第18話
よく晴れた午後。
ナルは〈宝瓶宮〉の責任者の老婆から、天日干しにしている薬草を魔法科の校舎の裏手にある倉庫に片すように命じられる。
大きなざるに移し、保管している倉庫に運んでいた。
背後から突如としてチェスターが出現して、ナルから大きなざるをもぎ取ったのだ。
「僕が持ちます」
「えっ、でも……」
「大丈夫です」
「……ありがとうございます……」
困った顔を覗かせる。
ナルたちボランティアの仕事だったのだ。
何かあるごとにチェスターがナルの仕事を手伝っていたのである。
開きかけたナルの口を、自分の言葉で塞ぎ込む。
「大丈夫ですよ、今、空き時間なんです」
「そ、そうですか……」
「はい。ですから気にせずに」
「はぁ……」
生返事しか出てこない。
頻繁に訪ねて来るチェスターに、どうしたらいいのだろうかと対応に苦慮していた。他の村人たちが奇異な目で見始めていたのである。それとなく、大丈夫ですと断ろうとするが、まったく通じなかったのだ。
二人は倉庫に向かって歩き始める。
無言のまま、ひたすら歩いた。
チェスターは満面な笑みで歩いている。
ナルはこの場の雰囲気を持て余していた。
対照的な二人の表情だ。
顔を赤く染め、もじもじして話すのをチェスターが躊躇っていた。
意を決して口を開く。
「心地よい風が吹きますね、ナルさん」
「は、はい」
「気持ちいいですね」
「はい」
「何て晴れ晴れとした陽気なんでしょう」
「はい」
か細い声で返事だけ返していった。
これ以上、会話が続かない。
「……」
チラチラとナルのことを窺っている。
「……何か?」
沈黙もナルを憂鬱にさせていたのだ。
恥ずかしそうに言いかけてやめてしまうチェスターに問いかけた。
他の教師と親しく接したことがないため、どう接していいのか途方に暮れていたのである。
ナル自身、悪い気はしていない。
面白いチェスターと話すことが楽しかったからだ。
ただ、不可解な行動だけがわからないだけで。
急にチェスターが立ち止まり、身体を相手に傾ける。
その顔は真っ赤に染められていた。
きょとんと固まっているチェスターを見上げる。
「……こ、今度、……どこか、行きませんか」
唐突な誘いに、目が見開く。
何も返事してくれない態度に、ダメかとがっくりとしょげてしまう。
もう少し時間を置いた方がよかったかと後悔の念が浮き上がった。
動揺したナルが気持ちを落ち着かせ、ゆっくりと沈んでいる目の前にいる相手に口を開いた。
「いいですよ」
「えっ」
輝くようなナルの笑顔に、落ち込んでいた気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。
「本当ですか」
前のめりになるチェスターに若干引きつる。
「えぇ」
「ありがとうございます。ナルさん」
一人ではしゃぐ姿に、面白い先生と言う印象が濃く色づく。
寮に忘れ物をしたリュートと、それに付き合っていたトリスが木の陰からその様子をずっと傍観していたのである。ナルに夢中になっているチェスターは、木の陰に隠れている二人の気配に気づかない。
意外な展開に、トリスが微かに驚きの表情を垣間見せる。
それに対し、リュートは面白くないと言う不満顔で、二人の一部始終を注視していたのだった。
嬉しそうな顔が許せないのである。
二人の気配に気づかずに、チェスターとナルが倉庫の方へ消えてしまった。
忘れ物を取って、講堂に戻ってきても、二人は言葉も交わさない。
機嫌を悪くしているのを察していたからだ。
チラッと横顔を窺うと、眉間に何本かのしわが寄っている。
講堂に入ると、静かな席を見つけて腰掛けた。
取ってきたばかりのテキストを開く。
向かい合うように、トリスが不機嫌全開なリュートの前に座った。
その手に何種類かの焼き菓子が入った袋を持っていたのだ。
二人の間に置く。
「いつまでブスッとしているつもりだ」
「別に」
「いつまで昔のこと、拘ってる」
「拘っていない」
「いる」
「いない」
不機嫌さが増していくばかりだ。
嘆息を吐きたい気持ちをトリスが押し殺す。
「……チェスター、嬉しそうだったな。今度は上手くいくといいな」
「ムカつく」
きっぱりと吐き捨てた。
袋から一つ焼き菓子を取って、糖分が不足しているだろうリュートの前に出した。
その焼き菓子をブスッとした表情を崩さずに眺めている。
いつもとは違う反抗的な姿勢だった。
まったく軟化しない姿にトリスが一喝する。
「いい加減にしろ!」
いつになく真剣な面持ちなトリスを睨めつけた。
「元々は俺たちがガキだったせいだろう? チェスター先生は一生懸命やっていただろう」
あえてチェスターのことを先生と呼んだ。
いつまでもこのままではいけないと思っていたからだ。
チェスターを擁護するような意見を語るトリスを、さらに目を細め、鋭く睨む。
その口はきつく結ばれていた。
「どう見ても、あの頃の俺たちの方が悪い。それはみんな、もう気づいている。気づいていないのはお前だけだ」
「俺は悪くない。しつこく俺をつけ回す方が悪い」
これ以上は無駄だと、そっぽを向いてしまう。
頑なな態度に嘆息を漏らした。
昔からこうだと思い込むと、頑として意見を曲げないところがあったのだ。
ゆっくりと、拗ねているリュートに投げかける。
「お前が悪い。……先生はリュートに授業に出てほしいから、お前を捕まえようとしていた。生徒が授業に出るのは当たり前のことだ。それをリュートは拒んだ。けれど、それでも先生は授業に出るようにしたかった。ただ、それだけだ」
いったん言葉を切って、眉間にしわを寄せているリュートを窺う。
考え始めた問題に、フッと口元が緩んだ。
「あの時の俺たちは、何も知らないガキだった」
「あんな授業……」
「リュート」
優しく名前を呼んだ。
開きかけた口は閉じた。
いつも傍にいたトリスはきちんと根気よく説明すれば、考えられるやつだと理解していたのである。今がその時期だと思い、話をさらに続ける。
「先生はリュートに授業に出てほしくって、一生懸命だったんだよ。お前のために一生懸命だった、俺はそう思う。ちょっと行き過ぎた面もあったけど、いい先生だと思うけど?」
後半からはチェスター自身も意地もあったのだろうなと思いを馳せるトリスだった。
けれど、それを口にしない。
ややこしくなるからだ。
考え込んでいたリュートの口が開く。
「知っているのに、いろと言うのか……」
チラリとトリスの顔を窺う。
「飛び級を拒んだのは、リュート、お前だ。他の誰でもない」
「……」
反論する言葉が見つからない。
「飛び級したくなかったんだろう?」
すんなりと、トリスの言葉を受け入れることができない。
いろいろなものが心の中で渦巻いていた。
「確かに意固地になっていた先生も、どうかと思うぜ。けれど、その原因を作った最初の原因はお前だ」
「俺は……」
「先生が俺たちのために作った教材とかダメにしただろう?」
「あれは……」
「つまらないと言って、確か《火球》で」
「うっ」
居た堪れずに、視線が彷徨う。
最初の授業で、丹精込めた手作りの教材をメチャクチャにしたのはリュートだった。
「元をただせば、素直に謝れなかった俺たちが悪い。それは誰も思ってる」
「……」
渋面しているリュートに視線を注ぐ。
いい兆候が覗え始めたので、苦笑交じりの笑顔を覗かせた。
「悪い先生じゃない。ちょっと、教育熱心なところが、俺たち生徒には鬱陶しいが。俺たちのために、いつも一生懸命じゃないか」
「……」
「俺はチェスターのこと、嫌いじゃない」
何かを話そうと口に開きかけたがやめてしまった。
それを見て、トリスは立ち上がる。
「ゆっくり考えてみろ。俺は調べものがあるから、行くわ」
反論しようとしたが、背中を見せながら講堂から出て行ってしまったのだった。
その後ろ姿を眺め、どう考えろと言うんだと呟きながら、その心の内側では俺は悪かったのか?と考え始めていたのである。
その夜。
デートを承諾してくれた喜びを話そうと思い、チェスターはマドルカがいると思えた剣術科の教師がいる〈第二職員室〉に向かった。けれど、不在でそこにいた同僚に伝言を頼んだ。
ひと足先に酒場〈底なし沼〉で待っていると、一時間ほどして姿を現した。
「すまなかった」
マドルカが声をかけると、ほろ酔い気分にでき上がっていた。
「遅いぞ」
「悪かった」
遅れてきたマドルカの様子がおかしかったことに、かなりの量の酒が入っていて気づかない。
ただ、嬉しそうに微笑んでいる。
デートの承諾をしてくれた喜びで、マドルカのちょっとした変化を見過ごしていたのだ。
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