミュンテ村はリュートとトリスが生まれ育った村だ。
驚きと怒りが収まらない兄を完全に無視する。
成り行きを静観していたトリスにミントが近寄った。
ニッコリと誰もが魅了される愛らしい微笑みを振りまく。
その瞳はクリクリとし、琥珀色だ。
おとなしく笑っていると可愛らしい少女だが、リュート同様に魔法の天才だった。兄妹揃って、母であり、魔法の天才である血筋を色濃く継承していた。
二人の母は、世界で名の知れた天才魔法使いなのだ。
そして、性格も似ていた。
「久しぶり、トリス」
「久しぶりだね。ミントちゃん。おばさんも元気かい?」
「元気よ。元気があり過ぎて、困っちゃうぐらい」
「変わらなそうだ」
再会の挨拶を交わし、楽しい会話が弾む。
華麗な花で彩られたようなピンクの雰囲気を醸し出している会話に、無理やりにでも入り込もうと試みるが、呆気なく打ち砕けてしまった。ミントが一切それを拒んで、楽しげにトリスと言葉を交わしていたからだ。
負けず嫌いなリュートも奮起し、いろいろと品を変え、手を下したが入り込む隙がなかった。ことごとく、それを断ち切って、無視していたのが六つ下のミントだった。
「……もう、いい」
とうとういじけて、自らの手でケガの治療を始める。
治療を行いながら、いっこうに話が終わらない二人に眉を少し吊り上げる。
蚊帳の外にいる立場が無性にいやだったのだ。
だからと言って、妹に取り繕う真似ができない。
会話に入り込もうとして、先程まで必死だったことをすっかり忘れている。
「ミント。いつまで俺を無視しているつもりだ」
怒気がこもった声音に、ミントが臆する様子もみせない。
そんな態度に、さらにリュートがムカつく。
「聞いているのか、ミント! 返事ぐらいしろ」
怒りが収まらない状態で治療を続けていると、トリスに見せる愛くるしい表情とは違い、きつい表情で振り向いた。
「うっ」
あまりの形相に、言葉が詰まってしまう。
新月のように真ん丸の目を細め、胡坐をかいて座っている兄に向って、上から睨めつけていた。一瞬、怯みそうになるが、対抗しようと睨め返す。
ただならぬ二人。
不貞腐れているリュートに、やれやれとトリスが気遣う言葉をかける。
「大丈夫か?」
傷を心配していたが、とめどなく話しかけるミントによって、言葉をかけることができなかったのだ。
ジリジリと、ミントが距離をつめていく。
ムスッとしているリュートの前で立ち止まった。
両手を腰に当てて、頬を思いっきり膨らませる。
相当怒っていることを、二人共通認識していた。
「文句あるの?」
上から目線のミント。
(な、な、何なんだ、この態度は)
噛みつきたくなる衝動をリュートは抱えた。
いきなり襲い掛かった非を認めようとしない姿に納得できない。
バチバチと火花を散らす。
互いに意地になって、収拾がつかないと客観的に傍観していたトリスが首をすくめていた。
「あるに決まっているだろう」
「そんな立場?」
冷ややかな眼差しを見下ろす。
「……」
「わからない?」
「……」
気迫のこもった眼光に、僅かに逃げ腰になってしまう。
徐々にミントが怒っている見当に、心当たりが浮かぶ。
(やっぱり、あれだよな)
「な、何だよ」
それでも素直に認めることができない。
「悪いのはすべて、お兄ちゃんよ。夏休み……」
やっぱりか……と愛想笑いをして誤魔化そうとする。
強気な態度からの方向転換。
だが、怒っているミントには通じない。
「休暇の時、何で帰ってこなかったの? 私がどれだけ大変だったか、それに比べたら、これくらいは平気でしょ? ホント、かすり程度の傷よね」
かすり傷ではなかったが、何も言い返せない。
圧倒するミントの迫力に、通じない愛想笑いを浮かべ、無駄な努力を費やしている。
「だよな。大した傷じゃない。寮にある薬草で……」
「逃げるの?」
「な、何で俺が逃げるんだよ。そんな訳ないだろう」
信じられないと、さらに目を細めるミント。
「ここにいるの?」
コクコクと素直に頷く。
「それではお兄様。なぜ、お帰りにならなかったのですか? 詳しく説明をなさってくださいませ。さぁ、さぁ」
お兄ちゃんからお兄様に呼び名が変わり、口調が丁寧に変化した。
怒りが増したことを、今までの経験から伝わってくる。
互いに鼻と鼻がくっつきそうになる。
目の前にいるミントの顔は、とびっきりの笑顔だ。
その笑顔が逆に怖いと身に染みていた。
「……べ、べん、勉強に、き、きま、決まっているだろ……。ほ、他に何がある」
たどたどしく言葉を並べていった。
(バッカじゃないの、お兄ちゃん。小さない子供の言い訳と一緒じゃないの)
鼻息も荒くなりそうになるが、冷静を装う。
「あるのではないの?」
ニッコリと満面の笑みを零している。
「ないさ」
徐々にリュートの首を絞めていくように、息の根を止めようとしていた。
どうにかその場を取り繕うと懸命なリュート。
そんな必死さに、侮蔑な視線を注ぐ。
「勉強だよ」
とりあえず、胸を張った。
「勉強なの?」
思わず、何度もそうだと頷く。
納得させようと切羽詰まっていた。
「する訳ないでしょ、お兄ちゃんが! 私、一度も見たことないわよ」
ピシャリと跳ね返した。
自分自身でも、ごもっともですと同意してしまう。
ほら、ご覧なさいとリュートを鋭く睨んだ。
その双眸に、ヤバいと後退りしたくなる。
「何? お兄様は、私がどうなっても、構わないと思っている訳?」
ヒートアップしているミントに、どうすることもできず、さらに怒らせる羽目になっている事態に嘆いてしまった。
何か妙案がないかと巡らす。
けれど、見つからない。
考えた挙句、結局本音をぶちまけた。
「ミント。お前は、まだいい方だ。俺なんか、今までずっと苦労してきた。それに比べたら……」
話の途中で顔を上げたら、自分の口を閉じてしまう。
ミントの頬が風船のように、大きく膨らんでいたからだ。
ゴクリとつばを飲み込む。
それは危険を知らせる合図だ。
鬼気迫る状況に察知し、のん気に構えているトリスに助け舟を求めた。
(頼む、トリス。何とか、ミントの怒りを止めてくれ!)
懇願する哀れな黒い瞳に、しょうがないとため息を漏らす。
兄妹ケンカは毎度のことだった。
悲惨な末路が予想されるリュートを助けるために、呆れる気持ちを押し隠してトリスが最高の笑顔を作った。怒り心頭のミントをなだめるのはいつもトリスの役割なのである。
「ミントちゃん。その制服、似合うね」
唐突に褒められ、さっきまでの表情とは違い、可愛らしく照れてみせた。
「そうかな」
全然、先程まで憤慨していたとは思えないほどの変貌ぶりだ。
「可愛いよ」
トリスの元へ駆け寄り、短めのプリーツスカートの裾をつまむ。
大好きなトリスに見せたかった制服。
グルリと一回転してみせた。
命拾いをしたと安堵の表情を浮かべている。
「助かった……」
兄妹ケンカをしても負けない自信があったが、その後が大問題だった。そのためにミントとの兄妹ケンカを極力避けたかった。それは周囲の被害の方が甚大だったからだ。
生まれ育った村の危機は一度だけではなく、二人の衝突によって、何度も村の危機があり、そのたびにトリスに周囲を考えて行動しろとどやされたこともあった。
剣術科に移って、早々に問題を起こしたくなかった。
だから、先に折れたのだった。
(面倒がなくなった……)
二人の会話が何気なく耳に入ってくる。
「明日の入学式、見に来てくれる?」
甘えたような声で、トリスを見上げている。
その顔には不安が微かに覗かせていた。
承諾するとあっさりと機嫌が直り、飛び上がって嬉しさを身体全体で表していた。
(何だ、この変わり身の早さは。それに何か変なこと、言っていなかったか?)
「やったぁー」
(制服? 入学式?)
大はしゃぎするミントを凝視すると、まさにフォーレスト学院の新品の制服を身に纏っている。
真新しい制服を指差し、口をパクパクしていた。
「何? お兄ちゃん」
「どうした?」
二人は目を丸くしている理由が呑み込めず、首を傾げていた。
「何で、うちの制服を着ている! それも、魔法科のだ!」
「はぁ?」
何を言っているの?と言う顔でミントが動転している兄を見据えている。
胸元の大きなリボンが揺れた。
その隣ではすでにリュートの天然さを把握しているトリスがトホホと肩を落としていたのだ。
「にぶいな。入学するからだろう」
ムッとして隠し持っていたダガーをトリスに投げつけた。
「うるさい」
一直線に向かってくるダガーを意図も簡単に魔法で軌道をずらす。
「魔法では負けるが、剣対魔法だったら、勝ちそうだな。剣術科やめて、魔法科に戻ってきたら、どうだ?」
「断る」
きっぱりと拒否した。
「ナンバー1の実力を捨ててまでか?」
「ああ」
「物好きだな」
「魔法が大っ嫌いだ。誰が戻るか」
うんざりとした顔で吐き捨てた。
いつものあれが始まったかと顔を見合わせ、二人はふふふと笑みが零れていた。
『魔法が大っ嫌いだ』はリュートの口癖だった。
和やかな空気が流れる。
無言のまま、自分で投げたダガーを回収し、ついている汚れを落としてから、自分の腰ベルトへ戻した。
ふと、ある疑問が浮上した。
その疑問をまだトリスと話しているミントにぶつける。
「おい、ミント」
「何?」
「学校嫌いな、お前がどうして入学決めた?」
「そのこと……」
帰省してこなかったリュートが、今後学院の夏休みに屋敷に戻るようにするために、母リーブから送り込まれた話を伝えた。
「えっ?」
事情をうまく呑み込めない様子に、ミントが呆れてしまう。
学院の校則をまだ理解していなかったのだ。保護者代わりを務めているトリスが校則について説明を行う。それをおとなしく耳を傾けていた。
六年生からの休暇は本人の自由となっているが、五年生以下に兄弟がいる場合は一緒に同行して帰省しなければならないと言う校則が存在していた。それはフォーレスト学院の校則休暇の欄に補足として書いてあったのである。
六年生からは自由だと休暇に関する校則を友達から、ただ聞いていただけだった。
「マジかよ」
予想外の事実に、呆然と呟き、力なく立ちすくむのだった。
その脳裏に地獄絵図のような光景が蘇っていた。
嬉しそうなリーブが、愕然としている自分の元へ両腕を広げ、走っている。
一年後の光景だ。
思いっきり頭を抱え込む。
(嘘だと言ってくれ!)
奇怪な兄の仕草に、ミントが目を細め、眺めている。
「学生手帳、読まなかったのか?」
呆れながら、トリスが声をかけた。
そう言いながらも、読む訳ないかと過ってしまう。
学生手帳にリュートはまったく興味がない。だから、入学してから一度も開いた事実がなかった。
「……」
一生、屋敷に帰れないと強く思うリュートだった。
読んでいただき、ありがとうございます。