第19話
トリスと別れた直後、寮に戻って剣術の勉強に手も付けずに、多少は俺が悪かったのかと思いを巡らせていた。けれど、それを素直に言葉にすることや、態度に表すことには抵抗を隠し切れない。
悶々とした気持ちを味わっている。
幸いに寮に誰もいなかった。
勉強に身が入らないと言う方が正解かもしれない。
それほど真面目に考えていたのだ。
でも、素直にチェスターのことを認めることができないのだった。
大きく嘆息を漏らした。
行き場を失い、ベッドに潜り込んだ。
そんな宙ぶらりん状態になっているとは知らずに、カーチスもクラインも帰ってきた。でも、そんなリュートを気にすることもなく、稽古に疲れただけだろうとしか思わずに二人はリュートを放置したままにしたのである。
その日、帰りが遅かったトリスと一言も言葉を交わさなかった。
そんな自分の姿を見られないで、ホッとしている。
思考をいろいろと巡らせているうちに、リュートが眠りに落ちていった。
朝方、目覚めると、すでにトリスの姿が部屋にいない。
夜遅くに帰ってきて、朝もはっきりと明けないうちに出て行ってしまっていたのである。
隣のベッドは綺麗に整えられていた。
「トリス、何をやっているんだ?」
支度をしているカーチスに聞く。
「知らん。でも、朝早くに出て行ったぞ」
「そんなに早くにか?」
「ああ。半分寝ていたけど、あれはトリスだった」
「そうか……」
着替えを済ませたクラインが、さっさと食堂へ行ってしまう。
二人が出て行った後、急いで身支度し、部屋を出て、軽い朝食を済ませて授業に向かった。
二つの授業を終えたところで、空き時間となったリュートは一人になるために講堂に行き、自主トレせずに物思いに耽っていた。
ずっと、カイルやトリスの言葉を気にしていた。
(謝った方がいいのか……。でも、あいつに頭を上げるのは……)
「ムカつく……」
数日が過ぎ、チェスターがナルとデートを楽しむ。
ナルに嫌われずに、親交を深めていった。
空き時間を利用し、マドルカは〈宝瓶宮〉で働いているナルに会いに行く。
話で聞いているだけで、これまで面識がなかったのだ。
〈宝瓶宮〉に行くと、ひと目でナルがどの人なのかすぐに把握した。
チェスターからナルの人となりを聞いていたからである。
すぐさまに責任者に許可を取って、人気のない場所へと連れ出した。
「仕事中に済まない」
急に連れ出したことについて、最初にマドルカが謝った。
「いいえ。ご用件と言うのは?」
少し機嫌悪そうなマドルカに対し、怯えたような態度を示さない。
ナルの方もチェスターからいろいろと彼女の話を聞いていたのだ。
いつも機嫌悪く見えるが、それは表面的なものであって、本当は優しく頼れる幼馴染と評しているのである。
「素直に言おう。チェスターのこと、道具に使うな」
「えっ?」
咄嗟にマドルカの言葉を理解できない。
きょとんとしている顔で見上げている。
「男を忘れる道具ではない」
「……知っているんですね」
「ああ。男を忘れる道具にするのは、どうかと思う。私の話は間違っているか?」
俯き、小さく首を振った。
「本気で付き合うのなら構わん。けど、まったくそんな気持ちがないのなら、チェスターのこと、ほっといてくれないか。あいつは傷つきやすい。これ以上、傷ついてほしくない」
「……ごめんなさい」
ズシンとマドルカの言葉が心に突き刺す。
彼女には別れた恋人がいたのである。別れても恋人の動向が気になり、時折、影からこっそりと様子を窺っていたのだった。
嬉しそうに笑うチェスターに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
ずっと心苦しさは抱えていた。
「私の用件は、それだけだ」
淡白な眼差しを注いでいるマドルカに、一礼してから立ち去った。
それを見送っていると、突如マドルカの背後から声をかけてきた人物がいる。
「手厳しいですね」
「トリス・カナール」
軽快に現れたトリスを、双眸を細め眇めた。
「しつこいハエだな」
「酷いな、先生。ハエはないと思いますが?」
渋面しているトリスを、鼻先で笑う。
「先生もご存じだったんですね、彼女に別れたばかりの恋人がいたことを。ちなみに名前はジャンテ。同じリザイア村に住んでいて……」
「よく調べたものだな」
咎めるような視線を注いでいる。
非難していると把握しながらも、飄々としている表情は変わらない。
「一応、気になったものですから」
「どうするつもりだ? その情報を」
チェスターを傷つける真似をするなら許さないぞと言う意味を込めて、僅かに殺気を強める。
そんなマドルカの仕草に、おどけてみせた。
「別にチェスター先生を傷つけようなんて思ってもいません。多少なり、先生には悪かったと思っていますから。嘘はついていませんよ」
胡乱げな相手に後押しを忘れない。
何度かチェスターの恋の目を摘んだことを申し訳ないと思って、今度は順調に進むように密かにナルのことを調べたのだった。
「多少なりか」
素っ気ない態度に変わっていたが、どこか疑うことを完全に捨てた訳ではなかった。
「はい。僕たちの気持ち、汲んでください」
視線は困ったなと言うのを表している。
「教師の後をつける真似したやつの言葉か」
ムッとしながらも吐き捨てた。
「やっぱり気づいていましたか」
笑って誤魔化している。
距離を取ってマドルカの後をつけていた。
「当たり前だ」
「何となく、そうかなって思っていました」
笑っているトリスを凝視しながらも、上手く気配を消していたと実力を少しばかり評価していたのである。でも、それを口にしない。
ナルと歩いている時に、気配を感じたのだった。
実際は、その前からトリスはマドルカの後をつけていたのだ。
(末恐ろしい能力だな、あれは)
トリスの祖父は名前が知られていた盗賊だった。祖父と仲が悪かった母親に内緒で、幼い頃より祖父の家に訪ねていき、いろいろなことを学んでいたのである。
「まだまだ修行が足りないな」
頭を掻きながら、自分の実力不足を自分なりに分析していた。
不意に素朴な疑問をマドルカが投げかける。
「お前のような人間は、魔法科よりも、剣術科だろう? なぜ魔法科にした?」
「付き合いです、幼馴染の。それに魔法も嫌いじゃないんで」
そう言うことかと合点がいく。
「先生、どうするんですか?」
「お前たちに関係ない。それと、教師の後をつける真似なんて、今後するな」
釘もさしておく。
機嫌悪そうな表情が、より一層強面になった。
見下ろしながら、トリスのことを睨んでいる。
ゾクッと背中に冷たい悪寒が走っていた。
その威圧で指一本動かせない。
「わかったのなら、私の前から姿を消せ」
トリスに放っていた威圧を瞬く間に解いた。
軽く頭を下げ、目の前から姿を消す。
姿が見えなくなるのを見届けてから、溜息を吐いた。
チェスターの落ち込んでいる姿が浮かんでいたのである。
「どうしたものか……」
か細い声で呟いた。
その夜、いつものようにマドルカとチェスターの姿がノックス村にある酒場〈底なし沼〉にあった。
客がまばらにいる程度だ。
カウンターで飲みながら、ナルの話をくり返す。
逐一、マドルカに話していたのである。
マドルカの笑顔がどこかいつもの半減だったことに気づかない。
「ナルさんが……」
熱心に語る内容が、耳に届いていなかった。
「それでだな、ナルさんが面白いって言ってくれたんだ。それにだな……」
どこか上の空で、ただ、頷いているだけだ。
「聞いているのか? マドルカ?」
「……聞いている」
小さく微笑んでいるマドルカ。
「今日さ、ナルさんから誘ってくれたんだ」
「そうか」
いつもに増して素っ気ない返事をした。
ナルのことだけで頭が春色で、通常では考えられない素っ気ない返事に、気づく様子もみせなかった。
「もう嬉しくってさ、どこに行こうかと思っている」
「そうか」
「いいところないかな」
「そうだな」
「ナルさんは、どういった場所が好きなんだろうか」
「さぁな」
「他の先生にもいい場所がないか聞いてみようと思うんだけど」
「それもいいだろう」
「そうだよな」
満足げなチェスター。
ナルから誘われた話は、これで十二度目だ。
舞い上がっている姿をいつもに増して陽気で、そんな姿にマドルカの心がチクッと痛むのだった。
幾分顔色が優れないマドルカに気づかずに、ナルから誘われた話を五十六回も続けて話した。
読んでいただき、ありがとうございます。