第183話
当初の予定通り、長老側にいるハンナを確保し、周囲を警戒している者たちや、ハンナの友人たちがいる場所から、距離をとるため、森の奥の方へと、足を進めていく。
今後、ハンナを戻す際に、不審に思われないようにするためだった。
長老側に、まだ、勘付かれる訳にはいかない。
キョロキョロと、辺りに視線を彷徨わせ、落ち着きのないハンナだ。
颯爽と、風を切っているかのような、リュートたち。
散策しているかのように、足取りが軽やかだった。
まだ、抵抗していることもあり、拘束されたままのビンセントだけは、そのままの姿で連れて行かれている。
そうした状況に、ハンナが眉を下げていた。
入ったことがない場所へと、いつの間にか、歩いていく。
今までいったことのない、森の奥。
進むことに、戸惑いと恐怖が、胸の中で広がっていった。
(……大丈夫かな)
視線が定まらない。
見えるものが、徐々に怖くなっていった。
常に、決められた場所にしか、入ったことがない。
すべて、長老たちが決めたことに、従っていたのだ。
不意に、先を歩くリュートの背中を捉えている。
怯えている訳ではなく、この状況を誰よりも、楽しんでいるかのように、ハンナの双眸に映っていたのだ。
(変わった人……)
リュート同様に、楽しんでいる者もいれば、神経を張りつめたように、周囲を警戒している者もいて、様々な表情があったのである。
そして、この集団に、ビンセントよりも、上の人も一人存在し、下の子も存在し、ハンナの眼光には、奇妙な光景として映っていたのだ。
次第に、彼らを見ていくうちに、ビンセント以外、知らない顔触れに対し、当初より怖いと言う感情が、なくなっていたのだった。
冷静に、周囲の状況を窺うことができていた。
不貞腐れているようなビンセント。
クスッと、ハンナが笑みを零している。
この中において、往生際が悪そうで、子供のように見えていた。
「笑われているわよ」
冷たいガルサの言葉に、近くにいるハンナを捉えると、確かに、笑みを漏らしていたのだ。
段々と、抵抗が弱まっていく。
そして、ばつの悪い表情を覗かせていた。
(ハンナがいたんだ……)
暴れているビンセントを抑え、歩いていたダンたち。
それぞれに、安堵の息を吐いている。
押さえ込んでいるダンたちは、それなりに苦労していた。
そうとは知らず、リュートは先頭を切って、意気揚々と歩いていたのだ。
少しは手伝えよと、抱くダンたち。
だが、問題なく、仕切っている彼らに、代われとは言えなかったのである。
自分たちが、数段、劣っていることを認識していたからだった。
「ねぇ、リュート。どこまで行くの?」
不安そうなセナが、質問を投げかけていた。
何を仕出かすのかと、気が気ではない思いを抱えていたのだ。
セナの脳裏には、問題を起し、カイルたちに叱られると言うイメージが、鮮明に浮かび上がっていたのである。
ここまで来た以上、怒られる覚悟はしているものの、それ以上に、怒りを買わないようにしたかったのだった。
「そうだな……」
先頭を歩いていたリュートが止まる。
後に続いていた者が、順次、止まっていった。
辺りを窺う、魔法科の生徒たち。
ソルジュも、ユルガも、ミントも窺っていた。
挙動不審な視線を巡らせているのは、今回初めて、リュートたちに付き合っているガルサたちだった。
何をしているのか、飲み込めていなかった。
完全に、リュートたちに振り回され、状況を推察するまで、至っていなかったのだ。
「大丈夫そうだな」
「だな」
セナや同じ班のダンたちは、達観している。
彼らが、確かめ合っている姿を、ガルサたちが、胡乱げに眺めていた。
勿論、ビンセントやハンナも、同様な眼差しをしていたのである。
「じゃ、ここで、話を聞くか」
リュートの言葉に、トリスたちが頷き、ビンセントとハンナだけが、身体を強張らせていた。
長老側に立つハンナ。
より詳しい話を聞き、何食わぬ顔で戻すため、誰にも見つからない場所を選んでいたのだった。
リュートの双眸が、まっすぐにフリーズしているハンナを捉えている。
そして、トリスたちの双眸も、ハンナに集まっていた。
心配そうなビンセント。
ハンナとリュートたちに、視線を巡らせていたのだ。
「友達が、拘束されているんだな?」
突如、確信を得ている言葉。
ドキリとしてしまう。
そんなハンナを、無視しているリュートだ。
「まだ、そこにいるのか? それとも、移されているのか?」
黒曜石のような瞳と共に、ズンズンと、距離を詰めていく。
徐々に、顔が近づくにつれ、戸惑が隠せない。
思わず、ハンナが、後ずさりしていった。
僅かに、狼狽えているセナやダンたちは、やり過ぎではと、トリスたちに双眸を傾けているが、動こうとはしない。
静観していたのだ。
少しだけ、期待を込め、リュートと同じように、好奇心旺盛なユルガにも、助け舟を出すような視線を巡らせるが、ユルガも、ソルジュも、窺っているのみだった。
誰一人として、ハンナを助けようとはしない。
諦めモードのセナたちだ。
「おい」
抗議の声を上げ、ハッとしているビンセントだ。
いつの間にか、魔法が解かれ、声が出るようになっていたからだった。
「……声が出ている」
感動しているのは、ほんの僅かで、ビンセントが詰め寄っているリュートを睨んでいた。
睨まれているリュートは、気にしない。
眼光を、戸惑っているハンナに、注がれていたのだ。
チラリと、半眼しているビンセントを窺い、気持ちを落ち着かせているハンナ。
(……大丈夫。ここには、ビンセントもいるんだから)
意を決めたようなハンナの表情が、あったのだった。
抗議しているビンセントに、ニコッと笑いかけている。
「大丈夫。ビンセント」
「ハンナ……」
困ったようなビンセントから、質問してきたリュートに眼光を傾けていた。
「……今日の朝、イシスの家に寄ってきたけど、いたよ」
「そうか。家の周りを見張っている者たちは、同じか? それと、増えているか?」
「増えているよ」
「皆、顔見知りか?」
逡巡し始め、顔を伏せている。
リュートに言われ、イシスの家を見張っている者たちの顔を、それぞれ思い浮かべていたのだった。
そして、ハッとした顔を上げていた。
眼光に、目の前にいるリュートを映している。
「……知らない顔もあった……」
愕然としているハンナ。
リュートに問われるまで、気づいていなかったのだ。
(なぜ、気づかなかったんだろう)
異様な雰囲気に飲み込まれ、影をできるだけ、消していた彼らに、目がいかなかったのだった。
彼らも、村の住人にできるだけ存在を、見定まれないように、注意を払っていたのである。
(……あの人たちは、誰? 何で、知らない人たちなのに、長老たちは、何も言わないの? おかしいよ、これは)
「やはりな」
したり顔のリュートだ。
「知っているの?」
微かに、ハンナの声が強張っていた。
「長老側が、密かに送り込んだ、者たちだろう」
「嘘。だって、長老は……」
口に、自分の手を当てている。
(よその人たちを嫌っているのに? どうして、嫌っているのに、村に入れたの?)
「嘘言って、どうなる? 確かな情報だぞ。それも、かなりの数を入れ、必ず、また増えていくだろうな」
楽しげなリュートである。
「……」
「見たんだろう?」
頷くことしかできない。
「お前の目を信じろ」
まっすぐに注がれる、リュートの瞳。
「……」
「長老は、何かをするはずだ」
自信に満ちた、リュートの声音だった。
「……何を」
「それは、まだ、わからない。だが、確実に言えることは、見張られている、お前の友人であるイシスって子が、使われるはずだ」
「どうして?」
「逃げられないように、見張られているだろう」
「だって……」
「両親も、ある程度、グルだろうな。……わかっていて、諦めているのか」
(おじさんも、おばさんも、知っている……。ってことは、お父さんも、お母さんも、知っているって、ことだよね)
「とにかくだ。何かあるのかは、確かなことだ」
真剣な眼差しを、リュートに巡らせていた。
「……イシスを、助けてくれる?」
「いいだろう」
「……ありがとう」
「その代わり、教えてくれ。それと、今後、情報もほしい」
「……わかった」
「頼むぞ」
脇におかれていたビンセントだ。
二人の話を聞いている間に、徐々に、微妙な顔を覗かせていたのである。
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