第144話
人気のない森の中で、稽古に、汗を流していたリュートとアニス。
秘密の稽古と言うこともあり、二人以外、誰もいない。
とても静かな空間だった。
二人にとって、重要であり、楽しい時間でもあったのだ。
鬼気迫る稽古のはずなのに、両者の口角が、上がっている。
言葉も、交わさない。
ただ、ただ、互いに、攻撃を繰り出している。
あらゆる攻撃手段を用いて、戦いに挑んでいたのだ。
二人の時間が揃えば、こうして、秘密の稽古を重ねていた。
激しい、稽古を終えた二人。
稽古でできた傷は、完全に、癒えている。
リュートの魔法や、薬草によってだ。
両者とも、何があってもいいように、大量の薬草を持ってきていた。
大きな岩を背に、アニスが作ってきたお弁当で、ランチしていたのである。
先ほどまでの、研ぎ澄まされた殺気がない。
どちらも、穏やかなものへと変わっていた。
いつしか、アニスの手作りお弁当を食べることも、恒例となっていたのだった。
「美味しいな」
サンドイッチを、リュートが、頬張っている。
激しい稽古の末の、リュートの食欲は、旺盛だ。
止まることを知らない。
食べるリュートを考慮し、大量のお弁当を、自作していたのである。
とても、二人分とは、思えないほどの量だ。
「よかった。これ、カレンと、一緒に作ったんです」
進められるまま、口に運ぶリュート。
その頬は、上がっている。
いつもより、カレンと朝早くに起き、二人で、お弁当作りに励んでいたのだった。
カレンにとっても、アニスにとっても、充実した時間を過ごしていたのだ。
「……カレンも、弁当を作ったのか?」
「はい。カーチスと、一緒に食べるものを」
何気ない、アニスの言葉。
(カーチス?)
首を傾げ、ニコニコ顔のアニスを、捉えていた。
「……何で、カレンが、カーチスの分を、作っているんだ?」
「えっ……あの……」
アニスの双眸が、揺らぐ。
凝視しているリュート。
徐々に、視線をそらしていった。
二人が付き合っているのは、公然の事実として、知れ渡っていた。
けれど、当の二人は、隠そうとしているので、誰も、知らない振りをしていたのである。
だが、リュートは、気づいていなかったのだ。
「……たぶん、勉強を見るついででは、ないでしょうか?」
「そうか」
あっさりと、引き下がっていった。
ホッと、胸を撫で下ろすアニスだった。
(深い追求がなくって、よかった……)
「コンロイ村は、楽しかったな」
「……そうですね」
何とも言えない顔に、アニスがなっている。
コンロイ村での騒動を、思い返していたのだ。
ピアノの練習の息抜きとして、アニスも、コンロイ村に、同行していたのである。
勿論、コンロイ村でも、ピアノの練習は忘れていない。
しっかりと、行っていたのだ。
いつしか、アニスが、遠い目になっている。
(……楽しかったけど、大変でもあったな)
「バドの話だと、あの新種の魔獣だけらしい」
残念そうなリュートの姿。
僅かに、アニスの顔が強張っていた。
(さすがに、もう、出会いたくないって、思うけど、リュートは、違うのね……。でも、それが、リュートらしいと言えば、リュートらしいか)
この話に、これ以上、踏み込みたくないアニス。
容易に、別な話を持ち出す。
「ソルジュは、調査できているんですか?」
アニスの耳にも、トリスが、ソルジュに張り付いている件が、届いていたのだった。
学院において、この事実を、知らない者などいない。
村の住人まで、知っているほどである。
だから、無事に、調査できているのか、心配になっていたのだ。
「しているようだぞ。トリスが、ソルジュが、つれないって、拗ねていた」
最近になって、ソルジュから、もう、来るなって、言われたことを話したのだった。
「拗ねていたんですか?」
「ああ。俺に、ぼやいている」
「そうなんですね」
リュートの傍に、トリスがいると聞き、安堵を漏らしていた。
本人に自覚がないが、学院に入り込む諜報員に、狙われていたのである。
リュート一人でも、退治できると信じているが、心が休まらなかったのだった。
「トリスとは、一緒にいることも、あるんですね」
「ま、時々だけどな」
「そうですか」
「そういえば、コンクールは、どうだったんだ?」
アニスの眉尻が、やや下がっていた。
「ダメでした」
憂いを帯びた表情をしていない。
「そうか。それは、残念だったな」
「はい。次は、頑張ります」
「うん」
本選に選ばれるまで、後、僅かだった。
その一歩手前で、落選してしまったのだ。
ピアノのコンクールに出るため、アニスは、リュートと稽古しながらも、ピアノの練習を熱心にしていた。
リュートと再会するまでは、誰もが、心配するほど、根を詰め、練習の日々に、明け暮れていたのだ。
いつしか、再会し、会うたびに、挨拶するようになり、親しくなるにつれ、一緒に稽古するようになり、気持ちに、ゆとりを持つことが、できるようになっていった。
次第に、リュートと、稽古するようになって、ピアノにも、集中できるようになっていたのである。
大量にあったお弁当は、瞬く間に、リュートの腹に入っていった。
息をつくリュート。
満足げな姿に、アニスの頬も、緩んでいた。
不意に、リュートの眼光が、きょとんとしているアニスを捉えている。
「互いに、力を、保てるようになってきたな」
「はい。でも、気を緩めると、暴走してしまいそうですけど」
苦笑しているアニスだ。
追い詰められるとリュートは、無意識のうちに、魔法を放ってしまう癖があるように、アニスにも、先祖代々隔世遺伝的に、伝わってきた能力が、備わっていた。
その力の封印を解くと、肉体的に強化され、好戦的な性格になってしまう。
そうした力が、いやで、アニスは、力を封印していた。
けれど、リュートとの出会いにより、力をコントロールできるようにしようと、抱き始めたのだった。
「でも、大丈夫だ」
「はい」
リュートの大丈夫と言う言葉。
ストンと、心の中に、温かく広がっていく。
(怯えることも、逃げる必要も、ないんだ)
互いに、強大過ぎる力に、翻弄されつつも、絆を確かめ合っていたのだ。
窺うような、リュートの眼差し。
「何ですか?」
「まだ、力のことは、隠しておきたいのか?」
「……そうですね。まだ、知られるのは、少しだけ、怖いです」
「そうか」
「はい」
その頃、ソルジュは、リュートたちがいる森とは違う、別な森の中を、一人で散策していた。
途中までは、師匠であるユルガとしていた。
だが、いつの間にか、ユルガが、ソルジュの前から、消えていたのである。
自分の心に従って、足が赴くままに、いっていたのだ。
いつものことでもあるので、ソルジュ自身も、慌てることもしない。
ゆっくりと、ロードワークを楽しんでいた。
「ソルジュじゃないの?」
突如、頭上から、ミントが降りてくる。
挑んでくる連中から、逃れるため、ミントは、枝と枝を渡って、移動していたのだ。
このところ、そうした連中を、相手にするのも、飽きてきたところだった。
「……」
じっと、訝しげに、見ているソルジュ。
「何?」
「何で、そんなところから、出てくる」
「鬱陶しいハエがいるから、逃げていたの」
(ハエって……。ま、ミントに、挑む時点で、バカだと思うけどね)
以前、上級生から狙われ、自分の手で、片づけている話を聞いていたのである。
ミントの実力を、把握している身としては、さほど、心配はしていない。
逆に、相手の心配をしていた。
ソルジュが、手にしている雑草に、視線を止めている。
「何? その雑草は」
「……雑草じゃないよ。これは、貴重な薬草だよ」
「薬草なの! 雑草かと思った」
徐に、ソルジュの眉間に、しわが寄っている。
(これの、区別がつかないのか)
「……リュートは、知っているぞ」
幾分、声音も低い。
「だって、私は、お兄ちゃんじゃないもん」
素直な思いを、ミントが吐露した。
ますます、ソルジュの眉間のしわが、濃くなっている。
「これについての本は、ミントの屋敷の書庫に、あるんだぞ。読んでいないのか?」
「読んでいないわね。読んでいたら、憶えているはずだから」
(読んでいないだと。勿体ない、何を考えているんだ)
リュート同様に、読んだ内容は、一度で、頭に入り込んでいた。
ソルジュも、そうした類の一人でもあった。
「書庫には、貴重な物も多いんだ。ちゃんと、読んでおくべきだ。ミントぐらいのリュートは、屋敷にある本は、すべて、読破していたぞ」
屋敷にある本のすべては、学院に入学する前に、リュートは、すでに読み終わっていたのだった。
「そう」
そっけないミントだ。
あまりの、あっけらかんとした態度に、開いた口が塞がらない。
そして、顔が、徐々に、顰めていく。
(……俺は……何を、言ってしまったんだ)
自分が、トリスと比べられ、いやだったはずなのに、いつの間にか、リュートとミントを比べていたことに気づく。
「……ごめん」
「何が?」
急に謝られ、全然、わからないミントである。
「……リュートと比べて」
「別に、気にしていないけど?」
何、言っているのと言う顔を、ミントが、滲ませていた。
窺っている、ソルジュの眼光。
「……いやじゃ、ないのか?」
「だって、私は、お兄ちゃんじゃないもん」
「……そうだけど。周りは、比べるだろう?」
どこか、重い口調のソルジュだ。
「そうみたいね。でも、それも、勝手じゃない。比べるんだったら、勝手に、比べていれば、いいのよ。私も、たぶん、お兄ちゃんも、そうしたことに、拘らないから」
思っているままを、口に出していた。
ソルジュの表情は、渋面になっている。
(……何で、気にしない? 俺は……)
「ソルジュは、気にするの?」
「……」
「何で、トリスと、自分を比べるの?」
逆に、ミントの方が、ソルジュの言葉に、理解できないでいた。
「……じっちゃんに似て、器用だろう」
ミントは、しっかりと、瞳を彷徨わせているソルジュを、捉えているのに対し、ソルジュは、ミントと視線を合わせようとしない。
「そうね。でも、トリスは、トリス。ソルジュは、ソルジュじゃないの? ソルジュは、トリスになりたいの? 言っておくけど、ソルジュは、決して、トリスには、慣れないわよ。だって、ソルジュは、ソルジュだから。なりたいのなら、それは、とても、バカげたことだわ」
「……」
自分より、年下の女の子の言葉に、雷鳴を受けていた。
(……確かに、どんなに足掻いても、その人になるなんて、不可能だな……)
「で、どうなの? ソルジュは、そのバカげたことをしようと、ユルガと、旅をしているの?」
「……いや」
「なら、よかった。本当に、目指していたら、どうしようかと、思っちゃった」
「……俺は、いろんなことを、知りたいと思って、旅をしている」
「そう」
「ミントは、なぜ、学院に?」
「お母様のご命令よ。じゃないと、来ないわよ。でも、友達できたし、最近は、面白いって、思えるようになってきたわね」
「そうか。それは、よかったな」
「勿論よ」
ご満悦な笑みを、ミントが、零していた。
読んでいただき、ありがとうございます。