第170話
職員室の自分の机で、ぐったりとしているスカーレットだ。
スカーレットの周囲に、曇よりとした空気が立ち込めている。
そのため、誰も近寄れないし、声もかけられない。
遠目で、見ているだけだ。
スカーレット自身、そうした状況に気づいていない。
それどころではなかった。
疲労困憊の息を吐いている。
ある程度、データが取れたとデュランに言われ、一時の休憩を貰い、職員室に戻ってきていたのだった。
デュランからの呼び出しが掛かるまで、ここで待機していた。
長年の経験もあるので、スカーレットとしても、逃げるつもりはない。
ここで逃げると、もう一度、やり直しを喰らうことが、多々あったからだった。
それはそれで、大変だったのだ。
研究に付き合わされる前だったら、逃げるが、研究に入り、データを取り始めたら、人が変わるだけで狂うこともあるので、素直に、研究のデータ取りに付き合っていた。
もう一度、溜息を漏らしている。
頬に当たる机の冷たさに、心地よさを感じていた。
(気持ちいい……)
適度に、休憩は挟んでいたものの、それは、デュランのさじ加減だったので、スカーレットとしては、もう少し、休憩の長さや回数を、求めたいところではあった。
(……私、何をしているんだろう……)
遠い目をしている、スカーレット。
(……新しい職場でも、見つけた方がいいのかな……。でも……)
何度か、職場を変えようかと抱くが、結局は、フォーレスト学院で、教師を続けていたのだった。
誰も、デュランの研究に、付き合わされていたことを、把握していたのである。
だが、誰一人として、餌食になっているスカーレットを、助けようとする気概がある者がいない。
デュランに逆らえる者は、限られていたのだった。
そして、多くの教師たちは、巻き添えを喰らいたくなかったからだ。
遠くから、囁き合っている教師たち。
「大丈夫ですかね……」
比較的に教師になって、日の浅い教師が漏らしていた。
「心配なら、デュランの餌食に、立候補するか」
冷めたベテラン教師だ。
「「「「「……」」」」」
「スカーレットたちには、悪いが、デュランの餌食になって貰わないと」
カイルたちが、生徒だった頃から、教師を務めている男だ。
長年、彼らを見てきた者たちに取り、かかわるなと言うのが、暗黙の了解となっていたのである。
「「「「「……」」」」」
「そうでなくっても、俺たちが捕まり、餌食になることだって、あるんだからな。諜報員たちの相手もしつつ、デュランに付き合わされていたら、身体がいくつ合っても、足らん。私は、自分の身体が、可愛いからな」
彼自身、デュランが生徒の頃から、餌食になっている身だった。
どの教師たちも、頷き合っていた。
仕事をひと段落させたグリフィンが、職員室に顔を出していたのだ。
デュランの元から、戻ってくる頃だろうと、スカーレットの元に訪れていたのである。
職員室に入ると、沈んでいるスカーレットを中心として、距離をとっている教師たち。
いつもの光景に、グリフィンは、何の感慨もない。
まっすぐに、スカーレットの隣の空いている席に、腰掛けていた。
「大丈夫か?」
虚ろな瞳を宿しているスカーレットを、グリフィンが眺めている。
「……大丈夫じゃない」
弱々しい、スカーレットの声音。
限界スレスレのところまで、酷使されていたのだ。
スカーレットの限界を正確に見極め、無駄なく、データを取っていたのである。
「元気出せ。何か、奢るからさ」
「いらない。裏切り者」
「悪い」
苦笑している、グリフィンだ。
ジト目で、睨んだままだった。
「ホント。悪いと思っている。だから、スカーレットの仕事を、俺が、代わりにすることにした」
まだ、不満げな顔である。
目の下に、隈ができるまで、組み込まれている警備の方が、まだ、ラクだと巡らせているからだ。
「……」
さらに、困ったなと言う顔を、グリフィンが滲ませていた。
無意識に、頭を掻いている。
「スカーレット。デュランに伝言を頼む」
「自分で、行けばいいだろう」
「データ整理している時に行くと、機嫌が悪くなるだろう? だから、データを取り始める際に、伝えて貰えればいいから」
グリフィンも、素直に、近づきたくなかったのである。
餌食になる可能性があるからだ。
「断る」
そっぽを向く、スカーレット。
「頼むよ、スカーレット」
「いやだ」
「ただ、カブリート村が、また、変な動きを見せているって、言うだけでいいからさ」
ちゃっかりと、頼む伝言を。口に出しているグリフィンだ。
カブリート村と聞き、眉間にしわができ上がっている。
「……カブリート村が、変な動きって……」
「そう。カブリート村が、動いている」
さらに、渋面になっていく、スカーレットだった。
「前に、デュランやラジュールが、調査した方がいいって」
「そう。上に、デュランやラジュールが、進言したのに、無視して、放置していたカブリート村が、動きを見せちゃっている訳」
「……」
「ま、デュランのことだから、冷めた顔で、ふって、鼻で笑っているだけだろうが、一応、耳には入れておこうと思ってさ」
(確かに、鼻で笑っている気がするが……。腹の中では、物凄く怒っている気がする……)
「……どんな動きなんだ?」
「いつも以上に、外部の者を、入れたがらない程度だ」
「……」
「そして、村の見回りの頻度が、上がっている。それも、異様にな」
(……不味くないか?)
「……デュランやラジュールが、進言した際に、もう少し、調査を行っていれば……」
「上としても、揉め事を起こしたくなかったんだろうよ」
首を竦めている、グリフィンだった。
「けど……」
「取り決めがあるからな」
どこか他人事のような、気が抜けたようなグリフィンの発言。
訝しげているスカーレットだった。
脳裏を掠めているのは、笑っているのに、目が笑っていないデュランの姿だ。
(……後が、怖いのに……)
「取り決めがあるからって、放置もできないだろう。預かっている生徒が、こっちにはいるんだぞ」
「わかっているさ。だから、密かに、こちら側の者も、侵入させている。ただ、あちらも、相当、勘がいいからな」
以前から、学院側の者を数人、カブリート村に潜入させていたのである。
けれど、海千山千の長老側も、そうした潜入者を探知し、村から追い出していたのだった。
「深くまでは、厳しいか」
「そういうこと。で、一応、デュランの耳にも、入れておいた方が、いいと思って、頼んだ訳さ」
「……わかった。伝えておく」
先ほどまでの表情とは違い、僅かに、しゃきっとしている。
僅かに、グリフィンの口角が上がっていた。
「ありがとう。スカーレット。カイルとさ、奢るから」
「絶対だからな」
「ああ。好きなだけ、飲んでもいい」
「金がないから。これ以上、飲むなとは、言わないな」
眼光が鋭くなっている。
何度も、飲みにいっていたが、酒豪のスカーレットは、底なし沼のように、酒を飲み続けることができたのだ。
そのため、先に、カイルやグリフィンのお金の方が、底をついていた。
黙り込んでいるグリフィン。
段々と、スカーレットの目が細くなっていく。
「……悪い。ただ、懐は、できるだけ、暖かくしておく」
「……承知した」
「ありがとう。じゃ、行くわ」
用件を済ませたグリフィンが、颯爽と帰って行った。
デュランと出くわす前に、スカーレットの近くから、消える必要があったからだった。
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