第16話
平穏な日が幾日か過ぎていった。
十度目の恋にチェスターは鼻息を荒くする。それ以前の恋の花が開くことがなかった。
チェスターの恋はいい人止まりで、それ以上に発展したことがない。
失恋続きの恋が、今回は実ろうかとしていた。
その歓喜を幼馴染であるマドルカに話し、今後の展開を相談しようと、学院から一番近くの村であるノックスの酒場〈底なし沼〉に歩いていたのである。
ノックス村は学院の敷地内にある村の中で、一番都会であり、いろいろな店や酒場が備わっていた。それに多くの旅人も集まって、活気が溢れている。フォーレスト学院を見学するための観光スポットになっていたのだ。
稽古をしようと歩いていたリュートは、二人が歩いている光景が目に飛び込む。
自然と足が止まった。
自分たちに見せない楽しそうな顔だ。
微かに口角が上がっているマドルカが気になる。
二人の様子を注視していた。
生徒であるリュートは勝手に学院の敷地内にある村に、出掛けてはいけない規則になっていた。生徒たちは村に出たいと言う申請書を提出して、許可が得た者が村へ出掛けることができたのである。けれど、魔法科の時代からリュートたちは頻繁に抜け出していたのだった。
他の生徒も隠れて抜け出していたが、村人たちも見て見ぬ振りをするのが通例となっていたのである。
「チェスター。それにマドルカ……先生……」
担任だったチェスターとは違い、リュートはマドルカに一目置いていた。
なぜか気に入らなく、楽しそうなチェスターたちを凝視している。
「随分と、喜んでいるな」
眉間にしわがたくさん寄っている。
「いい気なものだ」
ほっといてほしかったのに、一年生の時に追い回された記憶が鮮明に蘇ってくる。
一人にさせてほしいのにさせて貰えず、すでに授業内容を把握しているにもかかわらず、追い回して授業に出ろと言われたことが、チェスターを毛嫌いする原因だった。
何度リュートに倒されても諦めずに、授業を受けさせようと執拗に追いかけ続けていたのだ。
「ムカつくんだよな。あいつが楽しそうにしていると」
視線の先をチェスターからマドルカに移す。
穏やかな表情を変えずに、夢中になって話をしているチェスターに耳を傾けていた。
ほのぼのした空間が、余計に腹立たしく感じる。
「ったくよ。俺たちに、よくも罰掃除やらしたものだ」
見られているとも知らずに、楽しげな二人は〈底なし沼〉に入っていく。
店内は酒を飲みに来た人たちでごった返していた。
いつもより人が多い。
席を探すチェスターの姿に、開きかけた口を元に戻した。
「混んでいるな」
「そうだな」
「カウンターでいいか? マドルカ」
「構わん」
空いている席を探すが満席で、二人はカウンターで立って飲むことにする。
「いつもの」
「葡萄酒」
葡萄酒を頼んだチェスターを思わず見てしまう。
顔に似合わず、強い酒を好んで飲んでいたのだった。
「身体の具合が悪いのか?」
いつもと変わらない状態にしか見えず、戸惑ってしまった。
観察眼として自信がある自らの双眸で、確かめるが、いっこうに悪いところが見上がらない。
「そうじゃない、マドルカ」
様子を窺っていたマドルカの視線が、苦笑しているチェスターを捉える。
「明日、ナルさんと会うんだ。二日酔いだったら、悪いだろう?」
ウキウキとしている姿に、そういうことかと安どする。
「これで会うの、三度目なんだ。凄いだろう」
「そうか」
三度目と言うフレーズが、これで五回目だ。
同じような話を、先程からくり返していたのである。
それを嫌な顔せずに、くり返すたびにそうかと同じ答えをくり返していたのだった。
「薬草がないと言う話で、明日、取りに伺うことになっている」
嬉しそうに話す。
心、ここにあらずと言った様子だ。
行く理由を見つけては、〈宝瓶宮〉にいるナルに会いに行っていた。
必要もない薬草を貰いに出かけていたのである。
「そうだ。マドルカに頼まれていたスコラ、ナルさんから貰ってきてあげたよ」
「すまない」
スコラ草を受け取った。
まだ大量のスコラ草を持っていたが、ナルに会うための口実を探していたチェスターのために頼んだのだ。
段々と、チェスターはナルと親しくなっていった。
ようやく、二人の前に注文したぶどう酒ときつめの酒が入ったジョッキが置かれる。
グラスを傾け、一気に飲む。
「それでナルさん、笑う時に左の頬に可愛らしい、えくぼが見えるんだ」
そうかと短い相槌をマドルカが打つ。
「それが物凄く可愛いんだ。女神のように美しい」
「優しい人のようだな」
「そうなんだ。物凄く優しい人だ。俺の顔に泥がついているって、教えてくれたりしてくれる。この世にこんな優しい人はいないよ、マドルカ」
「そうかもしれないな」
いつもより舌が滑らかで、饒舌にナルの人柄を熱く語って、隣にいるマドルカに一生懸命に聞かせる。
ナルの話は店が閉店するまで、くり返し続けられたのだった。
魔法科の寮では、いつものようにトリスの姿がなかった。
昔から長い時間寮にいたためしがない。
同様にリュートも寮にいない時があったが、トリスほどではなかった。
常習犯のトリスは、頻繁にフォーレスト学院を抜け出していたのだ。
このところ稽古に熱心なリュートはまだ戻ってこず、部屋にカーチスとクラインしか残っていなかった。
何となく、二人は寂しさを感じている。
今まで一緒だったブラークやキムは別な部屋となり、リュートが真面目に稽古に励み、部屋を空けることが多くなっていたのである。
「続くな」
ベッドの上で、読書をしているクラインに話しかけた。
何もすることがないカーチスは、お菓子をつまみながら天井を眺めている。
少し前だったら、チェスターへのいたずらや、村へ遊びに行く算段なんかして盛り上がっていた。だが、今や寮の部屋は二人だけになっていたのである。
数ヶ月前までは、賑やかな声が絶えなかったのだ。
「ああ。意外だったな」
読書を続けながら、カーチスのボソッと漏らした言葉に答えた。
唐突に、クラインの方へ身体を傾ける。
「俺、初めて見た気がする。ボロボロになって稽古するリュートを」
「そうだな」
「この話聞いた時、すぐ飽きると思ってた」
クラインの視線の先は変わらずに、文字を追っている。
「俺もだ」
「楽しそうだな。リュートのやつ」
「そうだな。生き生きとしているな」
「すげーよ」
「そうだな」
「俺たち、少しずつ変わっていくんだな」
落ち込んでいそうな様子に、読んでいた本を閉じた。
その表情は優しさを滲ませている。
「前に比べて、お前だって大人になっただろうが。いろいろと」
まだどこか視線が彷徨っているカーチス。
「そうか」
「そうだよ」
「けど、リュートが変わるなんて、思ってもみなかった」
本音がポロリと漏れた。
「そうだな。俺も、リュートが変わるなんて、想像できなかった」
「あのまんまの感じで行くと思ってた」
「俺も」
二人はクスッと笑みが零れている。
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